映画 ファイト・クラブ②
映画『ファイト・クラブ』を“野田ともうします。”の世界で解説してみた
亀田さん(人生の達人)
亀田:「あらあら…あの映画、結局あのタイラーって人、自分だったんでしょ?びっくりしちゃったわよ~。
男の人って、自分の中の不満とか怒りを外にぶつけるの、ほんと好きよねぇ。夫もね…テレビのリモコンに八つ当たりばっかりしてたわ」
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野田さん(哲学系女子大生)
野田:「あれはですね、現代人のアイデンティティの崩壊を描いているのです。
“他者としての自己”との対話――つまりタイラー・ダーデンという存在は、ラカン的な意味で鏡像的他者とも言えるでしょう。
消費主義社会へのアンチテーゼとして、爆破によって“ゼロからの再生”を象徴している…とわたくしは思います」
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富沢さん(普通の女の子代表)
富沢:「え…ラカン?てか、あの映画怖くない?
爆弾作ってビル壊すとか、付き合いたくないタイプなんだけど…。
でもあの人、なんか自由そうだったなあ。わたしもちょっと髪切って、服とか変えてみようかなーって思ったかも。
“自分探し”って、実は大事だよね。」
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手影絵サークル部長(安藤サクラ)
部長:「うん、あれはたぶん“自己表現の暴発”よ。
創作って、自分の内側にある混沌を形にする作業だから――暴力という表現を選ぶことも、ある種の芸術行為だったんじゃない?
ただし、他人を巻き込んじゃダメ。それはアートじゃなくて、テロだから。」
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副部長(越村友一)
副部長:「僕は…あれを“寂しさの映画”として観てましたね。
ナレーターは結局、誰かに認められたくて、壊してまで存在証明しようとした。
マーラの手を最後に取ったのも、“誰かと終わりを分かち合いたい”って、すごく人間的な欲望じゃないかなって。」
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野田さん、最後にまとめる
野田:「わたくしは、あの映画を“自己破壊による再構築の寓話”として受け止めました。
自己が崩れ、他者と混じり、そして一人に戻る。――それはまるで、わたくしが“ガールズトーク”に挑んだあの日のように。」
富沢:「いや、それは違うと思う…」