二条大橋の下
やすらはで 寝なましものを さ夜更けて
かたぶくまでの 月を見しかな
――赤染衛門
「姉ちゃん。ここだけの話、借金はもう十両を超えてて、米も残り一俵しかないんだ」
彬作が大福帳を閉じながら、珍しく深刻な顔で私に打ち明けた。
それは…知ってる。
藤堂さんから渡されたお金を差し引いても、もう貯えはない。
けど、さらに深刻なのは、それを心配してるのがこの生意気な子供だけってことだ。
「そうね。このままだと持って半月ってとこかしら」
それが、この店の寿命。
はあ…
とにかく四人分の生活費を何とかしなきゃ、人探しどころじゃない。
天禅さんはあんな感じだし、もう下女でも内職でも、なんでもいいから仕事を捜さなきゃ。
まずは街に出ようと思い立って、鴨川沿いに町の方へ歩いてみたけど、
河川敷には焼け出された人たちが急場しのぎに建てた小屋が並んでいて、町は一面の焼け野原。
仕事どころか商家すら見当たらない。
てことは、借金の証文も燃えちゃってるかも。なんてよくない考えがよぎる。
ようやく二条通りまで出た頃には、暑さと絶望で目がクラクラしてきて、ひとまず日陰を探すことにした。
といっても、太陽を遮る建物はほとんど残ってない。
わたしは二条大橋の下で一休みしようと土手を降りた。
うわっと!
人がいる。
イカ頭巾(宗十郎頭巾)を被ったお侍と、乞食の男性がなにか深刻な雰囲気でヒソヒソ話をしていた。
わたしはなんとなく、居てはいけない場所に居合わせたような気がして、あわてて橋桁の蔭に隠れた。
「ここから我々が巻き返すには、大量の武器が要るだろう」
物騒なことを言ってるのは、乞食の男性の方だった。
その格好とは似つかわしくない、妙に若々しい声。
「わたしが雄藩と話してみましょう。新堀先生は資金の方を頼みます」
イカ頭巾がうなずく。
ちょっとまって。
これって、藤堂さんたちが捜してた長州藩の残党じゃないの?
わたしはそーっとその場を離れようとして土手を登ったけど、雑草に足を取られて、うつ伏せのままズルズル滑り落ち、みっともない格好で敵の前に姿をさらしてしまった。
「娘さん、大丈夫かい?」
乞食に変装している「新堀先生」に、心配されてしまった。
…かっこ悪すぎ。
イカ頭巾は、いつの間にか居なくなってる。
「は。大丈夫です。お気遣いなく」
わたしはさりげなく立ち去ろうとしたけど、新堀先生はわたしのことを優しく助け起こして、手を引いた。
「暑さでやられたんじゃないか。しばらく日陰で休んでいくといい」
そう言って、竹筒に入った水を差し出される。
それって、あなたも口をつけたやつでしょ?
けど、間近で見る新堀先生は、薄汚れてはいるけど、役者さんみたいな二枚目だった。
ん~~~…まあいっか。
わたしは喉の渇きに負けて水を飲みほした。
「生き返ったか?」
新堀先生は優しげに微笑んだ。
都を焼き払ったくせに!
京の人たちは長州びいきだったのに。
そんな顔したって騙されないから。
けど、ホッとするとまた不安が頭をもたげてくる。
これから、どうすればいいのだろう。
「浮かない顔だな」
新堀先生に声を掛けられて、わたしはなぜか悩みを打ち明けていた。
だって、そもそもこいつらのせいなんだから、何か助言をもらったって罰は当たらないはずだ。
新堀先生は(たぶん退屈な)街はずれの茶屋の窮状を、うんうんと最後まで大人しく聞いてくれて、
「つまりきみは、その店を立て直したいんだな?」
と真顔で尋た。
「私のお店じゃないけど、お世話になったし、なによりほかに京で頼る人もないので」
「ではなにか、武器が要るな」
新堀先生は、さっきの密談と同じ言葉を繰り返して、わたしをドキッとさせた。
「武器って、鉄砲とか、そういう?」
新堀先生は笑いながら手を振った。
「そうじゃなくて、看板になるような料理とか、お菓子とか。街はずれの茶屋まで客に足を運ばせるための武器だよ」
さすが、敵の大将だけあって、鋭いとこを突いてくるなあ。
「武器の使い方によっては、勝負ができるはずだ」
「…あなたも、武器の使い方を間違えないで」
わたしは、ほとんど無意識に言い返してしまってから、はっと口を抑えた。
「…さっきの話、聴いてたのか」
新堀先生がわたしを睨んだ。
わたしは開き直って、新堀先生を見つめ返した。
「ええ。この河原を見てみなさいよ。あなたたちのせいで、何人死んで、何人が親族や家を失ったと思ってるの?」
そうだ。こんな奴らに背中は見せられない。
斬られたって構うもんか。
新堀先生は膝に顔をうずめ、土手の草をつかんだ。
「……止めようとしたんだ……だが、止められなかった!」
「新選組に知り合いがいるの。言い訳は取り調べのときすればいい」
わたしは突き放した。
顔は見えないけど、肩が震えている。
泣いてるの?
「いまさら悔やんだって、死んだ人たちは帰ってこない」
わたしの声は、自分でもびっくりするくらい冷たく響いた。
「長州の人間、すべてが許せないなら、私を新選組に売ればいい」
わたしは、彼の言ったことをしばらく考えてみた。
「…いいえ。あなたに本当に戦を止める力があるなら、これ以上悲しむひとを増やさないで」
わたしは立ち上がって、土手の上まで登りきると、もう一度橋の下を振り返った。
「ありがとう、新堀さん。わたし、なにか目玉になるような料理を考えてみます」
注釈です
一俵:米などを数える単位。当時の米一俵は一般に一石相当として扱われることが多い。
宗十郎頭巾:江戸時代に用いられた頭巾の一種。歌舞伎役者・初代沢村宗十郎に由来するともいわれる。
雄藩:幕末に、軍事力や財力、政治的影響力を持った有力な諸藩。薩摩藩・長州藩・土佐藩などを指す。
長州藩の残党:禁門の変で敗れ、京都を追われた長州藩関係者。




