第8話 ダンジョン単独攻略
ルカがエルデ村に滞在して三日が経った。
毎食セフィナの料理を食べ続けた結果、ルカの戦闘能力は凄まじい勢いで向上していた。
剣速は倍。魔力量は三倍。身体強化の効率が桁違いに上がり、以前は五分と保たなかった全力戦闘が、今なら一時間は持続できる。
Cランク冒険者の体に、Aランクの力が宿っている。
冷静に考えれば異常だ。だが、セフィナの飯を食べているとそんなことはどうでもよくなる。
「ルカさん、朝ごはんですよ」
「……ああ」
セフィナが運んできた朝食は、ベリーのジャムを添えた焼きたてパンと、山羊チーズのオムレツ、それに野菜たっぷりのミネストローネ。
ルカは黙々と食べた。
美味い。三日経っても、毎食新鮮な感動がある。素材は辺境の素朴なものばかりなのに、セフィナの手を通すと魔法のように化ける。
「ルカさん、今日はどうするんですか?」
「森の偵察に行く。ボルスから聞いた、奥の方に出る見慣れない魔物とやらを確認してくる」
「気をつけてくださいね。お弁当、作りましょうか?」
「……頼む」
セフィナが嬉しそうに台所へ戻っていく背中を見て、ルカは思った。
この女は、頼まれなくても誰かのために動く。それが当然だという顔をして。
聖女だったのではないか、とルカは薄々感づいていた。辺境にいるにしては所作が洗練されているし、料理に込められた「何か」は、ただの技術ではなく聖なる力に近い。
だが、本人が語らないなら詮索するつもりはなかった。冒険者には冒険者の、踏み込まない礼儀がある。
弁当を受け取り、ルカは森に入った。
エルデ村の東に広がる深い森。
以前は小型魔物しかいなかったそうだが、最近は中型以上の魔物が目撃されるようになったという。
森の奥へ進むこと二時間。
ルカは、地面に刻まれた巨大な爪痕を見つけた。
「……ブレイドベア。いや、これは――」
爪痕の深さと幅から判断して、通常のブレイドベアより二回りは大きい個体だ。Bランク相当の魔物。Cランクの冒険者が単独で挑む相手ではない。
普通なら。
ルカは細剣を抜き、気配を探った。
五感が冴え渡っている。セフィナの朝食の効果は絶大で、魔力による感覚強化が通常の何倍にも増幅されていた。
左。
殺気を感じて横に跳ぶ。直後、巨大な爪が空を裂いた。
木々の間から現れたのは、体長三メートルを超える巨大な熊型の魔物。前脚の爪は剣のように鋭く、黒い毛皮は鋼のような光沢を放っている。
ブレイドベア・アルファ。群れの長。Bランク上位。
「…………」
以前の自分なら、即座に撤退していた。
だが今は。
ルカは地を蹴った。
信じられない速度で間合いを詰め、ブレイドベアの懐に潜り込む。細剣が閃き、鋼の毛皮を――貫いた。
「通る……!」
以前の自分の剣では、傷一つつけられなかったであろう毛皮を、細剣が紙のように貫通する。
ブレイドベアが咆哮し、爪を振り下ろす。ルカは紙一重で躱し、返す刃で首を斬った。
どう、と巨体が倒れる。
息一つ乱れていなかった。
「……嘘だろ」
Bランク上位の魔物を、三十秒で仕留めた。
しかも、まだ余力がある。体の中で魔力が渦巻き、もっと戦えると告げている。
ルカは、セフィナが持たせてくれた弁当を開いた。
角猪肉のサンドイッチ。香草入りの芋コロッケ。小さな瓶に入ったベリージュース。
一口食べるたびに、消耗した体力と魔力が回復していく。
これは弁当ではない。最上級の回復薬だ。
「……あの人は、自分の料理がどれほどのものか、わかっているのか」
わかっていないだろう。あの様子では。
ルカは弁当を食べ終え、森のさらに奥へ足を向けた。
そして、見つけた。
森の最奥部に、洞窟。
暗い入り口から、濃密な魔力が漏れ出している。
ダンジョンだ。
自然発生型のダンジョン。辺境では珍しくないが、このレベルの魔力密度はただ事ではない。おそらくCランク以上のダンジョン。パーティーを組んで攻略するのが常識だ。
ルカは洞窟の前に立ち、中を覗いた。
暗闇の中で、何かが蠢いている気配がする。
普通なら、引き返してギルドに報告するところだ。
だが。
「……行くか」
今の自分なら、行ける。
根拠のない自信ではなかった。セフィナの料理で強化された体が、明確にそう告げている。
ルカは洞窟に足を踏み入れた。
結果から言えば、ダンジョンはBランク相当だった。
三層構造で、各層にブレイドベアやストーンゴーレム、毒蛇の群れが出現した。
ルカは、そのすべてを単独で蹴散らした。
最深部のボス――双頭のサーペント――を斬り伏せた時、ルカの手は震えていた。
恐怖ではない。
興奮でもない。
ただ、信じられなかったのだ。
三年間、仲間を失った罪悪感に囚われて伸び悩んでいた自分が。Cランクの壁を越えられなかった自分が。
たった三日で、ここまで来た。
ダンジョンの宝箱から、ルカは一振りの剣を見つけた。
銀色の刀身に青い紋様が浮かぶ、見事な魔剣。鑑定スキルを持たないルカでも、一目で高位の武器だとわかる。
これを売れば、しばらくは困らない。
いや、それよりも。
「……エルデ村に、帰るか」
帰る。
戻る、ではなく、帰る。
自分でもいつの間にか、あの村を「帰る場所」と思い始めていることに、ルカは気づいた。
日が暮れる前にエルデ村に戻ると、セフィナが広場で夕食の支度をしていた。
「あ、ルカさん! おかえりなさい。怪我はありませんか?」
「ない。……ダンジョンを見つけた。単独で攻略してきた」
「えっ、ダンジョン!? 一人で!? 大丈夫だったんですか!?」
セフィナが目を丸くして駆け寄ってくる。
「大丈夫だ。……あんたの弁当のおかげだ」
「お弁当の?」
きょとん、とした顔。
本当に、何もわかっていない。
「それより、これを」
ルカは宝箱から取り出した魔剣とは別に、ダンジョン内で採取した鉱石や薬草を差し出した。
「ダンジョン産の素材だ。高く売れる。村の収入になるだろう」
「わあ……! すごい! ありがとうございます、ルカさん!」
セフィナの満面の笑顔に、ルカは目を逸らした。
「……礼はいらない。飯の代金だ」
「もう、ルカさんったら素直じゃないんだから」
マーサが横から茶化す。ルカは無言で広場のテーブルに着いた。
その夜の夕食は、セフィナ特製の角猪肉のステーキだった。
ルカは二人前を平らげ、三人前目に手を伸ばした時、行商人のクロエと目が合った。
一瞬、空気が張り詰めた。
冒険者と密偵。互いの「本業」を、何となく察している。
だが、二人とも何も言わなかった。
セフィナの料理を食べている間は、そういうことはどうでもよくなるのだ。




