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12話 天罰

 早朝のセントロードは深夜のにぎわいが嘘のように閑散としていた。人通りは少なく、出歩いているのは朝市に向かう地元の住民くらいのものだ。道端にはちらほらと酔いつぶれて夜を明かしたらしい冒険者がうずくまっているが、誰も気にとめようとしない。


 そのくらいはもはや日常茶飯事なのだろう。

 財布や装備品を盗まれていないか心配に思うが、冒険者が自分の身を守れないというのもおかしな話だった。迷宮にはスリやかっぱらいよりずっと恐ろしい魔物が跋扈しているのだ。命を危険にさらす戦士たちが財布さえ守り抜けないとなっては笑い草だろう。


 セントロードでもっとも静かな時間帯は朝なのだとヴァルトは初めて理解した。

 まるで違う街にさまよい込んだみたいに雰囲気が一変している。人がいないというだけで、どこか遠くに感じられたセントロードも普通の街と同じように思えた。


「朝市――というのはどこで開かれているものなんだ?」


 シラルが広々とした大通りを軽やかに歩きながら尋ねた。


 今日はひとまず朝市に寄ってみようというのがヴァルトの作戦だった。ドニとジョスランとは昨日と同様に別行動をとっている。広範囲に捜索の手を広げるほうが効率がいい。


「朝は収穫したばかりの野菜を近所の農家が売りに来るから、たぶん各門の近くでやってるはずだよ。あまり街のなかには入ってこないだろうしね」

「どうしてこんな朝早くに商売をするんだ。もっとゆっくり眠っていればいいのに」


 大きくあくびをする。

 普段よりもかなり早く起床したためシラルはまだ眠たげにまぶたをこすっていた。


「みんな昼から夜にかけて働くからだよ。朝のうちに仕入れを済ませておくんだ。それに野菜も採れたてが一番美味しいからね。放っておいたらどんどん水気が抜けて、夏場にはすぐに腐ってしまう。だから新鮮なうちに届けるんだ」

「ヴァルトの村でもそうしていたのか」

「村から外にはあまり出なかったからなあ。必要な物は山や畑にあったし、ほかのものが必要になったら大人が近くの大きな村に出かけて野菜や肉と交換してたけど、朝市には不参加だったよ」


 思えば、そのときにジョスランの父親が大量の本を買い取ったりしていたのだろう。生きていくには十分な自然の恵みを得られたが、人の手が加わったものを欲しいと願えば近隣に出向くしかない。

 へえ、とシラルは相槌を打った。


「朝早くから働くって大変だね」

「そうかな。おれはけっこう好きだよ」


 西門が見えてきた。

 ムダラからの観光客を歓迎するための南門と比べれば華やかさは劣るが、ござを敷き、野菜やその他の品物の売買を行っている様子は活気に満ちていた。


 食事処の料理長らしき格好をした男たちがよく日焼けした農家の人に値段の交渉を持ちかけ、いくばくかのお金と引き換えに食材を持って帰る。


 これがセントロードの食事の源になるのだ。


 ヴァルトたちの泊まっている宿のように家畜を飼育しているところもあるが、それだけでは大勢の観光客の胃袋を満足させるには不十分だ。セントロードを支えているのは、街の周辺のたくましい農家たちに違いなかった。


「昼間に見つからなかったとなれば、夜遅くから朝早くに出歩いているのかもしれないと思ったんだけど――」


 ヴァルトとシラルは売買に忙しい人々の顔をのぞき込んでは瞳の色を確認する。ほとんどは青か黒をしており、期待していた灰色は見つけられなかった。


「やっぱりそう簡単にはいかないか」

「灰色の瞳が差別されるなら、ふだんは巧妙に隠しているのかも」


 こうるさい虫を追い払うように手を振るエプロン姿の男から逃げてきたシラルが思いつきを口にした。


 なにも買わずに他人の顔ばかり観察している子どもたちが邪険に扱われるのも当然のことで、すでに敷物を丸めて帰ろうとしている農家もいる。

 時間をかけたわりに、めぼしい成果はなかった。


「隠すか――どんな方法があるかな」

「ボクみたいにフードをかぶるとか、目を閉じて生活するとか」

「それはそれで目立つね。どこか普通でない点があるはずなんだ――それさえ気付ければ、カリアさんの家族にもたどり着けるように思う」

「ボクらも占ってもらおうか」

「お金さえあればね」

「……あのときもっと持ってくればよかったなあ」


 シラルが山賊にとらわれていたときの話である。

 目の前に無造作に積み上げられた硬貨にもかかわらずシラルは自分が盗られたぶんだけ取り返した。その後激怒した山賊の一団が追いかけてきたが、ウルフィアスの率いる騎士団によってあっけなく壊滅させられたのだった。


 おそらく賊の根城にあった財産はすべて騎士団に差し押さえられ、いまごろムダラに運び込まれているだろう。


 賊を倒して獲得した資産は自分のものにしていいという法律だが、シラルは遠慮してわずかな額しか持ち出さなかったことを後悔していた。


「シラルはなにも悪くないよ。泥棒になるより貧乏でいるほうがずっといいさ」

「そう思う?」

「いくら山賊相手でも泥棒は泥棒だよ。悪いことをして稼いだお金を使っても、すこしも幸せになんてなれやしない」

「慰めてくれるのは嬉しいけど――はあ、昼食抜きかあ。辛いなあ」


 シラルは盛大にため息をついた。


「夜にたくさん食べればいいことさ。ドニも我慢してるんだからシラルも元気だして」

「…………」

「もしかして、あれが食べたいの?」


 食料品や陶器などの日用品を売っている露天にまじって、甘味を販売する屋台があった。風にのって流れてくる甘い匂いはたしかに魅力的だ。

 ヴァルトは物欲しげに甘味屋を見つめるシラルの両目を後ろから塞いだ。


「夜まで我慢。わかった?」

「……うん」

「さあ頑張ろう。まだ一日は長いよ」


 シラルの前から手を放し、ヴァルトは元気よく声をかけた。太陽はまだ空の中途半端な場所にある。よく晴れた一日がようやく始動しようとしていた。





「あーあ、お腹減ったなあ」

「さっき食べてきたばかりじゃないか。君の胃袋は底なし沼にでもなっているのかい」

「夜までなにも食べられないって考えるだけで辛くなるんだ。ヴァルトは悪魔だね。なにが悲しくてお昼ごはんも食べられない生活を送らなきゃいけないんだ」

「お金がないからだろう。それも君が大量に買い食いをしたせいで」

「そうかなあ。おやつだったんだけどなあ」

「君のおやつは俺の一食分なのさ。それに痩せるには絶好の機会だろう。せっかくだから細身の体型を目指してみたらどうだい」

「そんなの僕じゃないよ。食べるために生きてるんだ。ヴァルトが読んでた本にもそう書いてあったよ」

「――たしか、食べるために生きるのか、生きるために食べるのか、とかいう哲学的な本だったね。たぶん君の発言とは趣旨が違うと思うけど」

「細かいことを言うなあ。大事なのは食べるか、食べられるか、それだけでしょ」

「……君はなにと戦うつもりだい?」

「もちろん限界とだよ。食欲に支配されたらオシマイだもの」

「手遅れな気もするけどなあ」


 腹が空いたとしきりにぼやくドニに多少うんざりしながらもジョスランは東区を探していた。ヴァルトたちとは逆方面の東区の門にも同じように露天を広げる農家たちとそれを買い付けにくる商人や料理人が大勢いてにぎわいをみせていたが、西区に比べるといくらか劣る。


「なんというか、昨日行ったところを思い出すね」


 ジョスランが想起しているのは怪しげな占いをする老婆のいる地区のことだった。あそこと似た空気をまとった人々が東区に溢れだしてきているようだった。


 粗末な身なりで物乞いをしている大人たちに、二束三文のガラクタを売りつけようと走り回っている子どもたち。彼らはきっと昼間になれば人通りの多い南区に移るのだろう。ムダラで一稼ぎしてきた冒険者のなかには気前よく金をわけてくれる者もいるはずだ。


「ひとつ間違えば俺たちもああなってしまう。お金がどれだけ大事か、身にしみてわかるというものだよ」

「でも、僕らとなにも違わないように見えるけどなあ。ちょっとお金があれば、綺麗な格好も、美味しいご飯も食べられるわけだし。ほんの些細なことで失敗してしまっただけなんだよ、たぶん」


 ドニは珍しく賢そうな意見を述べた。


 その後しばらく灰色の瞳の情報をもとに調べまわったが芳しい結果は得られなかった。不自然なほど誰もが灰色の瞳をした母娘など知らないと口をそろえて証言した。


 あまりにうまくいかないので、ふたりは道路の端に腰を下ろして休憩することにした。肉体的に疲れたというより、精神的に疲れてきたというのが本音だった。


 成果の出ない地道な作業ほどつらいものはない。


「甘いものがあったら元気になるんだけどなあ」


 ドニが空を見上げながらつぶやいた。よく晴れた青空だった。


「無茶を言わないでくれよ」

「その辺に小銭でも落ちてないかなあ――」


 地面にぼんやりと視線を走らせていたドニは、あ、と素っ頓狂な声を上げた。ジョスランがゆっくりと顔を横に向ける。


「どうしたんだい」

「あの人がいる」

「どの人?」

「ほら、ヴァルトに喧嘩をふっかけた酔っぱらいだよ」


 老人のように背中を丸めて歩く男にはたしかに見覚えがある。ヴァルトに因縁をつけてなけなしの金を奪おうとした張本人だ。カリアが仲裁に入ってくれたから助かったものの、運が悪ければ殴られる程度では済まなかったかもしれない。


 男はしきりに頭をさすったり、なにかを追い出すみたいに叩いている。

 二日酔いに悩まされているのだろう。他人から脅し取ろうとするくせに、自分の酒代は惜しまないらしい。


「――ドニ、余計なことはするなよ。あのときはカリアさんがいたから無事に収まったけど、むやみに復讐したら返り討ちにされてしまう」

「わかってるよ」言いつつもドニは足元に転がっていた手頃な大きさの小石を拾い上げ、振りかぶった。「ちょっと天罰を食らわせるだけさ」


 ドニが投げた石は吸い込まれるように例の男の後頭部を直撃した。その瞬間にドニとジョスランは下を向いて顔を隠した。

 男が悪態をつきながらやたらめったらに騒ぎ立てているのが聞こえる。


 痛いだの、やったのは誰だのと威嚇しているが、誰も相手にしないので、さらに立腹したようだ。声の大きさを数倍にして怒鳴りはじめた。


「……君ってやつは」

「ヴァルトの仇討ちだよ。やられっぱなしっていうのは気持ち悪いからね」


 ドニが懸命に笑いをこらえながら弁明する。山賊のときといい、やられたらきっちりやり返すという性分らしい。敵に回すと恐ろしいとジョスランは心に刻んだ。ドニを怒らせるのだけはなんとしても避けよう。


「ああいう人はどうやって暮らしてるんだろうねえ。昨日みたいに人から盗んだお金で生活してるのかなあ」

「働いているようにも見えないね」

「あーあ、僕も働かないでもお金を稼げる方法が知りたいよ」


 男の怒声が聞こえなくなったのでドニとジョスランは伏せていた顔を上げた。周囲は何事もなかったように通常営業だ。どれだけ威張り散らしたところで、実際に暴力をふるわれるのでもなければ怖くない。


 ふたりはその場を移動して、西門の付近を中心に行き交う人々をしばらく観察した。


 灰色の瞳という決定的な特徴がありながら、どうしても発見できないカリアの娘と妻の存在は不思議そのものだった。

 まるで最初からセントロードにいなかったように思えてくる。


 カリアは情報源にたいそう自信を持っていたが、それが間違っていたということもありうるのだ。むしろ誤情報をつかまされたと考えるほうがしっくりくる。


 朝から釣り竿を構えていた漁師がさっぱり魚影を見かけないので場所を移すように、ドニとジョスランもふたたび拠点を変えようとしたとき、またもやくだんの男を見かけてしまった。


「あいつ……」


 ジョスランが奥歯を強く噛みしめる。


 男は片足をなくした乞食に因縁を付けているようだった。目的は小ぶりな籠に寄付されたいくばくかの金だ。一日の食費にさえなるかどうかという微々たる金額をせしめようとしている。


 嫌がる乞食にうんざりするほど顔を近づけ、耳元で大声を張り上げている。周りの人々は自分が巻き込まれることを恐れて誰も乞食を助けようとしない。


 元々、他人からもらったお金だから、それを他の誰かに盗られても仕方ないとでも言いたげな表情で素通りしていく。


「ジョスラン」

「ああ、ここで黙ってたら父さんが嘆くよ」


 ふたりは一瞬で同意すると忍び足で男の背後へ迫った。酒の匂いが全身から漂っている。体中の血液が酒に代替されているみたいな臭気だった。


 低俗なちんぴらぶりを発揮する男は一向に現金を渡そうとしない乞食の態度にしびれを切らし、強引に小銭の入った籠に手をかけた。その瞬間、男の背中をドニとジョスランの容赦ない蹴りが襲った。

 顔面から地面に激突する。


「ざまーみろ」

「悪さをするからだよ」


 それぞれに勝利宣言を放つ。

 だがその勇ましさも、憤怒の形相で振り返った男の気迫にかき消された。


「ぶっ殺してやる!」


 男はポケットに手を突っ込んだ。ジョスランは反射的にドニの肉厚な肩を引き寄せた。いままで首があったところを、ナイフの刃が通り過ぎていた。


 ジョスランの咄嗟の判断が一瞬でも遅ければ、いまごろ大量の血液で男の顔が真っ赤に染まっていただろう。ふたりの眼前で荒い呼吸をするチンピラは耳まで自身の血流で紅潮させていた。


「ヤバい、逃げるぞ」

「うん」


 一目散に大通りを東に向かって駆けだす。背後で拍手が上がっているのが聞こえた。感嘆の賛辞を送るくらいなら助けてくれてもいいのにと思うが、それどころではない。


 走る。野山を駆け回って鍛えた持久力は生半可なことでは衰えない。おまけに厳しい旅路でさらにたくましさを増した両脚は軽々と男を引き離した。


 しかし、すぐにジョスランは隣にあるべき姿がないことに気付いた。


「――ドニ!」


 見るとはるか後方に取り残されている。いくらなんでも遅すぎる。ジョスランは急いで引き返すが、それよりも早く男のナイフがドニの背中を突き刺そうとしていた。


「後ろ!」

「はあはあ――」


 過呼吸かというほど全力で空気を取り込もうとしているドニは走るというにはあまりにも遅すぎるスピードで足を動かす。男の握ったナイフが一直線にドニの柔らかい背中を貫く寸前、ドニは奇跡的な動きで攻撃を回避した。


「なっ――」


 男の目にはドニの巨体が一瞬にして消えたように映っただろう。実際は足がもつれて転んだだけなのだが、男は地面に突っ伏すドニの身体につまずいて、ふたたび顔面を強打した。


 転がる拍子に男の手からナイフが離れた。ジョスランは古びたナイフの柄をつま先で蹴り飛ばした。


 小さい頃から小石をどれだけ遠くに蹴飛ばすことができるか競って遊んだものだ。その成果がでたのか、男のナイフは大通りの反対側まで滑るように遠ざかっていった。


「ドニ、怪我はないか!」


 腕をとって立ち上がらせる。ドニは潤んだ瞳で訴えた。


「お腹が空いて力が――」

「うるさいな! 死ぬかどうかの瀬戸際だぞ!」


 いやに遅いと思ったら空腹で走れなかったというくだらない理由だった。だいたいドニは太っているとはいえ足腰の弱った酒中毒の男に走り負けるはずがないのだ。


 ヴァルトやジョスランに比べると遅いが、田舎の村で自然と鍛えられた体力は本物なのだから。


「喧嘩を売るならそのくらいはどうにかするべきだろう!」

「食欲には勝てなかったよ……」

「ドニの馬鹿!」


 ジョスランはドニを背負って駆けようと思ったが、すぐにそれが無謀であることを悟った。ドニを抱えて行動するのは、クマを背負っているのと同じくらい困難だ。せめてシラルやヴァルトだったらなんとかなりそうなものだが、ジョスランの横幅の二倍はあろうかという巨体はどうしようもない。


「……いってえ」


 土が口に入ったのだろう男が咳き込みながら顔を上げた。

 鼻血が伝っている。かなりの勢いで鼻をぶつけたので、ひょっとしたら骨が折れているかもしれない。それはそれでいい。


 男はようやく自分の手にナイフがないことに気付いたようだった。周囲を見回すがジョスランがはるか遠くに蹴飛ばしたナイフはすでに通行人が拾っている。さすがに衆人環視の状況で取り戻すわけにもいかないだろう。


「ドニ」


 ジョスランは一声かけた。


「うん?」

「先に謝っておくよ。ごめん」

「え、なにが――」


 ドニが心の準備を整えるのを待たずにジョスランは全力で友人の身体を前に押した。もはや立っているだけの余力さえ残されていないドニは力に流されるままに男のほうへと不安定な巨体を傾けた。


「まさかドニが武器になるなんてね。新しい発見だよ」


 再度、男の鼻を圧倒的な衝撃が貫いた。

 ドニの立派な尻に敷かれた男は気絶したみたいにぴくりとも動かなかった。


「首をやっちゃったかな」


 ドニが平然と物騒なことを口にする。ジョスランは男の胸元に耳を当て、脈と呼吸を確認する。

 しっかりと拍動はあった。


「大丈夫、生きてるよ」

「よかったあ。また殺しちゃったのかと思ったよ」


 ドニの発言に、いつの間にか形成されていた野次馬がざわめいた。あの少年は一体何者なんだと言いたげな視線が突き刺さる。注目されるのは悪くない気分だったが、語弊があるのを断っておくべきだろう。


「前も未遂だったじゃないか」

「そうだったっけ。まったく僕は不幸だなあ」


 やはりざわめきが起こる。人を殺めてはいないと確認しただけなのに。ジョスランは首をひねった。


「この人どうしようか。自警団の人につき出したほうがいいのかな」


 ドニの尻の下でのびている男を指さしながら思案する。このまま放っておくのは色々とまずいだろう。


「面倒なことに巻き込まれている暇もないし、家まで送り届けてあげようか。玄関の前に寝かせておけばいいよね」


 ジョスランが提案した。


「でも、気絶してたんじゃわからないよね」

「誰かに聞いてみようか」


 遠巻きに取り囲んでいる野次馬たちに声をかける。そのなかのひとりが男の住所をしっていると名乗りを上げた。なんでも男の飲み友達だという。ある意味では自分の責任でもあるからと、家まで送り届けることを約束してくれた。


「こいつは西区の裏路地に住んでるんだ。さほど距離があるわけじゃねえ。家に連れて行けば娘さんが介護してくれるだろうよ」


 やれやれと物憂げに男を背負う。ドニはがたいのいい協力者に質問した。


「その人はなんて名前なの」

「ジルーだよ。もうお前たちには迷惑をかけないよう、あとで叱っておくから勘弁してくれ」

「そんな人でも家族がいるんだね」

「近頃は娘が稼いできた金を巻き上げては飲んだくれているけどな。父親としては最低の部類さ。ま、他人のことが言える立場じゃねえが」


 これで収入源がはっきりした。

 家族を働かせておいて、自分は酒に溺れるとは信じられない悪行だ。ドニがついでにもう一発殴ろうとするのを止めながら、ジョスランはついでに聞いた。


「その娘さんは灰色の瞳をしていなかったかい」

「灰色――さあ、聞いてねえな。もっともジルーの娘の話は聞くばかりで実際に見たことはないから、断言できないぞ」

「十分だよ。ありがとう」

「坊主どももあんまり生き急ぐんじゃねえぞ。ナイフを相手に素手で立ち向かおうなんざ正気の沙汰じゃねえ。どこの冒険者に憧れたか知らないが、自分の身のほどをわきまえるんだな」


 最後にそう警告して、ジルーという名の悪漢を背負った男は路地に入っていった。喧嘩の当事者がいなくなってしまうと凍りついていた時間が溶け出し、見物しようと輪になっていたやじうまも解散した。


 なにもかもが元通りだ。


 ジルーのナイフは誰かが持ち去ってしまったらしく見当たらない。そう値打ちのあるものでもないから、凶器をとりあげたのは正解だろう。

 善悪の判断もつかないような人間に武器を持たせるべきではないのだ。


「これでしばらくは手出しはできないだろうね。偶然とはいえ子どもにやっつけられたなんて話が広まったら、恥ずかしくて家にこもりっぱなしだよ」

「世界がまたすこし平和になったんだね」

「――そういうことになるのかな」


 間違っているような気がしなくもないが、ジョスランは深く突っ込まないことにした。大事なのは自分たちで悪漢を撃退したという事実だ。


 カリアの助けを借りずともなんとかなる。


 本来の使命を忘れてジョスランは体の奥から熱いものがわきあがってくるのを感じた。これなら、迷宮に挑んでも一人前に冒険者としてやっていける気がする。


 ナイフを持った大人をふたりで倒せるのだから四人でかかれば魔物くらい楽勝だ。成長期にあることもふまえれば未来の可能性は限りなく明るく彩られている。


「……ジョスラン」


 いい気分に浸っているところでドニが情けない声を出した。ジョスランは夢から覚めたみたいに真顔に戻って返事をした。


「なんだい」

「僕、もう動けないよ」

「やれやれ――いったん宿に戻るとしようか。ヴァルトたちが帰ってくるまでしばらくの我慢だ」

「うう……」


 普段の馬力はどこへ消えたのか赤ん坊みたいにおぼつかない足取りで歩こうとするドニを支えつつ、ふたりは宿屋に向かった。なんでもない道のりを行くだけなのに倍以上の時間がかかってしまい、到着した頃にはジョスランの体力はすっかり消費しつくされていた。


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