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6話 赤い悪魔

 町の入口をぐるりと囲むように山賊は展開していた。半分にも満たないであろう数の自警団は懸命に武器を構えて侵入を許すまいと一か所に集まって守備網を敷いている。


 まるで肉食獣が群れになって小動物を狩っているようだ。

 森のなかで幾度かそういう光景を目撃したことがある。例外なく弱者は負け、強者に蹂躙された。


「……君、どうしてここに」


 

 駆け寄ってくる少年の姿を見つけ、弓を引き絞ったまま、先ほどヴァルトに声をかけた青年は眉間にシワを寄せた。

 ここは大人たちの戦場だ。

 自分のような子どもが歓迎されないのはもちろんわかっていた。


「探してた友達は見つかりました。そのお礼を言おうと思って」

「そんなことはいい。早く逃げなさい」


 叱りつけるように青年の口調は厳しかった。ヴァルトは警告を無視して、話を続けた。


「やつらの言い分は?」

「――君と同じだ。探し人がいるらしい。具体的には何も教えてくれやしない。嘘の口実だろうな」


 彼の予想は間違っている、とヴァルトは直感した。

 山賊たちはシラルを追いかけてきたのだ。しかし、ただの子どもに面子を踏みにじられたと明かすわけにもいかず、誤魔化したのだろう。


 さらには、目的を曖昧にすることであわよくば町ごと略奪の対象にしようともくろんでいる。山賊という人種はずる賢いことにばかり知恵が働くものらしい。


 ヴァルトは目を細め、威圧する山賊の面々を観察する。

 鬼のような表情で自警団を罵っているのは下っ端だ。顔に品位がない。

 親玉はすぐに判別できた。


 シラルが乗っていた毛並みのいい馬に偉そうに座っている大男。顎にたっぷりと髭を蓄えた男が大将だ。ヴァルトにとっては初めての遭遇だったが、ここまでくるとなにかの因縁があるように思える。


「だからよう、町長さん。俺たちをチイっと入れてくれるだけでいいんだよ。あんたも痛い思いをしたくはないだろ」


 数人の荒くれ者たちが鼻息荒く老人に詰め寄っている。

 町長と呼ばれた老人は杖をつき、腰も曲がっていたが、ならず者に一歩もひかず断固として拒否した。


「貴様らがどんな仕打ちをしてきたのか忘れたか。通りがかる人々を襲い、ときには出かけた町の住民さえも殺した。儂らが貴様らのような腐れ外道に道をあけてやると本気で思っているなら、とんだ間抜けだな」

「言ってくれるじゃねえかジジイ。殺されてえのか!」


 町長のみぞおちに斧の先端が押し当てられる。

 気色ばんだ手下たちを、山賊の親玉がまあよせ、となだめた。


「俺にとってもあんたらは貴重なお客様なんだ。この町が廃れちまったら飯が食えなくなる。飯が食えないと引っ越さなくちゃならねえ。俺はあの山が気に入ってるんでな、なるべく穏やかに済ませたいと思ってるが、爺さんの態度次第じゃ考えを改めるしかねえな。俺はちいと短気なんだ」


 ニヤリと嫌らしい笑みを見せる。

 シラルのものだった栗毛の馬がぶるると首を振っていなないた。


「ふん。儂の町に山賊を入れるくらいなら死んだほうが数等いい」

「爺さんよ、騎士団が来るまで粘ろうってのは無理だぜ」親玉は背負っていた愛用の巨斧を取り出して、いった。「どれだけ早くても隣町の騎士団が到着するまで四半日はかかる。それまでにはあんたの首をすっ飛ばして、町を火の海にしてやることもできるんだぜ」

「く……」


 山賊たちの余裕ぶりに反して、町長は追いつめられていた。

 救援を伝える狼煙はすでに上がっているが、現実的に考えて騎士団が来るまで町の入口を封鎖するのは不可能だ。


 彼らがほんのわずかでも怒りの感情を沸騰させれば、一気に雪崩れ込んでくるだろう。


「町長……」

「――儂の全財産を譲り渡す。それで手を打ってくれ」


 老人は杖を捨て、ゆっくりと膝をついた。山賊たちは囃し立てるように笑った。


「爺さん、てめえのちっぽけな財産なんざ興味はねえんだよ。俺たちが探してんのは金じゃなく人なんだから」

「何がほしい。若い娘か、それとも奴隷にするための男か」

「そいつを教えてやる必要はねえ。そうだなあ、くれるなら貰ってやるが」


 よだれを垂らしそうな下品な顔。

 ヴァルトは居てもたってもいられなくなり、ずいと前に出た。


「待ってよ」


 山賊たちの視線がヴァルトに向けられ、そして失笑にかわる。

 薄汚い格好の男ががに股でヴァルトに近づき、斧をちらつかせた。汗と埃のまじった匂いがした。


「大将はいまガキの顔も見たくないそうだ。死に急ぐにはちょっと若いんじゃねえか」

「そうだね。まだ死にたくはない」


 ひょうひょうと言ってのける。


「失せろ」


 山賊は脅すように斧を振り上げた。しかしヴァルトは微動だにせず、男の瞳をにらみ返した。


「――度胸だけは一人前だな」

「君たちの探している子ならとっくに逃げたよ。いまごろ隣町にいるはずさ」


 山賊の子分は驚いて、大将に指示をあおいだ。

 ヴァルトの心臓は激しく高鳴っていた。はったりが成功すれば一発逆転できる。失敗すれば、命はないだろう。冷たい汗が背中を伝った。


「ガキ、てめえ何を知ってる」


 馬上から恫喝される。望むところだ。ヴァルトは胸を張って答えた。


「旅の途中ですれ違ったんだ。おれたちと同年齢くらいの子が一生懸命走ってた。まるで誰かに追われてるみたいにね」

「……俺たちがそいつを探してるとは限らねえぜ」

「人を探しているなら堂々とそう告げればいい。それができないのは相手が子どもだからだ。たかが子どもを捕まえるのに総出で出張しにきたなんて、恥ずかしくて言えないからね」

「その小僧の特徴を言え」


 ひとつ深呼吸する。嘘をつくことはない。シラルの姿を思い浮かべればいい。


「教えたら、この町から去ってくれますか」


 返事はなかった。

 ヴァルトは解答を引き出そうとしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「背丈はおれと同じくらい。ボロボロの服を着てた。金髪だった」

「そいつはひとりだったか」

「ああ、そうだった」

「連れはいなかったのか」

「ひとりきりだよ」


 余計なことは言わない。

 おそらくジョスランのことを指しているのだろうが、伝えるのはシラルの情報だけで十分だ。


「……そいつはどちらの方角へ行った」

「このさらに先へ。それ以上は知らない」


 これでいい。

 ヴァルトは一息ついて、改めて周囲の様子をうかがった。

 山賊たちは大将が黙りこんでしまったので元気がなく、自警団は突然現れた少年にあっけにとられている。入り口のそばに建てられたのろし台からは煙が空に向かって伸びていた。

 ――そして。


「……おい」


 まずい。

 ヴァルトは乾いた唇をなめた。視線を悟られてはいけない。だが、敵は素早い反応を示していた。


「そこのガキども、顔を出せ」


 ドニがまず物陰から姿を現した。

 続いて、ジョスランと、シラル。三者三様の表情をしている彼らに向かって、ヴァルトは視線をぶつけた。


「――よう。お前を探してたぜ」


 大将はまだシラルの変装には気付いていないようだった。子分のひとりがジョスランを手荒く連れてくると、その顔面を強打した。


 乾いた音が響く。自警団が動こうとした矢先に、ジョスランの喉元に剣がつきつけられた。手下の男たちが腕をとって強引に立ち上がらせた。


「ノコノコと出てきた愚か者だな。いまさら正義感に屈服したか、え?」


 大男の声はさらに低く、暗い殺気を帯びていた。


「友達を助けにきた。それだけだ」

「そこのガキがうまくはぐらかそうとしていたところなんだが――計画がおじゃんになったな。友情なんて下らないものに左右されるからだ」


 ジョスランは驚いたように目を丸くしてヴァルトを見た。

 あと少しだったのは事実だ。だが、不思議と悔しくはなかった。


「どのみち、おれを殺すつもりだったんだろう」


 ヴァルトは呼びかけた。


「そうだな。お前を殺して引き返すかとも考えていたが、そいつもやめだ。ここの奴らを皆殺しにしてやる。俺は嘘をつかれるのが大嫌いなんだ。ガキ、お前らのせいで大勢が死ぬことになるぞ」

「その子らの責任ではない」町長が大声で口を挟んだ。「恥を知らぬのか、この愚か者が!」

「爺さん、あんたは最後に殺してやる。自分の無力さを呪いながら命を捨てるといいぜ」


 手下の男たちは物でも投げるみたいな乱暴さで、町長の身体を馬の足元に放った。

 自警団の兵士たちは武器こそ構えているものの、人質をとられているために動くことができず、立ちつくしていた。

 ヴァルトは息をのんだ。


「まずはそこのガキどもからだ。恨むんなら、早死するような教育をした親を恨むんだな」


 大将は黄ばんだ歯を見せた。


「ジョスラン!」


 躊躇なく振り上げられた剣がジョスランの首をはねようとした。

 剣が風をきって彼の喉元に触れる寸前、一本の矢が手下の胸を貫いた。

 力なく崩れ落ちる男の手から、剣がこぼれた。


「てめえ……」


 親玉の耳が真っ赤に染まる。

 矢を放ったのは、ヴァルトの隣にいる自警団の青年だった。彼は素早く二の矢をつがえると、ジョスランの腕をつかんでいる男の腹に狙いを定めた。


 矢尻はうなり声を上げて男の太ももを貫通した。

 ジョスランは雷のような俊敏さで拘束を振りほどくと、町の入口に向かって全力で走った。


「子どもたちには指一本触れさせるな!」


 人質にされたままの町長が指示する。

 自分の命を捧げても、守るべきものがある。老人の瞳は愚直なまでに語った。

 敵対していた両陣営から獣のような咆哮が上がった。

 ジョスランの命を救った自警団の青年に、背中を強く押される。教会に避難しろという意思表示だ。


「君は避難している人々に伝えてくれ。山賊たちが動き出したと」

「あの、町長は」

「心配するな。君は早く行きなさい」


 ヴァルトは小さく頷いて、ドニたちの待つ入り口へ急いだ。

 背後では山賊と自警団が入り乱れすでに交戦をはじめている。数も質も劣る自警団は圧倒的に不利だ。守備が崩壊するのも時間の問題のように思えた。


「ヴァルト――」


 シラルとジョスランは気まずそうにうつむいた。


「ドニは止めたんだけど、俺たちが強引に来ちゃったんだ。ごめん」


 ジョスランは深く頭を下げた。戦場でそんな悠長なことをしている暇はないとわかっていながらも、そうしないと気が収まらないようだった。


「僕がしっかりしてないせいだよ」


 ドニが友達をかばって弁明した。


「……元はといえばすべてボクの責任だ。君たちだけじゃなく、町の人々にまで危険をもたらしてしまった」


 シラルは沈痛な面持ちで拳を握った。

 責任を感じるのも無理はない。けれども、ヴァルトは明るい表情で、うつむく友人たちの肩をたたいた。


「ありがとう。おれ嬉しかったよ、みんなが来てくれて」

「……まったく、ヴァルトは優しいんだから」


 ジョスランは濡れた目頭をこすった。


「いまはおれたちにできることを考えよう。ひとりでも多くの命を助けるんだ」

「わかった」


 そのとき、背後に不審な気配を感じ、ヴァルトは振り返った。


「――ガキどもが、死にさらせ!」


 気付くと山賊のひとりが守備網を突破していた。

 殺気走った瞳が迫ってくる。

 人を殺すことを厭わない、残酷な瞳。

 斧をたった一振りするだけで、ヴァルトのか細い身体は真っ二つにされるだろう。しかし気づいたきにはすでに遅く、男は目前に殺到した。


「あ……」


 危ない瞬間ほどゆっくりと時間が経過する。

 にぶく光る斧の刃先がヴァルトの額を割るまでのわずかな時間に、いままで経験した色々なことが脳裏をを駆け巡っていった。


 物心がついたときにはドニとジョスランがそばにいて、一緒に暗くなるまで遊んでいたこと。

 父親に祝ってもらった十歳の誕生日のこと。

 母親が写っている写真のこと。

 シラルと出会ったこと。

 ――これが走馬灯というものか。


 不思議と冷静に分析していた。またひとつ有用な知識が増えた。


「死ね!」


 鎖が外されたように一瞬の出来事だった。

 稲妻のようなものが刹那ヴァルトの前を横切ったかと思うと、凶悪な男の体躯は軽々と吹き飛ばされていた。力を失った肉体は、風に舞う木の葉のような軽さで山賊の群れのなかに落ちた。


「薄汚いウサギが巣から出てくるとは珍しい。山での生活に飽きたか、それとも腹をすかせて野に下りたか。どちらにせよ不幸だったな」

「貴様は……」

「栄えある国王の左腕にして、第二騎士団隊長ウルフィアス。国王陛下の御名のもと見参した」赤い鎧の騎士は名乗りを上げた。「ついでだ、臆病なウサギどもの駆除もしてやろう」

「ウルフィアス……」


 書物で読んだことがある。

 ムダラの街には国王直属の親衛隊がいる。その隊長は「赤い悪魔」と呼ばれ、迷宮に潜る冒険者たちから一目置かれていると。


 白馬にまたがり、悠然と長弓をつがえる赤髪の騎士は、背後に整列する騎士たちに号令した。


「ウサギ狩りの時間だ。一匹たりとも逃すな」


 その視線は、親玉の乗馬に向けられていた。


「……貴様には聞きたいことがある」

「はっ! 騎士団なんかに教えてやることはひとつもねえよ!」

「そうか。ならば貴様の身に訊くことにしよう」弓をしまい、ウルフィアスは銀色に光る剣を抜いた。「害獣退治のついでだ、赤い悪魔の所以を知るといい」





「ねえヴァルト、第二騎士団っていったい――」


 ジョスランは呆然と目の前の光景をながめていた。突如として現れた騎士の一団は、瞬く間に山賊たちを包囲し、人質になっていた町長を助けだしていた。

 まるで異次元の強さだ。そこらの山賊では手も足も出ない。


「ムダラに常駐している国王直属の部隊のことだよ。第一騎士団と並んで、国内最高の武力を誇ると言われている」


 ヴァルトが冷静に解説する。

 騎士団について詳しく記述されている本を何冊か読んだことがあった。どれもがその精強さを讃え、隊長となる者は圧倒的な実力の持ち主であるという。


 敵の頭領を前に、悠然と馬を進めていくウルフィアスもそのひとりだ。


「狼煙を見て応援に来てくれたんだよ! さすがは騎士団だなあ!」

「違うよドニ。いくら精鋭ぞろいでも、これだけの時間で来れるはずがない。きっと何か用事があって通りがかるところだったんだ。でも、ムダラにいるはずの騎士団がどうして……」

「そんなことはどうだっていいよ! 騎士団の手にかかったら山賊なんて赤ん坊も同然だもの。ウルフィアス隊長は格好いいなあ」


 ドニはつぶらな瞳を輝かせた。

 赤い悪魔という物騒な二つ名を持つ騎士は、ゆっくりと、しかし無駄のない動きで手綱を操り、親玉の前に馬を進めた。次々と討ち取られていく仲間を横目にひるんでいる大男を、厳しい口調で詰問する。


「――その馬をどこで手に入れた」

「騎士団がなんだ、クソッタレが! どうしてムダラから出て来やがった!」

「質問しているのは私だ。馬をどうした。貴様のような野盗が乗っていい代物ではないぞ」


 剣先を向けるだけで親玉は背筋を伸ばした。

 その間にも、まるで訓練をするかのように統制のとれた動きで山賊の数を減らしていく騎士団。数は敵のほぼ半分だというのに、圧倒的な戦力差だった。


「これが……騎士団」


 ジョスランも少年らしい羨望の眼差しを向けていた。

 たしかに騎士団はみなの憧れの的だ。ムダラで迷宮に潜る冒険者にも騎士団への入隊を望む者が多いという。騎士という職業はそれだけ高貴で、そして洗練されていた。


「どこでどう手に入れようと俺の勝手だ! 騎士サマなんぞに指図されるいわれはねえ!」

「……くだらない。貴様の価値観などゴミほどの価値もない。そのゴミにわざわざ尋ねてやっているだけでも感謝するべきだ」

「俺は欲しいものはすべて手に入れてきた! 金も女も、全部だ! いまさら偉そうな騎士サマに頭を下げるなんざ、俺の生き方が許さねえんだよ!」


 大男は絶叫した。

 馬の手綱をひき、片手で斧を軽々と振りかぶる。丸太のような二の腕の筋肉が盛り上がった。


「死んでいった野郎どもの仇討ちだ。テメエを地獄に連れてってやる」

「本来なら貴様の腕を切り落とし、白状するまで拷問にかけるところだが」ウルフィアスはちらりとヴァルトたちを見やった。「子どもがいる。教育上よろしくないことを騎士がするわけにもいかないな」

「ハッ! 毎晩悪夢にうなされるくらい引き裂いてやるぜ!」


 勝負は最初から決まっていた。

 ウルフィアスは白馬をほんのわずかに操り戦斧の一撃をかわすと、流れるような挙動で大男の肩口を切った――ようにヴァルトには見えた。

 だが、馬から転げ落ちる大男の胸には二本の軌跡が刻まれていた。


「いつの間に……」


 絶句する。これが、国内最強の呼び声も高いウルフィアスの実力なのか。


「魔法だよ」フードを目深にかぶったシラルは、小さな声でそう言った。「すれ違う一瞬で剣と魔法を使ったんだ。器用な人だよ」

「魔法……」


 実物を目の当たりにするのは初めてだ。よく思い返してみればヴァルトを殺そうとした男を弾き飛ばした一撃も、魔法によるものだったかもしれない。


 国内でも使える者が少ない魔法をああも簡単に披露されては、驚嘆するほかに反応が見つからなかった。


 大将同士の決着が付くのとほぼ同時に、山賊と騎士団の戦闘も終了した。


 いままで好き勝手に狼藉を働いてきた山賊はあっけなく全滅していた。その割に流血が少なく思えるのは、的確な攻撃で仕留めたからだろう。余計な傷が増えるほど、死体は悲惨になる。

 風が鉄の臭いを運んできた。それは血の臭いだった。


「少年たちよ」


 赤い騎士は馬から降りることなく呼びかけた。

 耳元で会話しているみたいによく通る声だ。ヴァルトは四肢をピンと伸ばして直立した。


「は、はい!」

「命は大事にするものだ。こんな下らない賊に殺されたのでは、親も悲しむぞ」

「……すみません」

「だが」うなだれる少年たちに、ウルフィアスは言葉をかけた。「山賊に立ち向かった勇敢さは褒めてやる。自警団の兵士たちもよく対応した。おかげで死者を出さずにすんだ」

「それもこれも、騎士団が迅速にいらっしゃって下さったからでございます」


 助けだされた町長は平伏していた。感動で声が震えている。ほかの自警団も、年長者にならって膝をついた。


「我々は偶然近辺を通りがかっただけのこと。町の住人を守ったのはほかならぬあなた方の功績だ。顔を上げてください、あなた方は誇ることこそあれど、恥じることはないのだから」


 ウルフィアスの言葉には敬意が含まれていた。自警団の兵士たちは静かに面を上げると、ようやく勝利を実感したようにあちこちで抱き合った。


 たとえ小規模な戦闘でも、命の危機に迫られていたのだ。心臓が潰れそうな重圧から解放され、誰もみな表情が明るかった。


 ヴァルトの隣にいた青年もほかの仲間とともに勝利の雄叫びを上げていた。

 この声は教会にいる人々に届くだろうか。父のいない母子に無事を知らせてあげたかった。


「ところで少年たちよ。お前たちはどこへ向かっている」


 ウルフィアスの問いに、舞い上がったドニが即答した。


「ムダラの迷宮です!」

「そうか――これも何かの縁だ。お前たちの勇気を評して、紹介状を書いてやろう。私の名を出せばいくらか優遇してもらえるはずだ。なにせムダラで私に逆らえる連中はいないからな」


 赤い悪魔は快活に笑った。

 周りの騎士も苦笑している。冗談でなく、ウルフィアスは最高の実力者なのだ。


「だが、悪用すれば私が自らお前たちの首をはねに行く。承知しておけ」


 今度は背筋が凍りつくような文句だった。

 ジョスランは首を何度も振った。脅しに満足したのかウルフィアスは部下に命じて紹介状を作らせた。


「ついでだ。迷宮に潜るときのコツを教えてやろう」

「あ、ありがとうございます」


 どもりながら礼を言う。親しみやすいのか恐ろしいのか、よくわからなくなってきた。


「命を大切にすることだ。ムダラの勝者は強者でも金持ちでもない――生き残った者だからな」

「よく覚えておきます」

「お前たちが活躍すればいずれまた出会うこともあるだろう。それまで死ぬなよ」


 ウルフィアスは軽く手を振った。

 そして、今度は町長と自警団に話しかけた。業務的な会話のようで、このあとの処理について話し合っていた。


「我々はすこし調査することがある。戦いが終わったばかりでお疲れかも知れないが、どうか協力してほしい」

「もちろんですとも。国王陛下と騎士団のためとあれば、この老体いくらでもお使いくだされ」

「感謝する。それでは――」


 ヴァルトはまだ聞いていたかったのだが、シラルが袖を引っ張った。


「宿に戻ろう。出発は明日でいい」

「でも、まだウルフィアス隊長が」

「それにボクは眠さが限界なんだ。もう、無理……」


 シラルが倒れこんできたのでヴァルトは慌てて受け止めた。フードからのぞく安らかな寝顔につられて、大きなあくびをする。


「そういえば、ほとんど寝ていないんだっけ」

「とんだ大冒険だったね」


 ドニが大あくびをしながら言った。


「俺の自伝に加えるいい話になった。さあ寝よう。いまなら明日の朝まで眠れそうだ」


 ジョスランは重たい瞼をこすった。

 四人は宿に戻ると、一昼夜を通してぐっすりと眠った。翌朝、空腹で目覚めるまで、夢も見ずに。

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