5話 襲来
山賊たちから逃げ切ったことで浮かれているうちはよかったが、時間が経つにつれ強烈な眠気が四人を襲った。昨晩からほとんど一睡もしていないのである。おまけに全力で街道を走ってきたことを思えば、気絶するように眠ってもおかしくはなかった。
しかし朝一番ではどこの宿屋も空いていない。夢の世界とのあいだをうつろいながら宿の前に座り込んで空くのを待つ。幸いなことに村の大人たちが渡してくれた餞別はまだほとんど残っている。四人分の宿代を出しても余裕があった。
「……眠い」
ジョスランが消え入るような声でつぶやいた。
上下のまぶたがくっつきかけている。三秒も放っておけば眠り込むだろう。
「お互いに頬をつねろう。恨みっこなしで」
「じゃあヴァルトはドニのを頼むよ。あとで根に持たれるのはゴメンだからね」
そう言ってジョスランは遠慮なくヴァルトの日に焼けた頬に指をかけた。
ほとんど八つ当たりのような強さでつねりあげる。
それでもあまり痛くないのは睡魔のなせるわざだろう。
「ドニ、寝ちゃダメだよ。寝たらご飯抜きだからね」
「ううん……ご飯……」
ドニの中で睡魔と食欲が激しくしのぎを削っているようだった。
激戦のすえ勝利をつかんだのは食欲だった。
「僕は――眠らない!」
「外が騒がしいと思ったら、朝っぱらからお客かい。いつごろ着いたんだ」
頭上から声がした。
宿屋の入り口の戸から主人らしき男が顔をのぞかせていた。
「夜明け頃に」
「そりゃ寒かっただろう。さ、早く入りな。すぐに飯も用意させる」
ヴァルトが代表して答えると、主人は愛想よく招き入れてくれた。
朝食をもらって、二階部分にある個室に通される。
一階は酒場になっており、昨夜に飲みつぶれたのだろう数人が気持ちよさそうに寝ていた。ドニがすこし興味を示していたが、迫りくる眠気には勝てなかった。寝室に案内されるなり気絶するように意識を失う。
「ボクはすこし買い物をしてくるよ」
部屋に入ると、朦朧としているヴァルトにシラルが声をかけた。
「お金は?」
「親玉の部屋にいくらか銀貨があったから拝借してきた」
「――意外としっかりしてるね」
「ヴァルトほどではないさ。それにボクが元々持っていたぶんを返してもらっただけだよ」
ひとつウインクをしてシラルは部屋を抜け出していった。ヴァルトが再び目を覚ましたとき、静かな町は騒然とした雰囲気に包まれていた。
「逃げろ! 山賊が来たぞ!」
宿屋の亭主の目は血走っていた。
三人の少年たちはぐっすりと眠っていたのだが、危急を告げる声に起こされた。あくび混じりに亭主に問う。
「どうしたんですか」
「聞いてなかったのか、山賊が来たんだよ。クソ、普段はこんなとこまで来ないのに、なんで今日に限って――」
落ち着かない様子で頭をかきむしる。ヴァルトたちはその情報ですっかり目を覚ました。
山賊が追いかけてきたのだ。
原因は間違いなく自分たちである。さすがに宿場町までは来ないだろうと甘く考えていた。なけなしの山賊の誇りを踏みにじられたことに怒り狂っているのだろう。
あるいは八つ当たり気味に手近な町を襲いに来ただけなのかもしれない。正確なところはわからないがヴァルトは責任を感じていた。
シラルを救うことが目的だったとはいえ、町の住人たちに迷惑をかけるつもりはない。いまさら逃げたところで被害を出さずに済むとは思えないが、とにかく対策を立てる必要はあるだろう。
「賊はいまどこに」
「さっき警告の狼煙が上がった。あとわずかで到着するはずだ」
「騎士団は?」
「狼煙を見て動き出すだろうが、時間がかかりすぎる。とても間に合わない。自警団も準備をしている。お前たちも早く安全な場所に避難してくれ」
「シラルは?」
仲間がいないことに気付いたジョスランが声を低くして聞いた。
「買い物に行くって外出したきりだ。あの、おれたちと一緒に泊まってた子を見かけませんでしたか。ボロボロの服を着た短い金髪の男子なんですけど」
「さあ、覚えてねえな。とにかく朝は忙しいんでいちいち客の顔なんざ覚えちゃいねえ」
「……まずいね」
「とにかく早く逃げてくれよ。避難場所は町の裏手にある教会だ。女子供はそこに集まることになっている。あんたたちも命が大事ならすぐに行くことだ」
亭主はそう言い残して次の部屋に行ってしまった。廊下に出ると同じ宿に泊まっていた客たちが荷物を抱えて逃げ出していくところだった。ほとんどが若い男だが、なかには中年くらいの男性も見受けられる。なかには下着だけで飛び出す者もあった。
とにかくてんやわんやの大騒ぎだ。ヴァルトたちも素早く荷物をまとめて階段を降りた。到着するなりそのまま眠ってしまったので、中身を広げていなかったのが幸いした。
「シラルを探そう。見つかって一番危険なのはシラルだ」
寝起きの頭を高速で働かせてヴァルトが作戦を練る。
まだ朝と呼べる時間帯とはいえ、思考は冴え渡っていた。
「でも、どこにいるの」
ドニは一階部分にある酒類に見向きもせず聞いた。
緊急事態に店の品物を持ち出すわけにも行かず、放置されている酒瓶を数本ひっつかんで逃げていく客もいる。
だが、そんなものは動きを鈍くさせるだけだ。
「まだ近くにいるはずだよ。手分けして探そう」
「……俺たちに黙って出て行ったってことはないかい」
ジョスランが不安そうに口にした言葉は、ヴァルトも頭の片隅で考えていた。
途中まで一緒に行くと言っていたとはいえシラルの目的地はムダラとは反対方面だったはずだ。もう迷惑はかけられないと無言で去ってしまった可能性もある。
思い返せばあの状況で買い物にいく必要はなかった。
ヴァルトは自分が半分寝ぼけていて引き止めなかったことを後悔した。こんなことになるなら、ちゃんと理由を聞いておくべきだった。
けれども、どこかでそんなことはないと否定する自分がいた。シラルは初めての村の外で出会った友達だ。友達なら互いに協力しあうのが当たり前。そして、信じあうものだ。
「シラルを信じよう。もしかしたら教会に避難しているかもしれないし、時間を決めて探すんだ」
「わかった。ヴァルトの言うとおりにするよ」
ジョスランは力強くうなずいた。山賊の一件を経て、ヴァルトへの信頼はますます厚くなっていた。
一瞬、太陽を見上げ方角をたしかめる。村での生活に方向感覚は必須だ。
「ドニは南、ジョスランは東。おれは北を探してくる。山賊が到着する前に教会で集合しよう」
外に出ると人々が手に手に家財を持って教会のある南へと避難していた。町の規模は小さいがかなりの数の人がいる。田舎の村で育った彼らにとってこれだけの大人数――さらにいえば住民たちの半分を占める女性を見るのははじめての経験だった。
例の書物にあったように、村の男たちとは明らかに体格や髪型が違っている。
まるで自分とは異なる生き物みたいだ。
だが、ヴァルトの父親のみならず、ドニもジョスランの父親も、女性と恋というものを経験して子どもを成したという。
いまはまだ、その光景がうまく描けない。
目の前で子どもの手を引き、逃げ惑っている彼女たちは誰も必死な表情をしていて、それは男たちと変わらないようだった。
だが、そんなことに感慨を覚えている余裕はない。
シラルが山賊に見つかれば、今度こそただではすまないだろう。面子を汚されたことを恥じて宿場町まで出張ってきたのだ。その犯人であるシラルと顔を見られているジョスランだけは絶対に敵に渡すわけにはいかなかった。
血相を変えて避難する人の奔流に逆らって駈け出す。
たったの一晩ともに旅をしただけの少年を放っておけないのが、自分でも不思議だった。
友達だからなのだろうか。
ドニやジョスランを助けたいのと同じくらいシラルを守りたいという気持ちは強い。
ヴァルトは声を張り上げる。
「金髪の男の子を見かけませんでしたか! おれと同じくらいの年齢の!」
懸命の問いに返事をくれる者はいない。
みな見慣れぬ少年を一瞥し、走り去っていく。
町の住民でもない旅人にかまっている暇はないということか。
故郷の村なら大人が総出で協力してくれるはずなのに。
この町の人々は、あまりに冷たすぎる。
以前にヴァルトたち仲良し一団が山の奥に冒険におもむいて夢中になるあまり夜になったことがあった。そのときは長老まで捜索に加わったものだ。
もちろん発見されたときには手ひどく怒られはしたが、同時にうれしく思ったのもよく覚えている。
だからだろうか。シラルを全力で探したいと考えるのは。
「すみません、シラルという名前の子を探してるんですが」
手当たり次第に呼びかけるも、足を止めてくれる人は皆無だ。
ヴァルトの焦りを助長するように鐘の音がけたたましく鳴りはじめた。町の入口に設置されている小さな鐘だ。ようやく防御のための準備が整いつつあるらしい。
鐘の音が伝えるところは明らかだった。
もう、あまり時間がない。
「シラル! 返事をしてくれ!」
あらん限りの声で叫ぶ。
人影がなくなるにつれ、周囲には無人の店が増えてきた。店舗をかまえて商品を陳列しているところもあれば、簡単なござを敷いてその上に野菜や衣服を並べているところもある。
シラルはここに買い物に来たのだろうか。
そもそもなにを買うつもりだったのだろう。山賊に奪われてしまったせいかジョスランが取り戻したペンダント以外にほとんど所持品はなかった。旅を続けるための必需品なら、寝てからでもよさそうなのに。
「……やっぱり出て行っちゃったのかな」
夜中だったこともあって妙に盛り上がっていた昨夜から一転して、すこし冷静になって罪悪感がわいてきたのかもしれない。
同世代だからといってシラルがなにを考えているのかまで把握できない。
ヴァルトの友人といえばドニとジョスランくらいしかいないのだ。あとはみな大人ばかりだった。
「シラル! シラル!」
鐘の音がさらに激しくなる。どこからともなく「山賊が来るぞ!」と怒鳴る声が聞こえた。北へ行けば行くほど人は少なくなり、そのなかにシラルの姿はなかった。
「坊主、なにをもたもたしてるんだ。早く逃げろ」
町の自警団の一員だろうか。弓矢を背負った青年がヴァルトを見つけて注意した。
逃げ遅れた住人たちの避難を誘導しているのだ。彼なら知っているかもしれないと思い、ヴァルトはシラルのことを尋ねた。
「友達を探してるんです。おれと同じくらいの金髪の子。見ませんでしたか」
「金髪? 見てないな。迷子か」
「買い物に行くって言ったきり帰ってこなくて――」
「そうか。心配だろうが君は逃げなさい。その子を探すのは我々の仕事だ」
「でも……」
「――そうだな、君の探している人物かわからないがフードをかぶった少年なら見かけた」
「どこですか」
「ここからもう少し北だ。ほかの住民の避難を優先させていたが、これから様子を見に行く」
「戦いに行かなきゃいけないんでしょう。だったらそっちに向かってください」
「安全に誘導するのも我々の仕事だ。心配しないでいい」
「ここの警備体制からして戦える人はほとんどいない。そうでしょう。おれの友達はおれがちゃんと連れてきますから、早く持ち場へ」
ヴァルトの真剣な表情に、自警団の青年は気圧されたようだった。
「……君は賢いようだ。命は大切にしろよ」
「ありがとう。あなたもご武運を」
青年と入れ違うように駆けだす。
昨夜の様子からして山賊と自警団の戦力差は明らかだ。向こうが本気で攻め込んできたとなれば小さな宿場町など簡単に潰されてしまうだろう。
これまで襲ってこなかったのは町を経由する商人が多かったからだ。拠点となる宿場を潰してしまうと、せっかくの金の卵が通らなくなってしまう。
目先の利益にとらわれて金の卵を産む町を手放すほど愚かではなかったらしい。
そんな安穏とした状況に住民たちも慣れきっていた。だから有事の際に手が回りきらない。
自警団の兵士たちにはわずかでも山賊を食い止めてもらう必要がある。先ほどの成年とシラルを手分けして探さないのはそのためだ。
「シラル!」
フードの少年がシラルである確証はどこにもない。
だがヴァルトはわずかな可能性に賭けて叫んだ。
「いたら返事をしてくれ、シラル!」
「こっちだ!」
声は通り沿いにある店のひとつから聞こえてきた。急いでそちらへ向かうと、くすんだ色のローブを着たシラルが小さな子どもを背負っていた。
服屋らしい店内は薄暗く、埃の臭いが漂っていた。
「すまない。この子を連れて行こうとして手間取った」
「会えてよかった。他に誰かいるの」
ヴァルトは息せき切って尋ねた。
まだ赤ん坊を卒業したばかりくらいの子どもを背負って逃げるくらいならシラルにもできたはずだ。フードを目深にかぶったシラルは店の奥をあごでしゃくった。
「奥に母親が。荷物を取りに行こうとして足をくじいてる。ボクの力だけじゃ支えられなくて、自警団に声をかけようとしたが一足遅くて間に合わなかった。このそばにいるのを見かけたか?」
「いや、おれがやるよ」
古着屋なのだろう建物の奥は住居となっていた。シラルの保護している子どもの母親は足首を抑え、痛そうにしていた。一冊の本を手に持っているのをヴァルトは見逃さなかった。
「掴まってください。肩を貸します」
腕をとると、父親のものとはまったく違う柔らかな感触に驚いた。
これが母親なのか。
ヴァルトは初めて触れる女性の身体に面食らいながらも大丈夫かと問いかけた。
「足を捻ってしまって……ごめんなさい」
「気にしないで。シラルが子どもを預かってます」
すぐに合流して店外に出る。すでにほとんどの住民は避難を終えてしまったのか、人影はひとつも見当たらなかった。砂塵だけが舞っていた。
不自由な片足をかばいながら進む速度は遅かった。
鐘の音がさらに激しくなっている。このままでは山賊たちに発見されてしまう。ヴァルトの額を汗が伝った。
「シラル、君は先に行ってドニを呼んできてくれ。そのあとはジョスランと二人で教会に隠れるんだ。そこなら大人たちがたくさんいるから、しばらくは安全だと思う」
「――ヴァルトはどうする」
「ドニが来たら急いで教会に向かうよ」静かに答える。「君たちは山賊に顔を知られている。おれとドニならもし見つかっても襲われないかもしれない」
「ごめんなさい、私のせいで……」
懸命に歩きながら女性は心から申し訳なさそうな口調で謝った。
「元はといえばボクのせいだ。ボクがおとなしく賊の前に姿を現せば――」
シラルの言葉を遠慮なくヴァルトは遮った。
「君がいまさら人質になったところで遅いよ。きっとひと暴れしていくさ」
「でも……」
「それに、また捕まったら助けた意味がないからね。友達を身代わりにするようなことは、おれにはできないよ」
シラルはしばらくヴァルトの瞳をまっすぐに見つめ返していたが、決心を固めたように教会のある方角へ全力で走りだした。
それでいい。ヴァルトはひとつ頷いた。
「――素敵なお友達ね」
耳元で喋りかけられて、くすぐったい。ヴァルトはすこし身をよじった。
「その本は?」
女性が唯一大事そうに脇に抱えている本のことを尋ねた。古びた革の表紙が付いた本に題名は書かれていない。
「主人の日記なの。――いまはもう、形見になってしまったけど」
「大切なものなんですね」
「これだけはどうしても盗られるわけにはいかなかったの」
「わかります」
母親の記憶がないヴァルトにとっても、父親が残していた家族の写真はとても大事なものだ。
シラルが先に避難させた子どもも将来きっと自分の父親のことを知りたがるだろう。そのときに古びた日記帳がどれだけ大切な役割を果たすか、ヴァルトには分かる気がした。
なんとしても無事にこの人を教会まで連れて行く。
強く決意を定める。
「君は旅人でしょう。まだ若いのに、偉いのね」
「まだ始まったばかりなんです。ここで山賊なんかに足止めされてちゃ、立派な大人にはなれないから」
町の入口のほうで大きな声がした。
ヴァルトたちのいる場所から直接見ることはできないが、山賊の一行が到着したようだった。なにやら自警団と言い争っているようで、怒声が聞こえてくる。
「山賊が……」
「急ぎましょう。とにかく教会まで逃げなくちゃ」
町の入口が封鎖されているのも時間の問題だ。
自警団の人数は山賊よりも圧倒的に少ないし、武器も劣っている。なにより実戦経験が段違いだ。ほとんど素人で構成されている自警団がどこまで山賊を抑えていられるか、心もとない。
焦る心を落ち着かせつつ無人の通りを進んでいくと、正面からドニが駆けてくるのが見えた。
ちぎれんばかりの勢いで手を振っている。
「ヴァルト、早く早く!」
「ありがとう。助かるよ」
本当にありがたい援軍だ。少年たちのなかではずば抜けて力持ちであるドニと協力すれば、大人の女性であってもある程度の速度を保って歩ける。
「シラルはもう教会にいるよ。ジョスランと一緒に僕らを待ってる」
「よかった。ドニ、この人をお願い」
「ちょっと待ってよ。どこに行くの?」
負傷した女性の世話を交代しようとするヴァルトに、ドニが目を丸くして聞いた。
「山賊のところ。自警団の人たちを手伝ってくる」
「無茶だよ! 武器も持ってないのに」
当たり前の反論が返ってくる。
ヴァルト自身なにができるのかわかっていなかった。せめて山賊たちの足を鈍らせることができれば。そう考えただけなのだ。
「危なくなったら逃げてくるさ。ドニたちは教会でおとなしく隠れていて」
「ヴァルト!」
制止する声を振りきって山賊たちの溜まっている町の入口を目指す。
あの日記帳を見てから、ヴァルトの心中には彼女を守らなくてはという強い想いが沸き上がっていた。父親を失い、母親まで失ってしまったら、あの子どもにはなにが残るだろう。
両親の形見が日記帳一冊だけだなんて、あんまりに残酷な運命を認めはしない。
ヴァルトは強く拳を握りしめて、自警団の背中が見えるまで走った。