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エピローグ

 迷宮の最深部には絶世の美女がいて、たどりつけば何でも願いを叶えてくれるという。


 伝説のとおり魔女は美しかった。おそらく世界中の美人をよりすぐっても比較にならないほどに。何百年という歳月をかけて無数の肉体と魂を吸収してきた魔女は、かろうじで人間の形を保っているにすぎない存在だった。


 かつてひとりの男と契約を交わした洞窟は富の象徴である金に覆われている。悪魔の棲家と恐れられた名残はどににもない。中央には水晶のように透き通った材質の魔鉱石で作られた玉座があり、魔女はそこに座っていた。


「――さて」


 眼下にあるのは五体の動かなくなった人間。


 本来、迷宮で死んだ肉体はすぐに吸収され、あとには遺品だけが残される。


 しかし最深部にある魔女の居所だけはその法則はすこしちがう形で適用される。生贄として運ばれてきたティトルーズ家の娘は十年あまりをもって肉体と魂を少しずつ奪われていく。


 やがて完全に魔女と一体化する頃には次の生贄が運ばれてくる。


 老いという避けようのない課題に立ち向かうためには、この方法が一番だった。人間であること、女であることの意味を証明する唯一の手段が永遠の命と美貌を保ち続けることだった。


「この国とも別れなければなるまい」


 思い返せば不思議な年月だった。


 初代国王の吹きこむ策はどれも上手くいった。


 小規模な洞窟はやがて国の根幹をなす迷宮となり、魔女は永遠の命を手に入れた。


「あの男は不死に興味がなかった。いつか自分の国が妾によって滅ぼされるなど、考えてもみなかっただろう」


 魔鉱石というエネルギーを独占した国はまたたく間に勢力を広げていった。


 外界の勢力範囲が広くなっていくにつれ、迷宮も深さを増し、ついには十階層まで大きくなった。冒険者として最強のウルフィアスでさえ六階層まで挑むのが精一杯だった。


 考えてみれば無駄なことだったのかもしれない。


 だが、そのおかげで誰もたずねてくることのない安息の空間を作り上げることができた。


 十数年に一度、国王の血を引く娘が連れてこられる他に魔女の眠りを邪魔するものはいなかった。


「感傷か。妾らしくもない」


 自嘲気味に笑って、玉座に魔力を流し込む。


 迷宮全体を活性化させ、魔物を大量に生み出していく。いままで自発的に迷宮の外へ出ることのなかった魔物たちの枷を解き放つ。


 即席の軍隊だが、人類を滅ぼすのには十分だろう。誰もいなくなった土地をすべて飲み込むのは簡単だ。数年とかからず地上は迷宮と魔物に支配されることになる。


「妾が女王になるとは皮肉な結末だな」


「その終わり方は美しくないね。反対するよ」


 魔女が驚いたように振り向くと、死んだはずのジョスランが服のホコリを払っていた。服には穴が空いているが無傷だ。血の跡さえ残っていない。


「どうやって……」


「ボクらのお母さんが助けてくれたんだ。魔女を倒しなさいって」


 ドニもいつの間にか立ち上がって腕を組んでいる。


 立ち話でもするような気楽さだった。まるで自分が先ほどまで生死の間を彷徨っていたことなど忘れてしまったみたいに。


「生贄が仇となったな」


「……ウルフィアス!」


「私は誰よりも迷宮を知っている。肉体と魂を一度だけ蘇生させることなど、たやすいものだ」


「なぜだ! なぜ妾に逆らう!」


「自分の胸に手を当てて聞いてみるといい。届くはずだ、怨嗟の声が、平和を望む叫びが」


 レイピアを杖にしてシラルは起き上がった。


 肩にかかる金髪を耳にかきあげて、壁際に臥せっている少年に手を差し伸べる。少年はゆっくりと目覚めると柔らかな笑みを浮かべた。


「おれ母さんと会えたよ」


「ボクも姉さんに会った。最後に目にしたのは幼いころだったけど、初めてではない感じがした」


「だってシラルの家族だもの。いつだって迷宮で見守ってくれていたんだよ」


 ヴァルトはシラルの手をとって起立した。床に落ちている魔導銃を拾い上げる。生身の肌に触れているように温かかった。


 これで全員が揃った。魔女は端正な顔を歪ませた。絶世の美しさは一部でも崩れるとまるでこの世の終わりのような醜悪さになった。見ているのもおぞましい。抑圧してきた百年あまりの歴史が顕現しようとしているように見えた。


「終わりだよ、これで。全部」


 黄金の部屋の壁という壁から魔鉱石がにじみ出てきた。


 ドニとジョスランはヴァルトの持っている魔道銃にそれぞれの武器を重ねあわせた。武器は吸収され、生き物のように巨大になった。身の丈ほどもある銀色の銃に魔鉱石が降り注いでいく。


 魔女は得意の瞬間移動を試みようとした。しかしどれだけ魔力を発しようとしても、迷宮からの供給が途絶えていた。


 迷宮のエネルギー源は死者の魂と肉体だ。 


 いまや魂は反抗し、肉体は魔鉱石の雨となって魔道銃の弾丸になりつつある。


「ならば――!」


 迷宮から出ようとしている魔物たちを再度取り込めばいい。


 だが意識の端に感じる魔物の数は激減していた。一階層の付近に大量の人の気配を感じる。ムダラの騎士団や冒険者が一体となって魔物が溢れだすのを阻止していた。


 先頭に立って剣をふるうカリアやウルフィアスの子飼いの騎士団の手ですでに相当数が討伐されている。まるでこうなることを見越して配置されていたように。


「ティトルーズの差金かっ!」


 天井越しにティトルーズ家の当主のいるであろう方角を睨む。


 この時、この瞬間のために張り巡らされた計画。すべてが狂いなく進行している。


「魔法の使えぬ魔女など、ただの老いた女でしかない。未来ある若者たちに道を譲るときだ」


 ウルフィアスがヴァルトの背中を支えながら告げる。


 魔女は暗闇に落ちた眼窩を向けた。吸い込まれそうな闇。そこに何が詰まっているのか、あるいは何もないのか、わからない。


「黙れ! 妾は死なぬ、妾は永遠に美しくなければならない!」


「さよなら。――そうだ、伝説の通りひとつだけ願いを叶えてもらおう」


 ヴァルトが指に力を込めると、銃口がまばゆく輝きだした。


「おれたちの願いはみんなで帰ることだよ」


 引き金を絞る。


 光の奔流が魔女と迷宮を貫いていく。すべてが白く染まる。声が聞こえる。迷宮から開放された魂が口々に雄叫びをあげている。永遠に続きそうな光だった。魔女を浄化するように放たれた弾丸は地上に大穴を開け、天空へと消えていった。


 伝説として語られる迷宮の最深部。そこからは青空が見えた。









 ムダラの迷宮が消滅した。


 その衝撃的なニュースが王都に届くよりも早く、王城は争乱に包まれていた。国王の腹心と思われていたティトルーズ家が反旗を翻したのだ。最精鋭の第一騎士団を完全に掌握したティトルーズはまたたくまに玉座を制圧し、王を国外へ追放した。


 その際に多少の小競り合いはあったものの、とくに目立った混乱もなく政権はとってかわった。


 問題はその後にある。


 魔鉱石に頼ってきたエネルギー源をどう補うか。


 国民の生活のかなりの部分を魔鉱石に依存していた上、軍事面での武力の低下は否めない。内乱に乗じて他国が攻めてくる可能性もあった。


 しかし容易に予想された事態に手を打たないほどティトルーズは愚かではなかった。


 水面下の交渉で他国とは和平協定を結んでいる。魔鉱石による脅威にさらされ続けてきた国々にとって、侵攻の不安から解放されるだけでも十分なメリットだった。


 協定を破られる心配はある。考えをひるがえされる前に国内の態勢を整えることが急務となっていた。


 そんな情勢の変化を小耳に挟みながら、少年たちは故郷の村へ続く道を進んでいた。


 あてがわれた四頭の駿馬はうららかな日差しの下の散歩を楽しむようにゆっくり歩いている。どこかで小鳥が鳴いていた。


「みんな元気にしてるかなあ」


 馬上でドニがおやつを食べながら言った。


 最初こそ慣れない馬に戸惑っていたが、すぐに乗りこなせるようになった。荷物の大部分を占めていた食料は道中で半分以上が消費されている。


「俺たちの凱旋を祝っていまごろ豪勢なごちそうを用意しているさ」


 ジョスランの首元には紫色の魔鉱石があしらわれたペンダントがかかっている。


 迷宮はなくなったものの、跡地には無数の魔鉱石が残っていた。そのひとつを拝借してきたのだ。


「母さんの形見も手に入ったし、約束はきっちり果たしたからね」


 換金すれば一生遊んで暮らせるであろう冷たい石を指先で転がす。


 ティトルーズは魔鉱石から生産されるエネルギーからの脱却を宣言した。


 初代国王が交わした魔女との契約などについては隠したままだが、魔鉱石が人間から生成されたものだと知った国民の反応は様々だった。


 ある者は二度と魔鉱石を使わないと誓い、ある者は便利な生活を惜しんだ。


 どちらにせよ迷宮はなくなってしまった。しばらくは貯蔵された魔鉱石を消費していくことになるだろうが、必要最低限に留めるとのことだ。


「教授の助手としての役目も終わってないし、早く戻らないと」


「ジョスランは目標があっていいなあ。僕はこれからどうしよう」


「騎士団にでも入ったらどうだい。ドニなら大歓迎だろう」


「ウルフィアス隊長にしごかれるのはやだなあ……」


 ジョスランの錬金術の師であり、宿屋の主人でもあるカフカは魔鉱石に代わるエネルギー源の発見を期待され、正式に国の研究員として雇い入れられることが決まった。


 宿はムダラにあふれるであろう失業者のために寄付するという。職を失った冒険者たちの多くは騎士団や国の職員として雇用されることが決まっていた。残ったものは地元に帰ったり、ムダラに居着いて生計を立てることになる。


「彼の働きがなければ今ごろ国は滅んでいる。優秀な軍人が一人いるだけでどれほど心強いか、今さらながらに分かったよ」


 シラルが片手で手綱をさばきながら言った。


 腕っ節は強いが統率のとれない冒険者たちの軍隊をまとめているのがウルフィアスだ。赤い悪魔の威光は魔女を討伐したことでさらに増し、いまや軍神として崇められている。


 他国が容易に侵略してこないのもウルフィアスの存在が大きかった。


「シラルは次の王女様になるんだろ。これから忙しくなるね」


「ボクがもう少し大きくなったらそうするつもりだそうだ。国を抜本から変えなければならないからな。優秀な人材はいまから確保しておかないと」


 そう言って隣のヴァルトを見やる。


 道中に読もうと思っていた大量の本が馬の両脇にくくりつけられている。しかしこうして村への帰路についているとどうしても書物を開く気になれず、手付かずのままだった。


「おれは学者になるよ。みんながどうすれば幸せに暮らせるのか、本を沢山読んで考えるんだ」


「魔女がいなくなったからってすぐに良い世の中になるわけじゃないんだなあ」


 ドニがしみじみとつぶやいた。


 口のなかには大量の菓子が詰まっている。


「僕は美味しいものさえ食べられれば幸せだよ」


「俺は綺麗なものさえあればいいね。シラルは?」


「ボクは――」話題をふられた次期王女はちらりと視線を向けて、「大切な人たちがそばにいるだけでいい。ヴァルトはどうだい」


「おれは、そうだな」


 村が遠くのほうに見えてきた。旅立つ前となにも変わっていない。きっとそこでは男たちが汗水たらして畑を耕していることだろう。


「家族がいるだけでいいかな」


「じゃあボクがお嫁さんになろうかな」


「お嫁さんか」


 シラルを見ると、顔が真っ赤になっている。ヴァルトは悪戯っぽい笑みを浮かべて、


「そしたらシラルも家族の一員だね」


 村が近づいてくる。


 村人のひとりがヴァルトたちの存在に気付いた。にわかに村人たちが入り口に集まってくる。そのなかに忘れようもない父親の顔があった。


 ヴァルトたちは馬から降りて、自らの足で輪の中に飛び込んでいった。そして口々にこう叫んだ。


「ただいま!」

長い間お付き合い頂きありがとうございました。

あとがき的なものを作者の活動報告に載せます。興味がある方はどうぞ。

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