愚かな王子を支えたエミリアは死んだ
その国の王子は、華麗な容姿と優秀さで、人々の尊敬を集めていた。
「なんて素敵な方でしょうか?今日は貧しい教会で、寄付だけでなく幼子を慰めたとか」
「慈悲に溢れて、本当に次期国王にふさわしいわ」
慰安に訪れていた噂の主、アイリス国のフィールズ王子は今年で十八歳。
美青年として育った彼は、自らの婚約者を伴って貧しい教会の孤児院を訪れていた。
「エミリア。たとえ親のいない子であろうと、母となる身であるならば優しさをもって接するのだ」
「はい、殿下」
静かに返事をするのは、同じく十八歳のエミリア・バートンだ。
王子と同じ金髪碧眼のその姿は、儚さを伴う愛らしい人形のようだが、常に薄い笑顔を浮かべるだけで表情は硬い。
汚れた服を着た子を抱きしめたので、白い手袋は薄く黒い。
そばに立つ王子は、皆に向かって微笑みながら透き通る声で語る。
「子供は宝だ」
何一つ汚れのない王子の言葉に、周囲は感動のあまり拍手を惜しまない。
響く喝采の中で、静かにエミリアは幼子の頭を撫でて別れを告げた。
帰りの馬車に乗り込んだ途端に、王子の笑顔の仮面は外れる。
「おい、隣に座るな。汚い者を触って、お前も汚れている」
「はい殿下」
いつもは隣に座るエミリアは、相変わらず硬い顔で向かいの端に座った。
ガタガタと馬車が走り出すと、王子は大きなため息をつく。
「あんな下層の場所に行って、息をするのも辛かった。だが、これで国民たちからの評価があがるんだな?」
「はい殿下」
「まったく、お前はもっと俺を立ててくれないと困る」
「はい殿下」
壊れた人形のように、同じ返事しかしない婚約者を睨む王子。
先ほどの皆の前とは態度が違うが、こちらこそが本性なのだとエミリアは知っていた。
◇◇◇
幼いころ、突然決められた婚約者という地位。
エミリアは侯爵家の娘として、それなりに容姿も知能も、立ち振る舞いすら優秀だった。
妃教育の教師たちの評価も、可もなく不可もなく。
このまま静かに殿下の後ろに立ち、殿下を支えていくでしょうと太鼓判を押されたくらいだ。
無難に見せた偽りのエミリアの才能は、本当は人一倍優秀であった。
だがあえてエミリアは、王子を刺激しないようにと隠し通す。
「ところで、次は何をすればいい?」
こうやって休日になる度に、王子は国民の為に奔走した。
貧しい者の為、困った者を救う姿に、彼の評判は国中に広がっていく。
エミリアは無言で俯くばかり。
「いいか、とっとと次の予定を考えて教えろ。お前は本当に使えないな」
そう、王子の優しさや行いの全ては、エミリアが密かに助言して支えていた。
表向きは、優しく優秀だという王子はあざ笑う。
「今回のようなゴミに近づく場合は、お前が前に出るように。王家の俺が汚れるわけには、いかないのでな」
エミリアはフッと、先ほど抱き上げた孤児を思う。
幼子というのは賢い者で、真実を見抜く。
抱き上げた小さな手はカタカタと震えて、王子と目を合わせることもしなかった。
「明日には提出すべきレポートもある。用意はできてるな?」
まもなく卒業を迎える学園の、課題も全てエミリアが用意してきた。
自らのは白紙で出す代わりに、王子が常に満点だったのはエミリアのお陰だ。
その真実を知るのは、王子とエミリアの家族だけ。
「あと少しで卒業だ。今まで通り、お前は俺に尽くすように。あと、以前から言っている、この国の改善計画書をとっとと仕上げろ」
それは卒業後、王子がより父である国王や臣下に自らを優秀だと示すために、この先三年の国の改善提案の計画書を作れというものだった。
本来なら、国中の大臣や学者が集まって作成できるシロモノを、エミリア一人に命じたのは無知ゆえだろう。
そして、それを成しえてしまうのがエミリアの突出した能力だ。
こき使われるたびに、エミリアの知識はどんどん跳ね上がっていく。
内心ため息をつきつつも眉一つ動かさず、エミリアはいつものように返事をした。
「はい殿下」
馬車は、エミリアの家の門の前で停車する。
本来なら門を抜けて、中の玄関前まで行くのが当たり前だが、捨てるように降ろされた。
「役立たずのお前を、使ってやっているんだ。感謝しろよ」
いつもの王子の言葉だと、エミリアは静かに頭を下げた。
去って行く馬車を見つめて、エミリアはつぶやく。
「予定に入れていたディナーは、彼女と食べるのね」
本当なら、国王の計らいで王子と豪華な食事が用意されていたはずだ。
王家御用達のレストランで、この後王子はご機嫌で彼女と楽しむのだろう。
いつしか仲が深まった、特待生の平民の彼女と。
門の衛兵が自らの主の娘が立っているのを見て、慌てて玄関までの馬車を用意しようとした。
「いいのよ。少し、歩きたい気分なの」
エミリアは自らの家に向かってテクテクと歩く。
王子に虐げられても、軽んじられても、その能力を利用されても、エミリアは痛くも痒くもない。
とうの昔に、王子への心は捨ててしまっている。
愛があって結ばれた仲ではなく、婚約者という地位も国王から押し付けられただけ。
それでも、努力をした時があったのだと、ふと昔を思い出す。
◇◇◇
幼いころに呼ばれた茶会で、たまたま一番おとなしく、なおかつ臨機応変に対応してしまったのが運の尽き。
あの時に、メイドがこぼした紅茶の染み抜きの方法を、わざわざ親切に実行などしなければ良かった。
髪をなびかせる風を感じながら、屋敷が近づくと、使用人たちは慌てふためいた。
遠くで、どうしてお嬢様が歩いておられるのか?など、騒ぎになっている。
エミリアは今更言っても仕方ないわねと、初めて小さく笑うのだった。
王子は最初に会った時から、傲慢だった。
自信家で、自尊心だけが高いくせに、努力は大嫌い。
なのに賞賛されなければ癇癪を起こし、周囲の者たちはほどほどに手を焼いていた。
だからこそ、国王は茶会で静かに冷静に対応したエミリアに息子を押し付けたのだ。
十歳だったあの日。
自分と同年代のはずなのに、王子の心は幼いまま。
「おい、エミリア!とっとと、ボールを取ってこい」
まるで犬のように、王子が飽きたと投げ捨てたボールを拾いに走った。
ある時は、エミリアが父の日に描いた絵を取り上げられる。
「これは上手に描けてるから、俺がもらう」
そして自分が描いたと国王に差し出すと、彼らも周囲も王子を褒めた。
「なんと素晴らしい構図と色使い!これは芸術の才能がありますな」
高名な画家に賞賛されたのは、エミリアが描いたはずの絵。
それが王子が描いた事となり、王子は鼻高々に笑って見せた。
「ちょっと手を抜いて、簡単に描きすぎたかもしれない」
「なんと!簡単に描いた絵とは思えません!」
ある時はエミリアの技術を使い、ある時はエミリアの知恵も利用する。
王子にとって婚約者エミリアは、ただの便利な道具でしかない。
婚約者に指名されてからは、王子と会う機会が増えたのは、エミリアにとっては不幸でしかなかった。
それでも、相手は王族なのだからとエミリアは自分の心に言い聞かせる。
婚約者として王子と親密になる為の、城への訪問は義務のようなもの。
訪れるたびに、王子の態度に内心ガッカリしていたのは、最初の内だけだ。
「ほら、教師に提出する宿題をとっとと終わらせろ」
そう言って、王子自身は呑気に昼寝をして時間を潰す。
エミリアは、王子が起きる時間までに、必死で辞典を使って問題を解いた。
こうしてエミリアは必死で知識を蓄えても、王子は何一つ成長はしない。
一か月に一度の交流が、王子の要望により一週間に一度となる。
「父上!エミリアと会う回数を増やすと、もっと仲良くなれそうです。ですが、あまりに頻繁に会いすぎると彼女も疲れるので、面会時間は三時間から一時間に減らして大丈夫です」
それを聞いた臣下たちは、なんと優しい王子かと真実を知らぬままに褒めたたえた。
にこにこと告げる王子の本心は、ただ会う度にエミリアに面倒を処理させるため。
だから回数は必要だが、時間は短い方がいい。
王子は、物静かで逆らわないエミリアの、時折何かを訴えるような瞳が嫌いだった。
◇◇◇
エミリアとて最初は必死に尽くしたのだ。
十歳で婚約者となってから妃教育を受け、その後は王子との面会の為に王城に通う日々。
それは決して楽しいものではなかったが、文句一つ言わずに努力して課題をクリアする。
妃教育は知識だけでなく、ダンスや刺繍、何よりも礼儀作法に重きを置かれる。
礼儀作法は、背中に姿勢を正す器具を装着されて息が苦しいままに、頭に何冊も本が乗せられ、決して落としてはならない。
踏み出す足の順番や、角度まで細やかにチェックされる。
社交界や大衆の前での会話についても、細やかな決まり事が多く、常に王族は手本であり鑑であれという教師から、何度も叱られた。
授業の後は精神も肉体もヘトヘトだが、次は王子との面会が待っている。
交流時間が、三時間から一時間に減ったのは、エミリアにとっても幸いだった。
だが、会うたびに王子はエミリアに面倒を押しつけたせいで、結局は制限時間が短くなっただけ。
「おい、今度のパーティーの挨拶文と、あとこのハンカチに刺繍をしておけ」
負担は日に日に重くなっていくが、エミリアは必死に一時間で成し遂げた。
その成果をみて、王子は二人きりなのをいい事に怒鳴りつける。
「挨拶文に、意味の分からない言葉をまぜるな」
「はい殿下。ですが、これを付けた方が理知的に聞こえます。季節ごとの挨拶には、何かを取り入れると……」
「あーうるさい!もっと短くやり直せ!あと、この刺繍はこうだ!」
縫えたばかりの刺繍に、王子が小さくハサミを入れたせいで、糸がほつれてしまう。
それを見て、王子は満足そうに頷いた。
「これでいい。俺の婚約者は不器用で役立たずの根暗だが、俺が見捨てないで優しくしてやっている」
そう周囲に思わせたいのだと、完璧だった刺繍はほつれたまま王子のポケットに仕舞われた。
凍りついた目で見つめていたエミリアが、一度だけ心から伝えた。
それはエミリアにとって、最初で最後の王子への期待だったかもしれない。
「自分を上にあげるために、人を踏みつけるのは結構でございます。だけど、それなりの努力をして実力を身につけておかなければ、困るのは殿下です」
その言葉すら、王子は鼻で笑ってあしらった。
「お前は、誰にものを言っているのだ?」
何を言っても無駄だ。
そう確信したエミリアは、小さく首を横に振り王子の望むままに以後もわがままを受け入れた。
いつしか、王子の狂言を信じる者たちが増えて、エミリアは王子を支える健気な婚約者ではなく、足を引っ張る腹黒い女と流布される。
◇◇◇
そんな噂が背景に広がると、エミリアを愛する家族は怒り狂う。
だが家族がどれだけエミリアに婚約破棄を提案しても、エミリアは静かに宥めた。
「お父様、お兄様、相手は王族です。今しばらく耐えてください」
「だがエミリア!お前が徹夜で必死に作った小物細工を、あの王子は貧しい女が、王子を祈って作ってくれたのだと公言したのだぞ?」
「父上の言うとおりだ!エミリア!あげくに婚約者の暴言や身勝手に振り回される王子を、見るに見かねて貰った品だと言ってのけた。エミリアがいつ、暴言や身勝手で振り回したんだ!」
「この前王子が発表して、学者たちをうならせた論文も、お前が書いたものだろう?なのに、わが娘の勉強を教えてやった時間に、軽く書き上げたなど妄想もいい加減にしろ!」
「それだけじゃありません父上!エミリア、もう耐えなくていい。とっとと陛下に申し出て……」
母が早くに病死したバートン侯爵家にとって、父と兄はエミリアを溺愛していた。
エミリアのためならば、たとえ国を捨てても後悔はしないだろう。
だが、それをエミリアは必死に止めた。
「ちゃんと最後には、正しさが勝ちます。私が答えを出すまでは、どうか耐えて下さい」
一番辛いであろうエミリアにそう言われ、二人は黙るしかなかった。
こうして月日は流れ、まもなく二人は十八歳を迎える。
共に通った学園でも、エミリアは散々だった。
王子の言いつけ通りに指定された場所を歩けば、お気に入りの女性が泣いている場面に遭遇する。
するとなぜか、泣いていたのはエミリアの罪だと噂を広められる。
また別のお気に入りの女性が倒れていれば、エミリアはその場にいない時でさえ、いつしかエミリアがケガを負わせていた事になっていた。
「俺の婚約者がすまない」
王子は皆に謝罪してのけた。
王族でありながら、不出来な婚約者の不始末に謝罪できる王子。
学生たちも、いつしかそのような目で、エミリアに冷たくなっていく。
テストの時は王族特権で、王子は個室で試験を受けた。
教師の見張りもいない、特別待遇だ。
「エミリアを一人にするわけにはいかない。彼女が不正をしないように、俺と共に受けさせる」
そう告げた王子と二人、エミリアが書いた用紙は王子の白紙と交換させられる。
そして次の週の成績表には、王子の名が上位に常に張り出された。
「もっと殿下を見習ったらどうかね?」
真実を知らない教師が、エミリアに説教をする度に王子は庇ってみせた。
「俺の婚約者がすまない」
「いいえ殿下、なんとお優しい」
エミリアはもう何も感じない。
心を凍らせて、じっと自分の足元を見つめ続けた。
誰かが気づきそうになると、王子はすぐさま訂正し、エミリアもそれに従った。
王子の為に、国の為にと身につけた知恵は、自らの能力を隠すことすら難なくやってのけたのだ。
いつしか共に通学した馬車には、違う女性が乗るようになる。
そしてエミリアは一人孤独に、学園を通学した。
「殿下はお優しいわ。今度は平民の彼女が心配だからと、常にお世話をしてあげているそうよ」
そんな言葉を聞きながら、エミリアは小さくつぶやく。
「婚約者のいる身で、四六時中他の女と一緒な事には、誰も非難しないのね」
◇◇◇
そんなエミリアを励まし、ひそかに優しく声をかける留学生もいた。
「心配しないでグランド。あまり私に近づかない方がいいわ」
「そんなのは関係ない。僕に、何かできる事は?」
彼はいずれ国に帰るのだからと、あえて彼から遠ざかる。
巻き込むわけにはいかないからだ。
ただ、その小さな優しさ一つがエミリアの救いであった。
大半の者たちは、王子のいう通り愚かで意地の悪い女と冷たい視線を浴びせ続ける。
エミリアの悪行に耐えかねた王子が、他に癒しを求めても仕方ないと認識がすり替わっていく。
エミリアは沈黙したまま。
今まで通りに王子に言われるがままに、尽くすだけだ。
卒業間近になると、もう用がある時のみ王子はエミリアを呼びつけた。
自分を大きく見せるためのアレコレを、エミリアに準備させるのが当たり前となっていたからだ。
大事にするのは、お気に入りの娘。
エミリアは婚約者という便利な道具。
王子は、きちんと区別して使い分けているだけと、エミリアは細い息をゆっくり吐いた。
その道具に、心がある事すら、きっともう気づくことすら出来ないのね――
城では、卒業した二人の正式な結婚に向けての会議が行われていた。
話し合いが始まるはずだったが、意見は二つに割れてしまう。
このままエミリアを妃にする派閥と、妃として不適合だとする派閥だ。
エミリアの父は国王に呼ばれ、こう告げられた。
「我が息子の不出来を、お前の娘が全て補ってくれている。それこそが、妃として相応しいと私は思っているのだ」
父は答えず、静かに頭を垂れて拳を震わせて耐えるだけだ。
そして、その頃エミリアの兄は、ある酒場で浮かれた話を聞いていた。
「うちの娘が、王子のお気に入りになってね」
「おや、でも王子には婚約者がいただろう?」
「はははっ!なんでもロクでもない女らしく、卒業と同時に追い出されるそうだよ」
「ああ、あの噂の出来損ないの婚約者は有名だよな」
たまたま寄った下町ですらあざ笑われる妹の名と、その内容に我慢が出来ずコップを壁に投げつけた。
金貨を置いて酒場を出た兄は、怒りのあまり眩暈に襲われつつ馬車に乗り込む。
顔色を変えた兄が慌てて帰宅すると、父は顔を赤くして居間にてエミリアを説得している所だった。
◇◇◇
「国王陛下は、お前が搾取されている事、虐げられている事を知りながら、お前を犠牲にするつもりだ。頼むエミリア、もう破棄でいいではないか?」
だが、エミリアは首を縦には振らない。
兄も参戦して、妹を説得した。先ほどあった話を伝えたのだが、怒りを増したのは父だけで、エミリアは眉一つ動かさなかった。
「追い出されるとは、どういう意味かわからんが、お前にロクな事をしないはずだ。この家がどうなろうといい!家族で国を捨てて、隣国の伯母上の元に行こう」
亡き母の姉ブリンダが、隣国の貴族に嫁いでいた為に、伝手はある。
けれど、エミリアは父と兄の目をしっかりと見つめる。
「お父様、お兄様……ずっと心配をかけてすみませんでした」
やっと考えを変えてくれたかと、二人は顔を明るくしたが、エミリアの笑みに硬直する。
氷のように冷たい瞳に、口元だけ壮絶な笑みを浮かべたエミリアは、初めて見せる顔で告げた。
「間もなく終わりですわ。王子には一度心から助言を致しました。ですが、未来を選ばれたのはあちらです」
クスクスと喉で笑う姿は、あの愛らしい妹かと兄はゾッとする。
「何をするにも私を頼り、あげくは当たり前のように全てを私に押し付けて済ませてきました。それこそ、あの方は自国の都市の名すら記憶になく、仕組みすら理解せず税すら自然に湧いてくると思っています」
昨年、王子は民の為にと新たな税制度を提案し、大々的に王子の優秀さが示された。
それすらもエミリアが考えたものであり、当の本人は賞賛を浴びて快感に浸るばかり。
エミリアはその視線で、態度で示し続けてきたのだ。
王子の要求を一度として拒絶する事なく、こうするのだと伝えようとする度に遮ったのはあちら。
「私は明日の卒業パーティーでは、きっと王子に捨てられます」
「ならば、もう良いのではないか?やっと解放されるとなれば……」
「きっと、王子は……いいえ国王陛下も含めて、私をなんとか利用しようとされるでしょう」
「そんな!婚約を破棄されれば、もう関係ないだろう!」
「なので、お二人にお願いがございます」
こうしてエミリアは、二人の愛すべき家族に、初めて自らの計画を告げた。
そして卒業パーティーにおいて、エミリアは皆の前で無実の罪で断罪された。
◇◇◇
大勢の冷たい視線の中でエミリアは冷たい床に膝をつく。
勝ち誇る王子の腕には、例の平民の彼女がいた。
王族は平民とは結ばれない法律すら、王子は知らないらしい。
「エミリア、もうお前を庇い続ける事は出来ない。よって、婚約破棄とする」
ざわつく会場の波の中、静かにエミリアは頷いた。
「はい殿下」
いつもの返事だ。
もうずっと、この返事しか交わしていない事すら、王子は気づいてはいない。
「泣いてすがっても無駄だ」
「はい殿下」
「目障りだが、慈悲深い俺は、お前の反省を見届けたいと思う。よって国外追放は免除してやる」
なんと優しいと、感動の声が周囲からあがる中で、父と兄がいた。
だが、その顔には何一つ感情を浮かべず、ただ成り行きを観客のように見つめている。
「お優しい殿下。ですが婚約破棄されたエミリア様は、きっともう結婚など出来ないと思います」
王子に寄りかかるように、新たな王子の恋人が芝居がかったセリフを言うと、王子も待ってましたと鷹揚に答えた。
「ちゃんと考えている。仕方がないから、城で俺の身の回りの世話の仕事でもさせよう。王族に仕える名誉ある仕事だ」
盛大な拍手が会場を包む中で、エミリアとその家族だけは凍り付いたまま。
今こそ最大の見せ場だとばかりに、王子はエミリアを指さした。
「俺がちゃんと保護してやる。感謝などいらないから、安心するといい」
割れんばかりの拍手の中で、父だけが一歩前に進み出た。
そして、深く礼をした。
「我が娘の不出来、大変ご迷惑をかけたうえに、寛大なご配慮に感謝致します。これは国王陛下も同意と思って、間違いございませんな?」
この場にいない父である国王を出され、一瞬ぎょっとした王子だが、すぐに笑顔の仮面を被る。
「ああ、父上もお前の娘については、色々と思うところがあったのでな」
「でしたら、城に仕えにやる準備に一週間頂きたい」
「身一つでくれば良かろう」
父はゆっくりと顔をあげた。そして、娘が見せた時と同じ、目だけ笑っていない笑顔を向ける。
「いえいえ、ご迷惑をおかけするような娘です。せめて少しは準備と躾を施してからではないと、城に仕えさせるなど、とてもとても……」
無言の圧に押された王子は、一瞬だけ息を止めたがすぐに繕った。
「わ、わかった。エミリア、一週間後に城に来るがいい」
名を呼ばれ、ゆっくりと立ち上がり優雅にカーテシーを披露すると、周囲は沈黙に包まれた。
エミリアは顔を上げ、心からニッコリとほほ笑む。
するとその笑みに、王子だけでなく、その場にいる全ての者が魅了された。
いつものように、エミリアは返事をする。
「はい殿下」
深く礼をして、背を向けてコツコツと小さな足音と共に出口に向かう。
そういえば、エミリアは常に威風堂々と顔を上げていた。
なのに、ほほ笑んだ姿など初めて見たことに、その場にいた者の何人が気が付いただろうか?
ただ一人だけ、助けの手を拒絶された留学生は、険しい顔をしてその場から離れる。
そして、静かにエミリアはその場を去った。
彼らが、エミリアの姿を見たのは、それが最後となったのだった。
それから五日後、突然エミリアの死が城に伝えられた。
◇◇◇
「なんだと!」
王座から腰を浮かした王は、すぐに咳払いをして椅子に座った。
そばに立っていた王子も、口を開いたまま唖然としている。
だが娘の死を告げたエミリアの父は、低い声で俯いたまま報告する。
「娘は、殿下と別れた事を苦にして自ら……」
「なんという事だ。何も死なずとも……」
「王家への影響も考慮して、家族での密葬を行い、既に埋葬も済ませました」
その言葉に、王子が嚙みついた。
「俺を想って亡くなったなら、せめて最後くらい会わせてくれても……」
「だからこそです。殿下を想う娘ゆえに、あんな姿で死んだ娘を見せたくはありません。どうぞ、ご理解ください」
父のこわばった顔を、娘を亡くしたからだと理解した王は彼を下がらせると、頭を抱えて息子を見つめた。
「なぜ私の許可なく、皆の前でエミリアとの婚約を破棄したのだ」
「ですが父上。ちゃんとあいつが役に立つように、俺のそばに置くと……」
「そうではない!お前は間もなく政務に携わるのに、大丈夫なのか!」
父の言葉に、王子は胸を張った。
「勿論です。俺の評判をご存じですよね?父上」
「それは全て、あのエミリアのお陰だろう」
「ははっ、あいつに出来た事が俺に出来ないはずがないんですよ」
能天気に笑う息子に、国王だけがしかめっ面で未来を憂う。
そして、その心配は現実となる。
◇◇◇
ところで城を退場したエミリアの父は、その足を港に向けた。
他国を行き交う船の中で、一隻の客船が間もなく出航しようとしている。
「良かった!間に合った、エミリア」
汗だくで走ってかけつけた父を見て、帽子を深く被り顔を隠したエミリアが笑う。
「ふふっ、お父様の顔が見れて嬉しいです」
いつもと違う朗らかな娘の声に、父は嬉しそうに笑う。
そばには兄もいて、同じく微笑みながら旅立つ妹を見送りに来ていた。
「じゃあ伯母上に宜しくなエミリア」
「はい、お兄様」
「あとから、ちゃんと理由をつけて追いかけるからな」
「別に、ご無理されなくても……」
エミリアの言葉に、父は吐き捨てるようにきっぱりと言った。
「いいや、この国はもう終わりだ。あの王子しか跡継ぎがいないのだからな」
「……まあ、あちらでお待ちしていますね」
そして背を向けて去ろうとするエミリアに、父は最後に問いかけた。
「エミリア……お前は最後はこうなると、わかって全てを受け入れていたのか?」
エミリアは答えた。
「私はちゃんと、警告はしましたよ?」
◇◇◇
その通りで、エミリアが死を装って他国に亡命した後、この国は転落を続ける。
人々は噂する。
愚かな婚約者に、最後まで迷惑をかけられた王子。
同情を受けた王子は、すぐにエミリアの死など心の隅に追いやった。
「悲しみは政務に励むことで、皆に恩返しをする」
なんと謙虚な態度かと、より評判が上がった事に、王子は上機嫌だ。
だが……言葉通り王子が政務に携わるようなり、すぐに変化が訪れた。
「殿下、失礼ながらそれは、こうでは……?」
「ああっ、そうか、そうだったな。うっかりしていた」
「いえ、慣れぬ政務でお疲れなのでしょう」
そう臣下たちにフォローされながらも、すぐにボロが出てくるのも早かった。
なにせパーティーでの礼儀作法一つも、エミリアが小声で指示をしていたのだ。
その通りに場を乗り切りながら、皆の前では余計な口出しをする婚約者で困ると愚痴っていた王子。
新たなパートナーとなった平民の娘は、ドレス一つ着こなす事も出来ず、歩けば長い裾で転ぶ始末。
そこで、以前のエミリアが作った挨拶文をそのままに転用した王子の言葉に、周囲の者たちが首をかしげる。
「風の息吹が冷たかろうとも、皆がここに集まった……」
「おや?殿下が何か、季節の挨拶を間違えられたが、気のせいか?」
作成された文は冬用で、今は春。貴族社会において、細やかな決まりを守ってこその社交界である。
王族だからこそ、完璧にこなす鑑であるべきだが、王子はそれすらできない。
「よって、ウィズナー伯爵の主催に招かれた事に感謝する」
書かれた主催者の名をそのまま読みあげた途端、さすがに動揺が走り、空気が変わった。
胸にあてる手も、右手で行うべきところを左手でやってしまうお粗末さ。
みかねたお付きの者が、小声で進言する。
「殿下、この度の主催者は別の者でございますれば……」
「うるさい!これを作ったエミリアのせいだ!」
イライラとした王子は、とうとう笑顔を繕う事すら出来ずに、声を張り上げた。
人々は、これはあの死んだエミリアの呪いではないかと噂した。
王子は少しずつ、今まで作り上げた完璧で優秀な姿が剥がれ落ちていく。
なんにせよ、細かなところまで全てエミリアに任せていた挙句、より大きな国策に関する内容まで、エミリアが考えて作り上げたものだったからだ。
王子は中身など理解せず、ただ手柄を奪っていただけ。
だから、自分が作ったと偽った計画書の内容を、少しでも指摘され確認されるとお手上げだった。
最初に気づいたのは大臣たちだ。
特に税務に関する者たちは、大慌てになった。
王子が一番評価された国民たちへの税の大改革こそ、この国の未来の柱となると、すでに計画は実行され進んでいたからだ。
「国が山を潰したせいで、川の流れがかわり不作だったのに、税金をあげるとはどういう事だ!」
エミリアの計画とは違う、王子のデタラメな選択により狂っていく。
「王子!村の者や、その周辺の者から苦情が……」
「うるさい!黙らせておけ!最終的に、結果が出れば文句もなくなる!」
田舎の土地を開拓して、作物を増やす代わりに税収を抑える代わりに、作物で儲ける商人たちの税率を一時的にだけ上げる。
国の改革は、すべてが仕組まれ精密な計算で成り立っているのだ。
それは、途中で止められるものではなく、ましてや失敗すれば国が大きなダメージを受けるのは必須。
本来なら、どれだけ立派な計画書であっても、精密な打ち合わせと共に、大勢の専門家たちと共に進めるべき事だった。
それを早急に進めたのは王子その人であり、華やかな即位予定だった道に暗雲が広がっていく。
「王子、この件についての決裁を……」
「今忙しい、後にしろ」
「王子!今度は、伐採した木々から火災が……」
「なんとかしろ!」
こんなはずではなかった。どうしてなのか?
全てが思うがままだった王子にとって、世界は突然手のひらを変えたようなもの。
それまで愛らしく思えた平民の女ですら、面倒になり叩き出した。
一人、鏡を見つめてブツブツと王子はつぶやく。
「違う、俺は優秀で完璧だ。どうして、なぜだ?やはり、あの女の呪いか」
どこか遠くで、笑わなくなったエミリアの顔を思い出す。
「これはお前の復讐だな。だが、いつも優秀さを俺に見せつけていたのはお前ではないか。だから、俺はお前に沢山の指示を出したのに、全て解決するから余計にお前が嫌いになったんだ」
失敗するような馬鹿であれば、もっと自分は安心できた。
もう少しエミリアが自分を立ててくれていれば……いや、本当にそうなのだろうか?
城の外では、国民たちに政策の失敗が転がり不満の声が広がっていた。
「なんて事だ。やはりエミリア、お前が全て悪いのだ。どうして、俺がこんな目に……」
嘆きだけで、王子は何一つその問題を解決する方法は、思い浮かばなかった。
◇◇◇
王子が自らの愚かさを理解できない時、その父である国王は、臣下たちに詰め寄られていた。
「陛下、これはどういう事でございますか?殿下はまるで別人のようです!このままでは、この国の未来も危うい」
「既に国民たちは、政策の失敗と対応の不始末で、不満が増大しております!」
問題はエミリアの計画ではなく、それを無知なまま書き換えた王子の行動にあった。
エミリアを超えようと勝手に手を加えては、うまくいかずに怒って放り投げる。
無能の働き者のせいで、状況は悪化する一方だった。
王は拳を震わせて、口をつぐむ。
誰よりも我が子の愚かさを知っていた王は、だからこそ賢い娘を補佐として婚約者に選んだのだ。
エミリアは賢かった。
王子と顔を合わせるたびに、我が物顔で自分の手柄にする王子に、王は言ったのだ。
「あれの知恵は宝だ。何よりも、大事にするように。そして、お前も学ばねばならない」
「大丈夫ですよ父上」
呑気な息子は、笑顔で答えた。
結局は、エミリアは息子をただ支えるのではなく、何も出来ないように仕向けたのではないか?
そんな考えが王の中に生まれると共に、別の考えすら浮かぶ。
「あの賢い娘の事だ……もしかして、死んだというのは……」
王が立ち上がった途端に、騎士が飛び込んできた。
「お伝えします陛下!大変です!民衆が暴動を起こしました!」
「なんだと!」
城の周りには、不満を爆発させた民が取り囲んでいた。
こうして、この国は王族や貴族、そして平民の国民たちと分裂して内部から崩壊する。
その騒ぎに乗じて、エミリアの父と兄は国を捨てた。
◇◇◇
船に乗り込みエミリアのいる隣国で再会を果たす。
「お久しぶりです、お父様、お兄様」
「エミリア、元気そうで何よりだ。お久しぶりだブリンダ」
父が頭を下げた相手は、亡き妻の姉ブリンダだった。
彼女はエミリアと似た目元を細めて、笑顔で出迎えた。
「よく無事に来てくれたわ。ちゃんとエミリアが全て準備を整えているから、安心して頂戴」
「伯母様の協力があったから、用意できたのよ」
エミリアが用意した家で、これから家族で暮らすことになる。
また、エミリアは伯母を通じて、既に兄たちの仕事も用意していた。
「おや、ゆっくりとエミリアと過ごす予定だったのに」
「そんな事言って、すぐに働きたくなる癖に」
クスリと笑う娘の笑みに、やっと昔の明るさが戻ったと二人は喜んだ。
兄の新たな仕事は、行政に関係する護衛業務。
父は領地経営や国の保管庫関連の仕事に携わっていた関連で、この国管轄の美術館の職員となる。
「それで、エミリア。お前は、どうするんだ?」
その言葉に、エミリアは照れながら一人の青年を紹介した。
国を捨てて一年目。
家族と再会する今日まで、自分を支えてくれた青年を紹介した。
かつて学園で声をかけてくれた、あの留学生のグランドだ。
外交で他国に詳しい父が、彼の名を聞いてハッとする。
「まさか!この国の……」
「みなまで言わないでくれ。僕は妾腹の子でね。一応は、王族ではない扱いなんだ」
だからエミリアのいた国に、留学という形で追い出されていた時期もあった。
そう語るグランドは、しっかりとエミリアの手を握りしめる。
「あくまで今は隠しているだけで、父上は別に僕を粗末に扱うわけでない。愛情をもって接してくれているし、兄上が正式に王となれば、余計な憂いもなくなり、僕の立場もしっかりとしたものになるだろう」
新たに住む国の王子に、父と兄は腰を折って頭を下げたままだ。
エミリアは少し照れながら、告げた。
「ずっとグランドがいたから、私は耐えられたの」
「あの国は自滅して、今は内乱が起こり王族が倒れるのも時間の問題だ。エミリアは、ちゃんと自分の力で立てと見本を見せても、あの王子は奪い取るばかりで自業自得だよ」
少し悲しげなグランドだが、グッと何かを堪えるようにエミリアを見つめる。
「今度こそ、君を守りたいんだ。だから、もう僕の手を振り払わないで欲しい」
「はい、グランド」
「きっと、僕の立場が君を守る。というより、破滅する彼らが君に手出しする余裕もないだろうけどね」
グランドのいう通り、まもなくあの国は崩壊を迎えた。
それと同時期に、グランドの兄が王として即位する。
新たな王の誕生に沸き立つ国は、喜びにあふれていた。
バルコニーから民衆に手を振る新国王は、国民たちの平和を誓う。
その後ろには弟であるグランドと、その婚約者のエミリアが並んでいた。
グランドは微笑みながら尋ねた。
「君は、あの王子がああなると知って、何もかも引き受けたのかい?」
エミリアは答えず、ただ静かに見つめ返しグランドの手を優しく握り返しただけだった。
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