金と銀の液体
もしも、己の体から予期せぬ物が排出できるようになった時、通常どのような反応をするのだろうか。
困惑して、正常な判断ができなくなるのか。焦燥の末、近しい誰かに相談するのか。人によっては、一切動じない者もいるのだろうか。
でも、僕はそのどれにも当てはまらなかった。ほんの少しの動揺と生に対する安堵の他、これからの生活の心配をした記憶しかない。
今よりも小さい幼児だったにもかかわらず、我ながらひどく達観した視点を持っていたと思う。
何の変哲もない人口そこそこのとある田舎、その市には、中学校が一つしかなかった。そこに通う生徒である鐵月 灰は人より代謝が悪い。多少汗をかきにくく、すぐに体温が上がるのに下がりにくい。ただ、そんな体で生まれたことに後悔はしていなかった。
今は体育の授業中、皆がマラソンを走っているのを、木陰で鐵月は体育座りをして見学中。
「やっぱり瓜生さん、目立つなぁ…。」
思わず口から零した彼女の名は、瓜生 叡。社交性に少々難のある鐵月とは対照的に、活発で明朗なアクティブ女子で、常に数人と話している印象を抱く。そんな二人には、”とある特異体質を持ってうまれた”という共通の秘密がある。
その特異体質とは、鐵月は、汗が鉄に代わり、瓜生は、汗が金にかわるというものだ。彼らは、そんな秘密を抱え、周りにバレない様に毎日を過ごしている。
鐵月が瓜生の体質に気づいたのは、一か月程前のこと。その日の午後、鐵月は、突然の夕立に見舞われ、傘を持っていなかったため、商店街のあるお店の前で雨宿りをしていた。すると、鐵月と同様に傘を持っていなかったのか、瓜生が息を切らして走ってくるのが見えた。
雨からの非難が完了し、少し息が整ってくると、瓜生は鐵月の方を向いて口を開いた。
「突然降ってきたね。」
「天気予報では一日晴れる予報だったんですけどね。」
「やっぱり予報は予報か。」
濡れた体をハンカチで懸命に拭いながら、他愛もない話をした。
ふと、鐵月は瓜生のほうを見た。すると、何故か小さな光の反射があちこちに見えた。体を拭っていたハンカチからも何か光る小さい物がいくつも落ちていくのが見えた。
「金…?」
思わず声が漏れた。すると直後に瓜生は血相を変えて鐵月に掴みかかり、どこからともなく金色のナイフを手に取り、喉元に突き立てていた。
「絶対に誰にも言わないで。もし、誰かに話したら貴方の首を飛ばす。」
「言わないですよ。…というか言ったところで信じてもらえないでしょうし。」
「それもそっか。」
「それに、僕も似たようなものなんで。」
「え…?」
人を脅す言動をとった割には、やけにあっさりと言い分を聞き入れた瓜生に対し、鐵月は終始落ち着き払った様子で、少しも動揺していなかった。
そこからは早かった。お互いの特異体質のことを話し、鐵月は、人より代謝が悪いこと。瓜生は、生まれつき肺が弱く、長時間の運動はできないことを明かし、変化した自身の体液は、自在に操ることができることを話している内に雨が上がったため、帰路につきながら、これから先、この特異体質をどうやって隠していくのか、二人で計画を立てていった。
「お疲れ様、瓜生さん。」
マラソンを終えた瓜生が、仰向けに大の字で横たわる姿を見て、思わず声を掛けていた。気になることもあったため、そのまま放っておくことができなかった。
「しかし、どうしてわざわざ汗をかきそうなことを?特異のこと、自ら言いふらしに行っているようなものでしょう。」
後半は、周りに聞こえないよう配慮しながら、囁くような声で問う。
「鐵月くんにはわからないかもだけど、体を動かすのって気持ちいいんだよ!」
運動後とは思えない程、元気よく返された。そして、軽くいじられた。なので鐵月は、少々不機嫌そうな態度で返した。
「生憎、代謝が悪いので、確かにその気持ちはわからないです。」
「まあ、私もあんまり長時間は運動できないんだけどね。(笑)」
「そうでしたね。」
「覚えててくれたんだ。」
「特異を抱えている者同士、そりゃあ覚えてますよ。」
寧ろ何故忘れられていると思っていたのか疑問だったが、敢えてそれは聞かなかった。
「それもそっか。」
「でもどうしてですか?」
「私、体動かすの大好きなんだ!それだけが理由じゃ不満?」
何か特別な事情があるのでは?と予想していたが、あまりにも理由は単純で、もはや呆れに近い感情を露わにしたようなため息を吐いた。
「いえ、好きなことをするのは決して悪くはないですし、それが仮に体質に阻まれていたとしても関係ないと思います。」
「ふふっ…ありがと。」
小さく笑顔を浮かべる瓜生は、運動直後だからだろうか、どこか疲労の色が見える。しかし、汗は一滴たりとも見当たらない。
そして、起き上がったのと同時に、金属に変わった汗を保管しておくため、予め腰に括り付けておいた小瓶から、重たく揺れる液体の音が聞こえた。有事の際、瞬時に使用できるよう、二人は常に備えている。
この学校には、将又この世界には、二人以外にも特異体質者は、潜んでいるのだろうか。
少し離れたところから、”ズザザァァー”と、誰かが派手に転んだ音が聞こえた。鐵月は、現場に駆け寄り、瓜生はその場で待機していた。現場では、体育委員の金剛 張斗が膝を抱えていた。しかし、大した怪我はなく、出血もしていなかったことから、
「心配無用だ。」と大声で主張していた。ただ、妙なことに、傷口は見つからないのに皮膚は捲れており、内側の赤い部分が露出しているが、転んだ割に付着している砂が少ない。どうも不自然に思った鐵月は、「まるで、傷口ができた直後、瞬時に塞がっている。」そう見えた。見渡す限りでは、鐵月以外にそれに気づいている者はいない。「後で確かめよう。」そう思い、その場を後にした。
戻ってきて、事の顛末を瓜生に伝える。すると、
「考えすぎじゃない?」と楽観的な答えが返ってきた。
「僕の考えすぎならそれでいいんだけど、どうも引っかかるんだ。」
「それなら直接本人に聞けばいいじゃん。」
「誰もが君みたいにすんなり人に尋ねられるわけじゃないんです。」
「私とは普通に話せてるのに?」
「話しかけられるのは大丈夫なんです。話しかけるのが苦手で。」
「ふーん…。めんどくさいね。」
瓜生は時折、デリカシーのない発言をする。その発言によって相手がどんな気持ちになるのかをあまり深くは考えない性格だからだ。
「仕方ない、私が仲介してあげる。感謝してよ?」
「ありがとう。」
ほとんど空返事ではあったが、正直、瓜生が間に入ってくれるという安心感は、対人の会話におけるほとんどの心配を除去できるといっても過言ではない。
「とりあえず、この後の昼休みのタイミングで話しできるようにしとくね。」
「わかりました。」
「それまでに、聞きたい事とかまとめておきなよ?」
鐵月が軽く頷くと、瓜生は、足早に金剛の元へと行ってしまった。