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寒がりの短編集

夢の残りを飲み干して

作者: 寒がり

 どこをどう歩いたのかは思い出せない。

 気付くとその店の前にいた。


 一見すると歓楽街のバーのようだ。しかし、暫く見ていると昔訪れた観光地の茶屋のような気がして来た。でも実は、近所の行きつけの喫茶店だったりして——。

 私は酷く酔っているのかも知れない。

 

 ただ、一つ。

 「おいで」とその店が手招きしているように感じられた。その感じだけは揺るぎなかった。

 私は誘われるがまま、その店に吸い込まれていった。

 なんの店かは分からないが、とても感じの好い店なのだ。

 そこに入ってみたい、というよりそこに入るのが正解な気がする。


 ドアを開くと風鈴を一寸重くしたような心地よい鐘がなった。

 

 案内されるでもなく、私は私の席に収まる。

 向かいには淡く薄く透き通るような色のドレスを着た黒髪の(ひと)が座っていた。


「ようこそ、『夢の果て』へ。此処は、見たかった夢の続きを一つだけ選んで見ることのできる店。探しても絶対に辿り付けないけれど、誰もが一度だけ必ず人生で立ち寄るお店。さあ、時間はたっぷりあるわ。どれでも好きなのを選ぶといいわ」

 

 その(ひと)のまなじりは魅惑的で幻惑的で蠱惑的な笑みを湛えていた。

 私はその(ひと)の言っていることが本当で、一つ選んで頼まなければならない気分になった。

 手元には革で装丁された鍋敷きのように厚い「メニュー」がある。


 「メニュー」を開くと昔私が見た夢の名前が列挙してあった。

 その名前を読むと、不思議なことにもう忘れていた筈の夢の内容をありありと思い出せる。夢が途切れるときの切なさ——深海から強引に引き摺り上げられ夢が急速に薄くなって破ける、あの眠りから覚めるときの——までハッキリと。

 

 夢は見た順になっているわけではない。

 順番に法則性はない。

 だから全てを見る必要があって、それゆえに彼女は「時間はたっぷりある」と言ったのだ。

 どうやら将来見る予定の夢まであるようだ。

 

 私が「メニュー」をひたすら読んでいる間、淡いドレスの(ひと)は例の瞳でジッと私を見ていた。

 睨みつけるでも眺めるでもなく、ただ、見ているようだった。


 続きを見たい夢は沢山あった。

 「死んだおじいちゃんが会いに来てくれた夢」はおじいちゃんにありがとうと伝える前に目覚ましで目が覚めてしまった。それが無性に悲しくて泣いたのを覚えている。

 「森の中で迷う夢」は家に帰り着く前に途切れてしまったので、あの夢の中の両親は今も私を探し続けているだろう。

 「王城に走る夢」では、テストを受けなくてはならない私の身代わりとして暴君に囚われた中学の親友との約束を果たすため、私は王城に走っている最中だった。あのまま私があの夢から消えてしまったら、あの夢の中の親友は暴君に処刑されてしまう。


 その一つ一つを丹念に見ていく。

 どれくらいの時間が経ったか。いや、それは、()()では一瞬の事でもあった。


 心残りは沢山あった。

 些細な事で、所詮は夢だと片付けることができるのかもしれない。

 現に私はそうやって割り切って生きて来た。

 だが、それは心残りに蓋をしていただけだった。それが今、爆発した。


「泣いているの?」


 気づけば、哀しかった。

 その(ひと)のドレスと同じ色の涙が、私の目から溢れ出て、ポタポタと机に落ちた。

 泣いているのは私だった。


 私はその(ひと)の涙をハンカチ拭ってやった。


「ありがとう、優しい人……それで?ご注文はお決まり?」


 どうして私が此処に来たかが分かった。

 この店は、夢達のせめてもの抵抗、叫びだったのだ。

 

「『この夢』の続きをいただけますか?よかったらご一緒に」

「ええ、ええ!喜んでお相手するわ」


 その(ひと)は上気した様子だった。

 二つのワイングラスに並々と『この夢』が注がれた。

 

「てっきり、わたし、貴方が適当な夢を選んで目が覚めたら今日のこともサッパリ忘れると思ってましたわ」

「というと、今日のことは覚えておけるのですか?」

「そうよ。この店の出す『夢の残り』は特別だもの」

「それはよかった」


 『この夢』は楽しく美味であった。


 その(ひと)は私の夢の演出家。

 ひたすらに私の夢を作り続け、私と生き続けているのだという。

 忘れられる夢達を不憫に思って夢をジャックして、こんな店を出す事を思いついたのだそうだ。

 けれども、私が今日の事を覚えている限り、もうそんな心配はない。


「だから、当店は一回限りよ」


 そういうことだそうだ。


 その(ひと)は色々と私に夢の感想を求め、嬉しそうに何かを書き留めていた。

 私達は『この夢』のグラスを傾けながら一晩中話し込んでいた。

 『この夢』は懐かしく、温かい味がする。


 その最後の一滴を飲み干したとき、カラスが鳴く声がして窓から朝日が差した。


「もう朝ね。表まで送っていきましょう」

「ありがとう。お会計は……」

「もう頂いたわ。チップをくれてもいいけど?」


 その人は悪戯っぽく笑う。

 私も『この夢』に酔ったのか大変に愉快な気分だ。


「今日は持ち合わせがないけど、枕の下に財布でも置いて持って来て今度支払うとしよう」


 そんな夢も「メニュー」にあった気がする。


「じゃあ」


 ドアを開くと風鈴を一寸重くしたような心地よい鐘がなった。


 ゆっくりと目を開くと、朝だった。

 

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