第21話 エピローグ ~一年後~
エルデ村は、もう「小さな村」ではなかった。
人口は十倍以上に膨れ上がり、辺境の交易拠点として栄えている。セフィナの噂を聞いて移住してきた人々が家を建て、畑を耕し、店を開いた。
かつて二十軒しかなかった村は、立派な町になりつつある。
その中心に、一軒の食堂があった。
看板には「セフィナの食堂」と書かれている。
木造の温かみのある建物で、窓からはいつも美味しそうな匂いが漂ってくる。
「いらっしゃいませ。今日の日替わりは、森茸のクリームリゾットです」
セフィナがエプロン姿で客を迎える。
栗色の髪を一つに結び、頬にはほんの少しだけ粉がついている。
「セフィナさん、四人席お願い!」
「奥のテーブルが空いてますよ。今日はデザートにベリータルトもありますからね」
食堂は朝から晩まで繁盛していた。
冒険者が依頼の前に力をつけに来る。商人が商談のついでに立ち寄る。近隣の村から「あの食堂のスープを飲めば風邪が治る」と評判を聞きつけた人がやってくる。
厨房では、ガレスが食器を洗っていた。
元副騎士団長は、今やセフィナの食堂の皿洗い兼食材調達係だ。
「ガレスさん、芋が足りないのでマーサさんのところからもらってきてもらえますか?」
「了解。ついでに薪も補充しておく」
「ありがとう。……あ、味見お願いします」
セフィナが差し出したスプーンを、ガレスが口に含む。
「……美味い」
「もうちょっと塩を足そうかな」
「このままで完璧だと思う」
「ふふ、ガレスさんはいつもそう言いますよね」
二人のやり取りを、カウンターに座ったルカが横目で見ている。
「ごちそうさま。……飯もうまいが、あの二人を見てると胸焼けするな」
「同感です」
隣に座ったクロエが、帳簿をめくりながら苦笑した。
「あ、ルカさん。来週の行商、護衛をお願いできますか? 隣町まで食材の仕入れに」
「構わないが、報酬はセフィナの弁当で」
「了解です」
午後になると、食堂に珍しい客が訪れた。
「セフィナさん!」
亜麻色の髪の少女が、息を切らせて飛び込んできた。
「セレスティナさん! 来てくれたんですね!」
セレスティナは、一年前とは見違えるほど健康的になっていた。顔色は良く、目に力がある。何より、笑顔が自然だ。
「お休みをいただいて、来ちゃいました。……あの、これ」
セレスティナが差し出したのは、布に包まれた焼き菓子だった。
「セフィナさんにいただいたレシピ帳を見て、初めて自分で焼いてみたんです。その……上手にできてるかわからないんですが……」
セフィナは一口食べて、目を輝かせた。
「美味しい! すごく美味しいですよ、セレスティナさん!」
「本当ですか……!?」
「本当です。バターの加減が絶妙。ちゃんとレシピ通りに作ってくれたんですね」
セレスティナの顔が、ぱっと花が咲いたように明るくなった。
「もっと上手になったら、セフィナさんのお店を手伝えるようになりたいです」
「いつでも歓迎ですよ」
夕方、食堂を閉めた後、セフィナは一人で裏庭に出た。
小さな菜園がある。セフィナが毎日世話をしている、ハーブと野菜の畑だ。
その隅に、一本の若木が植わっている。
エルデ村に来て間もない頃、森の中で見つけた小さな苗木。何の木かもわからないまま、なんとなく持ち帰って植えた。
水をやり、話しかけ、そっと幹を撫でる。王都の聖樹にそうしていたように。
一年が経ち、苗木はセフィナの背丈を超えるほどに成長していた。
そして今、その幹が――ほんのかすかに、金色の光を放っている。
「……え?」
セフィナは目をこすった。
見間違いではない。苗木の幹から、聖樹と同じ淡い光が漏れている。
「まさか……」
背後から、足音が聞こえた。
「セフィナさん」
ガレスが、夕焼けの中を歩いてきた。
「それ、前から気になってたんだが……光ってないか?」
「光って、ますね……」
「聖樹の苗木、ってことはないよな」
「わかりません。でも、もしかしたら……」
セフィナは苗木をそっと撫でた。
温かい。生きている温もりだ。
適性値では測れない力。
心を込めて、誰かのために、何かをすること。
その積み重ねが、枯れた聖樹の代わりに、新しい命を育てていた。
セフィナは振り返り、ガレスに笑いかけた。
「聖樹かどうかはわかりませんけど、この子も大切に育てていきますね」
「ああ。……一緒にな」
夕焼けが、エルデ村を橙色に染めている。
食堂からは、マーサとボルスの笑い声が聞こえてくる。子どもたちが広場で走り回っている。ルカが素振りをしている。クロエが帳簿を閉じてお茶を淹れている。セレスティナがキッチンで、もう一品焼き菓子に挑戦している。
セフィナは空を見上げた。
辺境の空は、どこまでも広い。
聖女でなくなって、よかった。
追放されて、よかった。
ここに来て、料理を作って、みんなと出会えて。
それが、セフィナ・フォルトゥーナの答えだった。
「さて、明日は何を作ろうかな」
星が瞬き始めた空の下で、セフィナは幸せそうにレシピ帳をめくった。
――― 完 ―――




