9.分岐点へと運ぶ船の中で
「はい。OKです。ありがとうございました。」
ディレクターの男がそれまで話しをしていた市民団体の男の話に区切りが付いたところでインタビューを終わらせた。
「いえ、こちらこそ長々とお話して失礼しました。」
市民団体の男はそう言って自分の船室に戻る為に席を立って食堂から出て行った。
「あーー、長かった。荒木、テープの方まだ持つならデッキに出て海と随伴船の絵、撮っとけ。それ終わったら今の内にカットしても良さそうなトコ、チェックしとけよ。与座、仲田、お前らはバッテリーの確認したら、大田のトコ手伝え。」
玉城ディレクターがスタッフに指示を与えスタッフは散って行った。
「玉ちゃん、悪いねインタビューに混ぜてもらって。」
琉球日報の名護原は飲み物を渡しながら礼を言った。
「あー、いいよ、いいよ。同級生の好みだ。どうせ同じ内容だろうから一編にやったほうがお互い楽だろ。けどお互い大変だねえ、終戦記念日用のネタの為にしばらく船暮らしなんて。」
玉城はタバコに火を点け煙を深めに吸い込んでから回りに気を使って小声で言った。
「まあ、そうだね。俺なんか親父が軍艦やら密漁船で頭の痛い思いしてんの見て誰が漁師なんぞ継いでたまるかと思ってたのに、なんでココにいるんだろって寝る前に毎度毎度思うよ。まあ、社命だからで割り切る事にしたよ。」
「ふーん。まあイイじゃねーの勇ちゃんは親父さんの血を受け継いで船酔いとは無縁なんだからウチの連中は船とゆうか海をナメてた奴がいて乗り込む前日にしばらく飲めないだろうからって、しこたま飲んで二日酔いで乗っちまった為に出港してすぐに寝込んじまうわ危うく機材に吐かれるそうになるはで大変だぜ、やっとディレクターになれたのにこれじゃ先が思いやられるぜ」
「俺みたいに一人で仕事してる分にはよく解らんが、引率役も兼ねてるとそんな苦労があるんだな。」
「ああ、ADの頃はさっさとDになりたいと思ったがイザなって見ると仕事は複雑になるは給料もちょっとマシになったぐらいで全然だ、もうチョイ上にならなきゃ楽にはならんあコリャ。」
名護原の合いの手に愚痴で答えた。
「出世するにもある程度の功績無けりゃ無理だしなあ、欲を掻けば同期から頭一つハッキリと抜け出せるヤツをが。」
「けど、今回のはただ単に市民団体のお供出しな、この話だって相手が会社の株主様じゃなきゃ適当に理由つけて断ってただろうが、断る理由考える頭で受ける理由考えちまったんだから。」
「うちのだって玉ちゃんの所と同じような理由だったはずだよ、ただこの船の行き先がいつもの自衛隊やら米軍基地のまわりよりははるかに危ないトコだってのが嫌な話だよ。」
「よせやい、北方領土にいるロシアの国境警備隊の連中じゃあるまいし。」
「いや、相手はれっきとした軍隊で向こうの方からしたらこの船は自分の家の庭に踏み込んできた不届きものだしな、見せしめにってことも・・・」
「馬鹿、いくらなんでもそりゃ行き過ぎだ。んな事すりゃ自分の首自分で締めちまうぜ。」
「まあ、言われてみりゃそうだな、御免。けど万が一そうなってその時、玉ちゃん達がそれを撮ってりゃたちまち、ピューリッツァーの候補になるね。」
「まあ、候補になるのは確実だろうが、まず無いだろう。」
そう言った後どちらとも無く笑い出していた。
後年においてテレビ日本東京本社で玉城洋介社長はインタビューで当時を振り返り。
「あの時は自分も名護原も碌な根拠もなしに話のネタとして話し笑ってました。ただ状況はともかくありえるかもしれない話として頭に残っていたからこそ私らは事が起きたときに(そうだ俺たちの仕事をしなければと)頭に浮かぶより先に体が動けたんだと思います。」
このインタビューより数年前
「それまでも会見や事件現場の取材で何回か顔を見てはいましたが、まともに顔を合わせて話をしたのは卒業以来あの時が初めてでした。だからこそ話が弾みあんな事言ったんだと思います。今にして思えば我々、二人にとってあの日あの場所にいたのが人生の分岐点だったと思います。それが無ければ二人とも今の状態にはなってなかったと思います。」
フリ-ライター名護原勇 自宅兼事務所にて