第6話 冒険者ルカ
セフィナがエルデ村に来て、十日が経った。
村の変化は目覚ましかった。
畑は見違えるほど豊かになり、かつて芋と豆しか育たなかった痩せた土地に、麦も人参も、果てはトマトまで実り始めている。マーサが「残り汁肥料」を毎日欠かさず撒いているおかげだ。
ボルスは森の奥に棲む魔物を次々と狩り、毛皮や素材を近隣の町で売って村の収入を増やした。
子どもたちは魔法の練習に夢中で、広場で小さな炎や水球を飛ばしては歓声を上げている。
そして何より、村人たちの表情が変わった。
疲れ切っていた顔に活力が戻り、諦めの色が消え、未来を語る目をしている。
セフィナは毎日、三食の料理を作り続けた。
朝はふわふわのパンと野菜のスープ。昼は具だくさんのサンドイッチ。夜は日替わりの煮込み料理やグリル。
そのすべてに、セフィナの無自覚な【神の祝福】が込められている。
「セフィナさん、今日のパン最高!」
「夕飯楽しみだなあ」
「セフィナさんが来てから、体の調子がいいんだよね」
村人たちの笑顔が、セフィナの原動力だった。
そんなある日の昼下がり。
村の入り口に、見慣れない人影が現れた。
灰色のフード付きマントを纏い、腰に細剣を佩いた青年。二十代前半だろうか。銀髪を無造作に束ね、切れ長の灰色の瞳をしている。左頬に古い傷跡があり、その風貌はどこか野良猫を思わせた。
「……ここがエルデ村か」
青年は村を見回し、怪訝そうに眉をひそめた。
「噂と違うな。こんな小さな村に、本当に伝説の料理人がいるのか?」
「あんた、旅の人?」
畑仕事をしていたマーサが声をかけた。
「ああ。冒険者だ。名前はルカ。……ここに『食べると強くなる飯』を出す女がいると聞いて来た」
「ああ、セフィナちゃんのことだね! ちょうど昼飯の時間だよ。食べていきな」
「……いいのか?」
「うちの村は来る者拒まずだよ。ほら、こっちおいで」
マーサに手を引かれ、ルカは広場のテーブルに着いた。
どこか居心地悪そうに周囲を見回している。冒険者らしく、常に警戒を怠らない目つきだ。
「はい、どうぞ」
声とともに、目の前に皿が置かれた。
見上げると、栗色の髪を一つに結んだ、柔らかい笑顔の女性が立っていた。
エプロン姿。手には木のお盆。
「今日のお昼は、角猪のドライカレーです。畑で採れたトマトとスパイスで煮込みました。パンもご一緒にどうぞ」
セフィナ。
これが噂の料理人か、とルカは思った。
拍子抜けするほど普通の――いや、どこか気の抜けた雰囲気の女だ。伝説感は皆無。
「……いただく」
ルカはスプーンを手に取った。
正直、期待はしていなかった。辺境の村で大した料理が出るはずがない。「食べると強くなる」なんて、大方プラシーボか、村人の思い込みだろう。
冒険者ギルドでCランクに甘んじている自分が、飯を食ったくらいで強くなれるなら苦労はしない。
一口。
「――」
ルカの手が止まった。
何だ、これは。
舌の上で弾けるスパイスの香り。角猪の肉はしっとりと柔らかく、噛むたびに深い旨味が溢れ出る。トマトの酸味がそれを引き締め、どこか懐かしい甘みが全体をまとめている。
美味い。
ただ美味いだけじゃない。体の奥底が、じわりと温まる。
冷えていた何かが、溶けていく。
ルカは三年前、パーティーの仲間を守れなかった。格上のダンジョンに挑み、判断を誤り、最も信頼していた前衛を失った。それ以来、誰ともパーティーを組まず、一人で依頼をこなしてきた。
強くならなければ。もう誰も失わないように。
その焦りが、いつしかルカの体を蝕んでいた。食事は栄養補給でしかなく、味など感じない日々。
それが今、たった一皿のカレーで。
「……おかわり、もらえるか」
声が掠れていることに、ルカは自分で驚いた。
セフィナは嬉しそうに微笑んだ。
「もちろん。たくさんありますから、遠慮しないでくださいね」
三杯食べた。
村人たちが笑いながら「新記録だ」と囃し立てるのも、気にならなかった。
食後、ルカは自分の体の変化に気づいた。
体が軽い。異常なほど軽い。
それだけではない。魔力の巡りが良くなっている。体内の魔力経路がまるで掃除されたように澄み渡り、普段の倍は魔力が循環しているのが感覚的にわかる。
「嘘だろ……」
試しに細剣を抜き、素振りをした。
速い。明らかに速い。風を切る音が、いつもと違う。
「おっ、冒険者さん、効いてきたかい?」
ボルスが、にやにやしながら声をかけてきた。
「セフィナさんの飯はすげえだろ。俺なんか、最初の一食でA級魔物を素手で倒せるようになったんだぜ」
「……あの飯は何だ。何が入ってる」
「さあな。セフィナさんに聞いても『普通の料理です』しか言わねえし。俺たちにもわからん。わかるのは、食えば強くなるってことだけだ」
ルカは、セフィナが他の村人たちと楽しそうに話している姿を見つめた。
普通の料理。
あれが普通なわけがない。だが、あの女に邪な気配は微塵もない。
何者なんだ、あの料理人は。
「なあ冒険者さん、しばらく村にいないか?」
ボルスが言った。
「ちょうど森の奥で見慣れない魔物が増えてきてるんだ。俺も強くなったとはいえ、正直専門外でよ。冒険者の知恵を借りたい」
「……考えておく」
そう答えたルカだったが、心の中ではもう決めていた。
もう少し、この村にいよう。
あの料理人の正体を確かめるまで。
――それと、あの飯を、もう少し食べていたい。




