98話 卒業式 前編
卒業式当日の朝、わたしは不本意ながらも帝城の一室に来ていた。
ええ、まことに不本意ながらね……
「そんなに嫌なら来なきゃいいだろ」
「ダメよ。アルさんの頼みだしね」
「律儀な奴だな。まぁ、俺としては居てくれると安心だけどな。世界でこれほど安全な場所は滅多にないだろうし」
「そりゃ良かったわ。わたしは面倒だけど」
割とフランクにわたしと会話しているのは成長した元ダメ皇子ことアレックス君だ。今や身長も抜かされ、立派に成長してくれている。わたしの教えもあってアレックス君も結構な霊術の使い手になったし、頭脳仕事もかなり覚えた。正直わたしが居なくとも刺客の一人や二人ならば簡単に対処できるようになっている。
だが今日は別だ。
栄えある【ナルス帝国】のナルス総合帝国学院の卒業式にアレックス君の命を狙う不届き者が現れる可能性が高いらしい。それで早朝から目の前のポンコツを警護しなくてはならないのだ。
「おい、いま俺のことを心の内で貶さなかったか?」
「ああ、ポンコツだって思ったよ」
「そこはオブラートに包むか誤魔化せよ!」
「めんど……」
「こ、こいつ……」
うるさいねぇ。
こっちは昨晩まで警護スケジュールの調整とか、警備する人の配置とか、警備員を探って刺客が紛れ込んでいないか探るとか、皇帝直属諜報工作部隊の人との打ち合わせとかで遅かったんだ。それに加えて朝が早いとか喧嘩を売っているとしか思えない。
そもそもわたしは卒業生の担任としての仕事だって残っている。この部屋で書類とかを纏めているんだから静かにしてほしいね。だからポンコツ呼ばわりされるんだよ。
「えっとルシアちゃん。紅茶はいりますか?」
「あ、サリナちゃんは気が利くね。お願いするよ」
「はい、少しお待ちを」
そう言って手ずから紅茶を入れてくれているのはアレックス君の専属侍女であり、一応は彼の婚約者であるサリナちゃんだ。太陽みたいな金髪と翡翠のような目が綺麗な十六歳で、一般的に見てもかなり美人だと言える。
うん、それも仕事が出来る秘書系美人だね。
アレックス君は昔からこの子が好きで、他の貴族令嬢たちとは関わりたくなかったらしい。それで学院に通うことも拒否していたんだけどね。あの時は無茶をしたアレックス君が一人で盗賊の巣窟に入っていったんだった。あれは今から思い返せば爆笑ものだね。アホすぎる。
ちなみにサリナちゃんは元は貴族だったんだけど、両親が病で他界したことで家が取りつぶしになり、ある程度の教養があったサリナちゃんは帝城でメイドをすることになったんだ。そして同年代ってことで皇子付きの侍女に格上げされ、アレックス君はサリナちゃんに一目惚れしたってことらしい。
それがこうして、今日の卒業パーティの時に正式な婚約者になると思うと感慨深いね。
あ、ちなみに立太子の儀には婚約者発表が含まれているから、サリナちゃんは明日からもう皇太子妃第一候補になるんだよね。
まぁ、半年後には結婚式も予定されているから、すぐに皇太子妃になるんだろうけど。
「ルシアちゃん、紅茶は砂糖多めでしたよね」
「うん。でも今日は眠いからストレートにするよ」
「わかりました。どうぞ」
「ありがとね」
サリナちゃんはわたしの座っているところの前に紅茶を置いてくれる。そしてわたしの隣に座り、書類整理をしているわたしを覗き込んできた。
「どうかした?」
「いえ、ルシアちゃんが寝不足気味な顔をしていたので……」
「あー、たしかに寝不足だしね。誰かさんの護衛計画のせいで」
「どんだけ根に持ってんだよ。ルシアだって快諾してたじゃねーか」
「あんたがわたしの渡した計画書の案をウッカリ失くしたのが原因よ。そのせいで全部初めから作り直したんだよ? このポンコツ皇子が」
そうなんだよね。
こいつは一度、わたしが立案した護衛計画書を失くしやがったのだ。本人の確認が必要だと思って渡したんだけど、このポンコツはそんな重要書類を風に飛ばされたとか抜かしやがったのである。窓を開けたまま書類を読んでいたらそうなったとか笑っていたが、とりあえず腹パンしておいた。
こういったマヌケなところは昔と変わらない。
「ったく。ルシアも俺に敬意を持てよ? 俺はこの国の皇太子なんだぜ?」
「だからどうしたって言うの? そういうことなら、わたしだって獣人種狐族の族長直系の娘だよ」
「え? 嘘だろ?」
「いやホントだし」
「ルシアちゃんって偉い人だったんですね……」
素直なサリナちゃんが眩しいよ。
残念ながら族長はそれほど偉くもないんだけどね。族長の血筋はあるけど、別に誰も気にしてなんかいないから。わたしの扱いも雑だったし。というか九尾だったことが印象的過ぎて祀り上げられてたし。
「ま、今はただの学者だけどね」
「なーにが『ただの学者』だよ。強さSSS級の冒険者ってだけでもふざけてんのにな」
「狐獣人で強力な霊術も使えるなんて凄いですね」
「まぁ、わたしは狐獣人の中でもかなり特異な存在だからね。それに強さSSS級って言っても、わたしの強さは魔法だけのものだからなぁ。近接戦闘はランクC冒険者と同じぐらいだよ。基本的に前衛はギンちゃんが担当してくれるから、わたしは鍛える必要が無かったしねー」
呼んだ? とばかりにギンちゃんがわたしの膝で震える。
ちなみに、ギンちゃんは先程からわたしがクッションみたいに抱きかかえてました。従魔とは言え、帝城に入れて貰える時点でギンちゃんはかなり特別視されているね。まぁ、わたしがランクS冒険者の資格を持っている上に、アルさんと盟友関係を結んでいることも理由なんだろうけど。
可愛い可愛いギンちゃんを撫でていると、アレックス君が気まずそうに尋ねてきた。
「そう言えばルシア……ルシアはその……いいのか? 故郷は。たしか魔境化したまま今も戻っていないんだよな?」
「あぁ、そうだねー」
【イルズの森】は今も魔境のままだ。隣接している【イルズ騎士王国】がずっと警戒しつつ、獣人たちの有志組織『覇獅子』がちょくちょく頑張って調査を進めている。最近は王国からの支援も受けているらしいから調査も進展しているらしい。まぁ、調査結果を王国に報告する義務もあるみたいだけどね。
「たしかにそうだね。こっちでの生活も安定してきたし、孤児院もわたし無しで回るようにもなってきたから……一度戻ってみるのもいいかもしれないね」
実はわたしの経営している孤児院はかなり人が増えた。スラムから集まった子供たちを教育する場所として帝国からも支援されるようになったからね。出来ることも増えて、お礼に帝都を定期的に掃除することにしたんだよ。そしたら住民からの評判が結構よくて、寄付金が大量に集まった。
今は孤児院に使っている邸宅の維持費だけをわたしが支払っている。
まぁ、維持費に関しては一括でギルドに請求されるように設定しているから、わたしが【帝都】に居なくても自動的にわたしの口座から引き落とされることになっている。だから別に帰郷しても問題は無いのだ。
そうそう、初期メンバーのリオン達は立派に冒険者をやって、今はランクCにまでなっている。成長が嬉しくなるね。
「ま、帰郷するにしてもまずはアレックス君の護衛を完遂しなきゃ」
「頼むぞルシア。そこは信頼しているから」
「お願いしますねルシアちゃん」
「大丈夫よ。任せといて」
ゾアンたち皇帝直属諜報工作部隊からの情報では、本格的な襲撃は卒業パーティの最中に行われる可能性が高いらしい。わたしたちの仕事は襲撃を撃退することではなく、未然に防ぐこと。立太子の儀も兼ねているパーティだから、台無しにするわけにはいかないのだ。
わたしは基本的にアレックス君の側についてパーティが始まるまでを護衛する。担任教師だし、ランクSの冒険者でもあるから不自然ではない。それに護衛と言ってもあからさまに側で見張っている訳じゃないからね。さりげなく近くに居る感じだ。
アレックス君にはアルさんと同じくディスペルリングを渡してあるから、霊術攻撃を受けても無効化できるはずだ。
そもそも会場にはわたしが魔法陣による多重探知結界を張っているから、不審者がいたらすぐに気づくようになっている。不審者に気付けば皇帝直属諜報工作部隊に連絡して密かに捕まえて貰えば最高の結果だ。霊素銃はすでに実戦配備しているから、これを使ってサイレントに事態を解決してもらいたいと思っている。
「っと、アレックス君はそろそろ時間じゃないかな? 卒業生代表として挨拶するから、そのリハーサルがあるんでしょ?」
「そうだった! サリナ、用意は出来ているか?」
「はい、馬車はすでに配備してあります。今から行っても十分に間に合うので焦らなくても問題はありませんよ」
「よかった……」
「じゃあ、わたしも行くね。丁度こっちの書類整理も終わったから」
卒業式本番。
今日は夜まで忙しくなりそうだ。