3 交錯イデオロギー
「……それで。この僕を呼び出すとは一体どのような要件ですか国王陛下」
宮廷のとある個室に、アーケル・リベルラスは居た。
その個室は豪奢に金箔と宝石で飾られ、部屋の主の権威をこれでもかと主張している。
休み難そうな部屋だ、という感情しか湧かない。
「お前、婚約したのだったか」
部屋の中心にいる者は、国王へリアンサスだ。広間ではなく個室に呼ばれた。それは、今は個人的な場であると暗に言っているのだ。
「そうですね。無論、結婚前提でお付き合いしていますが」
「——よくやった! それで、その者は一体どういう身分でどのような仕事をしているのだ」
やはり興味を持たれるか、とアーケルは内心で舌打ちをする。無論、表面には噯にも出さず。
「彼女は、男爵令嬢です。そして、宮廷で給仕をしています——まあ。給金が目的ではなく、花嫁修行として入った——よく淑女の間で行われるものと同じですよ、教養と所作を身に付けるような」
「その者の派閥は」
「問題、ありません。……強いて言えば、『中立』でしょうかね」
「なるほど……そうきたか」
国王は感心した様子で自身の顎を撫でた。
「貴方の側へ引き込むには、やや骨が折れるかと。……ただまあ、向こう側に引き込まれるのも骨が折れるでしょうが」
「わかった。お前も、飽くまで『中立』を貫くということか」
「ええ、そうです」
「……仕方あるまい。ちなみに——」
「——婚約破棄と離婚は、致しませんよ。『契約』に入れていますからね」
「……そう、か。手強いな」
「それは当然。無策で彼女と婚約を結んだわけではありませんからね」
「ふ、そうかそうか。お前が思いの外狡猾で良かったよ。向こうに簡単には取り込まれないだろうと、安心できる」
「お褒めに預かり、光栄です」
×
「——呼び出すのが、些か遅かったでしょうか」
同性の部下を引き連れ、宮廷のとある個室に、アーケル・リベルラスは居た。
その個室は刺繍のされた布がたっぷりと使われ、部屋の主の権威をこれでもかと主張している。
こちらも、休み難そうな部屋だ、という感情しか湧かない。
「いえ。順序と忠誠心には関係はありません。上の者に呼ばれたために、ただ参った。それだけの話でございます。王妃殿下」
目前でカウチに横たわる者は王妃ダリア。国で王と同等の権力を持つ公爵家の者だ。
「……まあ、そういうことにしておきましょう」
開いていた扇が、ぱちん、と閉じた。だが、再び扇が開く。
「それで、御用件は」
「婚約、したそうですね」
「ええ、はい。致しました」
「おめでとう。……それで」
「中立の男爵、現在の仕事は給仕ですよ」
先回りして、言葉を口にした。どうせ、訊かれるし、探らせればバレる話だからだ。
「あら、そう。……向こうも同じ事を聞いたようですね」
「婚約破棄も、離婚も予定にはございません」
「そうですか。なら——」
「……」
「——婚約者の貞操に、気を付ける事ね」
「……ご忠告、感謝致します」
「ふふ。楽しみだわ」
「……そう、上手く事が運ぶとは思いませんが」
「そうかしら?」
×
宮廷にある研究室に戻り、アーケルは深く息を吐く。
正直に言うと結婚に全く興味がなかったので、失念していた。
この国の法律では、一夫多妻および多夫一妻が許されているということを。
ただし、二人目以降は『愛がある限り』と限定がある。愛の有無の判定は、婚姻の際に神が行うらしい。
「(……僕の身はどうということもないが……彼女は)」
魔術師は、多方面における魅了系の魔術や薬などの耐性は高い。
だが、彼女はただの男爵令嬢だ。
「(ネックレスは渡したので、全くの無防備……というわけではないが)」
恐らくそういう方面の耐性はそこまで高くないだろう。やはり、気掛かりだった。
×
宮廷にある研究室に戻り、アーケルは深く息を吐く。レオーネのことが頭から離れない。彼女がこの宮廷の複雑な政治や魔術の波に巻き込まれないか、気がかりなのだ。
「(……僕自身が、優秀な宮廷魔術師であるばかりに。すまない)」
アーケル・リベルラスは優秀な宮廷魔術師である。
それは、紛れもない事実だった。宮廷魔術師の採用試験では主席で合格した上に、魔力の質も最上級。魔術の操作も素早くかつ丁寧。
正しく、魔術師としての才能があった。
そして宮廷の魔術師としての仕事も、いつも完璧だった。
だからか国王や王妃からの信頼が篤く、アーケル自身を自らの派閥に引き込もうとしているのだ。
アーケル自身の守りは強固。だが、その婚約者はどうか。そう、事が動き始めている。
「(……彼女を守るために、何かもっと確かな手段が必要だ)」
彼は机の上に広げた古い書物を眺める。それは古代の魔術師が残した、『守護』の魔術についての記録だった。アーケルはその中から、レオーネをより強固に守る魔術を見つけ出すことにした。
優秀な宮廷魔術師だから、自身の研究室は個人用であるし独自の研究もできるのだ。そのことに内心で感謝しながらも、書物を読み込む。
「(そうか……この魔術ならば。彼女がどんな危険に晒されても、僕の力で護ることができる)」
彼は即座に実験を始めるため、必要な材料を集め始めた。魔石、特別な香料、そして彼自身の魔力。これらを組み合わせて、強力な守護の護符を作り上げ始める。
数日後。
宮廷で給仕として働くレオーネの休憩時間に、彼女の元へとアーケルは向かう。彼女はいつも、天気の良い日は宮廷の庭園で昼休憩をとっていた。
宮廷の庭園は給仕達の休憩スポットとして有名だ。理由は至極簡単。背の高い薔薇の生垣が、迷路のように複雑に設置されているからだ。おかげで外部や宮廷の中からは庭園の詳細は見えにくく、給仕達が安心して休めるのだという。
「急にすまない。これを、君に渡そうと思ってね」
そして宮廷の庭園でレオーネと再会したとき、アーケルは彼女に新たな贈り物を手渡した。それは先日のネックレスと似たデザインの、腕に巻くことができる小さなブレスレットだった。
彼女は給仕として手を動かす仕事をしている。そのため、余らないような構造のアクセサリーにしたのだ。
「これ、何ですか?」
「君を護るためのものだ。新たに作った護符なんだよ。先日のネックレスとはまた別の力を持っている。君がどんな危険に晒されても、魔術で守られる」
レオーネはそのブレスレットを感動した表情で見つめ、そっと腕に巻いた。
「ありがとうございます、アーケル先輩。……本当に、私のことを気にかけてくれるんですね」
「当然だ。君は、僕の婚約者だからね」
その言葉に、レオーネは少し照れたように笑う。
「……でも、護りは完璧ではない。何かあったら、すぐに教えてくれたまえ」
「は、はい。分かりました……! ありがとうございます、アーケル先輩」
「良いかい? 遠慮は不要だし、無理は禁物だ。どんな小さなことでも困った時は教えてくれたまえ」
「はい。……ところで、このブレスレットって……」
「うん? 何だい」
「い、いえ。なんでもないです……!」