4章・【ザ・ファイア】⑨
「何や、逃げへん人間がおるなと思ったら------懐かしい顔やん」
その刹那、紫苑の背筋を、悪寒が走り抜けた。
あの、少女の声だ。
忘れる事なんて不可能であろう関西弁。
その声は楽しそうで、ほんの少しだけ含みがある。
そして明らかに、炎の中から聞こえてきたのだ。
「っ!!」
アローディスの苦しげな吐息が耳元で聞こえて、紫苑は再び抱えられていた。
理解が追いつかないまま、景色が縮小される。
と、ほぼ同時に------。
どぉおおおん!!
大地が揺れ、空気が唸る。
今し方紫苑達が立っていた場所には、血よりも赤い、真紅の炎の壁があった。
間一髪とはまさにこの事。
紫苑は自分の前髪が数本焦げるのを感じた。
大通りを遮るようにそびえ立った火の壁は、その勢いを止めない。
地下から湧き出しているかのように吹き出してくる。
「さすがは『三大使徒』やな。その兄ちゃん抱えてあんな動きできるなんて」
炎の壁の向こう側から、黒い影が透けて見える。
背丈からしてあの少女だろう。信じられない事だが、少女は炎の壁を歩きながら突き抜けてきた。
【火】を司る『使徒』だからだろうか、少女は勿論だが着ている服も焦げ目すらない。
微笑む少女の顔を、紫苑はこの時初めてじっくり見た。
背後で燃え上がる炎と同色の肩甲骨くらいまでの長さの髪をうなじで二つに結んでいる。
瞳は茶色、大きくぱっちりした二重まぶたで、きらきらと輝いている。
左目の下には、小さな泣きぼくろ。
肌はほんの少し日に焼けていて、全体的なイメージは男子の中に混じって遊ぶ、活発な女の子だ。
「お褒めに預かり光栄だ」
アローディスは、顔の筋肉一つ動かない。
ルフィナは腰に手を当ててケタケタ笑う。
「相変わらずのトーヘンボクやなぁ。まぁ、アローディスらしいっちゃらしいけどな」
唐変木の発音が、関西圏らしく妙に間延びしたイントネーションだった。
「でもなぁ……」
明るい笑顔がフッと消え、静かな微笑みがルフィナを覆った。
「じきに笑われへんよーにしたるわ」
「くっ!」
アローディスはくぐもった声を発すると、紫苑の腹をくの時に折り曲げて飛び上がった。
同時に炎の壁が崩れ、いくつもの炎の玉となり四方八方に飛び散る。
アローディスがふわりと舞い降りた先は、屋根の上。
二軒右隣の民家の屋根に立っていたザックが叫ぶ。