第4話 辺境の朝食と王都の異変
同じ朝。
王都の神殿では、異常事態が発生していた。
「結界が……薄くなっている……?」
神殿長ヴァレリウスは、聖堂の中央で蒼白な顔をしていた。
王都全体を守護する神聖結界。千年以上維持されてきたその結界が、昨日を境に急激に弱まっている。
「セフィナが……いや、前の聖女がいなくなったからか?」
馬鹿な、とヴァレリウスは首を振った。
あの娘の適性値はたったの【7】だ。結界維持に多大な影響を与えるはずがない。
セレスティナの適性値は【21】。三倍の力がある。理論上、結界はむしろ強化されるはずだ。
「セレスティナ様に結界の維持をお願いしたのですが……」
神官が恐る恐る報告する。
「うまくいかない、と。結界との接続が不安定で、力を注いでも浸透しないようです」
「何だと?」
ヴァレリウスの額に冷や汗が浮かぶ。
接続が不安定。それは、結界そのものが特定の聖女――つまりセフィナの魔力波長に最適化されていたことを意味する。
十五年間、毎日欠かさず祈りを捧げ続けた結果、結界はセフィナの存在を前提に構築されてしまっていたのだ。
適性値【7】。
数値は低い。一度に注げる力は小さい。
だが、それを十五年間、一日も欠かさず積み重ねてきた。
水滴が岩を穿つように、セフィナの祈りは王都の結界を隅々まで浸透し、彼女の魔力と不可分に絡み合っていた。
それを引き抜いたのだ。昨日、いきなり。引き継ぎもなく。
「……王太子殿下に報告を」
「すでにお伝えしましたが……『些細な問題だ、セレスティナの力で補えばいい』と」
ヴァレリウスは唸った。
些細な問題ではない。このまま結界が弱まれば、王都に魔物が侵入する可能性がある。
だが、追放を決めたのは王太子だ。今さら「やはりセフィナが必要でした」とは言えない。
言えるわけがない。
「聖樹は?」
「それが……聖樹も、葉が枯れ始めています」
「なっ……!?」
聖樹は王国の象徴であり、国土の豊穣を司る神木だ。
聖女がいなくなったくらいで枯れるものではない。はずだった。
ヴァレリウスは知らなかった。
セフィナが毎日、神殿の義務としてではなく、自発的に聖樹に話しかけ、水をやり、そっと幹を撫でていたことを。
まるで大切な友人に接するように。
その「心を込めた行為」こそが、【神の祝福】を聖樹に注ぎ続けていたのだということを。
一方、王太子クラウディウスは謁見の間で、取り巻きの貴族たちに囲まれて悠然と茶を飲んでいた。
「殿下のご英断でした。あの地味な聖女では、王国の威信に関わりますからな」
「セレスティナ様は美しく、力も強い。まさに理想の聖女です」
「殿下とお似合いですよ。ご婚約の噂も――」
クラウディウスは満足げに頷いた。
「セフィナは真面目な娘だったが、華がなかった。聖女は国の顔だ。セレスティナの方がふさわしい」
華がない。
それが、十五年間身を削って国を守った人間への評価だった。
「それにしても殿下、辺境から魔物の大量発生の報告が来ておりますが……」
「辺境か。辺境の問題は辺境で解決させろ。セレスティナの手を煩わせるほどのことでもあるまい」
「は、仰せのとおりで」
彼らはまだ知らない。
辺境の「魔物の大量発生」が、実はセフィナの不在によって結界が緩んだ結果であることを。
そしてそれが、ほんの序章に過ぎないことを。
――同じ頃、辺境のエルデ村では。
「お代わりー!」
「セフィナさん、このパンケーキ最高だ! もう一枚くれ!」
「やだもう、ボルスったら五枚目でしょう!」
セフィナの作った朝食を囲んで、村人たちが笑い合っていた。
芋パンケーキはもちもちふわふわで、山羊乳のカスタードは優しい甘さ。野生蜂蜜のソースがとろりと絡んで、口の中で幸せが弾ける。
「セフィナさん」
村長のヨハンが、穏やかな笑顔で言った。
「あんたが来てくれて、この村は変わるかもしれんのう。いや、もう変わり始めている」
「大袈裟ですよ、村長さん。私は料理しかできませんから」
「その料理が、わしらにとっちゃ魔法みたいなもんじゃ」
セフィナは照れ臭そうに笑った。
食事を終えると、ボルスが斧を担いで立ち上がった。
「よし、行くか。森の奥の角猪を仕留めてくる。セフィナさんの飯のおかげで、今なら勝てる気がする」
「気をつけてくださいね。無理はしないで」
「おう! 今夜は角猪の肉を持って帰るから、うまいこと料理してくれよ!」
ボルスは意気揚々と森へ向かった。
セフィナはそれを見送りながら、ふと空を見上げた。
辺境の空は、どこまでも青い。
「聖女じゃなくなって、よかったのかもしれないな」
小さな呟きは、春風に溶けて消えた。




