103話 魔女 前編
さてと、本気を出すにあたって、まずは準備が必要だね。
流石にドレスとヒールで敵地に行くつもりはない。着替えないと。
「ねぇゾアン。わたしが着替えできる部屋はあるかな?」
「……ああ、そう言えばドレス姿だったな。そちらのメイド用控室を使え。今は誰もいない」
わたしはゾアンが示した部屋に行き、内側から鍵を閉める。まぁ、こんな時に覗く不届き者は居ないと思うけど、念のためだ。流石に着替えを見られるのは恥ずかしい。
「さてと、来てギンちゃん」
わたしが呼ぶと、影から銀幻影モードのギンちゃんが出て来た。何かがあったときのために潜んで貰っていたんだよね。こんな感じで役に立つとは思わなかったけど。
「亜空間からわたしの冒険者衣装を出してくれる?」
ぷるん
(わかったー)
スライム種のギンちゃんは内部に亜空間を有しているから、物を幾らでも収納してくれる。こういうときは凄く便利だ。わたしはドレスをサッと脱ぎ、下着を付けて、ローブ姿の冒険者衣装に着替える。ローブは竜素材の最高品質だから下手な鎧よりも丈夫だからね。打撃には弱いけど、重宝している。
あとはいつもの弓を背中に背負い、ギンちゃんをフードに入れて準備完了だ。
扉を開けて例の事件現場に戻る。
するとゾアンが驚いたような表情を浮かべていた。
「……もう着替えたのか。思ったより早いな」
「こういう状況に備えて簡単に脱げるドレスを仕立てていたからね」
「なるほど」
オーダーメイドのドレスだけど、いざという時のために、動きやすく、脱ぎやすい設計になっていた。完全に護衛の仕事優先な仕立てだね。まぁ、そのせいで『人化』しないと着れなくなったんだけどね。
っと、それはいい。
今はサリナちゃんを取り戻すのが最優先だ。
アレックス君なんかは今にも窓から飛び出しそうな勢いだしね。ここは六階だからゾアンが全力で止めるだろうけど。
さてと、まずはゾアンに分かっていることを聞くとしましょうか。
「それでゾアン。相手についての情報は? 確か何人かがわたしの結界に引っかかっていたはずだよね」
「ああ、既に取り調べは終えている。背後関係までは行きつかない、雇われの二流暗殺者だってことが分かっただけだ」
「やっぱり当て馬か……それとサリナちゃんを誘拐するためのカモフラージュにもなっていたのかな。何回かわたしの結界に捕まえさせることで、こっちの気を逸らしていたっぽいね」
「やはりルシアもそう考えるか。我らも同じ意見だ。とすれば、アレックス様暗殺も我らが掴んだ情報ではなく、掴まされた情報である可能性も高いな」
「そうでもないと思うよ。単に初めから二つのプランがあっただけじゃないかな? 本命のアレックス君暗殺が無理そうなら、人質になりそうな人を誘拐するっていう……それで今回はサリナちゃんがターゲットになったんだと思うよ」
「サリナ様の情報は可能な限り隠していたつもりなのだが……どこで漏れたのだ」
ゾアンは難しい顔をしている。
でもその件については後で考えて貰おう。まずはサリナちゃんの居場所を探らないと。
「ともかくわたしが誘拐先を探知する」
「待てルシア。奴らは転移と思われる方法で逃走している。扉前で警備していた者が部屋に突入したとき、淡い光と共にサリナ様が消えるのを目撃したのだ。痕跡は追えないぞ」
「大丈夫。わたしに任せないさいよ」
転移魔法ってのは逃走に関して非常に有効だ。それはわたしもよく知っている。四年前にランドリス公爵が謀反を企てたとき、協力していた男が帝国の地下水道で転移を使って逃げていた。
それにわたし自身も転移魔法のありがたみを実感している。
魔境【魔の鉱山】で神獣・神地王獣から逃げ、追い込まれた時も転移魔法で脱出したって経験がある。だからわたしは魔力鉱石や霊素銃の研究と並行して転移の考察も進めて来たんだよ。
その過程でわたしは魔法という現象について一つの答えに辿り着いた。より正確には霊力・魔力と魔法の関係性についてだ。
わたしが提唱する霊力と魔力……これは濃密な情報を帯びた感応粒子であるということ。
なぜ願っただけで魔法が発動するのかと言えば、霊素や魔素がわたしたちの思いに反応して、内包する情報を変化させるからだ。さらに霊素と魔素は情報変化を現象として発現しやすく、結果としてそれが魔法になるのだ。
普段、空気中に存在してる霊素や魔素は周囲の環境と同じ情報を帯びている。だから環境に溶け込み、わたしたちは環境に変化が起こっているとは認識しない。しかし、わたしたちが霊力や魔力を練り上げ、それに『願い』を込めることで内包する情報が変化し、その願いを元にして現象が発現する。
このとき、『願い』が曖昧だったり、現実とあまりにかけ離れた『願い』だったりすると、環境に溶け込んでいる霊素や魔素の内包する情報によって掻き消され、魔法発動は失敗するのだ。
詠唱なんかはこの反発を無理やり打ち消す言霊の一種だったりする。
わたしはこれを理解し、自分の魔法に取り入れることで『魔女』と呼ばれるようになった。
冒険者ギルドでもわたしの二つ名を何にしようか、何年も悩んでいたらしいんだけど、最終的にはこれに落ち着き、今では『魔女』のルシアって呼ばれている。
まぁ『狐幼女ちゃん』だけは避けたかったからね。
ちょっと恥ずかしいけど『魔女』でよかったよ。
(じゃなくて……とりあえず周囲に残っている霊素の情報を解析しますか)
転移魔法を使った以上、この場所と転移先の座標を何らかの形で情報として組み込まなければならない。そしてその際の痕跡は必ず残っているハズなのだ。この情報の痕跡は環境情報に埋もれて消えてしまうので、早めに解析しないといけないんだよね。
その前に……
「ねぇ……アレックス君、ゾアン」
「なんだルシア」
「どうかしたのか?」
「今から見ることはアルさん以外、誰にも言っちゃダメだよ」
「それはどういう……」
問答なんかしている暇はない。
ここでの返事は『サーイエッサー』だけだよ!
まぁ、冗談はさて置き……『人化』を完全解除っと。
「……え?」
「これは……」
謎の煙に包まれて久しぶりに九尾状態のわたし降臨だ。やっぱり本来の姿が一番落ち着く。普段の尻尾一本バージョンも慣れて来たけど、やっぱり常時魔法使用状態だからね。微妙に疲れるんだよ。
驚いているアレックス君とゾアンはさて置き、早速解析スタートだ。
(尻尾感知の範囲を狭めて……)
狐族特有の尻尾感知も応用が結構あってだね、範囲を狭めることで精密測定が可能なんだよ。もちろん情報を直接読み取れる程は精密じゃないけど、霊素の流れとか、振る舞いとかを測定することで計算は出来るんだよね。
この転生した九尾のわたしは、神様(というよりは管理者?)がスペックを上げてくれただけあって、こういったことも簡単に出来る。じゃなかったら魔法陣学をマスターするにも数年では不可能だっただろうからね。
えーっと何々……
ほほう。
なるほどね。
はいはい。
あー、そういうこと。
ふむふむ。
……っと、これか。
ようやく痕跡を見つけた。転移先の座標だね。どうやら相対位置で予め座標入力していたみたいだ。つまりサリナちゃんの待機場所の情報が漏れていたんだね。確かにこれは大問題だわ。
まぁいいや。
転移先の座標も分かったし、変化したばかりの情報粒子も残っている。
これだけ条件が整っていたら問題ないね。
「アレックス君は武器を持っている?」
「持っているわけねぇだろ」
だよね。
まぁ普通のパーティだったから仕方ない。
「ゾアン。アレックス君に剣を」
「用意してあります」
ゾアンはそう言って剣をアレックス君に手渡す。アレックス君は一度スラリと剣を抜き、重さとか重心を確かめてから鞘に収めて腰に付けた。
こいつ……思ったより様になっている。
「準備できたぞルシア」
「そう? じゃあ、これから敵に飛び込むことになるけど、心の準備は大丈夫かな?」
「いや、まだサリナのいる場所も―――」
「そんなのは既に見つけてあるから」
「早っ!?」
「わたしが本気を出せばそんなもんよ」
まぁ、伝説の九尾だしね。
九百年前は戦争を一人で終わらせたとも言われているほどだ。確かに、今のわたしの能力を考えれば不可能ではないね。今の私は霊素と魔素を操る『魔女』だから。
「行くよアレックス君。『転移』するからわたしに掴まって」
「はぁ!? さっきからお前は何を言って――」
「ああ、じれったいな!」
アレックス君が驚いてばかりで動こうとしないので、わたしが無理やりアレックス君の左腕を掴む。ミスってちょっと力を込めすぎたかな? 一瞬痛そうな顔をしていたけど、それで落ち着きを取り戻したみたいだった。
そして最後にゾアンの方を見て伝言する。
「ゾアン、アレックス君がパーティを飛び出してきちゃったから、何事かって嗅ぎまわっている奴がいるかもしれない。アルさんも動いているとも思うけど、情報規制を宜しく」
「……ああ、分かった」
「頼んだよ。『転移』」
わたしは大量の霊素を注ぎ込んで転移の残滓で残った情報体を強化する。それを元に転移魔法を再構築し、少し前に部屋で発生した転移事象をもう一度引き起こした。
時空が歪み、霊素がわたしの『願い』を受けて変化した情報通りの事象を引き起こす。
わたしとアレックス君は、部屋から転移した。