7話 歓楽街セントロード
旅の資金が尽きかけようとしていた。
軍資金として村の大人たちからもらったなけなしの金をほとんど使ってしまった。主に四人になったことによる食費や宿代の増加が原因だった。
シラルはほんのわずかな額を山賊たちから逃げ去る際に取り戻していたが、それもすぐに無くなってしまった。元々あまり多くのお金は持っていなかったのだ。財産といえば盗られてしまった馬と、大事にしまっている銀色のペンダントくらいのものだった。
山賊たちの襲撃を受けた町から進むことはや一週間。
途中で人助けをしたり、ドニが珍しく食あたりを起こしたりと意外に時間がかかった。だが着実に進んでいたこともあって、迷宮のあるムダラまであとわずかというところまで来た。
歓楽街として名高いセントロード。
ムダラで一稼ぎした冒険者たちが娯楽に興ずるというその街でヴァルトたちは途方にくれていた。
「うう……お腹へったよう……村のご飯が懐かしいなあ。家に帰ればご飯が待ってるのがどれだけ幸福だったか、ようやくわかった気がするよ」
ドニはしきりに腹をさすっている。
旅に出てから少しも変わることのないふっくらとした腹部は、さきほどから鳥の雛のように空腹の悲鳴をあげていた。あまりにうるさいのでジョスランが適当な土を拾ってドニに食べさせようとしたほどだ。ヴァルトとシラルが本気で止めなければ、満腹になるまで砂まじりの土を口に突っ込んでいたことだろう。
「君の食費だけで俺たち三人と同じくらいかかってるんだ。すこしは我慢というものを覚えたらどうだい。俺はその耳障りな腹の虫のせいで神経がおかしくなってしまいそうだ」
ジョスランは端正な顔を歪ませ、身悶えした。
「ごめんよ……でも、なにか食べないと収まらないんだ」
「だったらまた土を――」
踏みならされて硬くなった地面から土を剥ぎ取ろうとするので、シラルとヴァルトが腕を押さえた。止めてくれるな! とジョスランは悲痛な面持ちで叫んだ。
「すまない。ボクのせいで余分なお金を使わせてしまって」
シラルはジョスランの右腕をつかみながら目を伏せた。暴れ立てる美少年を抑制するのは、二人がかりでも骨の折れる仕事だった。
「気にしなくていいって、何度も言ってるじゃないか。シラルはおれたちに遠慮しすぎなんだよ。もっと迷惑をかけてくれて構わない、友達なんだからさ」
ヴァルトが慰める。たしかにシラルの加入は旅の予算に影響をあたえることになったが、原因はほかにもたくさんあるのだ。村での自給自足の生活に慣れ親しんでいたため、お金を使ったやりとりの正常な感覚がわからなかったということも大きい。
屋台のおじさんにぼったくられたり、宿代で足元を見られたり。
世の中いい人ばかりではないのだと思い知らされた。騙されていたと気付くたびにドニが怒って復讐しに行こうとするので、それを止めるのも大変だった。
「本当に困ったらお金を稼げばいいさ。四人で働けば、いくらかの足しになる」
「でもヴァルト、ここに働けるような場所はあるのかい?」
冷静になったジョスランが荒い息をしながら尋ねた。
ムダラから徒歩で一日ほどの距離にあるセントロードに入ったのはいいものの、どこもかしこも金を持っていない子どもなんて相手にしなかった。
値札を見ているだけで追い払われてしまう。もちろんヴァルトたちが払えるような金額ではないのだが、それにしても邪険な扱いだった。
「だいたいここの物価は高すぎるんだ。たかが一食にありつくために、よその五倍はお金を出さなきゃいけない。そんな乱暴な理屈があっていいものか」
「仕方ないよ。セントロードは冒険者を相手にする街だもの。迷宮で稼いだお金を、ぱっと気前よく使える人じゃなきゃ、この街にはふさわしくないんだよ」
「きらびやかなのはいいけど、いまの俺たちには迷惑極まりない。よし、決めた。俺は迷宮で稼いで、この街ごと買い取ってやる。お金を湯水のように使ってやるんだ」
「素晴らしい夢だと思うよ、ジョスラン」ヴァルトは棒読み口調で言った。「暗くなる前に、どこか休めるところを探さないとなあ」
時刻は正午を回って、あといくらかすれば日没という頃合いだ。
周囲には豪華な設備のある食事処や、絢爛とした看板を輝かせている宿屋はあるのだが、低予算で宿泊できそうなところは見当たらない。
街をうろつく冒険者の数も、夜に向かって徐々に増えているようだった。セントロードは夜が更けるほどその明るさを増していくと書物で読んだことがある。その意味はまだわからないが、彼らは賑やかになる通り沿いの店に期待してセントロードを訪れるらしかった。
「こうなったら賭博場に行こう。有り金を全部賭けて、大金にするんだ」
ドニは物騒なことを口にした。
一時的とはいえ大きな額を手にした冒険者は様々な娯楽に興ずる。賭博もそのひとつだ。国内では禁止されている地域の多い賭け事だが、セントロードではあらゆる種類の楽しみが許されている。そのため街の一角にはさらなる大金を求めて男たちが集まるのだった。
「負けたらどうするの」
シラルが素朴な疑問を口にした。
「一文無しさ、もちろん」
「ダメじゃないか」
「そこはヴァルトが賢くやってくれるよ。ジョスランならイカサマもできるだろうしね」
「それは……ズルだろう。不正はよくない」
「シラルは真面目だなあ。もっと大胆に生きなくちゃ、あっという間に空腹で死んじゃうよ」
ドニに説教されて、シラルは複雑な表情をした。
セントロードにはいくつかの区画がある。四人は飲食店が集まっている地区と、宿泊施設が軒を連ねる地区の境界あたりをさまよっていた。
どの店もヴァルトたちを一顧だにせず、笑顔で冒険者の客を迎えている。迷宮で荒稼ぎしてきたのだろう大金を持った男たちはひどく上機嫌な様子で店内に消えた。
なかではきっと美味しい食事や高価な酒が振る舞われているのだろう。皿いっぱいに盛りつけられた肉料理を想像して、ヴァルトは首を横に振った。いまは食事よりも宿屋を探すのが先決だ。
子どもだけで路上に眠るのは大きな危険が伴う。
強盗や人さらい、運が悪ければ辻斬にあっても、文句は言えないのだ。
自分の身は自分で守る。それが、村を出てからの世界の掟だった。
「もっと端のほうへ行けば安い宿があるかもしれない。ここはたぶん、一番高価な界隈なんだ」
ヴァルトは先頭を切って歩きはじめた。セントロードの地理はだいたい頭に入っている。そう入り組んだ街ではないので、地図を見なくとも平気だった。
「物知りだな。どこでそんな知識を身につけたんだ」
シラルは小走りでヴァルトに追い付くと、質問した。
山賊に襲われてからというもの、護身のためかフードを目深にかぶって顔と金色の髪を隠している。取り戻したペンダントも懐にしまっているので、人混みに紛れると見失ってしまいそうなくらい外見的な特徴がない。
見失ったとき、どう探せばいいのだろうとヴァルトはいつも心配になる。シラルはすでに迷子の前科一犯なのだ。
「村でたくさん本を読んだんだ。ジョスランの父さんが本を収集していて、それをこっそりくすねて勉強したんだよ」
実は大人たちの手の上で踊らされていた事実は伏せておく。ちょっとくらい見栄を張ってもバチは当たらないだろう。
「なんのために?」
「世界一の学者になるため――だけど、本当は楽しかったからかな。ドニとジョスランと、秘密基地で本を読むんだ。本は知らないことをたくさん教えてくれる。だからセントロードに来る前から、ある程度はどんなところなのか把握できるんだ。まるで冒険しているみたいで、やめられなかった」
「知識はあらゆる場面で役に立つ。この世で最も強力な武器だって、よく言われたのを思い出したよ。ヴァルトはきっと迷宮に潜ってもうまくやれるだろうな」
シラルはフードの下で笑顔を見せた。
こんな素敵な表情ができるなら顔を隠すこともないのに、とヴァルトが思っていると、誰かにぶつかってしまった。よそ見をしていたからだろう。謝ろうと顔を上げると顔を赤らめた男がふらついていた。
また酔っぱらいだ。
大人というものは、どうしてこう酒に浸りたがるのだろう。ドニだけは酒の魅力にとりつかれているみたいだが、ヴァルトにはまだ理解できなかった。苦いだけの液体を飲んで、頭がクラクラする代物だという感想しかない。
酔っぱらいの男は冒険者ではなさそうだった。
痩せた頬から頬骨が浮き出ている。ネズミのように出っ張った歯は黄ばんで汚らしい。着ているものも破れた箇所が目立つ粗末な衣服で、何日間も洗濯をしていないようだ。
華やかできらびやかなセントロードの雰囲気とかけ離れている。街の住民だろう、とヴァルトは推測した。いくら湯水のように金が消費される歓楽街であっても貧困層は一定の割合で存在するのだ。
「おい、どこ見て歩いてんだクソガキ!」
酒臭い息を吐きかけて男は凄んだ。
こういう手合は適当に謝って、さっさと逃げてしまうのが得策だとヴァルトは知っていた。酔っぱらいに正論は通用しない。とにかく波風を立てないよう場を収めるのが一番だ。
「すみません。ちょっとよそ見していたもので」
素直に頭を下げる。隣でシラルも同じように低頭した。
「んなことはどうでもいいんだよ、金出せ、金を!」
ろれつが回っていない。男はヴァルトの襟首をつかんでニタリと口角を上げた。
「お金はほとんどないんです。今日のご飯も買えないくらいで」
「だったら働いて返すか、え、おい。こっちはいまので肋骨が数本折れたんだよ。治療費をよこせってんだ。お前らみたいなガキを喜んで買い取ってくれる店なら知ってるぜ」
言ってる内容は山賊たちと大差ない。どうやらヴァルトくらいの年齢の少年は、世間的に需要があるらしい。
後ろを歩いていたドニとジョスランが追いつき、不安そうに顔を見合わせた。
ヴァルトは事情を説明することなく男の手を振り払って、脇を通り抜けようとした。だが背中を掴まれ、仰向けに地面に引き倒される。
身体を強く打ち付けて、一瞬、呼吸ができなくなった。
痩せ型に見えて意外と力はあったらしい。そんなことを冷静に考えながら、馬乗りになろうとする男の腹を蹴飛ばしてけん制する。
ここで負けたら強引にでもお金を盗られてしまう。しかし四対一とはいえ、相手は大人なのだ。ドニが後ろから酒瓶で殴りつけるのでもなければ勝算は薄かった。
「おら、おとなしくしろ!」
「嫌だ!」
「この――」
男が腕を振り上げる。ヴァルトは反射的に目をつむった。
予想と反して、降ってきたのは別の男の声だった。
「子供に手を出すなんて、小者っぷりが過ぎるんじゃねえか」
冒険者風の男は、ヴァルトに殴りかかろうとしていた男の手首をねじり上げた。情けない悲鳴とともに膝をつく酔っぱらい。
「金が欲しいならオレと決闘でもしたらどうだ。いつでも挑戦は受け付けるぞ」
腰につけた長剣を見せつけるように言い放つと、ネズミによく似た風貌の男は痛めた手首を押さえながら逃げていった。肋骨が折れたというのが嘘のような俊敏さだった。
「おい、ボウズ。大丈夫か」
「――ありがとうございます。おかげで助かりました」
土埃を払って立ち上がる。
背中にすこし痛みが残っているものの怪我はない。助けが来なければ思い切り殴られていただろうことを考えると、幸運というほかなかった。
「ああいう連中は一度隙を見せるとすぐにつけ込んでくる。注意しろよ」
「気をつけます――」
ヴァルトの声を、ドニの腹の音が遮った。辺りをはばかることのない見事なまでの音だった。
「――助けたおまけに、飯をおごってやろう」男はよく日焼けした肌に白い歯を見せて笑った。「その代わり、オレの頼みをひとつ聞いてもらう。いいか?」
「もちろんです」
ドニが二つ返事で了承したので、ほかの三人は口を挟む間もなかった。