1章・封使館⑥
木立の中の舗装された道路を、二頭立ての馬車がゆっくりと駆けていく。
紫苑は小窓から顔を覗かせた。聞こえるのは小鳥の囀り、風が木々の隙間を縫うように過ぎ行く時の木の葉がざわつく音、そして規則正しい蹄鉄の音。
深緑の若葉の潤いを纏った風が、紫苑の前髪を揺らす。
「紫苑様、そのように身を乗り出されては危ないですよ」
聞こえてきた優しくたしなめるような声に紫苑は窓から首を引っ込めた。
御者台から、相模が微笑みながら紫苑を見つめていた。
「すいません」
シュンとして紫苑が大人しく座り直すと、相模はフッと目を細める。
「馬車に乗るのは初めてですか?」
問いかけられた質問に、紫苑は頷いた。
「乗るどころか------見るのも初めてです」
四番出口の通路を抜けた先は、ちょっとしたパニックになっていた。
人々は目を皿のように大きく見開いて、目の前の『それ』を凝視している。
いつもならば、タクシーなどが客待ちをするために駐車しているであろうロータリーには、見慣れ無いものがいた。
「------馬車?」
紫苑から呆れたような驚いたような声が漏れた。
四番出口のまん前、ロータリーの緩やかなカーブになっている所には、おとぎ話や絵本の中でしかお目にかかれない馬車が、さも当たり前のように停まっていた。
「はい」
それを肯定する、あっさりした相模の声に、紫苑は悪寒を感じた。
嫌な予感がしたのだ。
当たらないでくれと心の中で祈りながら、紫苑は聞いてみる。
「相模------さん」
「はい」
「あの馬車ってさ、もしかして……?」
「灯馬家の物でございます」
紫苑はがっくりと肩を落とす。車って------馬車だったのか。ていうか、何で馬車なんか持ってるんだよ!
激しい無言のツッコミは、相模の声に中断される。
「さぁ、紫苑様。参りましょうか」
「えっ!」
「何を驚くことがあるのですか?さぁ、こちらへ」
相模は躊躇なく馬車へと近づいて行く。
遠巻きに眺めていた野次馬が、ヒソヒソと会話をしているのが紫苑の耳に入ってきた。
「馬車、あの人の物なのかな?
すっごい合うね。なんだか王子様みたい」
「執事------?どっかの国の貴族の物かなんかなのか?
金持ちにしか出来ないよなぁ」
「さっきあの執事さん、あの少年に話しかけてたぞ。
財閥の御曹司とか------か?
見えないけど」