表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/42

28話 迷宮見学

 その日の迷宮は朝から人であふれかえっていた。


 見学を希望する冒険者があまりに多いため、午前と午後の部にわけられているのだが、それでも昆虫がいっせいに巣から飛び出してきたような混雑だった。


 一階層のショグ、二階層のガダモンの倒し方のレクチャーは午前に。三階層、四階層の攻略法はそれが終わってからという手はずになっている。


 ヴァルトたちは昼食をとってから向かったのだが、それではいくらか遅すぎた。

 すでに騎士団の間近で観戦できる場所はほかの冒険者にとられていた。どうやら昨晩から迷宮内に寝泊まりして待っていたらしい。


「こんなに混んでるのは予想外だったね。ウルフィアス隊長に会うどころか姿さえ見えないや」


 壁のように立ちはだかる人の列の後ろからヴァルトが首を伸ばして前をうかがおうとする。


 ほとんどの参加者は立派な大人だ。

 ヴァルトのような子どもはほとんど見当たらない。さすがに三階層ともなると、中堅の冒険者が多く見受けられた。


「ギュドンの倒し方だけでも教わろうと思ってたのに、これじゃ肝心の魔物も逃げてしまうね。もう少し前に出てみるかい。ドニ、人の波をかきわけるんだ」

「簡単に言ってくれるなあ。ボクだって大変なのに――」


 ぼやきつつも屈強な冒険者のあいだを縫って前に進む。荒っぽい性格の男たちはぶつかるとすくみ上がるような睨みをきかせたが、騎士団の手前ということもあって胸ぐらをつかまれはしなかった。


 途中、若い騎士団員から声をかけられる。

 なんでも冒険者をいくつかのグループにわけて誘導するらしい。少年たちは集団の先頭にうまいこと潜り込んだ。


「こっちへ付いてきてください。こっちです!」


 声を張り上げて誘導する騎士団の青年のうしろでは先輩らしい猛者たちが控えている。第二騎士団の隊員はみな白金の鎧をまとっていた。

 冒険者を案内する役割は、後輩が任されたということだろう。


 しばらく歩いたところで折よく一匹のギュドンと遭遇する。すぐさま数人の騎士団員が飛び出していってギュドンの注意を引きつける。その間に冒険者は安全な距離まで遠ざけられた。あくまで模擬演舞であり、怪我があってはいけない。


 先ほどまで誘導係に甘んじていた若い騎士団員は、聴衆が安全圏まで下がったことを確かめると、おもむろに長槍を小脇に抱えてギュドンに突っ込んでいった。

 同時に、ギュドンの牽制を担っていた団員たちが後退する。


「おい、まさか……」


 冒険者たちにざわめきが走った。


 いまだ無傷で健在のギュドンの眼前に槍を繰り出したかと思うと、立て続けに三撃。ギュドンが頭を下げている合間に空いた側面へ回りこむ。さらに渾身の一撃を突き刺した。


 怒り猛ったギュドンが突進しようとする瞬間、身体に刺さっている槍に飛びつく。

 ヴァルトは無意識に二度目のひづめの音を聞いていた。次の刹那、ギュドンが瞬間移動したかのように駆け抜ける。騎士は振り落とされることなく突進を回避していた。


「すごい……」


 ジョスランの口から感嘆の声が漏れる。


 それからも青年はまるで子犬とじゃれるようにギュドンの突進を鮮やかによけては、苛烈な槍術を見舞った。魔物と騎士は、台本に記された劇を演じた。


 殺陣にはいっさいの無駄がなかった。鮮やかに宙を舞う騎士の白い鎧が、絵師の筆のように迷宮を彩っていた。


「ハイヤ!」


 鋭いかけ声とともに最後の一撃を浴びせる。

 傷だらけのギュドンは喉元に槍が刺さったまま、ゆっくりと巨躯を横たえた。すぐに魔物の姿がなくなり、黄色の魔鉱石が軽やかな音を立てて落ちた。


 騎士は魔鉱石を拾うと、優雅に一礼した。息ひとつ乱していない。自然と観客から拍手が沸き上がった。


「ウルフィアス隊長なら出会い頭の一撃で倒しています。今日は時間がかかってしまいました」


 圧倒的な実力を示した騎士は、はみかみながら謙遜した。


「これで時間がかかったなんて――」


 ギュドンを倒す目安は、一人前の冒険者が四人そろっておよそ二十分程度。それを単独で狩るだけでも尋常でないのに、騎士はものの数分で屠ってみせた。


「さすがに第二騎士団だ。まだ若い隊員なのに、実力が桁違いに高い」


 灰色にくすんだフードの下で、シラルは賞賛のまなざしを送っていた。


「僕絶対にムダラでは悪さしないよ。あんな人たちに追いかけられたんじゃ命がいくつあっても足りないもの」


 ドニの感じた畏怖は、まわりの冒険者たちも痛いほど味わっていた。

 来るときは手間取っていた誘導に素直に従うようになった。おかげで次のギュドンとはすぐに遭遇することができた。


「――それでは今度は集団でのギュドンの退治方法をご紹介します」


 ふたたび戦闘がはじまる。

 先ほどと同様に安全な距離におかれたヴァルトたちの隣で、騎士団員が戦術の意図やコツを詳しく説明した。みな真剣な表情で聞き入っている。


 ギュドンの突進のタイミングを見極めることが肝心らしい。二度目の蹄の音が聞こえた瞬間には回避するか防御するか判断しなければならない。回避のほうが難易度が高いので、盾役をひとり用意すると戦闘がぐっと楽になるという。


 ドニの大盾があれば十分だろう。ヴァルトは話を聞きながらプランを立てていく。


 ギュドンが攻撃する方向はわかりやすい。なるべく攻撃をドニに引き付け、盾の背後からヴァルトが魔道銃を撃つのがいいだろう。そして側面からはジョスランとシラルのふたりが挟撃する。


 面白みはないがスタンダードな戦い方だ。

 次回は背後に注意しつつ、この作戦を採用してみよう。うまくいきそうだ。


 一匹ずつギュドンを屠っていく騎士団に率いられ、一団は迷宮の奥へと進んでいく。


 壁の材質や照明などとは違い、迷宮は階層ごとに構造が異なっている。三階層であれば廊下が広く見通しのいい通路ばかりだ。まるでギュドンが戦いやすいように作られているようだと思った。


 そのなかでもひときわ広々とした空間に出た。


 ギュドンの攻略指南はこれで最後らしい。騎士たちは鮮やかな手際で拡散すると、部屋の中央で孤立している魔物を取り囲んだ。


 巧みな連携で攻撃を絶やさない手数は見事というほかない。

 ギュドンはろくな反撃もできずにあっさりと屍をさらした。ヴァルトたちが魔鉱石を集めるためにショグを倒すのと同程度にあっけない狩りだった。


「ああいうのを見ると僕たちでもギュドンを簡単に倒せる気がしてくるね」


 習ったばかりの戦術を試したそうにドニが身悶えする。


 観客の冒険者のなかにも武器をふるシュミレーションを行っている者がいた。誰しも感じるところは似てしまうらしい。冒険者という職業の性だろうか。


「ムダラの騎士は別格だ。国王の右腕と言われる第一騎士団よりも精強だという噂もある。ボクらが真似してもうまくはいかないさ」

「そうだけど、早く明日にならないかなあ。この感覚を忘れないうちに練習したいよ」

「今日はこの後四階層の攻略に移るから、見学者以外は立入禁止だってさ。帰ってゆっくりしよう」


 さすがにジョスランも騎士団の目を盗んで魔鉱石を持ち出すのは諦めたらしい。ひらひら手を振って帰ろうとする。


 ――その時だった。


 迷宮内に警鐘を鳴らすように、なにかが疾走してくる音が響き渡った。それもひとつやふたつではない。大量の――魔物だ。


「何事だ!」

「大量のギュドンがこちらへ殺到しています! 支えきれません!」


 にわかに殺気立った騎士たちが怒号を交わす。

 部屋につながる通路には全て見張りが立てられている。彼らは声をそろえてギュドンの急襲を知らせた。


「一般人を退避させろ! 退路の安全は確保してあるか!」

「問題ありません!」

「護衛は数人でいい、仮にも三階層に挑もうとする冒険者なら地上に出るくらいは平気だ」


 その場の責任者らしい騎士が次々と指示を飛ばす。

 ギュドンの足音は徐々に大きくなり地鳴りのごとく迷宮を揺らした。もうすぐそこまで迫っている。


「みなさん、各自で階段に向かってください! 途中でギュドンに遭遇したときは我々が囮になります!」


 その言葉で雪崩を打ったように観衆が走りだした。


 冒険者というだけあって運動能力は一般人よりも優れているはずだがパニック状態になって動きは鈍かった。後方から徐々に人が消えていく。ヴァルトたちのいる先頭が逃げられるようになるまで時間がかかりそうだった。


「ヴァルト、魔道銃は?」


 状況を見極め、冷静にシラルが武器を取り出す。細身のレイピアがきらりと光った。


「昨日の残りが一発だけ装填されてる。たいした威力にはならないと思う」

「まさか戦うつもりかい」


 ジョスランが青ざめた表情で叫んだ。


「ギュドンの大群を相手にするなんて無茶だ!」

「もちろん逃げるよ。おれたちが倒せるとしたらせいぜい一体だけ。騎士団に任せたほうがずっといいさ――でも」


 魔道銃をホルスターから抜く。魔鉱石を装填した銃身はほのかに輝きを放っていた。


「自分の身は自分で守らなきゃでしょ」


 背中に負った大盾を地面に叩きつけドニは前方を睨んだ。

 通路を警備していた騎士たちが一斉に退いてくる。広間に入り横っ飛びになった瞬間、無数のギュドンが一直線に駆け抜けた。


 十や二十では足りない。ギュドンの群れは濁流のごとく騎士たちを飲み込んだ。


「まずい……」


 想像していたより数が多い。

 ヴァルトの後ろではようやく半分ほどの冒険者が逃げ終えたところだった。いくら騎士団が優秀でもひとりで複数のギュドンを相手にするのは無理だ。たとえ逃げたとしても背後の魔物は追い付いてくる。


 視線だけで呪い殺そうかという気迫で全体の状況を把握する。


 とにかく時間を稼がなくては。大量のギュドンと相対するには戦力が少なすぎる。


「生き残ることを優先するんだ。みんな、よく聞いて――」


 フラッシュバックするのは初めての迷宮探索で遭遇した巨大ショグとの死闘。インストラクターのグイドとジョスランが命の危機に瀕した。だが、いまは戦い方を学び、武器も手に入れた。もう二度とあんな惨めな思いは繰り返さない。


 無力な小動物のように逃げ惑う大人の冒険者たちをはためにヴァルトは口火を切った。


「おれたちは騎士団が討ち漏らしたギュドンを足止めする。倒そうとしちゃだめだ。退路が確保されるまで無傷でいること。ドニとおれは盾を使って、ジョスランとシラルは攻撃をかわして、いいね」


 ギュドンの奔流に全滅したかに見えた騎士団だったが、さすがに国内最強と謳われるだけあって、するすると魔物の隙間を抜けて密集する。そして陣形の指示を受けると、はじき出されたように散開した。


 その数、およそ三十人。


 見学者のために部隊をわけていたのが致命的だった。せめてウルフィアス隊長の一団だったらと思わざるをえない。他の騎士団が無事ならば援軍に来てくれるかもしれない。


 だが、そちらもギュドンに襲われていたら……。ヴァルトの額を冷たい汗が伝う。


 巨大ショグのときは近くにいた熟練の冒険者たちが助けに来てくれた。しかしギュドンに対抗できる冒険者がムダラにったいどれほどいるだろうか。


 四階層の攻略の見学者はそろそろ地上で待機しているかもしれない。しかし救助に来てくれる見込みは薄いだろう。騎士団が苦戦するような相手にわざわざ立ち向かうような物好きがいるはずもない。


「来るぞ!」


 足止めしきれなかったギュドンが角を向け、蹄を蹴っている。一度、二度。ドニがとっさに射線上に飛び込んだときには、大盾ごと弾き飛ばされていた。


「くっ……!」

「こっちだ!」


 ギュドンをけん制するためにシラルが大声を出しながら斬りかかった。レイピアは的確に弱点の脇腹を貫いた。ショグならばこれで倒せるはずだが、ギュドンは毛深い巨体を唸らせる。


 ヴァルトの視界の隅にもう一匹、騎士団の包囲を突破したギュドンの影がうつる。

 やはり数が足りなすぎる。

 防ぎきれない。


「ドニ!」

「わかってるよ!」


 ふたたび大盾を構えて待ち受ける。ジョスランとヴァルトが後ろから支えるためにドニの身体に抱きついた。


 とてつもなく重たい金槌で殴られたような衝撃に歯を食いしばる。盾に弾かれたギュドンの双角が三人の真横で止まっていた。ヴァルトは以前傷を負った胸のあたりがちくりと痛むのを感じた。


「任せたよジョスラン!」

「ああもう……仕方ないなあ!」


 自分に言い聞かせるように絶叫して大剣をひらめかせる。軽くジョスランの等身はあろうかという巨大な刃はギュドンの背中に深々と突き刺さったが、絶命させるには至らなかった。


 牛型の魔物が正面にとらえようとすると、側面へ転がり込む。そして同じ部位を狙って剣を振りかぶった。一撃必殺の戦闘ばかり経験してきたジョスランにとって持久戦は初めてだった。


「そっちへ行ったぞ!」

「ダメだ、間に合わない!」


 広間の中央で一列に横並びになっている騎士たちの方から悲痛な声が聞こえた。ヴァルトが振り向くとすでに突進体勢に入ったギュドンが冒険者の一画に狙いを定めていた。


 このままでは確実にやられる。ヴァルトは反射的に銃口をギュドンの眉間に向けていた。引き金を絞る。軽すぎる反動とともに放たれた弾丸はしかし、ギュドンの気を引きつけるには十分だった。


「やっぱり白魔鉱石じゃダメだ――黄色でないと」

「来るよ!」


 ヴァルトの眼前にドニが滑り込んだ。体勢が整えきれずふっとばされる。いくら盾の強度があっても支える人間がいなくては耐えられない。

 すぐさまドニの着地点に駆け寄って助け起こす。次の攻撃まではわずかに時間がある。


「黄魔鉱石を拾うんだ。それしか手はない」

「またそんなバカなことを言うんだから! 大怪我したばかりじゃないか!」

「だけどドニも見たはずだよ。黄魔鉱石の弾丸を至近距離で放てばギュドンだって倒せる」

「ヴァルトが言ったんだろう、倒さなくてもいいって!」

「ドニ、君はあと何回ギュドンの攻撃に耐えられる?」


 無理な防御をしたせいでドニの手は皮が破け、べっとりと血が滲んでいた。


「……今度ヤウスに手袋を作ってもらうよ」

「そうしよう。もって、あと数回が限界だよ。倒したほうが効率がいい」

「魔鉱石を拾うたって騎士団のなかに突っ込むつもり?」


 ギュドンの群れに果敢に攻撃をしかけている騎士たちの足元には黄色い鉱石がいくつか落ちている。増え続ける魔物はいくら討伐しても際限がなかった。


「あそこまで行くのは自殺行為だよ。おまけに足手まといになる」

「だったらジョスランかシラルに加勢するの?」


 ドニの問いかけを妨害するようにギュドンの突進が炸裂した。身体を地面にこすりつけて衝撃をこらえる。何度も全力で抵抗したせいで、息が荒くなっていた。


「いいや。おれたちで倒すんだ」

「どうやって」

「ギュドンの突進の威力を利用する。剣を構えておけば自分から刺さりにきてくれるからね。問題はおれの肩が外れないかってこと」

「また無茶な作戦だなあ……」


 ドニは呆れ顔になりつつ、ギュドンの横に回り込む。こうすることで少しでも次の攻撃までの時間を稼ぐことができる。


「だからギュドンが突っ込んでくる瞬間に剣を手放すんだ。うまく剣先が刺さればいくらギュドンでも耐えられない」

「――つまり、僕のうしろからヴァルトが剣を投擲するってこと?」

「ご名答。そのときに盾がぶれないことが大事なんだ。ふっ飛ばされても、のけぞってもいけない――やれる?」

「僕を誰だと思ってるんだよ」


 覚悟を決めるのは早かった。青い大盾を床に突き立て、自分は低い姿勢で攻撃に備える。


 ヴァルトは硬い表情でうなずいた。ドニはきっとやってくれる。あとは自分の技量次第だ。剣を正確に投げること、そしてギュドンの突進のタイミングを見極めること。そのふたつが最重要課題だった。


 魔物はゆっくりと転回し、ドニの盾に照準を定める。


 重たげな角が地面すれすれにまで下がり、前傾姿勢をとった。ここからだ。


 前足の蹄を曲げる。石のように硬い床を叩く。一度目。


 その足が戻りきらぬうちにヴァルトは持っていた剣を投げつけた。剣がドニの盾を超えてすぐに二度目の音。


 金属の割れる高音が迷宮を貫いた。


「ヴァルト……やったよ」


 肺の奥まで使って呼吸するドニの手から盾が離れる。


 刀身の根本でぽっきり折れた剣は、ギュドンの眉間に深々と突き刺さっていた。魔物の巨躯が力を失って消える。迷宮に吸収されたギュドンは待望の鉱石を残した。


「僕らがふたりで倒したんだ」

「そうだよ。大成功だ」


 魔物を倒したときに魔鉱石が生成されるかどうかは運次第。今回は幸運だった。


 ヴァルトの全身を熱い血が巡っていく。迷宮の奥深くに眠るという美女はまだ見離していないらしい。魔道銃に石を押し当てる。黃魔鉱石は魔物が消えたときと同じように跡形もなく吸収された。


 避難する冒険者たちの波はようやく先頭集団に及ぼうとしていた。最前線で孤独に奮闘する少年たちを見捨てて次々に退却していく。


「君は先に逃げるんだ。おれはジョスランとシラルを援護してから行く」

「友達を置き去りにしてひとりだけ帰るなんてできないよ。僕も戦う」

「言葉を変えよう。君は先行しておれたちの後方の安全を確保してくれ。こちらも片付き次第すぐに追いつく」

「……ヴァルトはずるいなあ」

「頼んだよ」


 ドニは腕全体で抱え込むように大盾をつかんだ。心配そうにジョスランとシラルを一瞥すると、大人たちに混じって駆けていく。


 おそらくドニの体力は限界に達していた。両手が震えて、指先で拾い上げることもできていなかった。これ以上の無理は禁物だ。ドニの指がすべて砕けてしまう前に返したのは正解だった。


 次はひとりで死線をくぐり抜けているジョスランを助けなければ。

 ぱっと見た限りではシラルの方が余裕がありそうだ。ヴァルトは即断すると大剣でがむしゃらに斬りかかるジョスランの元へ走った。


 すれ違いざまに銃を発射する。

 かなりダメージが蓄積していたのだろう。ギュドンはあっけなく絶命した。


「遅くなった。ごめんよ」

「本当だね。いつ死ぬかとヒヤヒヤしていたよ」


 冗談っぽく笑うが、ジョスランの膝は凍えるように震えていた。ギュドンを倒したと理解して急に恐怖が襲いかかってきたようだった。


「さあシラルを助けようか。あっちも苦戦しているみたいだ」


 だがヴァルトに二の句を継がせず援護に向かう。

 本当はジョスランにも退却してもらうつもりだった。いまの彼は満足に動くことも難しいはずだ。それなのに勇気を振り絞って仲間を救おうとしている。


「やることを、やらなくちゃ」


 いまのギュドンが黃魔鉱石を落とさなかったので残弾はない。


 シラルのレイピアではどれだけ長く戦闘をしてもあまり効果がないだろう。繊細な剣術を有効に使うためには魔物を複数人で取り囲む必要がある。防御が念頭にあっては弱点を突くことが難しくなるからだ。敵の注意を分散させ、安全圏から急所を狙うのがシラルのスタイルだった。


 となればジョスランの剣に頼るほかない。


 ヴァルトは自分の無力さを呪った。どれだけ威力のある魔道銃を持っていても、弾となる魔鉱石がないのではただの玩具だ。一本だけ用意していた剣も折れてしまった。

 こうなってはただの足手まといではないか。


「考えるんだ。考えろ――」


 援軍を待つなんて悠長なことは言っていられない。

 いま、自分にできることはなにか。仲間を救うためにどうすればいいのか。答えは雷鳴のようにヴァルトの脳裏を横切った。


「ジョスラン、シラル!」


 ギュドンを翻弄する剣士たちに呼びかける。角の標的になるのを避けるのに手一杯で返事をする余裕はなさそうだ。ヴァルトは思いついたばかりの作戦を説明しながら駆け寄った。


「ギュドンをもう一度、騎士団の方へ突っ込ませる! 援護してくれ!」


 そう叫んで魔物の前方に回りこむ。

 血走った瞳と視線が合った。あちらもかなりのダメージを受けている。魔物に知能があるのかわからないが、少なくとも冷静な判断ができる状況ではなさそうだ。


「どういうことだ!」


 斬りかかってはすぐに離れ、また斬りかかるという動作を繰り返しながらシラルが叫び返した。


「おれたちの後ろにはもう誰も残っていない。ギュドンの相手は騎士団に任せて逃げるんだ」

「それでいいのか?」

「あの大群を相手にしてるんだ。一匹くらい増えたって問題ない。それに数が多すぎてまともに身動きが取れていないみたいだ」


 騎士団は圧倒的に数で劣っていたが戦況は互角に見えた。おそらくギュドン同士が邪魔しあって殺人的なスピードを活かしきれていないのだろう。騎士たちの個人的な実力も相まって戦線の崩壊は防がれていた。


「ヴァルトがそう言うならそうしよう!」


 魔物の前脚を抉るようになぎ払い注意を引きつけてからジョスランは騎士団のいる方向を背にした。


 急いでシラルとヴァルトも近くに走り寄る。怒りに狂ったギュドンは猛々しく雄叫びを上げた。頭が下がり、蹄を打ち鳴らす。


 すでに回避のタイミングは掴んでいる。二人が横に飛ぶのに合わせてヴァルトも逃げるつもりだった。


 しかし身体を投げ出そうとした瞬間、足がもつれて十分な間合いを取ることが出来なかった。ドニと一緒に受け止めた突進が思いのほか効いていたのだと理解した時には、ヴァルトの小柄な肉体は遠く離れた場所に移動していた。




 シラルの目には、まるでヴァルトが消失したかのように映った。

 ギュドンが移動した方向に視線を向けたときにはすでに空中にいた。反射的に駆け出そうとして腕を掴まれた。


「放してくれ! ヴァルトを助けに行かなきゃ!」

「君に何ができるっていうんだ!」

「バカなことを――」


 言うな、と怒鳴りつけようとして口をつぐんだ。

 ジョスランは泣いていた。大剣を持つ手も、シラルのローブを握る手もみっともないくらいに震えていた。


「俺たちじゃギュドンは倒せないんだ。助けに行ったって、騎士団のじゃまになる。ヴァルトの言ったとおり逃げるしかない」


 正論だった。


 シラルは最前線で戦っている騎士たちを見やった。誰も彼もが目の前の敵をさばくのに必死でヴァルトを救助しに行く余裕はない。それどころか一人の少年がギュドンの群れの真ん中に落ちていったことさえ気付いたか怪しかった。


「けど、それではヴァルトが!」

「俺たちが死んで喜ぶと思うのかい! ヴァルトは最善の策を選んだ。俺が――俺が弱かったせいで逃げるのが一番だって判断したんだよ!」


 震えの止まらない手でローブの裾をさらに強く握りしめる。


 誰よりもヴァルトを助けに行きたいのはジョスランなのだと、シラルははっとして悟った。彼は友達の限界を知っていた。だからこそ倒してしまうのではなく逃げる道を選んだ。


 自分が負けず劣らず体力を消費していたことも気づかずに。


「ヴァルトが死んだって決まったわけじゃない。なのに俺たちが勝手に絶望して、無茶なことしてもあいつは喜ばないんだ。きっともうすぐ助けが来る。そしたら、どんなに傷だらけになったとしても帰ってくる。ヴァルトが戻ってきたときに誰もいなかったんじゃ意味ないだろう!」


 シラルは血がにじむほどに唇を噛み締めていた。


 よろめくように足を踏み出す。そしてそのまま振り返ることなく出口を目指した。地中に埋められた照明も、道の角に張ってある案内も滲んでいた。先に逃げた冒険者でごった返す地上に出て、ようやくシラルは嗚咽を上げた。

 



「ヴァルト!」


 シラルの叫びが小さく聞こえる。


 痛みはなかった。どうやら服の端を角に引っ掛けたらしいとヴァルトは空中を舞いながら思った。


 迷宮を覆い尽くさんばかりに溢れかえるギュドンの群れの真ん中に落ちていく。身体の自由はきかないが妙に冷静になって次の行動プランを練っていた。死の瀬戸際ほど高速で思考がはたらくのかもしれない。


 毛深い茶色の皮の隙間に、吸い込まれるように落ちた。幸い背中にあたって威力が緩和された。


 ギュドンの恐ろしさは角の一撃にある。ヴァルトは視界をうめつくす無数の四本足に踏み潰されないよう、巨大な牛の真下に潜り込んだ。


「ふう……」


 完全に死地だ。


 いくら騎士団が優秀でもギュドンの海の真ん中まで救助に来るのは困難極まりない。今度こそ死んだかと諦めかけていると、黄色い光を放つ小石が転がっているのが見えた。


「黃魔鉱石――」ヴァルトの顔に生気がみなぎっていく。「これさえあれば」


 しかも魔鉱石は一つや二つではなかった。辺り一面に点々と分布している。雨でも降るように黄色の小石がぱらぱらと落ちてきていた。絶え間なく生産される魔鉱石はどうやらギュドンの同士討ちによるものらしい。


 初めてギュドンと戦った時のことを思い出す。あのときも一体は同士討ちさせて葬った迷宮の死神は、同じ種族に対しても死神であるようだった。


 傘に叩きつけられる雨粒のように蹄の音を響かせるギュドンの脚に踏み潰されないよう、慎重にかがみこんで移動する。耳元をヴァルトの顔ほども太さのある後ろ脚が過ぎていった。蹴られたら骨折ものだろう。


 ようやくのことで黃魔鉱石のもとにたどり着く。すぐさま魔道銃に装填し、一息ついた。


「……シラルとジョスランが追いかけてなければいいけど」


 無事だと伝えるには派手に魔導銃を撃ち放つのが効率がいい。


 だが、それは騎士団に銃という秘密の武器の存在を知らせることになってしまう。とりあえず弾丸の補充だけ済ませておくのは消極的な時間稼ぎでしかなかった。


 視界も音声もすべてギュドンに支配されている。


 ヴァルトは右手に持った魔導銃をじっと見つめた。そしておもむろに顔をあげると、次の黃魔鉱石のもとへ這うようにして向かった。


 幸いなことにどちらを見渡しても魔鉱石は無造作に点在している。

 ほのかに光っていた銃口がランプのような明るさになるまで、さほど時間は要しなかった。


 もはやどちらに騎士団がいるのかさっぱり判別がつかない。ヴァルトはギュドンの脚の隙間から奥をのぞき込んだ。かなり離れたところに複数のすね当てが見えた。そちら側を背にして、伏せった格好で銃を構える。


 狙いは不必要だった。


 小さく息を止め、引き金を絞る。


 一面が白く染まったかと思うとヴァルトはふたたび衝撃を受けて吹き飛ばされていた。今日はよく宙に浮くものだと苦笑しつつ、気を失った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ