映画『地獄の黙示録』について②
映画『地獄の黙示録』を“野田ともうします。”メンバーで語ってみた
亀田さん(静かなる戦場の語り手)
亀田:「あの映画ねぇ…怖かったわ。
爆撃の音とか、川を遡っていくのとか、夢の中みたいで。
でも、人間って、やっぱり“正しさ”をなくすと簡単に狂っちゃうのよね。
戦争ってのは、命だけじゃなくて“良心”も焼いちゃうんだって思ったわよ」
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野田さん(文明と野蛮の狭間で)
野田:「わたくし、この作品を“コンラッド的空虚への旅”として解釈いたしました。
“クルーツ大佐”という人物は、戦争という極限状態における“理性と狂気の臨界点”です。
『闇の奥』を下敷きにした構造により、文明批判がより多層的に展開されています。
“ナパームの匂いが好き”という台詞は、“死”が快楽へと転化する倒錯的な快楽主義を象徴しているのです」
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富沢さん(怖さと美しさに揺れる感性)
富沢:「えーと…怖かった!爆弾とかドーンってなってるし、みんな怖い顔してるし。
でもなんか、川のシーンとか、光とかすごいキレイだった。
あと、“何のために戦ってるのか分かんなくなる感じ”、ちょっとわかるかも。
なんかバイトしてても、“わたし何してんだろ…”って思うときあるし…」
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部長(芸術と狂気の境界線)
部長:「わたし、“演出としての狂気”がすごく好きだった。
音楽の使い方、光と影のコントラスト、ヘリで流れる“ワルキューレの騎行”――
それって全部、“人間の制御できない欲望”の表出なのよね。
アートって、あそこまで突き抜けると、倫理を飛び越えて美しさに変わるの。…でも、やっぱり危ういわ」
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副部長(現実の中の境界を見つめる)
副部長:「僕はウィラードの表情の変化を見て、“正気”って結局何なんだろうって思いました。
戦場の中で、“正しい行い”がどんどんねじれていく。
でもクルーツを倒した後の静けさって、彼が正義を取り戻したっていうより、
“自分もあっち側だった”と認めたような気がして…あれが一番怖かったです」
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最後に野田さん、まとめる
野田:「この作品は、戦争の描写を通じて“人間という存在の本質”を問いかけています。
外的暴力ではなく、内的崩壊の物語。
“闇の奥”を覗き込んだ時、その中にいたのは“わたくし自身”だった――そういう作品だったと思います」
富沢:「…なんか、戦争映画じゃなくて、哲学映画って感じする…」