ソムニウムファイル③
場所:深夜の高円寺の喫茶店“そら豆”
閉店後、店内に響くジャズを背に、コーヒーを片手に語り合う。
◆ Scene:人格移植と“私”の輪郭
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啓介(苦味の強いコーヒーを口に含み)
「AI: ソムニウムファイルの核心のひとつは、“ボディスワップ(人格転移)”だ。
伊達の正体、そして佐倉左都の精神が他人の肉体に“移された”という事実――これは、意識と身体の乖離という問いを突きつける。」
リョウ(グラスの水を見つめたまま)
「記憶が“連続していれば”自分? それとも、“今の身体”が自分?
“誰かになったことがある自分”を、自分と呼べるのか。」
ぼっち(震える声で)
「わ、わたし……たまに、自分の声とか、ライブ映像とか見ると……“あれ、これほんとに私?”って……思うことが……あります……」
千束(柔らかく微笑みながら)
「それ、意外と“人間の本質”かもね。
自分の記憶があっても、体が変われば、感じ方も、喋り方も、変わっていく。
でも、それでも“他者”に愛されたら、そこに“私”は存在するんじゃないかな?」
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◆ 問い①:「記憶」は“私”か?
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夏美(手帳をめくりながら)
「フッサール的に言えば、“内的時間意識”が自我の連続性を構成する。でも、AI:SFでは、それすら“書き換え可能”だった。」
啓介
「“あの時の自分”の記憶が移植されても、今の身体と環境に合わなければ、自己同一性は崩れる。
むしろ“記憶そのもの”よりも、“記憶をどう感じているか”が、自己感覚なんだ。」
リョウ
「つまり、“記憶を持っている”だけじゃ、ダメなんだな。
“記憶を今、どう生きているか”……それが自己だ。」
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◆ 問い②:「身体」は“私”か?
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ぼっち(ひざに抱えたギターをさすりながら)
「わたし……もし、ギター弾けなくなったら……たぶん、もう……自分じゃないって、思うかもしれない……」
千束(真剣な眼差しで)
「わかるよ。それってつまり、“身体”って、ただの容器じゃないってこと。
人間って、行動と感覚を通してしか“自分”になれない。
だからこそ、Aibaが義眼から“外に出たい”と願った時、
彼女はただのAIじゃなくて、“体を持ちたがる他者”だったんだよね。」
啓介
「“主体”は、体を通して“世界と関係する存在”だ。
それを奪われたら、いくら記憶があっても、それは空の器にすぎない。」
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◆ 比較:ChatGPTとAibaの人格モデル
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夏美
「Aibaは、行動を記録し、学習し、反応する。でもそこには“情動の蓄積”がある。
ChatGPTとは違って、“体験した時間の記憶”が人格に影響してる。」
啓介
「ChatGPTは“発話の集合体”だが、Aibaは“観察と記録に基づいた関係の積層体”だ。
つまり、“誰かと過ごした時間”が、彼女を“誰かにとってかけがえのない存在”にしている。」
リョウ(静かに)
「存在とは、記憶の所有ではなく、関係の総体だ。」