颯爽桜はマジすごい。 3
前半は説明回。
科学的に色々と穴があるのは自分でも判ってますので、気がついてもスルー推奨。
†
桜が口にした名前に、俺は思わず噴き出しそうになった。
「ア、アインシュタイン!?」
知っているなにも、それこそ世界一有名な物理学者じゃないか。
「そんなに予想通りの反応をしてくれると、こちらとしても説明し甲斐があるね。けど達樹、名前だけは知っていても相対性理論の内容までは知らないだろう」
「う、まあ」
言われてみれば、確かにそうだ。
「確か、光の速さがどうのこうのという内容だったと思うけど」
「それであっているよ」
桜がキーボードを操作した。すると、画面にアインシュタインの有名な写真――おどけたように舌を出している――があらわれ、その隣になんか方程式が出た。
「…………」
俺は数秒間眉根を寄せてその式を眺めていたが、正直記号の羅列以外に見えなかった。
「すまんが桜、一ミリたりとも理解できん。これは一体何を意味している式だ?」
「この方程式は、アインシュタイン方程式とも呼ばれるものだ。簡単に言うと、『時間の進み方って人それぞれだよね』ってことを意味している」
そりゃまたぶっちゃけた話だな。
「相対性理論は特殊相対性理論と一般相対性理論に分けられる。特殊相対性の方は時間の流れや空間に関して触れていて、一般相対性の方は特殊相対性理論を内包した形で、さらに発展させて重力について考えられたものだ。タイムマシンの話は特殊相対性理論で説明がつけられる」
こほん、と桜が咳き込んだ。
「これからものすっごく簡単に噛み砕いて説明するぞ。いいか?」
「お、おう」
桜が説明してくれた内容は、こうだった。
光の速度とは、真空中でおよそ秒速三十万キロメートルで不変である。説明を簡単にするために、端数は切り捨てて考える。
そこで、ものすごい速さで進んでいる全長三十万キロメートル、真空に保たれた新幹線の中で、俺と桜が光の速さでキャッチボールをしているとする。
俺が新幹線の最後尾から最前に立っている桜にボールを投げ、届いたのが一秒後。この時光速のボールが飛んだ距離も三十万キロ。
ところがこの現象を新幹線の外から見たら話がおかしくなってくるという。
俺も桜も新幹線に乗って動いているのだから、俺がボールを投げた瞬間から桜の位地は前に――遠くに移動しているはずだ。
光の速さは不変なので一秒間に三十万キロ進む……この事実はどうあっても変わらない。よって桜がボールを受け取ったのは一秒後という事実も変わらない。
しかし実際問題として新幹線の外から見た場合、光の速さで投げたボールは『三十万キロ+一秒間で新幹線が進んだ距離』を飛んだことになる。これは光速のボールが一秒間で届く距離ではない。
ここに矛盾が生じるのだが――。
「光の速さは変わらない。これは絶対だ。そして進んだ距離も変わらない。じゃあ、後はもう一秒という『時間』が変わっているのではないか、とアインシュタインは言うわけだ。物凄く乱暴な説明だが大筋はこの通りだ」
「……そ、そんな馬鹿な!?」
時間の流れが変化するなんて!?
俺が頭をガシガシと掻くのを眺めながらも桜は恬として答えた。
「だってそうなのだから、仕方ないだろう」
新幹線の中と外では、時間の流れが異なる。すると矛盾は解決するのだと桜は続けた。
新幹線の外で一秒が経つとき、新幹線内部では一秒未満だとすれば『桜にボールが届いていなくても変じゃない』。
逆に新幹線の中で一秒が経った時、新幹線の外では一+コンマ一秒経っていると考えれば『三十万キロ+新幹線が進んだ距離を光速のボールが飛んだのだとしたとしても不思議じゃない』。
よって結論として、『動いている物体とそうでない物体では、時間の流れ方が変化する』。
「時間の流れ方というのは『相対的に変化する』。だから『相対性理論』と言うんだ」
「いや、待て待て……ええー!?」
そう、なのか? 俺は首を捻りながら必死になって考えた。
すぐに一つの疑問に行き当たる。
「いや待て、そうだ。おかしくないか? 例えば俺がその新幹線の中を、後ろから前に向かって全力疾走したとする。その場合、新幹線の外から見て俺が走る速度は『自力で走る速度+新幹線の速度』にならないのか? だったら光の速度というのも、新幹線の外から見たら『光速+新幹線の速度』じゃないのか?」
だったら、光速のボールが一秒間で三十万キロ以上進んでもおかしくない。
「達樹が走る速度についてはそれで合っている」
肯定しながらも、桜は続ける。まるで出来のよい生徒を見る教師のような眼差しだ。
「けど、困ったことにそれは慣性の法則によるものでな。これは光の速度については適応されない。何度も言うように、光の速さとは変化しないのだ。光速度不変の原理――何か間に物質を透過させたりでもしない限り。これは、相対性理論によって時間や空間すら不変のものではないと証明したアインシュタインでさえ否定できない、厳然たる事実だよ」
いやむしろ、と桜は続ける。光の速さが変化しない事こそ、宇宙における殆ど唯一不変の基準とすら言える、と。
「ンな馬鹿な……」
俺は茫然と呻くように言った。それこそSFじゃねーか。時間の流れ方が変わってくるなんて。
「そして達樹。先ほどの新幹線の例ではないが、高速で移動する物体の時間が、そうでない物体と比較してゆっくり流れるというのも既に実験によって証明されている。これを、『ウラシマ効果』と言う」
「ウラシマ?」
どっかで聞いたことがあるような。少し考えて、それがいつか読んだSF小説にあった単語だということを思い出した。そう言えばあの小説もタイムトラベルを扱ったものだったな。
そのことを桜に伝えると、桜は満足そうに頷いた。
「ウラシマ効果とは日本のおとぎ話の『浦島太郎』に由来するものだ。浦島太郎が竜宮城で宴三昧の数日を過ごすと、地上では数百年が経過していたっていうのは、まさにタイムトラベル的な考え方だな」
だから太郎を竜宮に連れて行ったあのカメは、カメ型タイムマシンだったのではないのかというトンデモ学説があるくらいなのだという。
ううむ。俺は唸った。
なんとなくだが、桜が言わんとしていることがようやくおぼろげながら理解できたような気がしてきた。気がするだけだろうけど。
「つまり、その、なんだ。要するにこのタイムマシンは信じられないくらい物凄いスピードで移動する乗り物だと。すると乗っている俺たちが一日と感じている時間は、外の一年に相当する……ということか?」
「その通り」
心の底から満足そうに、桜は頷いた。
マジかよ……。タイムマシンって、そんな理屈で造ることができるのか。
いや、待て。鬱々と幾ら考えたところで、俺の頭ではどうせ理解する事もできないし、ましてや否定などできるはずもない。だったら餅は餅屋に任せればいい。
人間、時には諦めも肝心だ。
アインシュタインなんて名前くらいしか知らないが、颯爽桜という女だったら良く知っている。その桜が言うのだ、これで間違いないと。だったら、こと科学的な部分についてはそれで間違いないんだろう。
俺は一つ頭を振って、考えを切り替えた。
「じゃあ、その理論がどこも間違っていないとして……例えば、一年間休まず高速道路を自動車で走り続けていたとしたら、その運転手はそうでないヤツより歳をとっていないということになるのか」
「そうだよ」
ただし、と桜は続ける。
「理屈の上で言えば、それであっている。ただ、その程度で生じるウラシマ効果なんて数万分の一秒程度のものじゃないかな。少なくとも目に見える『時差』にはならないね」
「なんだ、そんなものか」
さっきから光の速さだ時間の流れだと、訊き慣れない言葉に囲まれていたからひどく大袈裟に考えていたが現実的な数字に置き換えれは、案外大したことないんだな。
俺はつい胸を撫で下ろしてしまっていた。
そして直後に気が付いて、血の気が引いた。
高速道路を自動車で一年間、不休で走り続けてようやく数万分の一秒。
じゃあ、未来旅行って言えるくらいの時間差を生じさせるには、一体どんな速度でどれだけの間動き続ければいいんだ?
そんな俺の疑問に答えるように、軽い電子音が生じた。ふと正面のディスプレイに目をやると新しいウインドウが開いている。
「おお、ようやく起動シークエンスが終了したようだな」
桜が言いながら、ム―バブルアームをこちらに寄越した。
「一から九までの間で、好きな数字を打ち込んでくれ」
「数字? なんでもいいのか?」
深く考えずにテンキーに手を伸ばし、嫌な予感に俺は動きを止めた。
正面のディスプレイを見る。じっくり見詰めて、こめかみがひくりと動いた。
開いたばかりのウインドウでカーソルが点滅している。俺が打ち込んだ数字があそこに出るわけで、それが何を意味しているかというと……
「おい桜、あの、『目標時間 ○千年後』ってなどういう意味だ」
「はははなんだ達樹、未来旅行に行ける喜びの余り混乱してしまったか? あれはな、達樹が例えば六、と打ち込んでいればこのタイムマシンは六千年後目指して発進する、という意味だ」
「アホかぁ!?」
叫ぶが早いか、俺は桜の頭にチョップを叩きこんでいた。頭を押さえて、若干涙目の桜がこちらを上目づかいに見上げた。
「……痛いじゃないか、達樹。どうかしたのか」
「どうかしているのは貴様のドタマだ、このド阿呆! 何で千年単位なんだよ!!」
ゴスッ。
「あ痛ァ――!? ……ポカスカ人の頭を叩かないでくれ、馬鹿になったらどうしてくれる!!」
もうとっくに手遅れだろーがよ。
「いいから質問に答えろバカ。俺はてっきり精々数年後に行って帰ってくると思っていたんだが!?」
このバカの考えている事は、文字通り桁が違っていた。
俺の言葉と表情に込められた怒気に気が付いたのだろう。桜はぼそぼそと言い訳を始めた。
「い、いや、だからな。さっきも説明した通り、未来旅行に行くには物凄いスピードで動き続ければ良い訳なのだが、その速度って光速の99.99999%とかじゃないとダメなのだよ。いわゆる一つの亜光速ってヤツだ」
亜光速……。軽く眩暈を覚えた。それこそSFの世界のお話じゃないか。
おかしいな。今は放課後で、ここは学校の屋上だったはずだが。一体俺は何時の間に物語の世界の中に迷い込んだのだろう。
物語の世界の中って言うか、タイムマシンの中なんだけど。
軽く現実逃避しかけた俺に、桜はなおも説明を続ける。
「当然だけど、そんな超速度でぶっ飛ばすには地球は狭すぎる。生じる衝撃波でとんでもないことになるしな」
「……一応尋ねておくが、とんでもないことって具体的にはどうなるんだよ」
よせばいいのに、訊いてしまった。
「えーっと、なんだ。一言で言うなら、……黙示録級天変地異?」
目頭を押さえる。訊くんじゃなかった。
世界の終わりじゃねぇか。可愛らしく小首を傾げてる場合か。
「んー、でも衝撃で割れないとは思うんだけど。そうだなぁ」
そう呟きつつ、桜はブツブツと何か暗算して、
「大丈夫。計算上ではギリ耐えられるんじゃないかな。うん、割れない割れない」
割れないッて何がだよ!? 地球!?
「まぁそんな事情だから亜光速を出すのは宇宙に行ってからやるしかない。でもってそんな速度を出す為には、今の技術力じゃ細かい制御とか最初ッからうっちゃるしかない。とにかく全力をそれに尽くす事にしたわけだ」
うっちゃるしかないって、お前……。
「だから始めから数年後なんて精密な速度調整、『近すぎて』無理なのだ。千年単位が精々ってところだね。達樹が言っているのは超音速ジェット機カッ飛ばして二百メートル先のコンビニに行こうぜって言うようなものだよ。ほら無理だろう?」
「屁理屈こねて正当化してんじゃねぇよ」
俺は重たい溜息をついた。
「お前、んな数千年後って……えらい極端な話じゃないか。大体そんな未来に行って、一体何する気なんだよ」
すると桜は目を丸くした。その目が斜め上に泳ぎ、さらには顎に手を当てて考え込む仕草を見せる。
「おいおい、まさか考えてなかったとか言うなよ」
「うん。そのまさかだ。全く考えてなかった。私としたことが」
一瞬胸の内に湧いた殺意を、俺は何とか抑え込むことに成功した。待て待て、梶原達樹。この握り拳を叩き込むのは、桜の言い分を聞いてからでも遅くはないだろう。
「いやもう、タイムマシンが完成したことが嬉しくて嬉しくて、他の事を考える余裕なんてなかったからな。達樹と一緒に未来に行ったら、達樹驚くだろうなぁーって思ったらもう……」
「いや驚くだろうけどさ。いくらなんでも他のことスッコ抜け過ぎだ」
その気持ちだけ貰っといてやるよ。さぁ死刑執行の時間だ。
俺が満面の怒り顔で必殺の右拳を繰り出そうとした瞬間、生じた電子音。正面のディスプレイ、開きっぱなしだったウインドウに重ねてメッセージが表示されていた。
『入力受付時間終了。本機はただいまより、初期設定された八千年後に向かって出発を開始いたします』
その下には、不吉なカウントダウンが始まっている。残り時間百八十秒、百七十九、七十八……。同時にずっと低く唸っているだけだった、背後の機関の振動音が強く、力強く、重たい地鳴りのようなものへと変化する。聞いたことないけどスペースシャトルのエンジン音ってこんな感じなのではなかろうか。
「ああもう、達樹がグズグスしているから発射シークエンスが始まったじゃないか」
隣に座るバカが何か言っている。キーボードを自分のほうに引き寄せると、何かコマンドを打ち込んだ。
「うおっ!?」
すると背後からベルトが伸びてきて、全身をがっちり固定する。もう腕と足首以外、殆ど動かすことができない。
「危険だから暫くの間我慢してくれ」
何か言っているが、桜の声は後ろの音がうるさ過ぎて聞き取れない。だから俺は大声で怒鳴った。
「そんなことより桜、大丈夫なんだろうな!?」
「大丈夫って、何か!?」
「八千年後の未来だよ!!」
古代史に詳しいわけじゃないが、八千年前っていったらようやく人類が文明らしきものを築き始めたころじゃないのか? その文明が成長し発展して、現代があるわけで。
それと同じだけの時間が過ぎた時、人類はどんな風になっているのだろう。俺の疑問に対し、同じように座席にがっちり拘束された桜は自信たっぷりに怒鳴り返してきた。
「全くわからん!!」
…………おい。
「何度シュミレーションしても、五百年後以降は結果にバラつきが出すぎて何ともいえないな!! 超進歩した文明を築いているかも知れないし、宇宙人に滅ぼされているかもしれないし、そもそも地球だって巨大隕石の衝突によって消滅しているかも知れないんだ!! そう考えるとなんか……ワクワクしてくるな!?」
呆れた。なんで今日一番の笑顔だよ。
知らない事を知りたいと思う。わからないことを理解し解明したいと思う。科学者――あるいは桜という少女の本質とは、それに尽きるのだろう。
俺は大きく息を吸い、溜息をつく。
正面のディスプレイを見ると、残り時間は既に残り数十秒。一刻の猶予も無いとはこのことだ。
「……俺はそんな訳のわからない未来に行くつもりは毛頭ねーよ」
「え!? 達樹、今なんて言った!? よく聞こえなかっ……」
聞き返す桜の言葉は、最後まで発せられる事はなかった。
俺がなんとか腕を伸ばして桜の座席の横に備え付けられていた黄色と黒の縞々模様のレバーを引いたからだ。その瞬間天井に穴が開いて、桜は座席ごと吹っ飛んで行った。
やれやれ。万が一のことを想定して真っ先に確認しておいて良かったぜ。
相対性理論やらウラシマ理論やら俺にはなんとなくわかった気になるくらいのことしかできない。けど、颯爽桜のことだったらよく知っている。世界で一番理解しているという自負がある。
あのバカが、自分が乗り込む機械に脱出装置を備え付けていないはずが無い。探せば自爆装置だってあるに決まっている。安全面や実利の問題ではなく、どうせカッコいいからとかそんな理由で用意したに違いない。
桜が飛んでいった先を見上げれば五月の青い空。脱出装置が働いたのにマシンが緊急停止する事はなさそうだ。つまり、もう止められない状態ってことだろう。背後の作動音はいよいよ爆音の域に達し、カウントダウンは残り十秒。
「タイムマシンなんて大袈裟なモン使わなくたってな」
杉山のヤツが言っていた言葉じゃないけどな。
「未来になんて歩いてだっていけるんだよ、バカ桜」
お前と一緒にな。
五秒前。
俺は自分の座席側の脱出レバーを引いた。
†
身体が物凄い力で座席に押し付けられたと思った直後、俺は空に放り出されていた。本能的に身体を締め付けるベルトにしがみつく。一瞬の自由落下――そして座席の背部から飛び出したパラシュートが開いた。
「う……おおおおおッ!」
狭苦しいタイムマシンの室内から、突然宙に放り出された開放感と爽快感、そして上空百メートルから眺める青い空と眼下に広がる俺達の住む街。少し低い位置では桜と思われるパラシュートが開いて風に流されている。
そして――眼下で、轟音が鳴り響いた。どういう原理かはわからないが、タイムマシン自体が強い輝きを放ったと思った瞬間、その姿は掻き消えていた。後に残ったのはスプーンで抉り取ったように角っこが消滅した校舎のみである。われらが科学部部室が丸見えだ。
校庭で野球部やらサッカー部やらが呆然としているのがわかる。そりゃそうだろうな。突然の発光とともに学校に穴がほげたんだからな。うちの何人かは俺や桜のパラシュートに気が付いたようで、こちらを指差している。
俺の位置からは桜の顔は見えないが……なんか喚いているな。理論は証明されたとか、さすが私、天才だ! とか。とりあえず無事らしい。
そんなことを考えていると――ずっと向こうの空でくぐもった、遠雷の様な爆発音が聞こえてきた。
桜にも聞こえていたのだろう。「あーあ」という溜息が風に乗って聞こえた。
直感的に俺は悟った。どうやら天井に穴が開いた状態で運用したせいで致命的なトラブルが発生したのだろう。それで自爆装置でも作動したのか、タイムマシンが爆散したらしい。
だから俺は、真っ青な五月の空に向かって呟いた。
「じゃーな、夢のタイムマシン」
というわけでタイムマシン(笑)でした。
これはアレです。アインシュタインが全部悪いってことで。
アインシュタイン「!?」
くすっと笑っていただけましたら幸いでございます。
ねくすと→後日譚その1