10話 占い師
シラルの命令通りドニが風呂に入ったのを確認してからジョスランは一階に下りてミルクをもらった。ここでは基本的な飲み物代が宿賃にふくまれているので、喉が渇いたときや暇をつぶしたいときには軽い気持ちでくつろぐことができる。
ジョスランが半分も飲み終えないうちにドニは姿を現した。あまりに早いので嘘を付いているのではないかと疑ったが、たしかに髪は濡れているし、ほのかに石鹸の香りもする。
「カラスだってもう少しゆっくりと水を浴びるものだよ」
ジョスランは半ば呆れながら言った。
「ふふん、僕は約束を守ったからね。ちゃんとシラルに伝えておいてよ」
自慢気に鼻をならしたドニはジョスランのコップを奪い取ると、一息にミルクを飲み干した。ああー、と悲しい顔になるジョスランを差しおいて勢いよくコップを叩きつける。
「さあ行こう。シラルをぎゃふんと言わせるんだからね」
ふたりがヴァルトから指示されたのはセントロード北側の捜索だった。
彼の情報によると北は住宅街となっているらしい。カリアの家族がいるとすれば、こちらのほうが可能性が高いように思えた。何年も同じ街で暮らしているとなれば家もそれなりのところにあるはずだ。
ドニとジョスランは中央を走る大通りを一直線に北上した。
セントロードには東西南北それぞれの方角に門がおかれており、北門は青く染められている。ちらほらと人影はあるが、あまり数は多くなかった。
「家がたくさんあるって不便だねえ。村とは大違いだ」
左右に広がる無数のレンガ造りの家を見ながらドニはため息をついた。
「僕の家に、ジョスランの家に、ヴァルトの家――あーあ、村だったら全員の顔がわかるのになあ」
「ないものねだりをしてもしょうがないだろう。街というのは、人が多いから街なんだ。数十人しかいない街は村と呼ばれるんだよ」
「なんだかヴァルトみたいな喋り方だね」
「頭を働かせるとそういう口調になるんだ。うまく回らないと三日どころか三年はかかりそうだからね。よく考えて動かないと」
「たしかになあ……」
セントロードを訪れる観光客と同じくらいの人々が北区に家を構えていた。大きめの集合住宅からこじんまりとした一軒家まで様々なかたちの建物があり、そのどれもに家族が住んでいる。ドニでなくとも、すべての住民にカリアの探し人について質問するのは無理だろう。
「そもそもカリアさんだって探してるんだから、僕らが普通に調べたところで新しいことはなにもわからないと思うんだけどなあ」
「そのとおりだね。ドニ、今日は冴えてるじゃないか」
「たっぷり寝たおかげだよ。おかげで体も軽いし、頭もスッキリしてる。お風呂なんて関係ないからね!」
先読みされて念を押された。
ジョスランとしても同室にいるドニが不潔でいるよりは風呂に入ってくれたほうがずっといいのだが、説教はシラルに任せたほうが効果的だろう。
「なるべく多くの人と知り合いで、しかも特徴をよく覚えてるような人がいればいいんだけどなあ」
ジョスランがぼやく。
「街の長老に聞きに行くのはどうかな」
「これだけ人口が多いと、長老だって全員は覚えきれないさ。村の長老だってときどき俺たちの名前を間違えたじゃないか」
「それもそうだねえ。僕なんて、ジョルト、っていう風に呼ばれたことがあるよ。ひとつも合ってないのに」
「ひどい話だね、まったく」
つくづく同情してジョスランはドニの肩をたたいた。
北門で慰めあっていても仕方がないと判断し、ふたりはひとまず住宅街のなかへと入った。整然と道路が格子状に走っていた中央付近と違って、細い路地や行き止まりが複雑に入り組んでいる。よく道を覚えておかないと、すぐに迷子になってしまいそうだ。
しばらく道なりに進みながら気付いたことがある。
それは、奥に行くほど貧乏な家が増えるという現象だった。大通りの付近には窓やベランダのついた大きな集合住宅がずらりと林立していたが、その影に隠れるように粗末な造りをした小屋のような家が密集している。
そういった家はもはやレンガ造りでもなく安っぽい木材で建てられていた。おまけに門扉の前にはジョスランたちと同じくらいの少年たちが座り込んで、なにやらゴミを漁っている。
「……あの子たちは、なにをしているのかな。ああいう遊びなのかな」
ドニはゴミの入れられた袋を小刀で切っては開いていく少年たちを凝視していた。
「ヴァルトだったらこう言うだろうね。セントロードには裏がある。そういう街なんだって。みんなが裕福に暮らしているわけじゃないということさ」
「――ふうん、遊んでいるわけじゃないんだね。でも僕はゴミを拾って食べるようなことはしたくないなあ」
「当たり前だよ」ジョスランはボロ布のような服を着ている少年たちから視線をそらした。「俺はお金持ちになって贅沢な暮らしをするんだ。毎日のように年代物のぶどう酒を飲んで、世界中の珍味を食べるのさ」
「僕もそのほうがいいなあ」
「迷宮で成功すれば、夢も現実になるさ」
「あの子たちも迷宮に行ったりするのかなあ」
「するだろうね。そのなかで富と栄誉をつかめるのはほんの一握りだ。カリアさんみたいな人は珍しいんだよ」
「へえ――色々と難しいんだねえ」
「今回くらいの依頼もこなせないようじゃ、迷宮に潜るのなんてとうてい無理さ。けど完遂できれば大きな一歩になる、そんな気がするんだ」
「何かいい情報を持ち帰ったら美味しいものをおごってくれるかなあ」
「だろうね。デザートのひとつやふたつはおまけしてくれるだろう」
「よーし、やる気が出てきたぞ!」
ショックから立ち直るのが早い。ドニは今しがた目撃したばかりの光景をすっかり忘れてしまったように路地の奥へと進んでいく。
「あまり深入りすると危ないよ」
ジョスランが忠告するが、そんな心配はまったくしていないようだ。
基本的に貧乏であればあるほど治安が悪いとされている。大通りにいても絡まれることがあるのだから、ましてや子どもふたりで見知らぬ場所に侵入していくのはかなり危険に思えた。
気のせいか周囲の視線もただの観光客を眺めるものでなく、うぶな得物を狙っているように感じる。
貧民街の住人たちは路上に粗末な箱をおいて座っているか、怪しげな仕事をしているかの二択だった。どちらにせよ、あまり健康的でない。
彼らはどうやって日々の糧を得ているのだろうか。
「ジョスラン、いまいくら持ってる?」
不意にドニが足を止めて尋ねた。ジョスランは思い出すまでもなく答えた。
「ほとんどないね。買い食いは許さないよ」
「僕をなんだと思ってるんだ」ドニは眉間にシワを寄せた。「ほら、あれだよ」
そこには紫色のテントが影に潜むようにして張られていた。入り口は布で隠されていて、なかの様子をうかがうことはできない。テントの前に「占い」と書かれた看板がおいてなければ浮浪者が臨時のすみかを作ったのかと勘違いしそうだった。
「占いかあ」
ジョスランは胸を躍らせながらポケットのなかに手を突っ込んだ。相場がどれくらいか知らないが、入ってみたい気持ちはある。もう少しお金を持ってくればよかったと後悔した。とはいえ、微々たる額しか残っていないのだけど。
「占い師ならきっと色んな人を観察しているはずだよ。それにカリアさんの家族のことも占ってくれるかも」
「でも、お金がない」
「こんなこともあろうかと、少しだけ荷物から取ってきたんだ」
ドニがポケットを裏返すと数枚の錆びた銅貨があらわれた。珍しく気が利くと感心しかけたジョスランだったが、ふとあることに勘付いた。
「――やっぱり買い食いするつもりだったな!」
「小さいことを気にしてるとお肌に悪いよ」
にべもなく言い捨ててドニはさっさと紫色のテントの布をくぐってしまう。まったく度胸と腹回りだけは人一倍あるな、と小声で悪態をついてからジョスランもなかに入った。
紫色の布は意外と日光を通すらしく、内側はほんのりと紫に染まった空間だった。そのせいか室温もちょうどよく、気を抜けば居眠りしてしまいそうな心地よさだ。
ふたりが入っても余裕はあり、もうふたりくらいは並べそうな広さだった。占い師の老婆は商売道具なのだろうテーブルの上に突っ伏して、彫像のように固まっている。ドニはぼさぼさの白髪を引っ張って、老婆の生存を確認しようとする。
「……もしかして、死んでるのかな」
「んー、息もあるし、たぶん寝てるだけだよ」
不安がるジョスランをよそにドニは老婆の肩を激しく揺さぶった。老人だろうとまるで遠慮がない。
「起きて! 占ってほしいことがあるんだ!」
あまりに首が動くのでぽろりと落ちてしまうのではないかとやきもきする。老婆はしばらくされるがままに荒っぽいやり方を享受していたが、しばらくしてしゃがれ声で怒鳴った。
「やめい、やめんか! 脳震盪になる!」
「ほらね、やっぱり寝てたんだよ」
鼻の穴をふくらませて自慢するドニより、ジョスランは老婆の安否が気がかりだった。
「あの……大丈夫?」
「大丈夫なわけがあるか、この馬鹿どもが。危うく昇天するところじゃ」
「ジョスラン、この人元気だよ」
ドニは空気を読まず明るく宣言した。たしかに鼻息荒くわめき散らす老婆は元気そうだ。顔には幾重にもシワが刻まれており、の長老を思い起こさせたが彼よりもずっと、はつらつとしている。
老婆はドニのせいで乱れた衣服を直すと、ぶっきらぼうな声を出した。
「それで、何の用かね。この辺じゃ見ない顔だ。――さしずめ迷子になって、親とはぐれたんだろう。こんな街に連れてくるなんてロクな親じゃないね」
「ジョスラン、この人の占い当たらないかも」
ドニはふたたび遠慮なく老婆を評価した。たしかに推理はひとつも当たってない。
「最近の子どもは年上に対する礼儀ってものを知らないのかい。親に説教のひとつもしてやりたいね」
腕を組んで憤慨する老婆に、ドニはなけなしの銅貨を見せた。
たいした額ではないが、一食分くらいにはなる。貧窮したドニたちにとっては重要な資金だった。
「僕らは占いに来たんだ。人を探してるから」
「――なにやら訳ありの迷子みたいだね。親とはぐれたってことじゃなさそうだ」
老婆はとたんに姿勢を良くして、手元の水晶球を引き寄せた。
どうやらようやく客として認められたらしい。
「うーん……それもそうなんだけど」ジョスランは母親を探していることはひとまず話さないことにして、カリアの家族について尋ねた。「頼まれて人探しをしているところなんだよ。レイラとアンナっていう名前の母子なんだけど」
「セントロードは広い――が、そのような名の親子は聞いたことがないな。どこら辺に住んでおいでだい」
「それがわからないから占って欲しいんだ。もしかしたら偽名を使っているかもしれない」
「そうさねえ……」老婆はもっぱらジョスランの方ばかり見てうなった。「ほかに情報は持っているかね」
「灰色の瞳。綺麗な灰色をしてるって言ってた」
「ほう、それは珍しい」老婆が目を細めると、寝ているのか起きているのか判別がつかなくなった。「灰の瞳となれば、この付近にいるってこともあるだろうよ」
「どうして?」
ドニが横から質問する。老婆はちらりとドニをにらんでから答えた。
「そんな色の瞳をしていれば、まず間違いなく疎まれるだろうからさ。おおかた人買いに安く引き取られて、セントロードに連れて来られたんだろう」
「なんで灰色だと嫌われるのさ」
ジョスランも不思議に思って尋ねた。今度は猫なで声になって老婆は返事をした。
「灰色は異端だからさ。あんたたち、どこの田舎から出て来たんだい。この国じゃ常識だよ」
「……じゃあ、目の色が違うってだけで敬遠されるのかい。そんなのおかしいよ」
「人に美醜があるように、瞳にも価値の基準がある。灰色なんてものは受け入れられない、それだけのことさ」
老婆の説明は簡潔だったが、ふたりにはさっぱり理解できなかった。
どうして瞳の色だけで差別をされるのだろうか。都会の価値観というのは村とはまるで違うらしい。
「さてと、占いの話だったかね。残念だがそれっぽちの小銭じゃ成果は期待しないでおくれよ。あたしの占いは金額の多寡によって決まるんだ。子どもの小遣いくらいじゃ良い結果にはならないよ」
「見つかったらもっと払うから、なんとかしてよ」
ドニはぞんざいに値切りを要求する。カリアの気前のよさからすれば、占い屋に払う金くらいはすぐに出してくれそうだ。
「そんなことが信用できるかい。あたしゃだてに長く生きてないよ。そうやって代金を踏み倒そうとした悪人を何人見てきたことか。たとえ子どもが相手でも金には容赦しないからね」
「――大人になると心が汚くなってしまうんだね。可哀想に」
「なんだい、あんたはいちいち癪に障るガキだね! 黙って占われるか、それとも帰るのか、どっちにするんだい」
いまにも襲いかからん勢いで老婆はまくしたてた。ドニとは相性がとことん悪いらしい。
小太りな少年は迷いなく有り金をすべてさし出した。テーブルにおかれた銅貨が本物か調べてから、老婆は青っぽい光沢を放つ水晶球をのぞきこんだ。
なにが見えるのだろうとドニとジョスランが顔を近づけると、羽虫でも追い払うように邪険にされる。仕方なく老婆が占いを終えるまでおとなしくして待つことにした。
「我に与え給え。真実を透かし見せ給え。水晶に眠る記憶を引き出し給え――」
意味があるのかないのか難しそうな呪文を唱える老婆は絵本で読んだことのある魔女にそっくりだった。腰は曲がり、しわくちゃな手を水晶にかざしている。あとは杖でもあれば完璧なのだが、残念なことにそれは見当たらなかった。
しばらくして老婆の呪文が途切れた。すでに居眠りをはじめているドニを起こし、ジョスランは老婆に詰め寄った。
「それで、カリアさんの家族はどこにいるんだい」
「――あんたたちは遠くを見すぎている。脅威は足元にある。行く先ははてしなく暗い――まるで迷宮のようだ。その好奇心がいつか身を滅ぼすことになるよ」
地の底を這うような声。ジョスランは背中に悪寒が走るのを感じた。なにかがとり憑いているみたいだ。水晶球から飛び出してきた魔物に意識を乗っ取られてしまったのだろうか。
「難しくてよくわかんない。もっと簡単にしてよ」
まったく脅威に感じていないドニがふてぶてしい態度で要求した。老婆は我に返ったように水晶球から手をはなすと、ひとつ大きく息を吐いた。
「お前さんたちの足りない頭でも理解できるように言うと、探しものは意外と近くにあるってことさね。なくしたと思っていたものが足元に落ちてたなんてことはしょっちゅうだ。本当に大事なものは、そう簡単になくさないものだよ」
「――つまり?」
「これだけ言ってもわからないのかい。まったく学が足りないガキだね。身近な人間から探ってみなさいということだよ」
「それ本当に正しいの?」
ドニは胡散臭そうに水晶球をのぞき込んだ。
「僕の顔しか見えないんだけど」
「占いには修行が必要なのさ。さあ今日はもう店じまいだ。さっさと帰りな」
ひょいと水晶球を懐に隠すと老婆は少年たちをテントの出口に追いやった。外の太陽が眩しく感じられる。老婆は立てかけていた木の看板を大仰な動作で抱え上げた。
「占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦。よく覚えときな」
「……それってずるいよ」
「人生そんなものさ。そっちの太った坊主はもう来るんじゃないよ。来るならそっちの綺麗な顔した小僧だけにしておくれ。次回も特別に割り引いてやろう」
「それってずるいよ!」
「ドニ」ジョスランは友達の腕をつかんだ。一回り大きい二の腕は柔らかい感触がした。「世界は不平等なんだ。そういうものだよ」
「自分が贔屓されてるからって調子に乗ってる! ほっぺたが緩んでるぞ!」
「そ、そんなことは……」
慌てて口元を引き締めるジョスランを眺めながら老婆は最後にひとつ、と付け加えた。
「信じる者を見失うんじゃないよ。あたしゃ金だけを信じて生きてるが、あんたたちにはもっと大切なものがあるんだろうからね」
そう言って看板を裏返すと「営業終了」の文字があらわれた。老婆は大きくあくびをしてテントのなかに消えていった。
「……どういうこと?」
ドニが首をひねる。
「……さあ?」
あとでヴァルトに聞いてみようとジョスランは決めた。わからないことはヴァルトに質問するべきだ。




