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9話 探索

 少年たちの朝は遅い。


 久々にちゃんとしたベッドで眠ったということもあって、ヴァルトが目覚めたのは昼過ぎになってからだった。となりのベッドを見るとシラルが安らかな寝顔で枕を抱えている。屋外では隠している金髪があちこちハネているのは、昨夜しっかり髪を乾かさなかったからだろう。


 シラルが部屋に戻ってきたのがどのくらい後なのかヴァルトは知らない。完全に夢の世界へと旅立ってから帰ってきたのだけは間違いなかったが。


「……おーい、朝だよ」


 正確にいえばすでに昼間だが、ヴァルトはいつもの癖でそう呼びかけた。


 村で生活していた頃は朝が来れば自然と目覚めたものだ。連日の疲労のせいか宿に泊まると起きるのが遅くなってしまう。その反面、野宿をした夜には寒さや空腹で明け方に眠りから覚めてしまうこともよくあった。


 屋外で寝泊まりするのはそれだけ過酷なことなのだ。だから、珍しくまともな場所で眠れたおかげで寝過ごしてしまった自分たちを責めるつもりはヴァルトにはなかった。


「……まだいいでしょう。もう少し寝かせて……」

「寝ぼけてないで、そろそろ起きてよ。今日はカリアさんの依頼の調査をしなくちゃいけないんだから」

「……ケチ」


 シラルは駄々をこねるみたいに寝返りを打った。ベッドの大きさを錯覚していたのだろうか。体勢を変えた拍子におでこを壁にぶつけ、寝ぼけ眼で上半身を起こした。


「お城のベッドにいる夢でも見てたのかな。二人部屋は狭いんだから気をつけないと」


 ヴァルトが笑いながら言うと、シラルは赤くなった額をさすった。


「……ボク、なにか変なこと口走ってなかった?」

「さあね、口調がちょっとおかしかったけど、そのくらい。シラルはよく寝てる間に話してたりするから、珍しいことじゃないよ」

「それ、ホント?」


 シラルの頬がみるみるうちに赤くなっていくので、ヴァルトは面白半分にからかってみることにした。ドニもジョスランもこういう分かりやすい反応はしないから、冗談交じりに嘘を教えると楽しい。


「もう食べられないーとか、お風呂になんて入りたくないよー、とか、そういうことを寝言で呟いてたよ」

「これからはヴァルトが寝てからボクも寝る。ヴァルトが起きる前にボクも起きる。いま決めた」

「でもシラルの寝顔を見るのは楽しいから、明日からもっと早起きすることにするよ。さあ寝ぼすけ二人を起こしに行こう。きっとドニがいびきをかいてるよ」

「――ボク、いびきなんてかいてないよね」


 シラルは不安そうにフードをかぶった。



 案の定、大口を開けて眠っていたドニとジョスランを手荒く叩き起こし、階下で遅い朝食をとった。どうやら食事の代金までカリアは支払ってくれているらしい。焼きたてのパンの上に乗せられた目玉焼きを食べながら、ヴァルトは彼の依頼をなんとしても達成しなければと心に誓った。ここまで気前よく支援してくれる人は世界を探してもそういないだろう。


「とりあえず今日は手分けしてセントロードの隅から隅まで回ってみよう。カリアさんの家族について心当たりがないか、片っ端から聞いていくんだ。偽名を使っていることもありえるから名前はあてにならない。瞳の色について質問したほうがいいね」

「灰色だったね、たしか」


 ジョスランはしっかり昨夜のことを覚えていた。ただ、ドニは酔っていたせいか当惑した表情で牛乳を飲んだ。宿主によれば、今朝絞ったばかりの新鮮な乳だという。宿の裏手で家畜を飼っているのだ。セントロードはきらびやかな街の裏側に、様々な一面を隠しているようだった。


「奥さんと娘さんは珍しい灰色の瞳をしているんだ。だから、人に会ったら目の色に注目してみよう」


 ヴァルトが易しく解説したのでドニは納得してうなずいた。


 身体的な特徴は人探しのさいに役立つという記述を読んだことがある。たしか『探偵の尾行術』という題名の書物だった。様々な探偵の仕事が紹介されており、そのうちのひとつに人探しがあった。


 ヴァルトは目の前に浮かんでくる文字の列を思い浮かべながら、ほかの三人にコツを伝授した。ほとんど素人同然の彼らが効率よく仕事をするには、あらかじめ勉強しておくことが必要だ。


「まず、あまり外見に惑わされてはいけない。今回の場合は灰色の瞳に注目するんだ。髪型や服装はいくら変えられても、瞳の色まではどうしようもないからね。次に重要なのが、とにかく聞きこみを繰り返すこと。誰かがおれたちの話を覚えていてくれるかもしれないし、その人がカリアさんの家族を見かけたらきっと教えてくれるはずだ」

「地道な作業だねえ……」


 ドニが早くもため息をつく。


「仕方ないよ。これが一番いいやり方なんだ。そして最後に大切なこと――探偵は依頼人の名前を出してはいけない。おれはカリアさんのために働いているのだと、ほかの誰にも教えちゃいけない」

「どうしてさ」


 ジョスランが美しく整った唇を曲げて聞いた。昨晩に風呂に入ったので、いままでの旅路で溜まった汚れはきれいに落とされている。改めて見ると、やはり彫刻のように端正な顔立ちをしているのだった。


「さあね」にべもなくヴァルトは返事をした。「それが探偵の掟なんだ。ほかにもいくつか細かいルールが有るんだけど――」

「それは今度教えてもらうよ。早くカリアさんの家族を探しに行こう」


 話を途中でさえぎってシラルが腰を上げようとする。朝食と呼ぶにはいささか遅い食事はすべて平らげてあるので、いつでも出発できる準備は整っている。


「そうしようか。ヴァルト、俺はどこを探せばいいのかい」


 ジョスランもやる気を出して立ち上がり、乱れた前髪を指先で整えた。


「二手に別れよう。おれとシラルは南側を、ジョスランとドニには北側を中心に探してもらう。大きな街だから、効率的に回らないとあっという間に日が暮れちゃうよ、気をつけて」

「それを言うならもっと早くに目覚めるべきだったんだよ。ヴァルトが起こしてくれないから」


 腕を組んでシラルは頬をふくらませた。


「……シラル、もしかして怒ってるの?」

「ボクが起きられなかったのはヴァルトたちが長湯していたせいなんだからな。そうでなければ、あんな恥ずかしいことには……」


 膨れあがった頬が徐々に赤みをさしていく。フードの下に隠された表情は豊かで、見ていて飽きない。


「なにかあったのかい」


 ジョスランが疑問を口にすると、シラルはいくらか大声で「なにもなかった」と否定した。

 寝言の件は伏せておくべきだろう。ヴァルトはそう考えて、真実は伝えないことにした。ときとして友達同士でも秘密を守る必要はあるのだ。


「お腹もいっぱいになったし、大変そうだけど頑張ろう!」


 ドニが四人のなかで最もふくよかな身体を揺らして立ち上がろうとすると、シラルがびしりと指を突きつけた。


「ドニはお風呂に入ってから」

「えー、どうしてだよう」

「昨晩も入ってないんだろう。そんな不潔なことは許さないからね。ボクが一緒にいる間は、汗と土埃の臭いにまみれてるなんてことにはさせないよ」

「でも、ほら、時間もないことだし」

「街の人だって薄汚い子どもよりも、清潔感のある子どものほうが信用できるって思うよ。わかったら言い訳せずに湯屋に行って。返事は?」

「――はーい」


 シラルから放たれるものすごい威圧感に負けてドニはおとなしく部屋に戻った。これから湯に浸かってくるのだろう。


 村にいた頃から風呂嫌いは顕著だったがヴァルトもジョスランもさほど気に留めていなかったので、こんな風に入浴を強制されるのは初めてのことだ。ヴァルトはいくらか同情したが、たしかにシラルのいう通り、小奇麗な格好のほうが信頼されやすいというものだろう。


「ジョスランはドニがしっかり入ってるか見張っておいてね。もしボクが目を離してるうちに逃げたりしたら、君も同罪だから」

「まったく人使いが荒いなあ。ドニが身ぎれいになったほうがいいのは同意だけどさ」

「ボクは君たちがあまりにだらしないから怒ってるんだ。もうちょっとお互いに思いやりを持ったほうがいいね。たとえ男同士でも」

「そう言われてもなあ……元々家族みたいなものだからねえ。小さい頃からずっと一緒だったせいで何も考えなくても大丈夫なように育ったんだよ。というより、何があっても気にならないというか」


 ジョスランはぼんやりと空中を眺めながら言った。村での暮らしを思い出しているのかもしれなかった。


 三人はいつでも一緒になって遊んでいた。

 森の秘密基地に行くのも、大人たちにいたずらするのも、川で水遊びをするのも、三人でないとつまらなかった。裏を返せばどんな場所であっても三人でいれば楽しく感じられた。


 だからこそ旅に出たのだ。

 頼りになる友達がいたから行方不明になった母を探しに村の外を冒険するなどという無茶な決断ができた。そんな関係であるから、互いにあまり口出しはしないようにしていた。むしろ干渉する理由すらなかったのだ。


「それはそれ、これはこれだ。とにかくボクはヴァルトと先に街へ行くから、ドニのことはよろしく頼んだよ」

「はいはい。任せておきたまえ」


 ひらひらと手を振ってジョスランはドニの後を追った。


「さてと」シラルは向き直って表情をひきしめた。フードを目深に被り、準備を整える。「ボクらも行こう、ヴァルト」



 セントロードは地区によっていくらか区分がなされている。全体的に派手なのは、よりムダラに近い南側の地区であり、迷宮からやってきた冒険者はきらびやかな街並みに歓迎されるという仕組みになっている。反対に地元民が使うような小規模な商店や住居が軒を並べているのが北側である。


 どちらもセントロードの一部にはかわりないのだが、がらりと雰囲気が違っているのでどこか別の土地にさまよい込んでしまったような錯覚に陥る。


 ヴァルトたちが泊まっているのはほぼ中央にある宿で、そこから南に下っていくと昼だというのにたいそう賑やかな地区になった。


 食事屋の軒先では露出の多い服をまとった女性たちが――おそらく若い娘たちだろう――元気よく道行く客に声をかけていた。大通り沿いに進みながらヴァルトはすでに世間が昼飯時にさしかかっていたことを思い出した。


 それにしても大勢の人がいるものだ。森の木々よりも多いのではないかというほど冒険者風の男たちが通りをそぞろ歩いている。夜になるとこの一帯は酒飲み場に変貌するが、いまはまだ酔っぱらいの姿は少ないようだった。


「ずいぶんと景気がいいみたいだね」


 ヴァルトはせわしなく周囲を観察しながら感想を述べた。

 これだけの人混みになればスリもいるだろう。都会に慣れていないヴァルトにとって注意すべき対象は多いのだ。


 とくに昨夜のように面倒くさい人に絡まれると厄介だ。今度もカリアのように助けてくれる人がいるとは限らない。警戒は強めておくべきだろうとヴァルトは判断していた。


「最近はムダラの迷宮が活性化していると聞いた。魔物が多くなればそれだけ落とす魔鉱石も多くなるというものだ。いまは迷宮の街全体が潤っているんだろうな」


 シラルは訳知り顔で応じた。

 灰色のフードを深くかぶっている割に警戒心は薄く、ヴァルトは横にいながらシラルのぶんまで注意しなければならなかった。


「シラルは迷宮に行ったことがあるの」


 ヴァルトは軽い調子で尋ねた。事情を隠したがっているのは知っていたが、それよりも好奇心が上回った。


「……何回か、だけどね。冒険者のように命を張るようなことはしていないよ」

「でもその年齢で迷宮に潜るなんて凄いことだよ。おれたちも挑戦するつもりだけど、どれだけ通用するかわからないし」

「あまり深入りしなければ大丈夫さ。子どもだけでも一階層や二階層くらいならなんとかなる。最初のうちは大人の冒険者の手伝いをするという方法もあるしね」


 シラルは迷宮についてヴァルトよりも詳しいようだった。いくら書物で基本的な知識をつめ込んであるとはいえ、実際に経験した人間の言葉には重みがある。

 ヴァルトは素直に感嘆のため息をついた。


「シラルはたくましいね」

「そんなことない。ボクは弱くて逃げ出してきたんだ」


 シラルはこれ以上は語るつもりがないようで、逆にヴァルトたちのことを褒めはじめた。


「たった三人で旅に出るなんて、誰にでもできることじゃない。とても勇敢な行為だと思う――そういえば君たちの目的を聞いていなかった。差し支えなければ教えてもらってもいいかな」

「お母さんを探してるんだ」ヴァルトは言った。「ずっと昔にいなくなっちゃったけど、また家族みんなで楽しく暮らせるように」


 それからしばらく、セントロードの南端に辿り着くまでヴァルトは自分たちの境遇を説明した。村の女性が何者かによって全員連れ去られてしまったことや、記憶にない母親を探すために旅に出たこと、そしてムダラへ行くのはお金を稼いで捜索の資金にするためだということ。


 話の流れは一貫していてよどみがなかった。シラルはヴァルトが喋っているあいだは一度も口を挟まず、何度か小さく相槌を打つにとどめた。村の人間以外に秘密を打ち明けるのは初めてだったが、意外と普通に話せるものだとヴァルトは感じた。


 村の大人たちがあらぬ嫌疑をかけられ、事実上、村から出られないようにされていることを考えると、あまり他人に明かしていい内容でないのはわかっていた。


 それでもシラルには当然のように伝えておくべきだと思えたのだ。それは彼が同年齢くらいの少年であるせいかもしれないし、ヴァルトたちを故意に陥れるような人間ではないと確信したせいかもしれなかった。


「――というわけなんだ。だからしばらくは村に戻る訳にはいかない。何年、あるいは何十年かかっても、お母さんを見つけるんだ」

「……そういう事情があったんだね」


 シラルはフードの下でひどく思いつめた表情をしていた。心ここにあらずといった様子でしばらく無言を保っていたが、やがてふと立ち止まって宣言した。


「決めたよ」

「なにを」

「ボクは君たちの夢を叶えるために協力する。ムダラの迷宮にだって一緒に潜ろう。困ったことがあったらいつでも頼ってくれていい――とはいえ、いまのボクにできることは限られているけど」

「シラルにはシラルの目的があるはずだろう。自分の人生は好きに生きるべきだよ」

「その通り。だからヴァルトたちと冒険をするんだ。どこまでも、いつまでも」


 いくぶん理屈の展開が飛びすぎて理解できなかったがヴァルトは曖昧に微笑んだ。とにかく旅の仲間が増えるのはいいことだ。


「シラルはムダラに着いたら別れるものだとばかり思っていたよ」

「ボクも最初はムダラからできるだけ遠くへ行く計画だったからね。いまとなっては無謀でしかないけど。ムダラなら人も多いし、なにより冒険者として生きることができる。ボクにとっては暮らしやすいところだよ」


 だったらどうしてムダラから逃げてきたのだろう、とヴァルトは内心疑問に感じた。

 ムダラでないにしろ、そちらの方面からやって来たことは確かなのだ。わざわざ引き返すのには、なにかしら理由があるのだろうか。


 あるいは――シラルが焦っていて、なにも考えていなかっただけなのかもしれない。結局のところムダラに行くほかなかったと結論づけたのなら、一連の不可解な行動にも納得がいくような気がした。


「幸せに暮らすこと。それが一番大事なことだよ、うん」


 シラルは柄にもなく大きく頷いて、からからと笑った。


 なんとなく無理をしているようにヴァルトには見えた。シラルは演技が下手なのだ。そしてーー勘違いかもしれないと思わせるような小さな声で「ごめんね」と呟いた。


 あまりに頼りない音声だったので、ヴァルトは本当にシラルが謝ったのかわからなかった。

 今日のシラルは混乱しているみたいだ。どこかでお酒を飲んだのかと思わせるほどに。


「……ん、あれが入り口みたいだね」


 シラルの視線の先には巨大な門が立っていた。朱塗りの柱が荘厳さを際立たせている。周囲のどの建物よりも背の高いそれは、セントロードを迷宮の魔物から守護しているように見えた。


 門の下には無数の運び屋が店舗を構えており、ムダラまでの道を快適に過ごせるよう様々な馬車や乗り物が用意されている。せわしなく行き交う馬や人間はとどまることをしらず、アリが餌を運ぶみたいにせっせと働いていた。


「ムダラで一稼ぎした連中は昼ごろにやってきて、夜中に遊んで帰って行くんだ。だからいまが一番混み合っている時間帯だろうね」


 シラルが博識ぶりをいかんなく発揮した。やはりヴァルトの知らないことをたくさん身につけているようだ。


 次々と向かってくる人の波を避けながらヴァルトはシラルの手を引いた。


「これだけ混雑していると迷子になりそうだ。シラル、離れないでね」

「ボクを何歳だと思ってる。ヴァルトこそボクからはぐれないよう気をつけるんだぞ」


 腰に手を当てて憤慨する。

 ふたりは赤い門の真下まで行き、腕を回してもとうてい抱えきれない太さの柱に寄りかかった。ここからそう遠くない距離にムダラはあるはずだ。街の地下には十階層からなる迷宮が広がって、幾千もの冒険者に夢を見せている。


 セントロードは命を賭して迷宮に挑む猛者たちのオアシスみたいなものだ。


 血なまぐさい戦場から離れて、一晩だけでも天国のような遊説を楽しみたい。次の日には死んでいるかもしれない生活で、刹那の快楽を求めるのは当然のことなのかもしれなかった。


「ねえシラル。ギャンブルやお酒って面白いのかな」


 ヴァルトは漠然とムダラの方角を眺めながら聞いた。平らな道の向こうにはかすかに城壁らしいものがうかがえる。それこそが迷宮の街である証だ。


「ドニに聞いてみればいいじゃないか。いかにも愉快そうに酒を飲んでいるぞ」

「あれは酔っ払っているからだろう。お金持ちになって、もっとたくさんお金を稼いだり、お酒を飲んだりするのって、そんなに楽しいのかな。ジョスランは宝石を集めるって息巻いてたけど、そういうことには興味ないし」

「ヴァルトは本が好きなんだろう。だったら世界中の書物を取り寄せればいい。一生かかっても読みきれないくらいたくさんの本がこの世にはあって、しかも毎日誰かが新しいことを書いている。そのためにお金を貯めるのも悪くないと思う」


 ジョスランの親父が収集していた多くの蔵書を思い出す。彼の家には専用の部屋があって、本棚をみっちりと埋め尽くすように大小様々な本がおかれていた。それらを一冊ずつくすねてきては三人で鑑賞するのが村で一番の楽しみだったのだ。


「けどね、ヴァルト」シラルは真剣な目つきをしていた。「お金だけがすべてじゃない。たとえ世界一の大富豪になっても、本当に大切なものを見失ってしまうことがある。たとえ貧しくても幸福に暮らしている人々もいる。それだけは覚えておいて」

「本当に大切なものって?」


 ヴァルトは色々な宝物を思い浮かべながら問い返した。大事なものはたくさんあるけれど、そのなかで一番に守らなくてはいけないものってなんだろう。


「それは人それぞれだよ。ヴァルトもそのうち分かるさ」


 答えをはぐらかされた。

 大人はきまりが悪くなるといつも曖昧に返事をよこす。シラルはヴァルトが思うより大人なのだろうか。


「じゃあ、シラルにとって大切なものはなんなのさ」


 質問すると、困ったように白い頬をつめ先でかいた。


「ボクにもよくわかってないんだ。だから探してる。――うん、ヴァルトたちがお母さんを探しているようにボクは自分の大切なものを見つけようとしてるんだ。それがいつになるのか、さっぱりだけど」

「ふうん」


 正直にいうとヴァルトにはよくわからない感覚だった。大事にしたいと思うものなら数えきれないほどある。だがシラルの口調は幾多のものから選べないというより、ひとつも持ち合わせていないというものだった。


「さてと、どうやってカリアさんの家族のことを調べようか」


 目の前ではひっきりなしに通行人が門を出入りしている。このすべてに声をかけていてはひと月あっても足りなそうだ。


「なるべく地元の人にあたってみよう。セントロードの外に出ていないのなら長年ここで暮らしているだろうから、知ってる人もいるはずだ――気になるのはそれだけ長い間いるのにカリアさんが情報を得られてないってことなんだ。もしかしたら、すごく見つけにくい場所にいるのかも」

「見つけにくい場所か……」


 シラルはちらりと西側の区画へ視線を飛ばした。たしかそちらには風俗街があるはずだとヴァルトは思った。なにをする店なのかは知らないが、名前だけは読んだことがある。


「心当たりがあるの?」

「ちょっとだけ。ここでいったん別れて、夕暮れ頃に宿で落ち合おう」

「ひとりで大丈夫?」

「いざとなったら大声を出して逃げるさ。ボクは鬼ごっこなら得意なんだ」


 シラルは微笑みを浮かべた。


「それじゃ、また夕刻に」


 軽やかにローブをひるがえしてセントロードの南西地区へ駆けていく。いまの時間帯は人気がなく、そちら側へ行く人は少なそうだった。ヴァルトは反対側の地区に向き直ると、ひとつ大きく呼吸をして気合を入れた。

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