颯爽桜はマジすごい。 2
†
放課後。
俺は杉山の奴と並んで廊下を歩いていた。学校特有のざわめき。買い物の予定を楽しそうに話しながら通り過ぎる女子たち。重たい荷物を抱えて部活に向かう男子たち。窓の向こうに広がる校庭では早くも準備体操に余念が無い運動部の姿があった。
「それで結局、時間旅行には行かなかったんだ」
苦笑しながら杉山が尋ねてきた。俺は苦笑いをしながら返す。
「旅行にしろなんにしろ、飯を食っていないのは拙いだろうって言って強引に食堂に連れて行ってだな」
桜の奴は女の子の割りに大食いだ。甘い物は別腹なんてレベルではなく、本当に沢山食べる。ご飯二回お代わりして八分目とか抜かしやがった。普通に俺より食ってたぞアイツ。
ところが桜の話では、脳みそというのは体内で最も糖分を消費して活動する器官なのだとか。例えばプロの棋士なんかは、対局中に甘いオヤツを食べたりするという。思考力を維持するためだそうだ。色々とアレだがあれだけ頭の良い桜だから、確かに他の人より頭の巡りが良いのかもしれない。痩せの大食いというのも理解できる話だ。
「でもって食い終わった後にはちゃんと食休みを取らないとダメだろっつってまったりしていたら、あっという間に予鈴が鳴って。桜が油断している間に逃げてきた」
授業無視して乱入してきたらどうしようかと思っていたが、取り敢えずはそんなことは無かった。だが胸を撫で下ろしたのも束の間で、例の脅されたクラスメイトの少女が半分涙目で俺の元にやってきてこう言ったのだ。
「お願い、梶原くん。颯爽さんが放課後には絶対来てくれって……でないとその、弟が……」
何と言うかもう、流石に断るわけにもいかない。つうか同級生を脅すって鬼かアイツは。そしてあの子も一体何の弱み握られているんだか気になる。弟くんは一体何やらかしたんだマジで。
もうどこからツッコめばいいのかわからんな。
因みに桜の奴普段は授業には出てこないのだが、籍自体は同じクラスだったりする。そのことを深く考えたことはなかったのだが……一つの学年に八つのクラス。一緒のクラスなのは偶然か、それとも……?
……深く考えない方が、精神衛生上良いかも知れない。
まぁそんなことはどうでもいい。問題はこの後だ。
「じゃあ久しぶりに部活に出るのかい」
「最近サボっていたんだが仕方ないっちゃ仕方ないけどな」
部活――『科学部』。
桜が立ち上げた部である。あいつは普段授業に出ない時は部室である理科実験室に詰めていて、活動費は自分持ちだからと言ってなんだかわからない研究やら実験やら精を出しているわけだ。
でもって桜自身が助手に指名し、校長直々に要請(という名の強制)があったため俺も科学部部員だったりする。
要するに何をしでかすかわからない、しかし諸々の事情によって放り出すわけにもいかない桜に対するお目付け役である。自分でも適任だと思っているから困ったものだ。まぁどうせ他にしたいことがあるのかといえば特には無いので、それで構わないのだが。
部員は俺と桜以外にも三人いる。二人は本当に名前だけの幽霊部員で、もう一人は杉山だった。こいつも名義貸しのための幽霊部員で、普段は美術部として絵を描いているのだがたまに顔を出す事もある。気分転換にもってこいなんだと。
「しっかし……未来ねぇ」
「彼女が天才ってのは知っていたけど、まさか時間旅行を実現することができるほどだとは思わなかったよ」
「俺もだよ」
二人揃って苦笑する。今時小学生だってそんなこと言いやしないだろう。
廊下の端までやってきた。階段の上と下で、ここで杉山とは別れることになる。
「じゃあね梶原くん。未来からのお土産楽しみにしているよ」
「おう、任せとけ。今後十年分の競馬と競輪と競艇の結果を調べて来てやる」
「宝くじ系も忘れないでね。種銭は僕が持つから、二人で山分けしよう」
そう言って杉山は階段を降りて行った。
逆に階段を登りながら俺は考える。
「時間旅行……時間旅行ね」
杉山の顔には全く信じていないって書いてあった。実を言えば俺もそうなのだが、俺は杉山とは違って桜の事をよく知っている。
脳裏に浮かぶのは、自信たっぷりに瞳を輝かせる桜の顔。
なんというかアイツは、こう、アイツだったら本当に何かやらかすんじゃないのかと思わせる何かがあるのだ。
時間旅行。
どうせろくでもないことになるに決まっているのに……なんでだろうな。脅迫の件がなかったとしても、俺はきっとアイツの呼び出しに応じていたんだろうな。
†
理科実験室は、北校舎三階の一番端にある。
入学してまだ日も浅い俺が言うのもなんだが、我が校は県内でも割と高い偏差値を有する進学校だったりする。その弊害というか何と言うか、知識を詰め込む中心の授業ばかりで実験・実習系の授業は少ないのだという。
そんな事情も手伝ってか、理科実験室兼我が科学部部室周辺はいつも閑散としていた。「こーいう実験の類は実際にやってみるのが一番面白いんだがな」とは桜の弁である。
「おーい、来たぞー」
そう言いつつ室内に入って辺りを見回してみる。ガスの元栓付きの大机が六つ。うち一つにノートパソコンやらタブレットやらが出しっぱなしだ。桜が使っていたものだろう――しかし室内にはその持ち主の姿はなかった。つまり誰もいない。
無用心なヤツだな、などと思いながら適当な椅子に座り、桜の帰りを待とうとしたところで変なものに気が付いた。
上から垂らされた一本の黒いケーブルが、開いた窓から室内に入ってきているのだ。太さは俺の腕くらいもある。
気になって近づいてみると、机の影に隠れていた部分が見えた。途中でケーブルは細いコードになっていて、その先端は俺の見慣れた形になっていた。電化製品などの電源プラグ。机の下部にあるコンセントに差し込まれている。
「なんだこりゃ……」
コンセントに繋がっている以上、やっぱり何かに電気を供給しているのだろう。
しかし、途中でこんなぶっといケーブルになっている電源コードなど見たことが無い。
この校舎は三階建てで、つまりこの上の階は即ち屋上だ。窓を開いて上を覗いてみると、このケーブルはやはり屋上から垂らされているようだ。
屋上に何かあるのか?
屋上は通常立ち入り禁止で施錠されているはずだが……。
「おお、達樹。丁度良かった。たった今充電が完了したところだよ」
考えるまでも無い。上機嫌そのものという顔でたった今実験室に入って来た少女自身が、その答えを知っているに決まっている。
「桜、こりゃなんだ」
寄って来た桜は俺の問い掛けに、何を当たり前の事を、という顔をしてみせた。
「何って、電源コードだが」
コードと言うにはいささか太い気がするがな。
「いや、それはわかっているんだ。一体何の電源だと訊いているんだ」
桜はしゃがみ込んでプラグを抜いた。二度ほど軽く引っ張ると、するするとケーブルが上へと昇っていく。自動巻き機能付きとは。
掃除機かよ、とツッコミそうになって思い留まる。
いやいや、掃除機て。電源コードであの太さだったら、本体はどれだけ巨大なんだよ。俺の身長超えるとか?
……桜だったらあり得ない、とも言い切れないな……。
プラプラと揺れながら屋上に上っていくプラグの先っぽを見送って、桜は俺の顔を見た。
にやり、と桜が笑う。授業中に乱入してきた時にみせたのと同じ笑みだ。ヤな予感がする。
「知りたいか?」
「いや、知りたくない」
「まぁそう言わずに」
そっと桜が俺の傍らに寄り添った。桜は俺の顔くらいの身長だから、少し甘く柔らかい桜の匂いが鼻腔をくすぐって来る。唐突なその行動に俺が戸惑うと、すかさず桜は俺の手を握ってきた。
「準備はもうできているんだ。早く屋上に行こう」
軽く引っ張ってくるその手を、俺は振り解くことができない。
女子に暴力を振るうとか、その存在感とは裏腹に桜の身体が華奢だということではなくて。
「わかったからお前は俺の手を握るたびに、関節極めるのをやめろ!」
「ふふふ人体構造をちょっと勉強すれば、この程度の事は朝飯前なのだよ。実践するのは……達樹がハジメテだったけど」
頬を染めて言う事じゃねえよ。
「私のハジメテ、達樹にあげちゃった……」
「なんで言い直した!? しかも誤解招く気全開の言い回しで!」
そんなこんなで俺はろくに抵抗する事もできずに桜に手を引かれて、実験室を出て更に上へと続く階段を上る。手は最上階の踊り場に付くまで離してくれなかった。
屋上の扉をさも当然のように桜は開いた。施錠とかそういうのはもうとっくに解決済みらしい。コイツのことだから何かの情報と交換でマスターキーでもちょろまかしたのだろう。
そんな俺の視線に気付いたのか、桜は制服のポケットから一本のヨレた針金を取り出し、先端を鍵穴に向けながら意味深に笑った。いや、なんでそんなスキル身に着けてるんだお前。
それはさて置き、俺は屋上に来るのは初めてだったのだが、コンクリを敷いたそこには明らかな異物が鎮座していた。
傾きかけた陽光に照らされたその物体から恐ろしいほどの迫力を感じる。
「これは……!!」
言葉を呑んだ。
全体として、巨大な長方体と表現するのが一番わかりやすいと思う。幅と高さが三メートル、長さは十メートルほどだろうか。灰色を基調とした色で、金属ともプラスチックとも違う質感の素材が表面を覆っている。
そしてその側面部に四角い穴が開いていた。ステップまで付いていれば、これはもう乗降口としか思えない。
つまりこれは、乗り物なのか?
なんというか、漫画に出てくる宇宙船のような……。
そこまで思い至ってようやく気が付いた。「時間旅行」という言葉のインパクトに囚われてすっかり失念していた。
旅行と言うのであれば、徒歩を含めて何かしらの移動手段が必要だ。ましてや時間旅行と言うのであれば。
「達樹。これが私が開発した――タイムマシンだ」
得意げに披露するのではない、むしろ静かに囁くような声だったにも関わらず、俺はその言葉に強い衝撃を受けていた。ましてや馬鹿にすることなどできなかった。
なぜなら、眼前に鎮座するその機械は、最早威圧的と言っていいほどの存在感を有していたからだ。小さい頃親父に連れられて見に行った機関車の、内包しているその力強さと同質のものを感じる。――いや、こちらの方がその万倍くらい強烈だ。
これがタイムマシンかどうかはともかくとして。
その無機質な体に超絶の出力を秘めている機械の存在感。それだけは、間違いなく本物だった。
†
時間跳躍装置――タイムマシンの内部は思いのほか狭かった。非常灯程度の灯りしかない薄暗い通路を抜けて桜に案内された先には自動車の座席を思わせるシートが二つ横に並んでいた。桜がその右側に座り、俺は左側。
「――光あれ」
桜がそう言うと、正面の壁に電光が走った。同時に天井に設けられた照明のスイッチが入る。起動は音声入力なのか。
すると、どこかで聞いたことのある電子音とともに正面のディスプレイが明るくなった。有名な窓枠を模したマークが現れて……って。
「メインコンピューターの制御OSは『複数の窓・アスタラビスタ』を専用に改造しものだ。自慢じゃないが林檎など足元にも及ばないぞ」
「色々とヤッベェ発言すんじゃねぇっ!?」
各方面に多数の敵を生み出しかねない発言を気にした風もなく、桜はキーボードでいくつものコマンドを打ち込んでいく。
まったく……と呟きながらも俺は室内を見回した。
座席の座り心地はすごくいいが、全体として自動車の前部座席より少し広いくらいのスペースだった。座席の右側面にはなにやら黄色と黒の縞々模様のレバーがある。桜の座席左側にも同じものがあった。
先ほど外観には宇宙船を連想した俺だったが、内装のほうは至ってシンプルだった。正面の壁の殆どを埋める巨大なディスプレイと座席の前に突き出した二つのハンドルが目を引くくらいで、左右の壁には殆ど何もない。
「意外と落ち着いているな。壁全体に計器類とかスイッチとかがあると思った」
「そういうのは邪魔だしな。虚飾主義は嫌いなんだ」
言いながら、桜はム―バブル・アームに取りつけられたキーボードを引っ張り出して何かを打ちこんでいく。そのたびに正面のディスプレイに幾つものコマンドやウインドウが開いたり消えたりしていく。
「別にあーいうのだって飾りで付いている訳じゃないだろうに」
「勿論だ。けど操作の殆どはこのコンソールで可能だし、必要な計器は随時正面のディスプレイに出るオール・インワン仕様だからな」
そうなのか。良くできてるな。
「じゃあこのF1のハンドルみたいなのは何なんだ? 俺はタイムマシンの操縦なんかできないぞ」
自動車だったらできるけど。無免で。
俺の問いに桜は涼しげな顔で、いけしゃあしゃあと答えやがった。
「ああ、それは単なる飾りだ。何も無いのも寂しいし、雰囲気は出ているだろう」
たった今虚飾主義を拒絶した口で何言ってやがる。
しかし桜はそんなこと意に介さず、一際力強くエンターキーを叩くとディスプレイに浮かんでいた全てのウインドウが消えて、同時にマシン全体が震えた。
背後からは低く唸るような振動音が生まれ、次第に大きくなってくる。どうやらマシンが休止状態から起動しつつあるらしい。
「ようこそ達樹。私が建造した、『時間というものの不可逆性、或いは人類の希望と絶望に挑む喜びと悲しみ、その存在意義』号に」
得意げに言う桜。わかっていながらも聞き返さずには居られない俺。
「それ、もしかしてこのタイムマシンの名前か?」
「……変だったか? 一生懸命考えたんだが……」
桜が首を傾げる。どうやら俺のリアクションが思い描いていたものと違っていたのらしい。けどなぁ、今の名前で他にどう反応すればいいんだよ。
「覚え辛れーよ。もっと短くしろよ」
「そんなことはない、簡単に覚えられるぞ。『時間という絶対的不可塑性に対する挑戦、あるいは人類の存在意義における光明と絶望、その喜悦と悲哀』号だ」
「…………」
「…………」
俺は桜の顔を見た。目で語る。おい、さっきと違うくないか?
桜は困ったような顔をした。お前も覚えていないんじゃねぇか。
あ、目を反らした。
明後日の方向を見ながら桜が口を開く。
「ならば第二候補の『毎朝君の作った味噌汁を飲むことができれば、僕はきっと幸せ』号でいこう」
「却下だ」
俺はお前のネーミングセンスに絶望を覚えるよ。
「まぁ名前なんかどうでもいい。しかし……タイムマシンねぇ。一体どういう理屈なんだ、これ? 俺はてっきり、タイムマシンなんか漫画の中だけの存在だとばかり思っていたよ」
正直のところまだ俺は信じ切っちゃいないんだけどな、時間旅行なんて。
「一般的な感覚だったらそんなところだろうな。けどな、達樹。実はタイムマシン――こと未来旅行に限って言えば、百年以上前に理論が存在しているんだぞ」
にやりとして桜が言い、俺は桜の思惑通りのリアクションをした。
「百年前!?」
「意外だろう?」
百年前っていったら……第一次世界大戦とかの頃かよ。
うーん、その時代の科学技術と、タイムマシンなんていうSFが俺の中で繋がらない。そんな俺のしかめ面を見て桜が微笑む。
「そう唸りたくなる気持ちはわからないでもないけどな、達樹。技術っていうのは何時だって理論に追いつくものなんだ。今現在だって実現・実証されていない理論はあるし、『こうなるんじゃないか? こういう物質が存在するんじゃないか?』という予言みたいなものは山ほどあるんだ」
「いや、そうかも知れないが……」
「それに、未来旅行の大元になった理論ってのは達樹も聞いたことがあると思うよ」
「へぇ?」
自慢じゃないが、俺はどこにでもいるただの高校生だ。別段科学関係に強いということもないんだけどな。学校で習う以上の科学的な知識なんて持ち合わせちゃいない。
そんなことを思っていると、桜は笑いながらその名前を口にした。
「アルベルト・アインシュタインが提唱した、『相対性理論』。未来旅行を予言した理論だ」
という訳で、タイムマシン登場です。
時間旅行にはコレがないとね!
でもってそろそろ賢明なる読者様方にはご想像がついているかも知れませんが、
桜は天才ですが、ポンコツです。
ですので桜の造ったタイムマシンもポンコツです。
次回予告、タイムマシン(笑)、轟沈。
仕様ですので悪しからず。