颯爽桜はマジやばい。 3
†
桜の元へと駆け寄ると、必死の形相でノートパソコンのキーを叩いていた。
「どうだ、桜?」
「まずいな。どうやらダビーの脚が壊れている。ここからではよく見えなかったが屋上に墜落したのをダビーが踏ん張ってくれたらしい」
だが、と苦々しい口調で桜は続ける。
「その際、ユリを抱きかかえたまでは良かったが……衝撃でタケコプターが壊れたらしい。コントロールを受け付けてくれない」
なに!?
「つまり、原田さんを降ろせないってこと?」
青ざめた顔で杉山が問い、歯噛みしながらも桜が頷いた。
俺は校舎の上に浮かぶダビーを見た。荷重が増えたせいでダビー本体の回転は緩くなっているが、――ここからでもユリの凍りついた表情が見えるようだ。
「ユリ,聞こえるか」
桜がヘッドセットに向かって呼びかけた。
『ははははは、ハイ、きき聞こえとる、よう』
「必ず君を地上に降ろしてやる。心配するな。だからまずは、ダビーにしっかりとしがみつけ。そして絶対に暴れないようにしろ。あと、下は見ないほうがいい」
『わか、わか、わか解りましたァ!』
立て続けに桜はヘッドセットに呼びかける。
「ダビー、聞こえるか」
『ハイさ、姐さん!』
「緊急事態だ。私の指示があるまで両腕をロックしろ。絶対にユリを離すな」
『ラジャりました!!』
なんだろう、ダビーの声に若干悦びの感情が混じっていたような気がしたが気のせいか。
「あと、先に謝っておく」
『はい?』
ダビーが聞き返した瞬間、桜の指がキーボードを叩いた。次いでガコンという音がヘッドセットから響いた。何かが壊れたというか、外れたような音だ。
『ギャアアア、く、首がぁぁぁぁッ』
「あとでダニエルに新しいボディを送ってもらうように頼んでおくから我慢しろ」
見ればダビーとユリの回転が、先ほどよりも更に遅いものとなっている。いや、体と首の回転速度が違っているぞ!?
「な、なにをされたんですか?」
杉山がダビーとユリを見上げながら問いかけた。いや、ユリが心配だというだけじゃない。
筋骨隆々の男性(像)が、全裸で、ヘルメット一丁で、女子高生を抱きすくめて、首をギュンギュン回転させながら、空に舞う。
ありのままに事実を描写しているのに、うん、我ながら訳がわからない。
「タケコプターは操作できないが、ダビーのコントロールは利くからな。骨髄に当たる部分を残して奴の首を切断した。これでユリが少し楽になったはずだ」
なるほど。首が三百六十度回転するようになって、上滑りして胴体部分の回転が緩やかになったのか。
ふう、と息を吐いて、桜が俺を見た。
「ユリを助けなければならない、それも大至急にだ。だから達樹、頼みがある」
俺は頷いた。
「何でも言え。どんなことでも俺が実現させてやる」
「よし、では先ずは屋上に移動しよう……急ぐぞ!」
桜は立ち上がった。空を見上げる。ユリを抱えたダビーだが、その高度は少しずつ上昇しているように見えた。
†
階段を全力で駆け上り、屋上へと飛び込んだ俺の目に入ってきたのは金属製の物体だった。一瞬例のタイムマシーンかと思ったが、アレほどのサイズではない。教室にある教卓を二つ並べたほどの大きさだ。黄色と白のカラーリングで、天頂部のみルビーレッドだ。
息を整える間も無く、桜はその金属体に近づいた。肩を上下させながらも金属体からコードを引っ張り出して、パソコンに繋いで操作する。
キーを叩きながら桜が叫んだ。
「達樹、この反対側に蓋が二つある。両方開けろ。片方に電源ケーブルが入っているから引っ張り出してくれ。タイムマシンの時と同じだ。下の階の杉山くんにコンセントに差し込んでもらうんだ。……聞こえたか、杉山くん」
「解った」
俺が動くと同時に、ヘッドセットの向こうで杉山が了解と答える。
桜の指示に従い、金属体の後ろへ。どこだ……あった。例のごとく、ぶにっとした感触のケーブルを引っ張り出して屋上の端へと急ぐ。見上げれば、やっぱり間違いない。さっきよりもダビーの姿は小さくなっている。
ケーブルの先端を眼下へと放ると、杉山の手が伸びてそれを引っ付かんだのが見えた。
『……コンセント、差し込みました!』
「了解。電力確保、供給開始。装置の起動に成功。アイドリングの開始……次だ、達樹。もう一方の蓋の中に入っているヤツを出して身に着けろ。杉山くんもこっちに来て手伝ってやってくれ」
「おう!」
言われて取り出したそれは、リュックサックの様なものだった。いや、まんまリュックじゃないのかこれは。
しかしこのリュックの正体を議論している暇はない。くそ、結構重たい。なんとか両腕をベルトに通し、背負ったところで杉山が屋上へと駆け込んできた。
「固定索があるだろう。それで体にしっかりと固定するんだ。全部ちゃんと使うんだぞ! ヘルメットも入っていただろう、それも身に着けろ!!」
「わかったよ!」
杉山の手伝いもあって、リュックの装着はすぐに完了した。杉山に手渡されたフルフェイスのヘルメットを被る。桜の元へと駆け戻って、風除けのマスクを跳ね上げてくぐもった声で叫んだ。
「準備できたぞ、桜! 次はなにをすれば良いんだ!?」
ていうか、俺のこの格好って一体なんなんだ。
「三秒待て。衛星とのリンクがきた。回線を確保。ダビーのリアルタイム位置測定開始。……OK、こっちも準備できた」
屋上に座り込んだ桜が、こちらを見上げながら言った。
「それでは救出作戦の内容を説明する。まず、タケコプター試作一号機だが――現在内臓電池で稼動している状態だ。しかし、これが残り数分しかもたない」
「もたないって……それじゃ、その後は落ちるって事じゃないか!?」
杉山が声を荒げたが、俺はその肩を掴んで首を振った。今はそんなことを言っている場合じゃない。
「その通り。だが、電池が完全に枯渇する直前の数秒間だけタケコプターの出力が重力と吊りあって、空中に静止するんだ。こちらからタケコプターの操作が出来ないため、その瞬間だけがダビーたちの座標を完全に捕捉できるのだとも言える」
その瞬間を狙って、といいながら桜は背後の金属体を見た。
「コイツで達樹を送り込む。ダビーからユリを直接受け取って、背負っているパラシュートで帰還してくれ。以上だ」
「…………」
「…………」
一瞬の沈黙。
いや、なんとなくそうじゃないかなって気はしていたんだ。だってこのリュック、ベルト股下通して絶対にすっぽ抜けないようにえらい厳重だったし。
「コイツで送り込むって、お前な」と、俺は黄色の金属体をコツンと叩いた。
「非常事態で訊きそびれていたが、コイツは一体何なんだ」
どうせろくでもないものの様な気がするが。
「言っていなかったか? これは夢のアイテム開発しちゃいましたシリーズ第三弾。そう――『どこでもドア』だ!!」
「ブッ!」
くそ、油断した。まさかここでその名前が出てくるとは。杉山に至っては反応に困って固まっている。
「相変わらず見た目ではわからない発明品だな……」
ていうか、もう名前に拘るの止めたほうがいいだろ。
「このどこでもドアも、まだ試行錯誤している段階だからな。言うなれば、そう、『どこでもドア零號機』と呼ぶべきか。だから黄色と白のカラーリングで、のちに青と白に塗り替えるつもりなのだ」
いや、もう訳が解らないから。
つーか解んないままの方が、色々と良いような気がしてきた。
「ど、どこでもドアというのなら、早くそれを使って彼女をこちら側に引っ張り込んであげればいいのではないですか?」
杉山が勢い込んで聞いてきた。しかし、困ったような顔で桜は首を横に振った。
「杉山くんの意見はもっともだ。だが、残念な事にこのどこでもドアは片道切符なのだ。有効半径三百メートルの範囲内であれば対象を瞬間的に送り込む事ならできるのだが」
だから俺はパラシュートなんか背負っているわけか。
俺は空を見上げた。
既にダビーとユリの姿は、豆粒程度の大きさになっている。地上にクッションおいてどうにかなる高度じゃないな。
「達樹。スカイダイビングとか、パラグライダーの経験はあるか?」
「いや、全く無い」
くそ。こんなん、ブロック塀に向かってチキンレースした時よりも怖ェじゃねーか。
意識すれば恐怖心が湧き上がる。だから、こういう時には自分を信じるとか信じないとかではなく、先ずは踏み込む方が良い。経験上引いたら大体悪い結果にしかならない。
それに、だ。
俺がやらなきゃ、人が一人死ぬ。
でもって桜がその責任を引っ被ることになる。
「……この上に乗ればいいのか、桜」
「そうだ、達樹」
桜が俺のことを真っ直ぐと見詰めてきた。全幅の信頼とか、そういうんじゃない。
陽が沈む、そしてまた昇る。そんな当たり前の事を見ている――そんな瞳だ。
くっそ、そんな顔されたらもう断れねぇし。さっき大口叩いちゃったからな。全部実現するって。
「両肩のベルトについている取っ手を引っ張れば、パラシュートが出てくる。万が一のために高度計が付いているから、一定高度を下回ると何もしなくても自動で飛び出すがな」
「ん」
「肩の取っ手はそのままパラシュートのハンドルだ。引っ張ったのと逆側に曲がる。電線に引っかかると面倒だから、上手く校庭に着地してくれ」
「解った。……時間は?」
桜が腕時計を見た。
「残り五分だ。どこでもドアに乗ってくれ」
俺は頷いて、ポンと桜の頭に手を置いた。
「大丈夫だ」
「知っている。何せ」
ふ、と桜の口の端が持ち上がる。
「何せ私は颯爽桜で、きみは梶原達樹なのだからな」
†
『では達樹。まずどこでもドアの上に腰を下ろしてくれ。座っていてくれるほうが色々と安定するんだ』
ヘルメットに内蔵されている無線から、桜の声が聞こえた。
「それは解ったが……」
ドアに腰を下ろすとか、傍で聞いているだけでは全く意味が解らないだろうな。名前負けにも程があるだろう。
『杉山くん、残り二分からカウントダウンを開始してくれ』
『解りました。……梶原くん、頑張って』
杉山の真剣な眼差し。俺はどこでもドアの上で頷いた。ついでに握り拳に親指を立ててやる。
「任せとけ」
これで制服にパラシュート背負ってヘルメット被って体育座りでなければ、もうちょっと様になっているというものだがな。
『ユリ、聞こえるか? ユリ?』
桜が呼びかける。無線の向こうに耳を済ますと、ボソボソと呟く声が聞こえてきた。
『……が七百四十五匹、羊が七百四十六匹、羊が……』
「…………」
いや、いくら数えても、きっと安眠できないだろうけどさ。
むしろ悪夢の様な現実から逃げたいのか?
『待っていろ、残り二分で救助がいくからな』
『……五十二匹、羊が七百五十三匹……お、お待ちしてますどすえ』
『うむ、無事なようだな』
力強く励ましているが、桜。お前精神衛生的に無事じゃないのを無視したろ。ユリのヤツ語尾が関西弁じゃなくて舞妓言葉になってるじゃないか。
『颯爽さん、残り時間百二十秒です! カウントダウンスタートします!』
杉山が叫んだ。
『よし。どこでもドアのシークエンスを開始する』
桜の白い指がキーボードの上を踊った。
瞬間、俺の尻の下でガタンと何かロックが外れるような音。同時に俺が座っているドア頭頂部が、ゆっくりと沈んでいく。さらに淵縁部が上方へと迫り出した。
背後から伸びてきた金属製のアームが、俺の首に何かを巻きつけた。硬く絞ったタオルの様な感触のそれで、苦しくは無いが首が固定される。
『対象のネックロックを確認。達樹、そのまま動くな……対象の固定を開始』
固定?
桜の言葉に訝しさを覚えた直後、今や筒状となったどこでもドア内部が変化した。床や壁の部分からクッションが迫り出してきて、体中を圧迫し始めたのだ。
『暴れるなよ、達樹。計算が狂ってしまう』
「お、おう。ちょっと戸惑っただけだ」
たちまち首より下がクッションに埋まってしまった。もう首もクッション嵌められているので碌に動かせない。上目遣いに空を見れば、円筒となったどこでもドアの開口部、その向こうに真っ青な空が見えた。
『どこでもドアの角度を微調整』
……角度を?
ドア全体が傾いたのがわかった。俺から見える切り取られた青空。その中心に、米粒ほども小さくダビーとユリの姿が見えた。
そうこうしているうちに杉山のカウントダウンは残り三十。
『上空の風向き、風速ともにオールグリーン。ダビーとの距離、計算値ジャストだ。いけるぞ達樹』
「うん、ちょっと待て桜。根本的な部分を確認していなかった気がするんだが」
すげぇ嫌な予感がするんだよ。
『待つ時間は無いが、なんだ達樹。疑問があるなら訊こうか』
『十五、十四、十三……』
「何で身体を固定する必要がある? そもそも風向きとか関係ないだろう」
テレポートなんだからさ。
『何を言っている。チャンスは一回きりなのだぞ。弾道計算に狂いが生じたらどうする』
……弾? 道?
「瞬間移動じゃないのか?」
『瞬間的な移動で間違いないぞ』
コイツは一体何を言っているんだ――と、俺の理性が首を傾げた。傾げたがっていた。
だが、直感的に理解する。さっきから、心のどこかで思っていた。この状態のどこでもドアって、外から見たらまるで大砲みたいじゃねーの、と。
『残り五秒! 四……三……!』
いよいよ杉山のカウントダウンが終わりに近づいた。
『頼んだぞ、達樹!!――どこでもドア、発射!!』
杉山がゼロを叫んだ瞬間
ケツから強い衝撃を感じ、俺は勢い良く空中へと撃ち出された。
クソッタレ、絶対あとで蹴倒してやるからな、桜!!
†
「うお、おおおおおおおおおおおッ!?」
耳元で轟音が渦巻く――何かと思えば風切り音だ。まさしく砲弾の速度で俺の身体は空へと昇っていく。
視線を転じれば他に並ぶ高さのものなど何も無い壮大なパノラマ風景を楽しむことが出来たのかもしれないが、そんな余裕なんて微塵も無かった。頭を押し付けるようなGに、歯を食いしばって耐えるのが精一杯だ。今更ながらに桜が首周りにクッションを巻いたのか良くわかった。
そして――米粒ほどだったダビーとユリの姿がぐんぐん大きくなる。
意識がその一点に集中していく。風切り音が次第に聞こえなくなり、真っ青な空から青が脱けて――モノクロの世界で、
ゆっくりと全てがスローになり、
ダビーに抱きかかえられたユリが、
振り返り、
手を伸ばし、
俺も手を、
あと少し、数センチ、
瞬間。
風が吹いた。
突風というほどではない。
だが、俺たちの姿勢が僅かに乱れるのには充分だった。
懸命に手を伸ばすユリ。必死に手を伸ばす俺。
しかし――解ってしまった。
これは、届かない。数センチが十数センチになった。
絶望的な数字。
そして俺は勢いを失い、落下が始まる。
未だ僅かに揚力を保っているダビーとは離れていくばかりだ。
脳内にちらつく最悪の結末。
俺はパラシュートがある。だが、ユリは……。
俺は仰向けになって空を見上げた。
既にダビーとユリは、俺の真上一メートルほどになる。
だから、叫んだ。両手足を大きく広げて。
「――桜ッ!!」
叫ぶと同時に、桜も叫んでいた。
『――ダビーーーッ!!』
『ラジャーーーーッ!!』
そしてダビーが動いた。
腕のロックを外し、下に向かって押し付けるような動きで、ユリを投げたのだ。
「きゃ あ あ あ あ あ あ あ ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!?」
ユリが俺に向かって落ちてくる。いや、落ちているのは俺も一緒なのだが、両手足を大きく広げている空気抵抗とダビーが投げつけた加速の分だけユリの方が速い。
ユリの金髪が視界一杯に広がった。衝突。しかし同時に俺はがっしりとユリを抱かかえる。
「しがみつけ!!」
『ひゃ、ひゃいっ』
がっしりと両手足を使って俺の胴体にしがみつくユリ。パラシュートの固定索の内側に手を絡めて、できる限りすっぽ抜けないように。
「大丈夫か!! いくぞ!!」
『は、はいぃぃぃ!!』
ユリの返事と同時に、俺は肩のハンドルを引っ張る。
勢い良く背後のパラシュートが飛び出して、ガクンと衝撃が走り、俺たち二人を宙に引っ下げた。
「……ふぅ……」
大きく息をついて、ようやく全身の強張りを抜いた。いや、まだ気を抜くのは早いのだ。なにせコアラよろしく俺の身体に抱きついているユリにはパラシュートも何も無いのだから。
だが、まぁ。
パラシュートのハンドルを軽く引っ張ってみる。思ったよりも鋭い角度で軌道が変わった。分類は良くわからんが、どうやらこれはパラグライダーに近い構造なのじゃなかろうか。いや良く知らんけど。
「……桜、聞こえるか」
『ああ、聞こえる。無事か?』
そっちからも見えているだろうに。
「大丈夫だ。ユリも無事だ」
ひぃひぃ言いながらしがみ付いているけどな。
『そうか……いや、まだ着地したわけじゃない。可能な限りナビをするから、最後まで気を抜かないでくれ』
「了解だ」
言いながら俺は視界を前へと向けた。
真っ青な空と海が、遠くで交わっている。南石市を一望する大パノラマだ。
まったく、この前のタイムマシンの件といい、どうしてこう……事あるごとに俺は宙に舞うハメになるんだろう。曲がりなりにも自分で操作できて、風に乗っているというのが実感できる分今回の方が爽快で気持ち良いけどな。
慣れないながらもなんとか桜の指示に従い、緩く旋回しながら校庭へと舞い降りていく。
『あ、ダビーさんや』
と、ユリが声を上げた。何かと思って彼女の視線を追うと、
『あああああああああああああああお先にぃいいいぃぃぃぃぃぃぃ……』
真っ逆さまに墜落していくダビーの姿が見えた。後、眼下の校庭に響く重たい音。そして破砕音。
…………ううむ、ご愁傷さま。
ねくすと → 後日譚