10.1 理念主導制度の限界
本節では、これまでに検討してきた諸モデルとその帰結を踏まえ、理念主導によって設計された制度が持つ構造的限界について整理する。ここでいう理念とは、平等、効率、最大幸福、生存確率の最適化といった、制度設計時に明示的あるいは暗黙的に掲げられる目的概念を指す。
理念主導制度の最大の特徴は、制度の正当性が目的概念との整合性によって担保される点にある。制度は、理念に照らして合理的である限りにおいて支持され、修正や例外処理もまた、同一の理念体系の内部で行われる。この構造は、制度が安定的に運用されている段階では有効に機能する。
しかし、極限環境においては、理念が制度運用の柔軟性をむしろ制限する要因として作用する。理念は抽象度が高いがゆえに、具体的な生存状況の変化を十分に反映できない。結果として、制度は現実との乖離を修正するのではなく、理念との整合性を維持する方向に自己強化される。
第8章で検討した破綻パターンにおいて顕著であったのは、善意や合理性が排除を正当化する過程である。これは理念そのものが誤っていたというよりも、理念が唯一の参照軸として固定化された結果である。理念主導制度では、制度を維持するための判断が、理念からの逸脱として理解されやすく、逸脱は例外ではなく誤りとして扱われる。
また、理念主導制度は、制度の終端を想定しない。理念は達成されるべき目標として設定されるため、制度が不要となる状況や、制度が機能しなくなる局面は、制度設計の射程外に置かれる。このため、制度が成立条件を失った場合でも、制度自体を手放す判断が遅延する。
第9章で示した原始的生活への退行は、理念主導制度の失敗に対する反動ではない。それは、理念を参照し続けることが不可能になった環境において、理念を前提としない生存様式が浮上した結果である。この点において、退行は理念の否定ではなく、理念の適用限界を示す事例として位置づけられる。
以上より、理念主導制度の限界は、理念の内容に帰されるものではない。問題となるのは、理念が制度運用の最終参照点として固定化され、状況に応じて放棄され得る対象として扱われない点にある。極限環境においては、制度の合理性は理念への忠誠ではなく、理念を手放すことが可能かどうかによって左右される。
この考察は、理念主導制度を否定するものではない。むしろ、制度が自らの終端を内包できるかどうかという観点から、その設計思想を再検討する必要性を示している。次節では、生存そのものが最終的な参照軸として前景化した結果について検討する。
【参考文献】
レオナード・H・クライン『幸福を設計するという過ち――理念が制度になるとき』(ミラージュ哲学叢書、2181)
サラ・M・エヴァンス『最大幸福は誰のものか』(ノード政治理論書房、2178)
フレデリク・オールソン『目的を持った社会は長く続かない』(ヘリオス社会思想叢書、2192)




