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8話 カリア

 目の前のテーブルにはヴァルトが見たこともないような料理がところ狭しと並べられていた。色とりどりの野菜を美しく盛りつけたサラダに、焼きたてのパンのなかに牛乳たっぷりのスープを詰めた逸品に、豪快な鳥の丸焼き。さらには新鮮な果物を絞ったジュースと、最高級のぶどう酒がコップに並々と注がれている。


 悪漢から救ってくれた冒険者はカリアと名乗った。

 彼は空腹で倒れそうな少年たちを、行きつけだという食事処に案内し、注文表も見ずに次々と料理を運ばせた。いったい値段はいかほどになるのだろうと震えていたヴァルトたちだったが、いざ贅を尽くした食事が用意されると、そんな些細なことを気にしていられる余裕はなくなった。


 ドニが遠慮なく口をつけたのを皮切りに、砂漠に水を撒くような勢いで料理が胃袋に消えていく。


 ほとんど会話することなく一心不乱に食べ続けること小一時間。ようやく飢えが満たされた四人は、膨れ上がったお腹をさすっていた。


「――いったい、どれくらい食べていなかったんだ」


 カリアは苦笑しながら少年たちに尋ねた。自分は料理にあまり手を出さず、コップ一杯のぶどう酒をちびちびとすすっている。


「ここ二日くらい、乾いたパンと水しか」


 口元を布巾で拭って、シラルが答えた。

 節約するために野草や果物なども採取して食べていたのだが、ドニがお腹を下してからはみな怖がって野生のものは敬遠した。下痢で済んだのはドニの強靭な胃腸のおかげであり、一般人が食せば命に関わると判断したからだ。


「育ち盛りの子どもがそんな不摂生をしちゃいけねえな。食うべき年齢に食っておかないと、強い大人になれねえぞ」


 呆れた口調でカリアは小言をいうと、店員を呼びつけた。

 屋内だというのに黒眼鏡をかけた女給がやってきて注文をうかがう。黒を基調とした制服が白いシャツとよく似合っていた。


「南瓜のプリンと黒饅頭、それから苺のケーキを頼む」

「かしこまりました」


 女給はすばやく注文を紙に書き留めた。


「今日は客人をもてなす夜なんだ。おい、酒の追加はいるか」


 ぶどう酒をもらったのはドニだけなので、それはすでに十杯あまりも遠慮なくぶどう酒を飲んでいる少年に向けられたものだった。

 ほんのりと顔を紅潮させたドニは満足気な表情でうなずいた。


「こんなに酒の強い子どもは初めてだ。将来が不安だな」

「――そうですね。酒飲みなんて、ろくでなしばかりですから」

「え?」


 空耳だろうかとカリアが問い返すよりも早く、女給は一礼して注文を伝えに行ってしまった。


 ほどなくして彩り鮮やかなデザートが運ばれてきた。少年たちは満腹だということも忘れて目を輝かせた。特にドニとシラルは待ちきれないというふうに銀のスプーンを握っている。


 だが、二人が手を伸ばす前に、カリアは言葉を発した。


「そろそろ腹も膨れて、マジメに話を聞ける頃合いだろ。お前たちに飯をおごってやるのには条件がある。覚えてるか」


 ヴァルトはうなずいた。

 内容は聞きそびれてしまったものの、カリアの依頼を受けるのが食事と引き換えの条件だった。悪い人には見えないし、そう難しいことを頼まれるわけではないだろうと楽観的に考えていたのだが、いまさらになって不安が募ってきた。


 村の人々はみな親切だったが、外の世界の人間はむやみに信用できるものではない。

 旅に出てから学んだことを、つい忘れてしまっていた。助けてくれたのも、なにか下心があってのことなのだろうか。


「あんまり無茶なことでなければ」

「なに、そう難しい顔をするな」ヴァルトの心配をよそにカリアは手をひらひらと振った。「オレはこのセントロードで人を探している。そいつを手伝ってほしい」

「まさか暗殺……」


 ジョスランの顔から血の気が失せていく。余計なことを考えてしまったようだ。


「バカか。そんなんじゃねえよ」

「それなら誰を探してるんだい。なんの目的で」

「生き別れた女房と娘がいるんだ」冒険者は言った。「セントロードにいるってことまではつかめたんだが、そこから先が進まねえ。人を雇うにも、信用できる連中が少なくてな。お前たちなら立派に仕事をこなしてくれるだろうと思ったわけだ」

「ご飯のことも、ヴァルトを助けてくれたことも感謝する。俺たちにできることなら協力したいけど、ムダラにも行かなくちゃならないんだ。カリアさんがいままで探してきたのに、俺たちが手伝ったところで急に見つかるとは思えないよ」


 ジョスランはまだいくらかカリアを疑っているようで、慎重に言葉を選びとった。


「子どもならではの視点がある。オレでは気付かなかったようなことでも、お前たちなら察知できるということもあるはずだ。それに四人も人出があれば、見つけ出すとまではいかなくとも何らかの情報は手に入る」

「なにか現時点で手がかりはあるんですか」


 ヴァルトが代わって質問した。


「家族と離れ離れになったのはもうずいぶんと昔のことだ。娘はレイラ、女房はアンナって名前なんだが、たぶん違う名前で生活しているだろう」

「……もしかして」


 言葉をそこで切ったのは、カリアの心中を慮ってのことだった。

 しかし冒険者は一気に酒を飲み干すと、乱暴にコップをおいて、続きを話した。


「察しがいいな。そうだよ。オレの家族は人買いに連れて行かれたんだ。――まあ、そのことを知ったのはつい最近だったが」


 奴隷とまではいかないものの人身売買はムダラの周辺で行われている。迷宮ではあらゆることが合法化されているからだ。国家の基板となる魔鉱石を採掘するために、冒険者には最大限の自治が認められ、度を越した者だけが騎士団に粛清される。


 それが魔石の街と呼ばれるムダラの実情だった。その余波は、郊外に位置するセントロードにも及んでいる。


「どうしてそんなヒドイことを」


 ジョスランが憤慨するのも無理はなかった。村を旅立った少年たちは母親を探しているのだ。

 家族を人買いに渡すなどということは、言語道断の行いだった。


「……あいつらはオレをおいて出て行ったんだ。ずっと昔にな。かれこれ十年は前のことだ」

「愛想を尽かされるようなことをしたの?」


 シラルはデザートの甘い誘惑を一時的に断ち切って、カリアに聞いた。


「酒と女、それから借金だ。家出しないほうが不思議ってもんだろうな」

「暴力がないだけいい。世の中にはもっとひどい男がわんさかいるから」

「――励ましてくれてんのか。ガキのくせに」


 カリアは追加でケーキを一品注文した。シラルは一瞬だけ瞳を輝かせたが、すぐにバツの悪そうな表情になった。


「そういうつもりじゃなかったんだけど……」

「気にすんな。オレにもお前くらいの思いやりがあれば、孤独な人生を送らなくても良かったという反省みたいなもんだ」

「それが、なぜ今になって探し始めたの」

「レイラとアンナがいなくなってから、急に全部がつまらなくなっちまったんだ。酒を飲んでも味がしねえ。女を抱いても――っと、こりゃお前たちに聞かせるようなことじゃねえな。とにかく、それまで金を費やしてきた全てのことが馬鹿らしくなった。借金までこさえて遊んでいたのが虚しくなったんだよ」

「それならすぐに追いかければよかったのに。人買いの手に落ちる前に」


 シラルは平然と追求した。カリアの身の上話になにかしら感じるものがあったようだった。


「金がなかった。自暴自棄にもなっていた。酒の中毒から抜け出すのに数年もかかってな、それまでほとんど廃人みたいな暮らしをしてたんだ」

「冒険者なら迷宮で稼げばいい。そうすればお金もすぐに手に入ったのに」

「すこしは賢いようだが、まだまだ世界を知らないな」カリアは灰色のローブの上からシラルの頭を乱暴になでた。「ま、お前たちにはあまり経験してほしくないことだ」

「教えてください」


 ヴァルトが身を乗り出したので、ドニは素早い動きで皿を引いた。横取りされると思ったらしい。だが、そんなことは気にもとめずにヴァルトは続けた。


「おれたちもいずれ迷宮に行くんです。障害になるようなことは、いまのうちに知っておきたいから」

「あそこには夢が詰まっている。だが、危険な夢だ」

「覚悟はあります。迷宮の十階まで辿り着くくらいの気持ちはあります」

「それが甘っちょろいと言ってるんだ」カリアは厳しい口調になって、声を落とした。「迷宮には無数の魔物がはびこっている。魔鉱石を採取するためには、そいつらを倒して、倒して、倒しまくるほかない。向こうも死にたくないから懸命に反撃してくる。恐ろしいぞ。この年齢になっても迷宮に潜るのは恐ろしくてたまらない」

「でも、カリアさんは戦った」

「そうだ。家族を探すために戦った」

「あるいは自暴自棄になって、かもね」シラルは乱れたフードを直しながら口を挟んだ。「死に場所を求めていたのかも」

「そうかもしれない。が、オレは幸運なことに死ななかった。危険を冒して五階層まで踏み込んだにも関わらず、だ。そこで死に物狂いで魔物を屠った。死ぬかと覚悟したのは一度や二度じゃねえ。それでもなんとか数匹をやっつけて、地上に戻ることができた」

「五階層まで……すごい」


 ジョスランは目を丸くした。長いまつげがしばたいた。


「そこまでして、ようやくオレは余裕をもって家族を探すための金を稼いだんだ。はした金なんざ、ここではすぐに消えてしまう」


 それを聞いて、ドニは今か今かと待ちわびていたスプーンを下ろした。

 鮮やかに並べられたデザートの品々を名残惜しそうに見つめる。


「……やっぱり、食べないほうがよかったのかな」

「こいつは依頼料だ。遠慮せずに食え」

「いいの? 僕たちにごちそうするためのお金じゃないんでしょ」

「実を言うとな、最後に娘の姿を見たのは、ちょうどお前たちくらいの年齢だったんだ。ろくに食事も与えてやれず、いつもひもじい思いをさせた。だから腹をすかした子どもを放っておけるほど、オレは残酷になれねえんだよ」

「そういうことなら、遠慮なく!」


 切り替えの速さでは随一を誇るドニは再び満面の笑みでスプーンをとった。

 カリアの話が終わるまで待っているのは、彼の律儀なところだ。


「お前たちが将来、迷宮に潜るというなら止めはしない。失うものは自分の命だけだ。だけどな、大切なものができると、そうもいかなくなる。どれだけ手酷い扱いをしていたとはいえ、オレには家族があった。結婚して、娘ができて、とたんに迷宮は恐ろしい場所に変わったんだよ」


 遠い目をして、カリアは語った。

 それはヴァルトたちでなく、セントロードにいるはずの妻と娘に向けられたものなのかもしれない、とシラルは思った。


「あそこは宝箱なんかじゃねえ。人を殺すための地獄さ」





 デザートをすっかり平らげ、カリアが気前よく支払いを済ませると、外はもう夜の帳が下りていた。

 故郷の村では日が暮れると明かりもなしに出歩くのは危険だったが、セントロードはそんな心配とは縁遠かった。


 魔鉱石の生み出すエネルギーによって、道沿いのいたるところに立てられた街灯が仄白い光を放っている。建物にかけられた華々しい看板や、窓から賑やかな声とともに漏れてくる室内の明かりも、セントロードの夜を彩っていた。


 ここに来るまでにいくつかの小規模な町を経由したが、ここまできらびやかな場所は初めてだった。

 ヴァルトとジョスランが星でも見るように視線を上に向けていると、カリアがぽんと肩をたたいた。


「どうせ宿もとってないんだろう。多少は安くなるが、確実に空いているところを知ってるから、そこまで連れていってやる」


 言外に費用も出してやるという意味を込めてカリアは言った。

 頬がいくらか赤くなっているが、酒のせいではないだろう。結局、たった一杯しか口を付けなかったのだから。


「――なにからなにまで、ありがとうございます」

「それだけ期待しているってことだ。だが、いくらオレでも四人の食費と宿代をいつまでも支払ってやるわけにはいかねえ」


 カリアは三本の指を立てた。節くれだった、無骨な指だ。冒険者稼業を長くやっていると、武器を握るせいで指の形が多少おかしくなるのはよくあることだった。


「三日ですか」

「そうだ。三日のうちに手がかりをつかめ。できなければ契約は終了、お前たちともオサラバだ。だが発見の足がかりになるようなことでも探り当ててくれば、延長しよう」

「僕らならできるよ。なんてたって四人もいるんだから」


 酔って気の大きくなったドニが膨れ上がった腹を自慢気にたたいた。ぽん、と太鼓のような音がなった。


「オレがつかめたのはセントロードまでの足取りだが、おそらく街の外には出ていないはずだ」

「名前の他に特徴は? なにか、写真とか」


 シラルが尋ねる。カリアは思い出したように膝を打った。


「重要なことを忘れていた。アンナもレイラも灰色の美しい瞳をしている。一目見れば、すぐにわかるはずだ」

「灰色だなんて、珍しいね。しかも母娘そろって」


 ジョスランは自分の顔を確かめるように頬をなぞった。


「昔はそのせいで苦労したらしいが、オレにとってはどんな宝石よりも綺麗で大事なもんだ。いいか、灰色だぞ。忘れるなよ」


 念を押して、シラルは宿まで案内した。

 何階建てにもなった周囲の白壁の宿とは雰囲気を異にするその民宿は、たしかにセントロードでは安いのかもしれないが、それでも立派な造りをしていた。


 滑らかな木材で組まれた床は、踏んでも音を立てることがない。防音も完璧で、入り口の扉を閉めると外の賑わいはすっかり消えてしまった。


「それじゃ、頼んだぞ。夜になったらまたあの食事処に来てくれ。一日の成果を聞かせてもらうからな」


 受付とは顔なじみらしく、あっという間に交渉を済ませたカリアはドニの腹を軽く触った。

 この食事代くらいの働きはしてもらうぞ、という暗黙の意志表示なのかもしれない。


「ここの宿には昔から世話になってるんだ。金がなかなか貯まらなかった頃は、いつもここに泊まっていたからな」


 そう告げて、カリアは再び夜の歓楽街に消えていった。彼はまた別のところに宿泊しているのだろう。

 四人に割り当てられた部屋はふたつだった。


 ヴァルトとシラル、ドニとジョスランという風にわかれて部屋に入ると、暖かい毛布の用意された寝床があり、思わず小躍りして喜んだ。


「久しぶりのちゃんとした寝床だ……最近は木の根を枕にして寝ていたもんなあ」


 感激のあまりヴァルトは涙を流しそうになった。

 町から町へと移動する途中で野宿するのは致し方ないが、町についても食費を捻出するために野外で夜を明かすということがしばしばあったのだ。


「風呂もついているのだろう。ボクはそれが嬉しいな」

「夜も遅いし、早く入浴して眠ろう。明日は朝から行動しなくちゃだからね」


 ヴァルトがさっそく風呂のある部屋に向かおうとするが、シラルは腕を組んで動こうとしなかった。

 湯を浴びれて嬉しいと言っておきながら、あまり嬉しそうな表情をしていない。ヴァルトは首を傾げた。


「どうしたの? 早く行こうよ」

「――ボクは長湯が好きなんだ。ヴァルトと一緒に入ったら邪魔になってしまうから、君が帰ってきてからゆっくり湯に浸かることにするよ」

「そんなこと気にしなくていいのに」

「ボクと同じくらい湯船に入ると、ヴァルトは翌日使い物にならなくなるよ。茹で上がった野菜みたいにクタクタになってしまうから」


 これ以上むりに誘っても仕方がないので、ヴァルトがひとりで湯屋に行こうとしたところ、おりよく隣の部屋からジョスランが出てきた。


「ドニはもう寝てしまったよ。せっかく身体を綺麗にするいい機会だというのに、あいかわらずの風呂嫌いだ」

「シラルも後から入るんだってさ。ひょっとしたらドニと同じで、お風呂が嫌いなのかも」

「まったく不潔だね。俺たちみたいに身だしなみには気をつかって欲しいものだよ。だいたいあのフードが良くないね。せっかくの美しい金の髪を隠してしまっている」

「もしかしたら、背中に大きな刺青があるとか」

「それはそれで嫌だなあ」


 そんなことを話しながら二人は湯屋に向かった。あまりに心地が良いので湯船のなかで居眠りをしてから戻ったら、不機嫌そうな顔をしたシラルに「遅い!」と一喝された。


 唇をへの字に曲げて出て行った少年のうしろ姿を見送って、ヴァルトはやるせなく呟いた。


「なんだかなあ……」


 釈然としない感情に首をひねりながら毛布をかぶった。世の中にはわからないことがたくさんあるものだ。

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