4章・町へ⑤
ほんの十秒ほどで、不快感は消えた。
紫苑は固く閉じた目をおそるおそる開けると、アローディスの白いローブが視界を全て覆っていた。
アローディスが紫苑の肩と額からゆっくり手を離し、紫苑は不安定に傾いたその体を自分の力で支える事ができた。
掠れた声で紫苑はアローディスに尋ねる。
「------何したの?」
「見てみろ」
アローディスは地図を指差す。紫苑はもやもやした気持ちをなんとか飲み込んで、言われた通りに地図に視線を落とした。
「あれ?」
紫苑は、その地図に違和感を感じた。
その違和感の理由はすぐにわかった。
ついさっきまでミミズのようだった文字が、紫苑がよく慣れ親しんだ母国語、日本語に変わっていたのである。
目をパチパチさせている紫苑に、アローディスが説明する。
「さっきのは【トランスレーション】。私のアビリティの一つで、異国の言葉を術をかけられた者の母国語に翻訳する事ができる」
「じゃあ……英語のテストなんで、勉強しなくても百点じゃん!!」
「心配無用だ。あちらに戻ったらいの一番に解除してやる」
紫苑の歓喜は、アローディスという名の濁流に押し流されてしまった。
がっくりと肩を落とす紫苑に、アローディスは含んだ笑みを向けた。
「いいから見ろ、余計な話は後だ」
仕方なく紫苑は地図を見た。
どこかで見たことのある形の大陸。
それは間違いなく紫苑の住んでいる、地球のそれだった。
ユーラシア大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、オーストリア大陸、アフリカ大陸、南極大陸。
中学校の地理で何度も目にした六大陸が、一寸の狂いもなく配置されていた。
だが、日本列島は存在しない。おおよそ韓国が位置していると思われる場所の左側は、広く群青色に染まっている。
母なる海、太平洋だ。
アローディスが指差したのは、ユーラシア大陸の中国がある辺り。
深緑色で塗られたそこは、森であるらしい。
『植物の森』
黒いインクでガリガリ引っかくようにして綴られた文字。
それがこの森の名前らしい。
「何か気づかんか?」
「ん?」
アローディスの唐突な問いかけに、紫苑は首をひねった。
気づくこと……大陸の並びが、自分達の世界と一緒だということ。
だが、そんな簡単な事をわざわざ確認しないだろう。
紫苑は森の地名を凝視した。