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16話 カフカの宿

 ドニが連れてきた宿屋の外見はまさしく化物屋敷と呼ぶにふさわしかった。


 増改築を繰り返してきたのだろう建物はいびつに膨らんでおり、コブだらけの老木を思わせる。石造りの外壁は長年の風雨のために黒く変色している。窓はいくつかあるがどれも内側からカーテンが引かれてなかの様子をうかがうことはできない。


 入り口には赤い文字で『カフカの宿』と書かれている。

 名前はまともなようだ。なぜ血のように赤くしたのかは不明だが。


「……ここ?」


 シラルが確認する。


「うん。お金さえ払えば泊めてくれるって。部屋もちょうど隣り合わせで二部屋あるし、運が良かったね」

「……というか、いつでも空いてる気がするんだけどな」


 魔鉱石から抽出されるエネルギーで光る街灯が、チカチカと点滅する。夜闇に光る街灯に誘われた蛾が、不安定な軌跡で飛んでいるのが見えた。


「なんというか美意識に欠ける建物だね。お金が貯まったら早々に引っ越すべきだよ」


 ジョスランは諦めたようにため息をついた。

 ムダラの冒険者の数は秋から冬にかけて増えてくる。雪で農業ができなくなった田舎から出稼ぎに来るのだ。それ以外の季節では春先に減るくらいで、あまり変動しない。


 待っていてもほかの宿が空く可能性は低いだろう。

 建物のあいだを縫って風が吹き込んでくる。いくら街中とはいえ夜になると急激に冷え込む。


 シラルはローブの上から両腕を抱いた。フードがはためいた。


「ここでいいよね」


 ヴァルトの問いに小さく首肯する。

 これで決まりだ。ヴァルトは決意を固めると、建てつけの悪い扉を開いた。木製の扉は悲鳴のような音できしんだ。


 内部は外よりもわずかに明るいという程度だった。

 カウンターに置かれたランプが頼りなく屋内を照らしている。天井には照明も取り付けられているようだが、機能していなかった。


「あの、二部屋お願いします」


 ドニが声をかけると、老年の主人はすでに用意してあった鍵をふたつ投げて寄こした。


 暗くてよく見えないが彫りの深い顔立ちをしている。なにを考えているのかわからない表情はひどく不快そうで、気軽に話しかけられる雰囲気ではない。おまけに頬には大きな切り傷が刻まれている。誰かにやられたのか、あるいは魔物に襲われたものなのか。

 どちらにせよあまり友好的な人物ではなさそうだった。


「料金は何ヶ月分?」


 ドニが聞くと主人は指を二本たてて見せた。

 人差し指が切り落としたように短かったのでジョスランは小さく悲鳴をもらした。


「いくら?」


 主人は頭上を指さした。

 料金は平均的な宿屋よりもいくらか安かった。それでも空室があるということはよほど冒険者から人気がないのだろう。


「値切ってもいい?」


 ドニは大胆不敵に質問した。後ろで見守る三人は心臓が飛び上がりそうなほど驚いた。ただでさえ安めの料金だというのに値切ろうとする精神と、強面の主人に交渉をもちかける度胸はむしろ恐ろしい。


 しばらく沈黙があった。

 主人は厳しい視線でドニのことをにらんでいたが、口を開いた。


「いくらにしてほしいんだ」


 年齢相応にしゃがれた声だった。

 怒鳴られたら萎縮して身動きできなくなりそうだ。ヴァルトは村の長老を思い出した。人は歳を重ねると、それに応じて威厳のある声音になっていくものらしい。


「うーん、三割くらいまけてほしいかな」


 もちろんこれは様子見というところだ。

 交渉の基本的な技術として、自分の希望よりも下の金額をあらかじめ提示しておいて、徐々に相手の要望に合わせていくというものがある。もちろんお互いに最初は無茶を言うものだとわかっているので、それに対して怒るようなことはない。

 だが主人の口から出たのは意外な言葉だった。


「それでいい。計算はできるか」


 呆気にとられて口を開けっ放しにしているヴァルトに、ドニが料金を計算するよう求める。簡単な計算なので、ほんの数秒で答えを出す。店主はろくに確かめることもせずヴァルトの言った金額を受け取った。


 引き換えに宿の規則が書かれた紙を渡される。

 ざっと目を通したところ、まともな条項ばかりだ。


 ご飯は付いていない、部屋の掃除は各自で行うこと、異臭が発生するという苦情があった場合には改善されなければ撤去を求めることがある、等々。


 見た目こそ不気味な建物と主人だが、意外と優良物件を引き当てたのではないか。ヴァルトは嬉しくなってドニの度胸と幸運に感謝した。

 それ以上の伝達事項はないらしく、主人は金貨を持ってカウンターの奥に引っ込んでいった。


 鍵についている部屋番号をみると二階に行かなければならないようだ。階段を使うのは不便だが、いざとなったら窓から飛び降りることのできる高さでもある。何から逃げるつもりなのかと、ヴァルトは自分で苦笑した。


 いくら物騒な外見をしていても、幽霊やお化けがでるわけではない。正体不明のものを怖がるなんて馬鹿らしい。


「……さて」


 余計なものは一切置いてなかった。

 ベッドがふたつ並んでいるほかは、窓があるくらいで、寂しいまでの殺風景だった。ヴァルトは先ほど渡された紙に書いてあったことを思い出した。


 必要ならば家具は各自で買い足すこと。ただし契約が切れた際には処分するか、各自で持ち運ぶか決めること。

 つまり宿ではなく、ほとんど貸部屋のようなものらしい。


 部屋のなかにはランプや照明が取り付けられていないので、廊下に吊るされた細々とした照明を頼りに荷物をおく。部屋割りは自然とヴァルト・シラル組とドニ・ジョスラン組にわかれた。これが一番相性のいい組み合わせなのだ。


「明日は朝食をとったら、迷宮見学に参加してみよう。たしか昼ごろから行っているはずだからね」


 シラルが提案し、明日の予定が決まった。

 ムダラでの生活の中心はとにもかくにも迷宮である。もちろん冒険者を相手に商売して一財をなすことも可能だが、やはり命の危険を犯してでも大金を夢見る男は多い。


 魔物が落とす魔鉱石の価値は、コツコツと商売を続けて得られる利益をはるかに凌駕する。人生の一発逆転を試みるのに、迷宮は最適な場所なのだ。


 おやすみと挨拶を交わしてベッドに入る。

 そういえば走って汗をかいたのに風呂に入っていない。これからしばらくムダラで生活するための拠点を探すことになるだろう。まだ衣食住のひとつが決まっただけなのだ。


「シラルはムダラで暮らしていたの?」


 毛布をかぶりながら尋ねる。やはり風雨にさらされない寝床は落ち着く。


「いいや、迷宮に何度か行ったことがある程度だよ」

「魔物と戦ったの?」

「一階層の魔物ならいまのボクたちでも武器さえあれば倒せるよ。もちろん油断はできないけどね」

「それだと一日の食費にもならないんだっけ」

「ドニのおやつ代で消えるだろうね。一階層は金を稼ぐためじゃなくて、迷宮に慣れるための入り口なんだ。そこでしばらく腕試しをして徐々に階層を深くしていく」

「シラルはどこまで行けたの?」

「さあ、忘れちゃったね。明日も忙しい一日になるよ。ボクはもうクタクタだから寝る」

「迷宮まで走っていこうね」

「……どうしても?」

「うん。シラルは体力をつけなくちゃ」

「……あーあ、なんだか憂鬱になってきた」


 シラルは寝返りをうって黙り込んだ。しばらくすると寝息が聞こえてくる。ヴァルトも目を閉じるとゆっくりと夢の世界にいざなわれていった。


 強烈に差しこむ朝日を浴びて、ヴァルトは目を覚ました。

 どうやら窓は東向きに面していたらしく容赦ない太陽の光が顔に当たっている。下の階の住民がカーテンを閉めていたのはこれを防止するためだったのだろう。今日こなすべき用事にカーテンとなる布を買ってくることを追加する。


 大きく伸びをして起床する。予想より早く目覚めてしまったとはいえ、自然に起こされる感覚は心地いいものだ。

 ヴァルトは窓から視線をそらすとぎょっとした。


 壁は厚い木材で作られているが、どういうわけか赤黒い染みが血痕のように天井に飛び散っている。昨晩は暗くて気付かなかった模様だ。これを気味悪がって部屋が空いていたのだろうか。見つめているうちにだんだんと本当の血のように思えてくる。


 ヴァルトは頭を振って不吉な考えを追い払った。

 天井に貼るための壁紙も買ってこなくては。寝るために仰向けになるだけで恐怖心が湧いてくるのではとてもよい夢は見られそうにない。


「う……ん」


 シラルは陽光から逃げるように毛布を頭までかぶっている。ヴァルトはベッドから降りると、思い切り毛布を剥がした。


 どうしてだおるか。シラルを見ているとドニやジョスランに接するときとは違っていたずらをしてみたくなる。部屋が一緒なせいかもしれない。

 防御を失ったシラルは芋虫のように縮こまってふたたび眠ろうとする。


「ほら、起きて。今日は迷宮に行くんだからね」

「あと……ちょっとだけ」

「ダメダメ。買い物もしなきゃだし、忙しいんだから」


 依然として言い訳を並べ立てるシラル。

 ヴァルトは面白い作戦を思いつき、ほくそ笑んだ。


「そういえばジョスランの親父が言ってたなあ。どうしても起きないときは毛布だけじゃなくて服も脱がせると効果的だって」

「――え?」

「というわけで今度からシラルが素直に起きなかったら脱がしにかかるからね。よろしく」

「ちょっと待つんだ」


 シラルは目を大きく開いて飛び起きた。やはり効果抜群だったようだ。

 もちろんジョスランの親父から聞いたというのは嘘である。村では朝から農作業の手伝いをするため、自然と日が昇れば目覚める習慣が身についていた。


「ヴァルト、君には人の権利を尊重する意識がないのか。服を勝手に脱がせるなんて犯罪だぞ」

「ムダラにはそういう細かい法律はないんだよね。人に危害を加えないことっていう条文があるだけで」

「十分危害を加えているじゃないか」

「じゃあ騎士団を呼ぶといいよ。果たして来てくれるかなあ」

「く……」


 シラルはヴァルトを悔しそうににらみつけて反撃する。

 そのくらいはなんともない。ヴァルトは高らかに笑って、忠告する。


「明日からは一回しか警告しないからね。あとは問答無用だよ」

「君は魔物より恐ろしい。いつか討伐してやる」


 恨み事をのべるシラルは全身が痛いと愚痴りながらベッドから降りた。昨日の長距離走のおかげで筋肉痛になっている。


 ヴァルトが隣室の様子を見に行こうとすると、ちょうどジョスランが廊下に出たところだった。シラル以外はすっきりと覚醒したらしい。


 貴重品を手早くまとめ、部屋に鍵をかける。カリアにもらったお金のおかげでしばらくは金銭面の心配をせずに暮らせるので盗難さえ注意していれば大丈夫だろう。


 ほかの部屋の住民がどれほどいるものか数えてみようとしたが、どこも扉が閉まっているため『カフカの宿』の実情はよくわからないままだった。

 建物の外に出る。よく晴れている。ムダラで迎える最初の朝としては上々だ。


「おなか空いたなあ」


 ドニがさっそくお決まりの台詞を発する。そういえば昨晩は夕食をとっていない。宿家探しに意外と手間取ってしまったせいだ。


「とりあえずご飯にしようか」

「うん」


 元気よく返事をして少年たちは『カフカの宿』をあとにした。朝になると、おどろおどろしい建物もいくらか和らいで見えた。

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