名前を返していただきますわ。~ただの記号だと私を捨てた伯爵様、商標権侵害で全財産差し押さえです~
「エルザ・バンクロフト、お前との婚約を破棄する! 愛のない、金と理屈だけの結婚など御免だ!」
煌びやかな夜会の中心で、私の婚約者――だったはずのリュカ・アルノー伯爵令息が、勝ち誇った顔で叫びました。その腕には、可憐に震える男爵令嬢がしがみついています。
「愛があれば金など不要。アルノー伯爵家の輝かしい『家名』さえあれば、お前のような成金の娘などいなくとも、人はひれ伏すのだ。名前というブランドに比べれば、お前はただの付録……そう、無機質な記号に過ぎないんだよ!」
周囲からは、私を嘲笑うような、あるいは同情するような視線が刺さります。けれど、私は手にしていた扇子を優雅に閉じ、静かに微笑みました。
「左様でございますか。リュカ様にとって、家名とはそれほどまでに価値ある『記号』なのですね。……わたくしどもバンクロフト家が、最も得意とする『商材』に」
「フン、バンクロフトの成金風情が何を言う!」
「いいえ。よく理解しておりますわ。……ですから、わたくしの父は、あの日あえてその『記号』を買い取ったのですから」
私は、侍女に持たせていた一枚の羊皮紙を広げました。王家の魔法封印が施された、正真正銘の『権利譲渡契約書』です。
「リュカ様。十年前、あなたの家が賭博で破産しかけた際、わたくしの実家バンクロフト家が全ての負債を肩代わりした条件を……まさかお忘れではありませんよね?」
「なっ……何を……。あれはただの借用書だろう!?」
「いいえ。この契約書の第三条をご覧ください。――『アルノー伯爵家の家名、紋章、および印章に関わる一切の独占的使用権を、債権者バンクロフト家に永久譲渡する』。つまり、わたくしとの婚約という形で『無償貸与』されていた期間が終わった今、その名前はエルザ・バンクロフト、すなわちわたくしの私有物となるのです」
「……は? 何を言っているんだ?」
リュカ様が呆然と口を開けた瞬間、私はパチンと指を鳴らしました。魔法契約が発動し、リュカ様の胸元で輝いていた伯爵家の紋章が、煤けたように黒く染まりました。
「リュカ様、そんなに驚かないで。あなたは仰いましたよね? 名前なんて『ただの記号』だと。……ええ、その通りですわ。ですから、今日からその記号はバンクロフト家の金庫の中にしまわせていただきます」
「ふ、ふざけるな! 俺はアルノー伯爵家――」
彼が名前を叫ぼうとした瞬間、空気が震え、その声が「ピー」という不快な遮断音に書き換えられました。同時に、彼の頭上に真っ赤な魔導文字が浮かび上がります。
【警告:バンクロフト家保有商標の無断使用を確認。不当利得返還義務が発生します】
「な、なんだこれは!? 声が出ない……!?」
「当然ですわ。バンクロフトの許可なくその名を口にするのは、法律と魔法契約に抵触する『犯罪』です。サインも、印章も、自己紹介も……全てにわたくしへの許可料が発生します。今、声を消すのに使った魔力の充填代も、もちろんあなたのツケにしておきますわね」
私は、彼の腕にしがみついている男爵令嬢にも視線を向けました。
「あら、そちらの令嬢。彼と結婚して『アルノー伯爵夫人』になりたいのでしょう? 構いませんわよ。……ただし、その名前の使用料として、分刻みで金貨十枚をいただきますが。あなたの一族の資産、何分持ちますかしら?」
男爵令嬢は顔を真っ青にし、弾かれたようにリュカ様の腕を振り払って逃げ出しました。
「あ、愛があれば金も名誉も不要なのでしょう? おめでとうございます、リュカ様。あなたは今、この世界で最も『愛』以外に何も持たない、ただの生物になれたのですから。」
「待て! エルザ、俺が悪かった! 話し合おう!」
縋り付こうとする「名前の無い男」を避け、私は冷たく言い放ちました。
「私を呼ぶのに、勝手に『アルノー』というブランド名を使わないでいただけます? 次にお口にされたら、不当使用料として、その汚い靴一足分くらいの価値しかないあなたの余生を、丸ごと差し押さえさせていただきますわ。……バンクロフトは、一銭の負けも認めませんので」
夜会会場の外へ踏み出す私の背後で、かつての伯爵が名前も呼んでもらえない不審者として、衛兵に引きずられていく音が響いていました。
――さて。この使い勝手の悪い「伯爵」という記号、明日のオークションでどなたに売却しましょうかしら。
――物語としては、ここで幕となります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回のざまぁの鍵は「商標権」でした。貴族にとって命よりも重い「家名」が、実は法務家一族の手のひらの上で「ただのレンタル商品」として転がされていた……という皮肉を楽しんでいただけていれば幸いです。
私は現在、感情的なスッキリだけでなく、法律・契約・物理法則などの理屈を用いて、逃げ場のない絶望を与える【ロジカルざまぁ】というジャンルを追求しています。
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また、他にも「契約書の誤字」で名門を滅ぼす短編や、物流と契約で異世界を支配する悪役令嬢の物語なども書いております。
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