映画『インビジブル・ゲスト』について
Scene:山小屋の暖炉の前、3人で『インビジブル・ゲスト』を見終えた直後。
シーン①:あらすじの整理(シュタルクが混乱)
シュタルク
「う、うわぁ……結局さ、誰がウソついてたんだ? えっと、不倫してた女が……殺されたんだよな? てか弁護士の人、誰?」
フェルン
「違います。全員がウソをついています。でも、一番ウソを重ねたのはエイドリアン。
そもそも彼が事故で若者ダニエルを轢き逃げし、それをローラと一緒に隠蔽した。それがすべての始まりです。」
フリーレン
「重要なのは、“見えている真実”がどれも演出されたバージョンだということ。
観客である私たちも、虚構に何度も騙されていた。…まるで、長寿エルフを騙す魔法のようだね。」
シーン②:倒叙ミステリー+ラショーモン構造
フェルン
「この映画はまず“倒叙型”。犯人らしき人物が最初から登場し、
『弁護士』に語る回想の中で真実が明かされるという形式です。」
フリーレン
「そして“ラショーモン構造”。
同じ出来事について、複数の人物が違う解釈・供述をすることで、
“客観的な真実”が見えなくなるという仕掛け。」
シュタルク
「ラショーモン? なにそれ。呪文?」
フェルン(ため息)
「…黒澤明の名作です。同じ事件を、加害者・被害者・証人が全く違う風に語る映画。
この映画も同じ。“何が真実か”ではなく、“誰がどう語るか”で観客が印象を操作されていくんです。」
シーン③:倫理構造と「見ないふり」の罪
フェルン
「ローラは確かに加担した。でも、アドリアンに比べて弱い立場だった。
そのローラを“黙らせる”ために殺す――つまり彼は“2人目の被害者”を出したわけです。」
フリーレン
「そして観客もまた、最初の段階で彼に“同情していた”。
“事故だったから仕方ない”“人生を台無しにするのは酷だ”と。
それはつまり――“現実を直視しない魔法”にかけられていたということ。」
シュタルク
「うっ……なんか、俺も“事故ならしょうがない”って思ってた……。
俺も、魔法にかかってたってことか……?」
フリーレン
「うん。でもそれは、誰にでもあること。
現実の中でも、私たちは都合の悪い真実を見ないふりをする。
この映画は、その“視線の罪”を、観客に問うているんだよ。」
シーン④:ラストの衝撃と、母親の“沈黙の復讐”
フェルン
「すべてを誘導していた“敏腕弁護士グッドマン”は、
実はダニエルの母親だった――これが最大のプロット・ツイスト。
彼女は“法”ではなく“沈黙と演技”で真実を引き出した。」
フリーレン
「人間は、自分の信じたいものしか信じない。
アドリアンも、観客も、それを利用された。
そして母親は、正義を声にせず、静かに遂行した。…まるで、フランメのようにね。」
シュタルク
「うわぁ……俺、何回も“この弁護士いい人だな”って思っちゃってた……。
最後にドア閉められたとき、めちゃくちゃ怖かった。」
シーン⑤:作品の問いかけと、観客への刃
フェルン
「この映画が怖いのは、“殺人の描写”じゃない。
“もし自分が同じ立場だったら、同じように隠すかもしれない”って、思わされるところ。」
フリーレン
「人間は、過去の“罪”ではなく、
“その後どう向き合うか”で、本当の人格が現れる。
そしてそれは――時間をかけても、消えない。」
シュタルク
「うーん……じゃあ俺だったら、最初から警察に言うかな。
たぶん言える……たぶん……。いや……言えるよな……?」
フリーレン(静かに)
「……言えたと思うなら、それは君の強さだよ。」