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ロアナの稀な日


 


 ……まさに、良心がさいなまれるとはこのこと。


「………………どうしよう」


 クッキー作りを終え、今度こそフォンジーが帰っていったあと。ロアナは食堂の隅のイスに所在なさげに座り込んでいた。

 目の前の木のテーブルには、大きな網台の上に焼きあげた無数のクッキー。

 たまご色だった生地が、オーブンの熱によってきつね色に変化して、香ばしい甘いにおいを漂わせている。

 すでにその匂いをかぎつけて、幾人かの同僚たちがやってきた。

 老いも若いもテーブルのうえに焼きたてのクッキーを見つけるとニッコリ相好を崩す。

 ロアナは、彼らが自分の作った菓子を嬉しそうにほおばる姿を見るのがとても好きだった。幸せそうな顔を見ると、ついつい自分も笑顔になってしまう。


 ──でも今日は。


 そんな彼らに礼を言われても、ロアナの表情は浮かない。

 少しだけ微笑んで小さくうなずき、でも、気力の薄いその表情に皆不思議そうな顔。

 中にはそんな気落ちした様子の娘を心配して、薬やら食べ物やらを持ってきてくれるものもあって。

 現在、ちんまりイスのうえに腰かけたロアナの腕の中は、そんな者たちが持ってきてくれた品物でいっぱい。見かねた誰かがカゴを貸してくれて、ロアナはそれを抱えてしょんぼりとイスに座り込んでいる。


 そんな彼女がずっと考えているのは、第三王子ウルツのことだった。

 去り際の彼の姿を思い出すと、どうしてもロアナは申し訳なくなって、胸をちくちくと刺されるようだった。


(……殿下のあの時の呆れたようなお顔……きっとものすごく不愉快でいらっしゃったに違いないわ……)

 

 冷たい双眸の上の眉間には、わずかなしわ。

 口元はいかにも不服というふうに引き結ばれていた。


 思い出したとたん、ロアナの青ざめた顔が、ぎゅっと歪められる。


 自分のような者を助けたばっかりに、王子という身分にありながら、無遠慮に抱きすがられ高貴な身に触られたことはさぞ不快だったに違いない。

 しかも、そのことで誤解を受けて弟王子に責められた。


(っあなた何やっているのよロアナ! なんて無礼な……何故あの場でフォンジー様の誤解を解かなかったの⁉)


 せめてそれができていれば、彼の名誉を傷つけることもなかったのに。

 あの時はフォンジーの剣幕に驚いてしまって、とっさに身体が動かなかった。


(フォンジー様にもご心配をおかけしてしまったわ……)


 誤解されるようなことをして本当に申し訳なかった。


(なんで……よりによって殿下に向かってつっこんだのわたし……) 


 ……まあ、多少事実とは異なるが。

 ロアナは自分がおかしてしまった粗相をひどく悔やみ、心からウルツに謝りたいと願った。

 なんとかして彼に面会することはできないだろうか。できれば、一刻も早く。


 けれども困ったことに、それは彼女にとってはかなり難しいことだった。

 なんといっても相手はロアナよりもはるかに高い身分にある。

 この王宮に勤めはじめて数年。二の宮のはしっこで細々と雑用や掃除をして過ごしていたロアナは、彼の姿を、本当に稀にしか見かけなかった。

 彼ら王子が普段どんなことをしているのかも噂程度のことしか知らず、どこに行けば会えるのかもわからない。

 しかし下っ端侍女にとってはそれが普通。

 王族の動向は上役が知っていればいいし、ときには命を狙われることもある彼らの行動を、下の者までもが把握しているのはそれはそれで問題である。

 そもそも、そんな彼らと顔を合わせまくりの、昨日からの自分の状況がおかしすぎるとロアナは思った。

 まさか、王子らが好んで自分に会いに来ているとは思いもしない。

 ゆえにこの状況はあまりに不可解。

 誰かの作為的なものなのか。もしくは、いたずら好きの妖精なにがしか……。


(でも……わたしみたいな下っ端を陥れて得をするような人はいないと思うのよ……)


 となると、やっぱり人ならざる者に化かされているの……? と、若干メルヘンなほうに途方に暮れかけて、ロアナはハッとする。


「……いえ! 現実逃避している場合では……!」


 違う違うと首を振り、ロアナは問題に向きなおる。

 とにかく、今するべきは謝罪である。

 だが、下っ端たるロアナは、自分が王子に面会にいくことが許されているのか? というところからして考えたことすらない。

 となると……何もかもは上役である侍女頭に確認せねばならないわけだが……。


(そうなると……絶対に、殿下にお会いしたい理由は話さなければならなくなるわよね……)


 つまりそれは、自分のあの赤面もの蒼白ものの粗相を、あの二の宮一厳しい婦人に告白しなけらばならないということ。

 その考えに、ロアナはウッという顔でうなだれる。


(…………絶対に、ものすごく叱られる……)


 鬼のように怒る侍女頭を想像すると、怖すぎてほとほと額から汗が出る、が。

 でも、とロアナは肩を落とす。


「……もし昨日からの稀有なできごとが、ぜんぶ天や妖精のいたずらのたぐいなら……もしかしたらこの二日が奇跡的な日だっただけで、これから先は今まで通り殿下にはなかなかお会いできないかも……」


 だってこれまではずっと、そうだったのである。

 特に第三王子ウルツは……リオニー妃の件で心を痛め、様子を見に来てくれているらしいフォンジーとは違って、自分に会いに来るような理由がないように思えた。

 だとすると、稀でない明日からは、ロアナは彼に会えず、礼も謝罪もできなくなるような気がして。なんだかとても胸がざわざわした。


「……ウルツ殿下はわたしを手伝ってくださったし、助けてくださったし……無礼な粗相も咎めないでくださった……」


 そればかりか、助けてくれたことを『悪かった』なんて。

 彼はずっと冷たい顔をしていたが、あの言葉をかけてくれたときは、なんだかとても申し訳なさそうな目をしていた。

 そんな彼を思うと……このまま感謝も謝意も伝えられないのはあまりにも忍びない。


 ──何か悪いことをしても謝らないこと。

 それは、自分が兄や弟に散々やられて心底嫌だったことである。

 あんな気持ちを誰かに与える自分ではいたくない。それくらいならば、侍女頭に叱られた方がよっぽどいい。

 

「……、……よし!」


 ずっとテーブルの上に落ちていたロアナの目が、やっと前を向く。

 この、稀な運命の一日が終わってしまわないうちに、なんとかもう一度第三王子ウルツに会いたかった。




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