颯爽桜はマジぱない。 1
†
梯子を降りた先は、薄暗い地下通路だった。どうにかやっとすれ違う事ができるかどうか、という程度の幅。足元を常夜灯の薄い緑の光りが頼りなく照らし出している。
「行くぞ、達樹」
桜が走り出した。俺もその後を追う。二人が走る足音が、細長い通路に木霊する。
「なぁ、桜」
「なんだ、達樹」
「ふと思ったんだが……『エーテル』を奪われるのがマズイんだったら、爆薬かなんかで吹っ飛ばせばいいんじゃねーか? 部室ごと」
口にしてから思った。部室ごと吹き飛ばせって、考え方が完全に桜に染まってしまってんな、俺。やっば手遅れかなぁ。
「ハハ、それは良いアイディアだ。是非今すぐに……と言いたい所だが、問題がある」
振り向きもせずに桜が答える。
「タイムマシン事件で部室が消失しただろう。あの時、部室や黒板に仕掛けていた爆薬も一緒に消えてしまっていてな。再建してから、まだ仕掛けなおしてないんだ。タケコプターとか別のことに夢中になっていて、すっかり忘れていた」
「そりゃ残念」
いや、むしろそれが健全で当たり前なんだけどな。今回に限り不運というか。
「しかし安心しろ、達樹。その他の学校中に仕掛けた高性能爆薬は、幸いにもあの時の点検で発見される事はなかった。念入りに偽装したのが功を奏したな。部室のみ、というのは無理だが、部室ごと、というのであれば今すぐにでも可能だ」
あー、うん。やっぱりお前と俺とでは、何が不運で何が幸運か、ちょっと違いがあるようだ。この件が終わったら、ちょっと話しておく必要があるかもな。
「この際だから達樹にも教えておこう。このタブレットに入っている爆破コントロールソフトを起動し、私と達樹が手を繋いであるキーワードを唱えると、この学校は終焉の時を迎える」
手を繋いで?
「そのキーワードとは『バル……」
「やめれ」
それ以上は、マジで。頼むから。嫌な予感がするから。
そんな緊張感の欠けたやり取りをしている間に、通路の最奥に辿りついた。右の壁には上へと続く梯子。左側には、校内のどこかに通じているのであろう別の通路。
「この先は別行動を取ろう。これを着けてくれ」
少し肩を上下させながら、桜が差し出したのは、いつぞやも用いたヘッドセットである。今はスイッチをオフにしているが、いざとなれば半径二キロ以上の通信を実現するという、暗号化機能すら持つ高機能無線機である。
こういった小物まで何気なく恐ろしい性能を持っていて、それらに関する様々な特許収入こそ桜の研究資金なんだそうだ。
ちゃんと税金払ってんのかな、こいつ。
ヘッドセットを身に着けながら、桜がタブレットを操作。
「現在、ユリたちは二階の階段を侵攻中。おや、七人しか居ないな。一人脱落したか? ああ、なるほど。トリモチ地獄で一人を橋代わりにしたのか。ククク、連中もなかなかやる」
俺は哀れな犠牲者の為に「南無三」と呟いた。いや、ここはアーメンの方が良いのだろうか? 俺の幼馴染の方が悪役っぽいって事には今更なので目を瞑ることにする。
まぁ、時間稼ぎが上手く行っている様で何よりだ。
「で、別行動っていうのは?」
桜が、左側に伸びる通路を指差した。
「達樹にはあっちへと進んでもらいたい。強力な援軍が居る。彼らを率いて、ユリたちの後背を急襲する役目だ」
「お前は上か。この梯子は部室に繋がっているんだな。昇ってどうする?」
問うと、桜はきっぱりと答えた。
「囮になる」
俺の頬が、怒りでピクリと動いた。
「心配するな。達樹も聞いていたように、部室周辺のセキュリティは易々と突破できるような類ではない。防御用の隔壁も頑丈だ。部室には、こういう時を想定していざ立て篭もっても大丈夫なように武器も沢山用意している」
どういう時を想定していたんだよ。
つーか、囮って。
「危険なのは、どっちだ」
一瞬、桜の目が泳いだのを見逃さない。
「……援軍のほうだ。奇襲の混乱が収まった後は、ろくに防御も出来ずに逃げ惑うだけだからな」
それを訊いて、俺は桜の両頬を手で挟んだ。え、と目を丸くする桜の額にヘッドバットをブチかます。いや、若干手加減したけどな。
「ぁ痛ッ!? た、たちゅき!?」
「じゃあ、俺が上に行く」
うずくまる桜に有無を言わさず、俺は梯子に足をかけた。
「ま、待て達樹! 本当に上は危険なんだ! だから、達樹は下を……」
「黙れ」
俺が放った言葉に桜の表情が凍りついた。ああ、そうだよな。散々桜のことを怒鳴ったり殴ったりしていたが、殺気を向けて凄むってのは余りないよな。これでも中学時代にゃそこそこ鳴らしていたんだぜ。
「ヘッドセットで随時指示を出せ。それで何とかなんだろ、天才さま」
「達……」
うろたえた桜が伸ばしてきた腕を、空いた脚で蹴って威嚇した。
「俺が上に行く。これは決定事項だ。いいか、桜。俺はな、望んでお前の傍にいるんだ。そのことで被る損や被害なんて、とっくに覚悟しているんだ。いいからこういうのは俺にやらせとけよ。じゃねーと、俺はお前の隣で、何をしていりゃいいのかわかんねーじゃねーか」
いじけているだけなのにはとっくに飽きてンだよ。
尚も手を伸ばそうとする桜を無視して、俺は梯子を上りだした。振り返らずに上だけを見て。ヘッドセットのスイッチを入れて、桜へと告げる。
「時間はあまりねぇんだよな? だったら急いで援軍とやらを連れて来いよ。体育館の時と一緒だ。俺が時間を稼ぐ。お前が助けに来る。それでいいだろ」
『……わかった。部室周辺の各種装置は達樹の音声で起動・操作が出来るようにしておく。予備のタブレットも部室の教卓のところにあるから、活用してくれ』
ヘッドセットから聞こえる桜の声はまだ納得はしていないようだったが、まぁ走る音が聞こえるから受け入れはしたようだ。カッコつけてみたはいいが、桜の援軍が生命線である事実は変わらないからな。今回はマジ命に関わるし。
せっとせと梯子を昇りながら、ふと思った。せっかくだし、カッコつけついでにこういうノリじゃなけりゃ訊けない事も訊いておこうか。
「なぁ、桜。お前、どうしてアメリカ行ったんだよ?」
え? と戸惑った声の桜。どうして今そんなことを、と思っているのだろう。
「『エーテル』自体は日本でも開発可能だったンだろ? そりゃお前の考えに賛同するような金持ちは日本よりアメリカの方が多かろうが、別に『エーテル』を開発した後で会いに行きゃいいだけの話しじゃねーか」
俺は未だに覚えてる。
ある日の朝、いつも隣にいるはずの少女が居なくなって知った、あの空虚さ。もしかしたら死んでいるのではないかと思って感じた恐怖。二度と戻ってこないのではないかと覚えた狂おしいほどの焦り。
そしていずれ。
そう。いずれ金を貯めて、アメリカまで行ってやるって意気込んで新聞配達のバイトまで始めたってのに、高校の入学式当日の朝、この馬鹿は何事もなかったかのように帰ってきた。
真新しい制服に身を包んで家を出た俺の目の前に、さも当然のように仁王立ちして。唖然とする俺に向かって「遅いぞ達樹。入学初日から遅刻するじゃないか」などとのたまって――俺に強烈なヘッドバッドをかまされて。
あの時俺がどれだけ怒り、そして喜んだのか、お前は知らない。教える気もねーけど。
「だから教えろよ。なんでお前、わざわざアメリカに渡ったんだ? 何度訊いてもはぐらかすばっかで教えてくれねぇし」
『……それは』
「言えよ。今教えてくれないと、次は無いかも知れないんだぜ」
桜が息を飲んだ。
数秒の沈黙。小さく、仕方ない、と桜が呟く。
『確かに、『エーテル』の開発自体は日本でも可能だった。しかし、時間がかかり過ぎることがわかっていたんだ。アメリカの富豪連中を頼ったのは、科学者としての理想というのもあるが、ぶっちゃけると当時の私は単にパトロンが欲しかったんだ』
「金か」
確かにそれは、俺じゃ用意してやることもできないけど。
『金じゃない。時間だよ』
「……何?」
『もっと正しく言うのであれば、順番だ』
俺は眉根を寄せた。順番って、何の順番だよ。
『小学生の頃の私が開発したかったのは、本当は『エーテル』ではない。科学者として公人として、『エーテル』こそ私の天命だったが、そんなものは私人としての私が開発したいモノの部品に過ぎなかったし、部品に時間をかけ過ぎたくなかったんだ』
熱っぽく語る桜。意外な言葉に俺は内心で首を傾げる。
「じゃあお前が本当に開発したかったのって、なんだよ?」
『タイムマシン。タケコプター。どこでもドアの三つだ』
きっぱりと、桜が答えた。
『どこでもドアこそ迷走中な状態だが、タイムマシンとタケコプターの開発はそれなりに順調だ。しかし、開発に着手する以前からはっきりとわかっていた問題がある。それが、動力源不足だよ』
例えば、と桜は続ける。タケコプターは空飛ぶ道具だから、有線で電源と繋げっぱなしにする訳には行かない。よってタケコプターに電池を内蔵したり使用者が背負ったりする形にする以外ないが、現行の電池では、充分な電力足り得ない。
『だから、『エーテル結晶体』なんだ。僅かな電力を増幅するための、な』
そうか、と梯子を昇りながら、俺は心のどこかで引っかかっていた疑問が解決するのを感じていた。桜の性格だったら、『エーテル』なんてすげぇモン開発したのだったら、その秘匿性はともかくとして、俺に話しをしそうなものだからな。
日本での桜は、公人ではなく私人として振舞っていたのか。私人としての桜にとって『エーテル』は単なる部品で、自慢しても仕方ないという訳か。
――ん? いや、ちょっと待て。
「アメリカに渡った経緯は判ったが。……じゃあ、そもそも何でお前は、タイムマシンやらどこでもドアやらを開発しようと思ったんだ?」
わざわざアメリカに渡って。『エーテル』の開発を急いでまで。
『ああ、タイムマシンを見ても反応が薄いから、そうじゃないかと思っていたんだ。やっぱり忘れているな、達樹』
忘れてる? 俺が? 何を?
溜息を吐きながら、桜が答えた。
『小学校三年生の頃だ。学校の勉学に飽いていた私に、アニメを見ていたきみが言ったのだぞ。タイムマシンとどこでもドアとタケコプターを造ってくれ、と。桜は天才だからできるだろ? 三つとも完成したら結婚してやるよ、とな。達樹』
「なっ!?」
とんでもない事を言われて、思わず梯子から足を踏み外しそうになった。とっくに落ちたら骨くらいは覚悟しなきゃならない高さである。一瞬肝が冷えた。
ちゅうか、俺! 子どもの頃の俺! 一体何を言ってんだ! マジで!
け、結婚してやるぞって――どんだけ上から目線なんだ!?
「ぐぁぁぁ……」
し、死にたいほど恥ずかしい……!
ここが梯子の上でなければ、頭を抱えながら地面を転がって悶絶しているところだ。
「そそそ、そそそんなこと言ったのか、俺」
『うむ。実に達樹らしい、ぶっきらぼうな求婚だったぞ。はっきりと覚えてる。テレビ画面を真っ直ぐ見ながら、耳まで真っ赤に染めている達樹少年。どうしてあの時私はカメラを持っていなかったのかが未だに悔やまれるな!!』
勘弁してくれ。トドメだそれは。ていうか、忘れてくれ。早急に。今すぐ!
『まぁ最初は私も、架空のマシンなんて実現できるワケないと暇つぶしのつもりだったのだがな。やってみたら、絶対無理というほどでもないみたいで面白くなってきてな。しかも完成すれば達樹が手に入るという。これはもう、気合も入るというものだ』
俺はおまけかよ。
そう思ったけど、恥ずか死寸前なので何も言わない。
『あとはさっき言ったような流れだ。どうしても『エーテル』が必要となって、先にそっちを済ませた方が結果として早いだろう、と判断したのだ』
「……アメリカ行きを黙っていたのは?」
『それは……』
と、桜が口篭った。
『だって、達樹。私がアメリカ行くって言ったら、絶対に止めるだろう? あの時行くなと言われれば、私はきっと行かなかった』
けれど、桜は続けた。
そしてきっぱりと言い切った。
『私は早く、達樹と結婚したかったんだ。その気持ちは今でも変わっていない』
「桜……」
ヘッドセットの向こうから、無線越しに聞こえる幼馴染の声。
『あー、そうだな。そう言えば、ちゃんと言葉にしたことはあまりなかったような気がするな。折角だし明言しておこうか』
こほん、とわざとらしい咳払い。
『達樹。私はきみを、あ、愛してる。殴り合いをしたあの日から、ずっと変わらず愛して――いや、日に日にこの想いは募るばかりだ。私の身も心もきみの所有物にして欲しいと願っているよ。だから達樹も、私のものになってくれないか……?』
珍しく。
実に桜にしては珍しく、声の端が震えていた。
薄暗い地下の隠し通路。俺は梯子を昇る手を止めて、桜のほうからは、走る音が止んでいた。
いや、むしろ俺は、この、心臓の音が、あっちに聞こえないかと不安で。
な、何か答えないと。
そう焦ったとき、向こうのほうから言葉が紡がれた。
『いや、別に今すぐ返事しろというつもりはないんだ。ただ、ちゃんと知っておいて欲しいと思っただけで』
「あ、ああ。うん」
『ふふ、普段あれだけあからさまな行動をしているというのに、どうしたことかな。こうやって改まって感情を口にするというのは……。無線越しでなければ、怖気づいて誤魔化していたかもしれないな』
「そ、そうだな」
俺だって桜の告白を聞いて、心臓がバクバク言っているんだ。本人だってそれなりに恥ずかしかろう。
『大丈夫。達樹を煩わせるような事は無いからな。既に達樹の筆跡を完璧に偽装した婚姻届は用意してある。未成年だがちゃんと後見人として達樹のご両親に了承を頂いているし、不備は無いからあとは届けるだけだ』
「いや、おい。ちょっと待て」
筆跡偽装てどういうことだ。というか、俺に話しを通す前に両親に許可って、おいコラ。
ものごっそイイ感じだったのに、この台無し感をどうしてくれる。
文句言ってやろうかと思ったその時、鋭い電子音がヘッドセットから聞こえた。
「? なんだ、今の音は」
『ふむ。ユリたちが階段に設置された最後のシャッター前に辿りついた時に鳴るようにセットしておいたのだ。私たちが会話に興じている間に地道に進んでいたらしい』
「くそッ。時間がねーって事じゃねぇか!」
気が付きゃずっと止まったままだったし!
猛然と梯子を昇りだした俺に、桜が言った。
『ところで、達樹。申し訳ない。すっかり言い忘れていたんだがな』
「なんだよ?」
『その梯子、自動昇降装置付きなんだ。乗降口付近にあったスイッチを入れれば掴まっているだけで上に昇れたんだが』
「遅っせーよ!!」
叫んだ。間も無く頂上だよ! 手遅れもいい所だよ!
「あーもう、早く来いよこの馬鹿!」
『了解した』
桜の言葉が耳に届くと同時に、俺は梯子を昇りきっていた。
あー、もう。いろいろと、もう!
くそ、まったくもう!
俺から言わせろよな、ああいうのはよー。
そんな事を思いながら、備え付けてある扉をそっと開き、向こうを窺う。
扉の向こう側は見慣れた部室だったが、夜で月光が差し込むその光景はまるで別の場所であるかのように見える。当然部屋は無人。しかし、廊下のほうからはけたたましい音が響いてきた。
ユリたちが近くまで来ているな。
パシンと両の頬を叩いて気合を入れると、俺は部室へと滑り込んだ。
砂糖を口から吐きそうな気分で執筆してた回。
ねくすと → 豆鉄砲籠城戦。




