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颯爽桜はマジすごい。 1

  †


「達樹、旅行に行こう!」

 ばしーん、と勢いよく教室の戸を開いたと同時に、そこに立つ少女は開口一番そうのたまった。

 教室である。

 授業中である。

 室内の人間が、突然の闖入者に動きを止めた。皆唖然としている――俺を除いて。彼らの視線を一身に受けてなお少女はたじろぐ事も無く、むしろ喜色満面の笑みを浮べて教室内に入ってくる。

 一直線に、この俺、梶原達樹の机へと向かって。

「聞こえなかったのか、達樹。旅行に行こう」

 俺は盛大な溜息を吐いた。彼女の奇行には慣れていたつもりだったが、今回はまた一段と突拍子もない。

 再び嘆息。

「あのなぁ、桜。ちょっと待て」

 お前は一体何を言っているんだ? 

「待つ? 待てばいいのだな、達樹。宜しい待とうじゃないか。私はこれでも気が長いほうなんだ。一秒でも二秒でも待つぞ。いち・に。よし待った。それでは行こうか!」

 言うが早いが、桜の奴は俺の腕を掴んで引っ張り立たせようとする。

 うおお、何だコイツ。今日はまた特に絶好調じゃねぇか。

「腕を引っ張ンじゃねーよ! 大体まだ授業中じゃねぇか!」

「それがどうした?」

 ふん、と鼻で笑わんばかりの勢いで即答しやがった。

「授業などより達樹と旅行に行く事の方が、私にとっては遥かに大事だ。いやむしろこの旅行こそが私と達樹にとって、大切な思い出になると言うべきだろうか」

 僅かに頬を紅く染めて、桜は続ける。

「……何分私としてもハジメテのことだから、ふふ、私らしくも無い。少し緊張している」

「お前は一体何を言っているんだ――!?」 

 何で頬を染めてんだコイツは。そして桜の発言を意図的に正しく曲解したクラスの女子たちが黄色い歓声を上げて、クラスの野郎どもは殺気交じりの視線を俺へと向ける。

 理由は簡単で、この眼前に立つ桜は、背中まで届く黒い髪、すらりとした細い足、そして人目を引くボリュームのある胸部と控えめに見てもスタイルが良く、すっと通った鼻筋、細くど柔らかな曲線の輪郭、何より怜悧で切れ長な一重瞼に意思の光の宿った強い瞳を有する、要するにこの南石高校トップを争う美少女である。

でもってその超美少女が幼馴染(という腐れ縁)である一人の男――つまり俺に向かって「旅行でハジメテ」などと意味深な事を言い出しているのだ。優越感以前に身の危険を感じて当然だ。

 くそ、なんだか訳がわからない内に孤立無援の死地へと追い詰められつつある。俺は救いを求めて教壇に立つ教師へと視線を向けた。

 現代国語担当の彼は定年退職間際で、良くも悪くも授業に対する情熱が欠けていたようだ。事態の展開に着いていけない彼は俺と桜を見た。更に腕時計を見て、残り時間が十分ほどしかないと知ると教材を片付け始める。

「……残り時間は自習といたします。それでは」

 そう言い残して、開けっぱなしの戸から出て行ってしまった。くそったれ。

 事実上昼休みが前倒しになったことにより、教室内がざわつき始めた。といってもまだ外に出るわけにはいかないから、自然俺ら二人の周囲に人が集まってくることになる。衆人環視、逃亡不可である。

「なんだろう。この言い知れない寂寥感と言うか、絶望感は」

「よくわからないが、問題ない。些細なことだ」

 眼前に立つ諸悪の根源が何かほざいていやがる。俺は再び溜息をついた。

 そこに、クラスメイトの一人である杉山が声をかけてきた。

「旅行、良いじゃないか。行ってくるといいよ」

 俺は実に嫌そうな表情で、杉山の方を向いた。

「折角女の子から誘ってくれたんだ。断るなんて勿体ないし、何よりも失礼だよ」

 そうだそうだ、と野次馬どもが騒ぎ立てる。割合としては『女の子に恥をかかせる気か』というクラスの女子の意見が五割、『勿体無い』に賛同する男子の意見が二割、『俺と代われ』『なんでお前ばかり』という怨嗟交じりが残りの三割といったところか。

 ……まずいな。

 嫉みの矛先をかわしておかないと今後の学校生活に支障をきたしかねない。

 そう判断した俺は、杉山に向かって反撃した。

「そうは言っても、俺はお前みたいな節操なしじゃないんだよ」

 背が低く、童顔。淡く柔らかい栗色の髪を有する杉山はその容姿から学校内の女性から非常に人気がある。女子生徒女教師問わず週に三回告白を受ける男――それが杉山である。

 そしてフェミニストである彼は、その告白を全て受け入れているという噂だ。それが本当かどうか知らないが、この場は利用させてもらおう。

「やだなぁ。僕は女の子一人ひとりに対して誠意をもって向き合っているだけなんだけどな」

「じゃあ聞くが」と俺は続けた。

「今付き合っている女の数は何人だ。言ってみろ」

「女性だけなら三人。全部で四人かな」

「今まで同時に付き合った最大人数は?」

「えーっと八人かな。うち、女性は六人だったよ――あれ」

 その杉山の肩を、能面のような表情の男子が掴んだ。背後には十人ほどの男子が同じ表情で立っていて……うわぁ、血涙とか。

「えーっと、ちょっ、行こうかってどこに? ああ、担がないで、担がないでっ。どこに連れて行かれるの僕。誰か答えて、あの、えーっと、あっ、アッ――」

 南無三。

 教室の隅へと連れて行かれる杉山に向かって俺は内心で合掌した。君の尊い犠牲は忘れない。だからいざとなったらまたよろしく。

 一つの危難は去った。ならば続いてもう一つに対しても対処せねばならない。俺は改めて眼前の桜を見た。椅子に座っている俺からは見上げる形になる。

「うーむ、よくわからないが、杉山は同性にも人気があるのだな」

「あー。なんかそんなことを言っていた気もするが……」

 俺たちの位置からでは杉山の姿はよく見えない。男子たち数人が壁となっているから視線が遮られているからだ。時折杉山の呻き声のような悲鳴のような声が聞こえ、杉山ファンの女子たちがなんとか囲みを突破しようとしているが、まぁヤツはヤツで頑張っていただきたい。

「で、一体なんだッてんだ桜。藪から棒に旅行なんて」

 俺の顔を見て、桜はきょとんとした表情を浮べた。

「おや、達樹は乗り気ではないのか? これは一体どうしたことか」

 お前が一体どうしたことかと俺が尋ねたい。

「おかしいな……私の計画では、誘われた瞬間達樹は二つ返事で了承してくれるはずなのだが。何がいけなかったのだろう」

 腕を組んで考え始めやがった。眉根を寄せているあたり、本気で理由がわからないのだろう。

「むしろいけなくなかった部分がどこにあったのかと俺はききたいが」

「幾らなんでも唐突過ぎただろうか。ここは少し婉曲に誘うのが上策か」

 聞いてやしねぇ。勝手に納得すると、こほんと一つ咳を払って桜は言った。

「そうだ達樹。旅行に行こう」

 テンションが少し下がっただけじゃないか。俺は呆れた。

「お前とは一度、婉曲という言葉の意味について話をする必要があると思うのだが、それは俺の気のせいだろうか」

「細かい事を気にする奴だな……」

 言いつつも再び俺の腕を取って引っ張ろうとする。

「お前はもうちょっと細かいところまで気にしろよ。大体お前旅行っていっても、今日は火曜日だぜ」

「それが?」

「いやだから。明日だって授業があるじゃねえか」

 というか、昼休みを挟んでまだ授業あるし。

 しかし桜の奴は、「君が一体何を言っているのかわからない」という表情を浮べた。

「だからそれが?」

「いやだからって……えっ?」

 聞き返されて、更に俺も聞き返してしまった。こいつ、何を言っているんだ?

「授業と旅行、どちらが大切かなど比べるまでも無く自明のことではないか」

 一応親に学費を払ってもらっている身としては、建前だけでもそこは授業と答えるべきなのだが――実はその理屈、桜には通用しないのだった。

 中学のときに桜は、アメリカに留学している。飛び級で大学に入り、やはり飛び級で卒業して日本に戻ってきた。幾つか博士号や特許まで取得したという。日本の高校卒業資格など、彼女には無用の長物以外に何物でもない。

 高校入学して一週間、新入生の皆が浮ついた気分でいる間に桜のバカは、全学年の実技を除く全ての教科の全ての試験を受けてしまっている。当然のごとく全て満点で、英語や大学で専門だったという物理を始めとする理系科目に到っては出題の仕方が悪いと問題文に添削を入れて突き返す始末だからもうなんというかバカとしか言いようが無い。

 そんなわけで体育や美術のような実技系の科目以外、桜には授業への出席義務がないのだ。

 授業中教室に乱入してきたのにはそうした事情があったわけだ。先生が大人しく授業を中断してしまったのも、事なかれ主義の彼が桜と関わりあう事を避けたからだろう。

「いや、お前にとっては授業なぞどうでもいいんだろうけど、俺にとってはそうじゃないんだよ」

 高校に入学して一ヶ月が過ぎた。

 まぁ若干、中学時代の俺は色々とアレだったのは認める。そのことを反省した今、ガリ勉に走るつもりなど毛頭無いのだが、さりとて教師に目をつけられるような行為は慎みたいと思っている。それにはまず目立たないことが一番だ。

 桜のような天才と違って、俺は凡人なのである。

 しかし桜には、俺のささやかな願いなど通じなかった。

「単位の事ならば、何も心配することは無い」

 堂々とそう言い放った。いや、お前はそうなんだろうけど。

「いざとなったら私の方から先生方に根回しをしておこう。何、簡単なことだ。私が来年度の寄付について考えると言えば、生徒一人の成績や内申書などどうとでもなる」

「……やめろアホ。それは脅迫っつーんだ」

 胸を張って物騒な事を言うな。

 桜はそのことが不満だったようで反論の言葉を重ねてくる。

「しかし達樹。きみが望みさえすれば、今後全ての授業をサボったとしても首席で卒業することだって可能なんだぞ?」

「だから、や・め・ろ、と言っている」

「仕方ない。達樹がそういうならば学校と『交渉』するのはやめておこう」

 桜の言葉に俺は胸を撫で下ろした。よかった、わかってくれたか。

「学校ではなく先生方それぞれを押さえておけばいいとは、中々達樹もエグい提案をするものだ。学校全体を脅迫するのはそれからでも遅くは無いしな!」

 あっれぇ、毛ほどもわかってくれてなかったよこの人!?

「学年主任と各教科の先生方を押さえておけば滅多な事ではバレはしないだろう。人間誰だって我が身が惜しいものだ」

 そして自信たっぷりに俺の肩をポンと叩いた。

「案ずる事は無い。先生方だって完璧な存在じゃない。この私が、いざという時の為にネタを用意していないとでも思ったのかね」

「俺が案じているのはそこじゃ無い!」

 俺は声を荒げて言った。だが、桜には届かない。

「達樹が望みさえすれば、校長以下全ての教師と一部の生徒から毎月お小遣いを貰う事も可能だ。金額は交渉しだいだがな。例えば……。」

 桜はぐるりとクラスメイトたちを見回した。一歩後ずさった生徒生徒たちの輪の中、一人の女の子に近づく。

 戸惑う少女に、桜は何事か耳打ちする。声が小さいから内容は聞き取る事はできなかったが、その顔が見る見るうちに蒼褪めていく。

 やがて少女はその場に膝を着くと、涙目で俺のほうを見た。

「私は……私はどうなってもいいから、どうか弟だけは。お願いします……!!」

「な?」

「な? じゃねぇよ!!」

 なんでお前は一生徒の弱みを握っているんだよ。この分では教師を強請るネタというのも本当に握っているのだろう。そのうち誰かに刺されるぞお前。

 俺は立ち上がると、得意満面な桜の頭を国語辞典で叩いた。当然背表紙で、だ。

「……痛いじゃないか、達樹」

 頭を押さえて痛みに顔をしかめた馬鹿に向かって俺は言い放つ。

「本気でブン殴らなかっただけマシだと思えよ馬鹿」

「馬鹿っていうほうがバカなんですぅー」

 小学生かオノレは。

 なんか頭が痛くなってきた……。

「ところでさ」

 と、そこで割って入ってくる声があった。男子どもにボコられていたはずの杉村だ。女子の一部有志による救助活動が実を結んだらしいが、その制服はボロボロだった。それでも顔だけは無傷というのは流石というか感心してしまうな。

「旅行旅行ってさっきから言っているけど――目的地は一体どこなんだい?」

「おお、そう言えば私としたことがすっかり失念していたな」

 にやり、と桜の口角が持ち上がり笑みを形作る。

 俺はその表情に形容しがたい不安を覚えた。伊達に十数年コイツの幼馴染をやっている訳ではないのだ。感受性の高いガキの頃から鍛え上げてきた危機感が言っている。『どうせろくなことにならないから、早く逃げろ』と。

 しかし俺がその一歩を踏み出そうとした時、幾つもの腕が伸びてきて俺を羽交い絞めにした。俺のことを羨ましいなどと言っていた男どもである。

「達樹くーん、桜さんのような美女のお誘いを蹴って一体どこに行こうというのかなぁ?」

「そんな勿体ない事、この僕たちが許さないよ」

「できることなら僕たちにもその幸せ、分けて欲しいなぁ」

「やめろ、離せ……!」

 お前らはまだ桜と付き合いが短いから、そんな悠長なことを言っていられるんだ。早く逃げないとメンドクサイことになるに決まっている。

 見ろ、桜の爛々と輝く瞳を。目的地を告げるのを失念していた? 絶対嘘だ。

 桜が手を伸ばす。俺の手の平をその小さな手できゅっと握ると、得意気な顔で告げた。

「目的地は――未来だ」

 その言葉に再度教室中が凍りついた。杉山も、脅された少女も、クラスメイト達も皆一様に目を丸くしている――俺を除いて。

「えっと、それはアレかな。約束された二人のバラ色の未来へ、的な」

 杉山が的外れな問い掛けをして、女子どもがキャアと黄色い声を上げた。

 そんな平和なものじゃあるもんかい。これ以上は聞きたくない。

 俺の予感を裏付けるように、桜は杉山の問い掛けに対して首を横に振った。

 俺は全身に力を込めて拘束を振り払おうとしたが――駄目だった。後ろの奴の力が強いんじゃない。俺の手を取る桜が軽く捻りを入れている。傍からはそうは見えないだろうが、関節を極められていて動けないのだ。

「さあ未来へ旅行に行こう、達樹」

 目の前の桜が、宣言した。大きな声で、力強く、嬉しそうに。

「――時間旅行に!!」

 呆気にとられる級友たち。ほら見ろ、斜め上じゃねーか。

 予感が的中した俺を称える――あるいは小馬鹿にするように、授業終了のチャイムが校内に響き渡る。

 ……勘弁してくれ桜さんよ。いやマジで。


  †


 颯爽桜――珍しい苗字だが、これが本名だ。

 長い黒髪がトレードマーク。凛と整った顔立ちと、制服の上からでも自己主張の激しい胸。そして長い脚。「是非とも踏まれてみたい」という歪んだ隠れファンも多いとかなんとか。

 そして自他共に認める、掛け値なしの超天才だった。

 生まれた時から隣に住んでいるが、桜の母親が物理学者で、父親は数学者。それぞれの分野で日本を代表する存在なのだという。小さい頃、俺も彼ら一家団欒の席にお呼ばれした事があったが――

「達樹くんは、フェルマーの最終定理についてどう思う?」

 いや、知らんがな。

 当時は全く理解できない会話で、今も理解できない。そして俺が一生をかけても理解できるとは思えないような内容のそれを胎教代わりに聞かせられ、天才の遺伝子を受け継いだ桜は小学生にして七ヶ国語を操り、アインシュタインの相対論を理解し、当時から両親の研究を手助けしていたという。もちろん俺にはそれがなんだか物凄いことなのだということしかわからなかったが。

 小学校卒業と同時に、自ら望んで桜はアメリカへと渡った。あちらのナントカという大学とその大学院を僅か一年で卒業し、政府機関の研究所に所属していたとかなんとか言っていたが――「契約期間が済んだから達樹に会いたくなって戻ってきたよ」とは本人の弁だ。

 あちらで様々な発明をして特許まで取得しているらしく、信じられない額の財産を有する高校生。おそらく近い将来人類の至宝と呼ばれ歴史に名を刻むであろう天才少女。

 それが颯爽桜という存在なのだ。


 ただしなんというか、お察しの通りの――馬鹿である。

 


どうも今作「颯爽桜は止まらない。」第1話をお読みいただき、まことにありがとうございます。

今作は科学をテーマにしたコメディとなっております。というかコメディ:科学=9.99:0.01くらいの配分。科学あんま関係なくね? 大体作者は生粋の文系なので物理学とかまったくわからな……げふんげふん。

1話あたり大体3万字くらいの、ショートストーリーの連作となっておりますので、「SFかよ、科学描写難しくて苦手」などと思わず軽い気持ちで楽しんでいただければ幸い。ブックマークしていただければ更に幸いでございます。


ねくすと→タイムマシン(笑)

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