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30話 海

 ムダラの誇る高級住宅街の一角にあるカリア邸の中庭には各地から取りよせた園芸植物がところ狭しと肩を並べている。病気がちな細君の趣味が植物鑑賞なのだという。最近では体力も回復してきたこともあって眺めるだけでなく生育にも手を伸ばした結果、庭が植物園のような賑やかさになっていた。


 色とりどりの花をつける草木を一望できる場所に、白いパラソルとテーブルが置いてある。


 ヴァルトとカリアはそこに座って午後のティータイムと洒落こんでいた。


 妻のアンナがいれた自家製のハーブティーと娘のレイラによる手作りのケーキは、もはやカリアの日常の一部となっている。身内の料理の腕前をしきりに自慢しつつ、熟練の冒険者はヴァルトからことの顛末を聞かされた。


 ギュドンの大群に襲われたこと、そしてウルフィアスに迷宮への立ち入りを禁じられたこと。どれも年端もいかぬ少年が抱え込むには大きすぎる内容だった。


「そいつは大変だったな。だがまあ、生きてるだけでも儲けもんだ。赤い悪魔の言うようにしばらく休むのも悪くねえ。人生は長いんだ。辛いこともあれば幸福なときもある」


 家族を奴隷商人に買われ、ヴァルトたちの協力でようやく幸せを取り戻した彼は腕を組んでうなずいた。


 そんな状況でも定期的に迷宮には訪れているらしく、二の腕の筋肉が盛り上がっている。


「そんなときには甘いものを食え。うちの幸せをわけてやる」

「ありがとうございます」


 成り行きですでに三回はおかわりしたヴァルトは神妙な顔でやりすごす。


 ムダラの菓子屋で働いているというレイラが作ったものなので美味には違いない。だが何度となく会話に織り込まれるカリアの自慢話ですでに満腹になっていた。


「しかし半年間も休むんじゃ暇になるな。なにか計画はあるのか」

「そのことでお話があって来たんです。おれたちを旅行に連れて行ってもらえませんか」

「急な話だな。で、どこに?」


「海です」ヴァルトは言った。「海に行きたいんです。できればカリアさんの家族も一緒に」


「女房の体調もいいしレイラも休みをとらせれば来るだろうが――なんでまた海なんか行きたいんだ」

「実は――」


 声をひそめる必要はないのだが、不思議と小声になった。ヴァルトが説明し終えるとカリアの口の端がニヤリと歪んだ。


「そいつは面白そうだな。どうりで今日はおともだち連中と一緒じゃないわけだ。あの太った坊主がいればいくらでもケーキを食わせてやったんだが、そういう理由だったか」


「お願いできますか?」

「いいだろう。すぐに手配させよう。水着を忘れるなよ」


「ありがとうございます」

「なに、俺もぼちぼち家族旅行がしたい気分だったんだ。レイラが来てくれるかどうかが問題だが……」


 思春期の娘を持つ父親の顔になって、カリアは頭をかいた。


 ヴァルトの故郷の村には女性がいなかった。ムダラに来てようやく男と対をなす性別がどのようなものなのかわかりかけてきた。複雑怪奇である、ということだけは色々な人が口をそろえていたので確かだろう。


「日程が決まり次第こっちから手紙を出す。風邪引いたりするなよ」

「大丈夫ですよ。カリアさんこそ迷宮で怪我なんてしないでくださいね」

「ギュドンを倒すにはコツがあるって言ったろ。それさえ間違わなきゃただのでかい牛だ」


 聞きそびれていたが、そういえばそんなことを前に口にしていた。

 ヴァルトは身を乗り出して訊いた。


「ぜひ教えて下さい」

「簡単だぞ。二回目の蹄に合わせて剣を突き出す。すると次の瞬間には勝手に刺さってる。それだけでお陀仏だ」

「……それってコツなんですか?」

「お前らにはムリだろうな。だから教えなかったんだけどよ」


 大口を開けて笑うカリアを見て、ヴァルトは複雑な気分になった。残りのケーキをお土産にもらって帰路につく。とりあえず海に行くことは決まった。次は準備だ。




「ふひ?」


 ケーキを口いっぱいに詰め込んだドニの頬はリスのように膨らんでいる。


「ほうひへほんはほほほに?」

「食べながら喋るのはやめたまえ。行儀が悪い」


 たしなめるジョスランは優雅にハーブティーをすする。こちらもカリアに手土産として持たされたものだ。部屋はおかげで胸の奥までスッとするような香りに包まれていた。


「海なんて、どうしてそんなところに行くんだい」


 一息にケーキの塊を飲み込んだドニが言い直した。


「迷宮に入れないんだったら、せめて旅行でもしようかと思ってね。おれたちは山で育ったから海を見たことがないだろう。前から一度訪れてみたいと考えてたんだ」

「――それだけじゃないね」


 同じく部屋に二台あるベッドに腰かけてケーキを味わっていたシラルがフォークを置いた。屋内にいるときはフードを外している。艶やかな金髪は出会ったときよりずいぶん伸びて、首筋にかかっていた。


「ほかにも目的があるんだろう、ヴァルト。君がそれだけの理由で海に行こうなんて提案するはずがない」


「シラルは鋭いなあ。本当の狙いはウルフィアス隊長の監視の目から逃れることだよ。さすがにムダラの外まで見張ることはできないからね。命令にしたがって遊行に出てるふりをして、帰ってきてからの活動をやりやすくするんだ」


「母さんたちの手がかりは絶対にムダラにあるって言ってたね。それと関係があるのかい」


 ジョスランが訊ねた。最近、急激に背が伸びはじめて、雰囲気が大人っぽくなったとヴァルトは感じていた。気取った口調は相変わらずだが。


「ウルフィアス隊長は絶対になにかを知っていた。だからおれを迷宮から遠ざけたんだ。ほかの冒険者に危険が及ぶからなんてのは口実で、秘密が暴かれるのを恐れた。素直におとなしくしてるように見せかけて半年の間にすべて謎を解き明かしてやろう」


「素晴らしい計画だね。勝算はあるのかい?」


「おれはナターシャさんと図書館を使って調べてみる。ジョスランはこれをカフカに渡してくれ」


 ヴァルトは尻ポケットに詰めていた黄魔鉱石を差し出した。数は三つ。研究用としては心もとないが、多少なりとも進展はあるだろう。


「いつの間に持ち出したんだ」


 大ぶりな瞳をさらに丸くしてシラルは大きな声を発した。


「ギュドンの群れのなかにいる間に予備の弾にするつもりで拾っておいたんだ。騎士団はまさかおれが魔鉱石を隠し持ってるなんて思わなかったみたい。帰りは検査もされなかったし、そのまま持って帰ってきたんだ」


「上出来だ。これで教授の研究も大いに捗るよ。ありがとうヴァルト」


 ジョスランは魔鉱石を引っ掴むと、飲みかけのカップを置いて教授ことカフカの宿の亭主に届けに行ってしまった。


 錬金術士の弟子としての修行は継続していて、彼のベッドの枕元にはいつも専門書が積まれていた。


「こんなことがバレたら今度こそ謹慎じゃすまないぞ」


「ウルフィアス隊長に一矢報いてやるんだよ。力で敵わないなら頭を使えばいい。おれたちにはそれができるんだから」


 にべもなく言ってのける。シラルは呆れたように肩をすくめた。


「海に行くための準備をしなくちゃ。水着とか、鞄とか、色々買おう」


 部屋の隅に金貨のぎっしり詰まった袋が鎮座している。何割かはヤウスの防具の代金を繰り上げて返済するために費やしたが、それを差し引いても十分すぎる額が手元にあった。


 あまりに大金なので留守中はカフカに預けておくつもりだ。無口な主人は誰にも口外しないし、詮索もせず受け入れてくれるだろう。


「水着なんていらないよ。服を脱いで泳げばいいんだもの」


「いいや絶対に必要だ。ヴァルト、買い物は会計係のボクに任せてくれ」


 なぜだか鬼気迫る表情のシラルに気圧されて首をたてに振る。とくに断る理由も見当たらなかった。


「ねえねえおやつは?」


「現地で調達すればいい。海ではさかなや貝が取り放題だ。美味しい果物もあるだろうな」


「楽しみだなあ。待ちきれないよ」


「そういうわけであとは任せたよ。おれは図書館に行ってくる」


「ヴァルトも本が好きだなあ。今度は何を調べるの?」


「海についてさ。ムダラを離れている間にナターシャさんに頼んでおきたいこともあるし」


「ずいぶんとその司書がお気に入りみたいだね」


 部屋を出ようとするヴァルトの背中にシラルが声をかけた。


「すごく親身になって協力してくれるんだ。よかったらシラルも会ってみなよ」


「ボクは図書館には近づきたくないんだ」


 シラルは頑なに図書館に行きたがらない。楽しいのになあと首をひねりながらヴァルトはカフカの宿をあとにした。海に到着する前に色々と下調べをすませておかなければならない。時間は有限なのだ。





 本に染み付いたインクに混じって、ふわりと良い香りがした。ヴァルトが顔を上げると長い黒髪を結んだ司書が微笑んでいた。ナターシャの傍らにはうず高い本の山を乗せた台車がある。返却された本を棚に戻しに行く途中なのだろう。


「今日もお勉強?」


 ヴァルトの手元にある分厚い革張りの本を見て、ナターシャは口元をほころばせた。


「そんなところです。迷宮についてじゃないけど」


「どこか身体の調子がおかしいなら相談してね。お医者さんを紹介してあげるから。迷宮探索なんてしていると怪我も多いんでしょう」


「体調が悪いわけじゃありません。むしろ逆です」


 少年が持っているのは人体の解剖図が細かく描かれた事典だった。それから海に関連する書籍が数冊。どれも年季は入っているが、綺麗な状態で保たれている。管理の仕方がいいのだろう。


 ナターシャはそれを見て勘違いしたらしい。ヴァルトは両手を広げて弁解した。


「海に行くんです。そのとき効率的に動けるよう勉強しておくんです」


「泳ぎの練習でもするの?」


「それも予定に組み込んであります。ほら」


 びっしりと文字の書き込まれた羊皮紙を得意気に披露する。


 内容はすべて現地でのスケジュールに関することだ。図鑑に目を通しているうちに次から次へとやりたいことが思いついて、すべて書き留めているうちに膨大な量に達していた。


 これを見せたらカリアがさぞかし喜ぶだろう。やることは多すぎるくらいでちょうどいい。


 眼前にちらつく文字の列にちらりと視線を走らせ、ナターシャは苦笑まじりにヴァルトの頭をなでた。


「相変わらず無茶するのね。将来はどんな大物になるのか楽しみだわ」


「おれは世界一の学者になるんです。うんと偉くなって父さんに自慢する。でもその前に母さんを探しだして、おれが夢を叶えるまで村で待っていてもらいます」


「どうして?」


「おれがいない間父さんはひとりぼっちだから。村にはもちろん大人たちがいるけど、やっぱり家族がいないのは寂しいと思うんです」


「……ヴァルト君は本当に優しいのね」


 ナターシャの白くやわらかな指先が頭から頬にかけてゆっくりと輪郭をなぞっていく。まるで失くしてしまったものを懐かしむように。


「くすぐったいですよ」


「あら、ごめんなさい。ヴァルト君があんまり立派だからつい、ね」


 ナターシャは名残惜しそうに指を離した。黒髪が豊満な胸の前で揺れていた。


 ほんのりと頬を上気させたヴァルトにウインクして、仕事に戻ろうとする。肝心なことを伝え忘れていたことに気付いたのは司書の姿が消える直前だった。


「ナターシャさん、おれが帰ってくるまでに迷宮の伝説について詳しく調べてもらいたいんです。とくに伝説の美女について。あとはいままで迷宮で起きた事件についても知りたいんです」


 慌てていたのもあって少し声が大きくなった。ナターシャは本棚の影から顔をのぞかせた。


「それがヴァルト君のお母さんの行方をつかむ鍵になるのかしら?」


「絶対にそうです。この街は、迷宮はなにかを隠しています。きっとおれの母さんたちが連れ去られたことと関連しているんです――お願いできますか」


「ほかならぬヴァルト君の頼みだもの。断れないわよ」


 いたずらっぽくウインクしてナターシャは去っていった。ふわりとした残り香が漂っていた。香水をつけているのだろう。海のお土産に香水をあげるようか、と思う。暖かい気候では珍しい花が咲くという。目にも鮮やかな花々の香水はきっと彼女に似合うだろう。


 ヴァルトは上機嫌に鼻歌をうたいながら、予定の詰まった羊皮紙にもうひとつ項目を付け加えた。


 これで準備は整った。驚くみんなの顔が楽しみだと、いまからひとりほくそ笑んだ。




 カリアの手配してくれた馬車に揺られること三日。途中、宿場町で休憩をとりつつ進む道のりを、ヴァルトたちは目を輝かせて眺めていた。ムダラから南にしばらく行ったところにとっておきのビーチがあるのだという。徐々に強くなっていく陽射しの向こうに初めての海が待っているのだと思うと、早く到着してほしいと願ってしまう。


 六人の男女を乗せた馬車に、レイラの姿はない。


 仕事が忙しくて抜けられないのだという。おそらくそれは口実でカリアと一緒に旅行などするのが照れ臭いのだろう。


 肩を落としてうなだれるカリアを妻のアンナが慰めていたのも最初の数時間だけで、その後はしきりにヴァルトたちの世話を焼きたがった。特にドニが可愛いらしく彼女の大きな鞄からは絶やすことなくお菓子が出て来た。


「レイラは女の子だったから、たくさん食べる男の子を見てると甘やかしたくなってしまうのよ」


 そんな言い訳をしつつドニの洞窟のような胃袋に食べ物を供給していく。


 見ているだけでお腹いっぱいになりそうな光景から目をそらすと、ムダラよりもいっそう青みがかった空が広がっている。こころなしか気温も上がっているようだ。


「もうじきに到着する」


 頬杖をついたカリアがぼそりと告げた。


 娘が来ないとわかってからずっとこの調子だ。南の太陽を浴びれば回復するから放っておきなさい、とアンナに忠告されたのでそっとしている。娘を持つ父親というのも大変らしい。


「海についたら魚を釣って、貝を採って、すぐに焼いて食べるんだ。美味しいんだろうなあ」


「君は食欲ばかりだね。貝からは宝石も出てくるんだから、それを集めるほうがずっと楽しいじゃないか」


「ジョスランも同じようなものだよ。海といったら波を横目にのんびり太陽を浴びるのが常識だ」


 ヴァルトの横でなにも知らない三人が和気あいあいとやりたいことを妄想している。


 そろそろ種明かしの時間だろう。懐に隠し持っていた計画表を高々と掲げ、ヴァルトは仁王立ちになった。


「えー、おほん。お楽しみのところ申し訳ありませんが、ここで今回の旅行の日程について発表させていただきます」


 もったいぶって間を置いてから読み上げる。


「まず一日目の午前は泳ぎの練習。目標は潜水まで。昼食後には砂浜の走り込み。夜はカリアさんとの実践練習。二日目は――」


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 シラルが悲痛な声を上げてさえぎった。


「なにか?」


「なにか、じゃない。なんだその騎士団の合宿みたいな日程は。まさか海に訓練しに行くわけじゃないだろう」


「遊びに行くだけなら俺を呼ぶ必要はないだろうが。お前たちをみっちり鍛えてくれって頼まれたんだよ。レイラが来なかったぶん、付きっきりで面倒を見てやれるなあ」


 いままで亡者のごとく沈んでいたカリアが急にいきいきとした表情になっていた。


 相反して少年たちの顔に絶望の色が浮かぶ。ヴァルトは笑い出したくなるのをこらえて続きを朗読した。


「二日目の朝はまた砂浜の走り込み。体力は基本だからね。昼は遠泳。休憩をはさんで夜は各自で訓練。もちろんカリアさんにも協力してもらう」


「おうよ、任せておけ」


 力強リセリフで胸板を叩く。家族旅行とならなかった八つ当たりをするつもりらしかった。


「ねえヴァルト、美味しいものは……」

「休憩時間に採ったものは食べていいよ。食欲がなくなるくらい辛いかもしれないけどね」

「宝石は……」

「同じく自分で暇を見つけて探してね。疲れて動けないだろうけど」

「南国の海と太陽は……」

「そんなものはない」

「そんなぁ……」


 三人の合唱がきれいに揃った。


「子供っていいものね」


 そんな彼らにおかまいなくレイラは口元に手をやって笑った。数時間もしないうちに馬車は止まった。外に出ると一面の海が出迎えた。

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