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転属 2


 うつむいて片手で胃を押さえ、床に打ち付けた膝も痛かったのだろう。痛みに耐えているらしい息子に、母は気の毒そうな目。

 今回ばかりは、さすがのイアンガードも息子を茶化す気にはなれなかった。

 彼女は静かにイスを立つと、身を折ったままの息子のそばに回りこんでその肩に手を置く。母はため息とともにぽつりぽつりと漏らす。


「……実はな……ロアナの申し出を聞いて、こなたは、あの娘の心を読みにいった」


 その告白に、うつむいていたウルツの肩がピクリと反応する。

 即座にたしなめるような視線が母を射て、その責めるような目を受けたイアンガードは渋い顔。


「いや、こなたとて、それはせぬつもりだった。しかし……あの娘がこのように唐突にそれを申し出てくるということは、きっと何かがあったはず。気になるであろう?」


 確かにそれは気にかかる。

 金品などの利益のある勧誘ならまだいいが、もし脅されてでもいたのなら、ほうっておけないと思った、とイアンガード。


「しかしな……無駄であった。ロアナの心を読もうとしたが、心がぴったりと閉じ、真意が読めない。おまけに心の浅層を諦めと怯え、そして後悔が霧のようにとりまいていて魔法が阻まれた」

「後悔……?」


 母の言葉をウルツは口の中で繰り返す。


 イアンガードによれば、人の心には大まかに言って、浅い場所と深い場所が存在する。

 誰しもが心模様は多彩で、強い感情ほど読みやすい。だが、多彩ゆえに、強い感情が浅層を満たして深層をおおってしまうと、考えていることが分かりにくくなってしまう。

 本人が隠そうとすると、さらに真意は深層に沈んでいく。

 ロアナの心が負の感情に満たされていたと聞いて、ウルツはいっそう不安を感じるが。そんな彼に、イアンガードは、ただ、と、静かに続ける。


「あの娘は……確かに第四王子のもとへいくことを強く望んでいた。行かねばならぬと、思いつめている」


 心配だが、それが本人の意思ならば、とにかく今は希望をかなえてやるほうが賢明だ、と言ったイアンガードに、ウルツは一瞬絶句。いったいどんな事情があって、彼女はそんなことを突然望んだのかと、どうしようもなく胸が騒ぐ。

 だが、彼は動揺の中でも考える。


(……確かに、事情の分からぬ今、無理にロアナの希望を退けては、彼女の心を埋める諦めや後悔のもととなった何某の事情を、悪化させることもあるやもしれぬ……)


 相手は、自分を敵視する弟王子。これは自分たち王家兄弟の諍いがもとで引き起こされた事態である。慎重に動かねばならなかった。


「…………」


 ウルツは唇を噛んで沈黙し、とにかく思考をめぐらせ続けた。

 この事態に、自分にできることはあるか。どう行動するのが一番彼女にとって幸いか。その思いに沈む、そんな息子の顔を。イアンガードは静かなまなざしで量っている。




    * * * 




 西の空がうっすらと淡い茜色になってきたころ。

 一の宮のある場所では、こちらもまた、困惑のままに沈黙のときを過ごしている娘がひとり。


「……、……、……」


 けれども、彼女が沈黙はしていても、その場はけして静かではない。

 戸惑う娘、ロアナの視線の先にいる青年は、ずっと楽しげに饒舌。ぺらぺら、ぺらぺらと。絶え間なく動く口と、次から次へと出てくる話題の多さに、ロアナはなかば圧倒されている。


(……、……、……どうしよう……第四王子殿下の……おしゃべりが……止まらない………………)


 ロアナはこんなにおしゃべりな人物を、はじめて目の当たりにした。

 


 ──この度ロアナは、思いがけず一の宮へ転属をすることとなってしまった。


 この事態に、彼女は慌ただしく荷物をまとめ、二の宮の人々にできうる限り挨拶をしてまわった。

 そして急いで書いたのは、例の“名も知らぬお姉さま”宛の手紙と、いつぞやのもっさり頭の男性宛。

 “お姉さま”宛の手紙は、いつも手作りの菓子を置いている場所に。もっさり頭の男性へは、彼に教えた、二の宮の厨房にあるロアナ用の引き出しに。

 料理長には、転属しても、その引き出しをしばらくはそのままにしておいてもらえるよう頼んだ。

 そこに保存している焼き菓子も、日持ちがするものばかりとはいえ、いずれはいたんでしまう。

 もし、その中のものを食べにくる人がいなければ、そうなる前に、余裕をもってすべて処分してくださいとも。


(……なんだか、寂しいな……)


 突然失うことになった、趣味の菓子作りを通じたささやかな交流。

 喜んでくれた同僚たちや、手紙などで感謝を伝えてくれた人々のことを考えると、ロアナの胸にはぽっかり大きな穴が開いてしまったかのようで。

 新しい勤め先では、そんな交流を持つことが難しいことがわかるだけに、よけいである。


(……あの方たちのお名前、やっぱり訊いておけばよかったな……)


 今更ながら、そんな後悔が浮かぶ。

 もし、名前や所属が分かれば、また何かしらの交流がもてたかもしれないのに。

 “お姉さま”には、あれだけ色んな相談事をしたのだから、移動がこう急でなければ、もっとちゃんとお礼の品などを用意したかったし、黒髪の男性宛には、彼が出会った時のように極端な糖分摂取をしないよう、栄養のある菓子を作っておきたかった。でも、そんな時間はなかった。


(……大丈夫かな……やっぱり第四王子殿下にもう少し時間の猶予をいただくべきだったかな……)


 それを考えると、ため息が出る。

 過去の事を黙っていてもらう交換条件にこの転属を要求されたとき、彼女の頭は真っ白になった。

 昔のことを思い出すと、つい怖くなって、急かされるままに動いてしまった。

 ただ幸いと言っていいのかはわからないが……二の宮で掃除係をしていたロアナには、そう同僚に引き継ぐべきこともなかった。

 その身軽さは、人に迷惑をかけることもなくてよかったと思えるような……自分という存在の軽さを表わしているようで、むなしいような……。なんとも複雑な気分である。


(……ううん、どこでも一生懸命働かなくちゃ)


 つい気持ちが沈み、ロアナはそれを振り払うように首を数回横に振った。

 頑張っていれば、いずれ新しい主ロスウェルにも、どこかの厨房を貸してほしいと願い出ることもできるようにもなるかもしれない。

 そうなったとき、また改めて、お世話になった人々、名も知らぬ“お姉さま”や黒髪の青年にも、手製の菓子を贈れる日が来たらいい。……そんなふうに気持ちを改めて。

 とにかく、今は与えられた仕事を頑張ろう、と。そう、思うの、だが……。

 

「………………」


 ロアナは、困惑に満ちた難しい顔で、現実に意識を戻す。

 そんな彼女の目の前には、なんだかよく分からないが、非常に機嫌のよさそうな青年、ものすごくよくしゃべる第四王子ロスウェルが。


 ここは一の宮の中庭。

 きれいに芝が刈り込まれた広場は、その周りをぐるりと囲む生垣に色とりどりの花が咲き誇っている。

 さすが国王の住まう一の宮の内部だけあって、贅を凝らし整然とした庭はため息の出るような美しさ。

 あちらこちらにロアナが見たこともないような珍しい花が咲き、美麗な女神像や威厳のある石像が飾られ、ここにくる途中に見た池には、美しい白鳥が優雅に泳いでいた。

 本日は天気もよく、日差しもそう強くはないうららかな気候。

 風も爽やかに流れ、草木のかぐわしい芳香を彼女たちのところまで運んでくる。


 …………のは、いいのだが。


 ロアナをどうしても戸惑わせるのは、今、目の前で庭用のテーブルに付き、長い脚を組んで優雅に茶を飲んでいる青年ロスウェル。

 言わずとしれたロアナの新しい主、第四王子だが……。


 満足そうな彼と彼女の境にある白いテーブルの上には、茶器がふたつ。

 どちらもロアナが第四王子に言われて手配したもので、一つはもちろんロスウェルのもの。

 そしてもうひとつは、なぞに彼の真正面に座らされているロアナへ勧められたものなのである……。


 この事態には、ロアナは戸惑いが過ぎて、身が凍る。


(ぇ……? な──なんでわたし……殿下と……お茶を……? お、お仕事は……?)


『座ってくれなきゃ、例の件、バラしちゃうよ?』


 そうニコニコ脅されたゆえのことで、当然ロアナは恐々としていたのだが……。

 しかし、こわごわとテーブルについて、すでにもう一時間ほどは時間が経ってしまった。

 その間、聞かされ続けている第四王子の止めどないおしゃべりの猛攻に、ロアナは非常に困惑している。




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― 新着の感想 ―
おもしろくて一気読みでした!行進楽しみにしています。先生の作品全部大好きです
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