任務 .2
余りにも時間が空きすぎた2話目です
「あれ、なんだったんだろうね」
「さぁ……何なんだろうね」
私と奏美の気の抜けたやり取りを聞いていた早苗と霊芽が、珍しいことに仲良くため息をついた。奏美はともかく、私はいつもため息をつく側にいるというのに。
私と奏美は正体不明の敵と遭遇したビルとはまた別のビルの5階にあった仮眠室の簡易ベッドに腰かけ、戦闘糧食を齧っていた。
すでに20時を回っていて、人の住まない居住区には電灯が空しく明滅している。雨は降りやまず、月も星もすべて雲が隠していた。
「それもそっかぁ。早苗は? 何か特殊な異質体に遭遇したりしてないの?」
『いいや、マンライク系とハルピュイアしか見なかった』
『本当にそんなのがいたとして、「変なのいました」なんて報告書出したらさ。異質体対策局主催でよくてもV.Q.O.C、悪けりゃR.Q.O.Cだね』
早苗と霊芽は半信半疑といったところで、話に踏み込んでは来ない。正直なところ、当事者である私と奏美も現実感がない。ただ、何度〈ホロバイザー〉の映像記録を見直しても、エレベーターの天井を突き破ったのは金属質で異様な変形を生じた爪だったし、その穴からわずかに確認できたその姿は、ネイルリーパーに非常に似ていた。
『異質体対策局のデータベースを調べても、明里が言うような異質化を遂げた個体の情報はないな。もともと変異質体であるネイルリーパーがさらに変異したか、そもそもネイルリーパーとは完全に異なるかのどちらかだろう』
それが今出せる結論だろう。その二択の中であり得るのは、強いて言えば前者だ。しかし、これまでのネイルリーパーとの会敵率や全体を通しての目撃数から考えると、かなり低い確率だと思う。それに、もし本当にネイルリーパーの特殊変異体だったとして、あの異常な身体能力はどう説明するのだろう。
あの異質体は私たちに銃撃された直後、跳躍して弾丸を回避していた。しかも、その流れで壁を利用した三角飛びを見せつけ、最上階へと姿を消してしまったのだ。遭遇したビルは70階建て。遭遇時のエレベーターは25階相当の高さにまで達していた。とはいえ、あの長い上に狭い縦穴をたった三回の跳躍で登りきるなんて芸当、当のネイルリーパーよりスペックが高いはずの私たちにさえできるかどうかは怪しかった。
『まぁ、今は変異個体のことなんて考えてもしょうがないよ。雨で足止め食らってるだけとはいえ、折角の小休止なんだから』
そう、私たちは昼ごろから降り始めた雨で足止めをくらっている身なのだった。ブーツとグローブの張り付き機能はヤモリの足を参考にしたバイオミメティクスの産物なのだが、どうにも保水してツルツルになったもの相手には中々うまく張り付けない。それに、今は11月。時間にして20時過ぎ。北半球側で赤道に近い位置にあるこの第六移民島でも、さすがにこの時間になると暗いうえ寒いのだ。
降下してからすぐ〈フライ〉と〈プロヴィデンス〉で居住区内の様子をあらかた把握できているので、今日の時点ですでに居住区の三分の一近い面積の調査を終えている。作戦前の想定より、少しテンポがいい。
『早苗の言うとおりだ。休めるうちに休んでおいたほうがいいだろ? 出発することになったら教えてくれ、俺も少し仮眠を取るから』
そういうと、睦月さんは通信回線をスリープ状態にした。私たちも交代で仮眠を取ることにして、最初に仮眠を取る方と警戒する方を決めて互いに連絡し合い、同じように回線をスリープにする。
「それじゃあ30分後ね。おやすみお姉ちゃん」
「おやすみ、奏美」
奏美が簡易ベッドに横になり、ゆっくりとした呼吸を始めた。かと言って本当に寝ているわけではないのは、微かに聞こえるB.B.のバックパックの吸排気音で分かる。
はぁ…早く普通の睡眠が取りたいなぁ。
そんな甘い願いを声に出さないよう気をつけながら、ドアのすぐ傍によりかかり、〈リップリーパー〉と〈トリンブルブレード〉をいつでも抜刀できるよう、カバーをアンロックしておく。
「早くベッドで寝たいねぇ…」
お姉ちゃん、それ言わないようにしてたんだけどなぁ。
このように交代で仮眠をとるときは、もう一組の方の見張り番や睦月さんと簡単な報告兼雑談に興じることにしている。すぐ隣にいる相方は仮眠をとっているし、かといって下手に鼻歌を歌うと仮眠室の外に音が漏れるかもしれない。それならウィスパリング機能を使って通信をした方が効率的だし、何より心の安定を図ることができるということで、今や私たちにとってエレベーター以上のリラックスタイムとなっている。
時間にして22時半を少し過ぎた頃。まだ雨はやまず、既に4回目の交代。私が奏美と警戒番を交代してから5分も経たず、それは起きた。ドアの向こうから微かに足音が聞こえてきたのだ。単にマンライクの足音がしただけなら息を殺してやり過ごせばいいだけなのだが、その時聞こえてきた足音は、息を殺すだけでなく、私を注意深く聞き耳立てる衝動に駆らせた。
規則正しい足音。異質体が闊歩するこの場においてそれは異常だ。脳機能が一部阻害されているのか、人型を保っているマンライク系の異質体は歩くときのテンポが一定じゃない。例えるなら泥酔寸前のような、ギリギリでバランスを保った千鳥足のような歩き方をする。走るときはその身体能力の高さからくる健脚を思う存分発揮するのだが、彼奴等が走るのは獲物を見つけたときだけだ。
しかし、ドア越しに聞こえてくる足音はゆったりと歩いているとしか思えないリズムを持っていた。まるで背の高い男性が街を歩くような。
その足音は私たちがいる仮眠室の前を通り、そのまま通り過ぎていく。一瞬立ち止まったような気もしたが、それは気のせいだと信じたい。私はたった今起きた出来事をタイマーメッセージとして奏美に送信し、仮眠の終了とともに〈ホロバイザー〉に表示されるように設定した。そして奏美を起こさないよう、仮眠室を静かに出た。ビル内部の照明は死んでいるようで、廊下は真っ暗。〈ホロバイザー〉の視覚補正機能を使ってようやく物の輪郭がわかる。床に目をやると、うっすら積もった埃が僅かに足跡を残していた。
「次の交代までに戻れるようにしなきゃ」
〈弐式小銃〉と〈トリンブルブレード〉を構えつつ、廊下の角に差し掛かるたび慎重にクリアリングを重ねるが、屋内にまで侵入してくる異質体は、実際そう多くない。ただし、そう多くないというだけで少なからず何体かは必ずいる。もう2~3ヶ月は前のことだが、それで霊芽が死にかけた。あの時は任務も終了間近で、ほぼ完全に制圧されていた移民島での任務だったから安心していたのだろう。ちょっとした油断のせいで、命を落としかける。いくら私たちが強いといったって死ぬときは死ぬし、死ぬのは何より怖い。それ以来、死にかけた当事者の霊芽はもちろん、四人全員が厳重な状況確認を怠らないようになった。それはそうとして、全身の神経を総動員してのスティールは、本当に体力を削る。
埃の上にかすかに残る足跡を見失わないよう慎重に追跡するにつれて、自分はこの足跡の主に誘導されているのではないかと思うようになってきていた。確かで迷いのない足取りを感じさせる痕跡は、明らかにこの状況の中では異常と言わざるを得ない。わざわざ後を追わせているようにも感じる。
疑念を持ちながらも足跡を追うと、行きついたのは地下駐車場だった。どうやら電気が通っていたようで、放置された車のフロントガラスを薄汚れさせる砂ぼこりの濃淡までわかる。足跡を追うために下を向きがちだった視線を前に向けると、一人の男がこちらに背を向けて立ち尽くしていた。構えていた拳銃を向ける音が駐車場内に響くが、目の前の男は微動だにしない。
日中、あのエレベーターでの襲撃の時に見たあの異質体と同じ〈アーマーウェア〉。しかし、腕に変異がない。
もしかすると、生存者かもしれない。疑念は一度拭い去り、〈弐式小銃〉をその背中に向けつつ言い放つ。
「そこの男性。両手を上げ、ゆっくりとこっちに振り向きなさい」
微動だにしない。風の音でも聞いているかのようだ。
「もう一度言います。両手を上げ、ゆっくりこちらを振り向きなさい」
言いながら〈弐式小銃〉のセーフティロックを外す。耳がピクリと動くことさえない。自分の存在さえ忘れたかのように、ただ立っていた。
「最後の警告です。従わないのなら発砲します。両手を上げ、こちらに向きなさい」
トリガーに指をかける。なにも、起きない。
「警告はしましたよ」
そう短く言って、足元へ三発発砲した。コンクリート片が飛び散ることに興味を持とうとすらしていない。
何なんだ、目の前のアレは?
何もしない。微動だにしない。銃声にさえ反応しない。まるで全てを気にしていないかのような、一種の余裕すら感じてしまう。それに反して、私の心は次第に焦り始めていた。数発掠らせた。それさえ、得体の知れないソイツにとっては脅威ではないと言外に断言するかの如く不動。
私は覚悟を決め、その左肩に狙いを定めた。その時点で、目の前のソレが生存者かもしれないという希望は捨てている。刃渡りの短い〈トリンブルブレード〉を左手に構え、一度引き金から外した人差し指をもう一度あてがう。
引き金を、引いた。
いなくなった。
違う。移動の前触れがなかっただけだ。早過ぎる。どこに行った?
気配を感じ、後ろを振り向く。何もいない。
ジャリ……
小石が擦れるような音に反応し、私は振り向きざまに左腕で横に薙いだ。後ろに、いた。そいつは動きを読んでいたかのように上体を反らし、振り上げた足で的確に左手を蹴り上げた。〈トリンブルブレード〉が私の手を離れ、天井に突き刺さる。そのまま距離を取ったそいつの腕は既に変異していた。普通、ネイルリーパーの変異は手のみにおさまる。精々、肥大化した手を補強するために手首が太くなる程度だ。それに指が異常な伸長を起こすため、強度的に曲げ伸ばしは捨てて頑丈な刃として使うことしかできないような代物になる。しかし目の前の異質体は、腕そのものが長く、手首と膝が並んでいる。手の変異さえも特殊で、まるで、手の骨格標本の縦の縮尺を大きくして、最低限の筋肉をつけたようだ。そこで気付いた。あの手は、手としての機能を失っていない。
〈リップリーパー〉を鞘から外し、〈弐式小銃〉をホルダーに戻す。自分のフィールドで仕掛けないと生き延びることさえ難しい、という予感があった。
先に動いたのは向こうだった。ダンスの最初のステップを踏むように軽い踏み込みで、私との距離を一瞬で詰めてくる。でも、見えないほどじゃない。鋭い突きをサイドステップで躱し、身を低くして逆袈裟に斬る。〈B.B.〉を起動してもいない素の動作ではあったが、"見てから避けられる"とは思わなかった。
「〈B.B.〉ッ、第三心臓まであげて!」
《Yes, machina. Change into third beat.》
私の戦闘スタイルでは、〈リップリーパー〉のリーチに物を言わせるのが一般的だ。一方的に攻めることで、この長得物は真価を発揮する。そして今、攻防の主導権を握っているのはギリギリ私。間髪入れず攻め続け、守り以外の選択肢を取らせない。私の独壇場。なのに、たった一撃掠りさえしない。二刀ではないとしても隙の無い連撃。〈リップリーパー〉の刃先がぎりぎり届き、相手の爪がぎりぎり届かない絶妙な間合い管理。剣の達人でさえ体が反応できない速度に達しているはずなのに、その全てが最小限の動きで躱される。
上段から振りおろした〈リップリーパー〉の側面を押されて斬撃を逸らされると同時に、腹部に強烈な蹴りを叩きこまれた。とっさに腹筋に力を入れていたからいいものの、瞬間的に不快な酸味と焼けるような痛みがせり上がってくる。
「ふっ、んぬぅっ!」
〈リップリーパー〉を大きく振り、強制的に間合いを取らせた。
あの眼だ。異常に鋭い見切りを可能にしているのは、きっとあの右眼に違いない。顔の側面にまで及ぶ眼窩にぎちぎちに詰まった眼球が一寸の誤差もなく私を常に捉えている。その瞳孔は猫よりも忙しなく動いて光量を調整し、私を常に鮮明に視認できるようにしているのだろう。心なしか右半身を前に出すような姿勢なのも、超広角の超高感度カメラ同然である右眼での視界を広くとるためだろう。
ならば、その右眼では見えない位置に移動するのみ。〈B.B.〉を一瞬だけ第五心臓で稼働させ、怪物的な速度で相手の懐へと潜り込む。〈B.B.〉という開発局のフラッグシップ的なバイオアーツを搭載する私たちにすれば、この手の攪乱は下手な目つぶしよりも高い効果を得られる。要は「心臓が足りないなら増やせばいい」ということ。「呼吸が追い付かないなら補助すればいい」ということ。そうすれば、たった一個の心臓とたった一対の肺ではできない身体機能だって実現できる。
右下からの斬り上げは回避された。だが、うまく不意を付けたようで明らかに回避行動に移るまでが遅くなっている。このまま攻め切る。刀を返し、振動数を上げ、袈裟斬りに斬り下す。
…………? 振り切れない。
止められている。
え、なんで?
真横からの衝撃。踏ん張れない。なすがままに弾き飛ばされ、壁に激突してようやく止まる。
≪Caution. Function is declining. Beat system is suspention.≫
まずい。
〈B.B.〉が止まるというのは、高速機動が封じられるというだけではない。血流を増加させることで筋肉の疲労の原因となる乳酸を押し流し、全身に素早く酸素を行き渡らせるシステムがダウンしているということ。そのような体をケアするための機能がダウンすると、〈B.B.〉はただ使用者の血管を超高血圧で破壊するための機械に成り下がってしまう。つまり私は今この瞬間「何もできない」に等しいのだ。
ネイルリーパーがこちらの方を睨みつけて、凶悪な鋭さを有する指をゴキゴキとならす。こちらに突進してきた瞬間、素の動体視力ではとても追うことができないと気づき、同時に死を覚悟した。
無理だ、見てから回避できるような速度じゃない。終わってしまう。
首筋に振動を感じる。
しかし、痛みは感じない。視界が突然跳ね上がったり、全身に突然脱力感が走ることもない。
恐る恐る目を開くと、目の前にはあのギョロつく巨大な右眼があった。その眼は私の顔を舐め回すように動く。眼球の大きさに比して瞳孔が小さく、カメレオンに凝視されているような妙に薄気味悪い気分にさせられた。
一通り私の顔を見つめたところで、首筋にずっと感じていた振動が消えた。そして、不意に左ほおに手が添えられる。金属的な冷たさに一瞬体が震えたが、ダメージが蓄積してうまく動かせない体と、冷たさの奥から伝わる拍動に混乱してもいた。
変異し、歪な牙の生えた口が薄く開き、そこから何かが発せられようとしたその時。
「お姉ちゃんっ!!」
声と同時に連なった発砲音が聞こえてくる。ネイルリーパーは私の頭の上の壁を蹴り、ありえない姿勢で銃撃を回避していた。
私とネイルリーパーの間に立ったのは、仮眠中のはずの奏美だった。
「奏美! まだ仮眠してるはずじゃ……」
「もう三十分なんてとっくの間にすぎてるよ! それなのにお姉ちゃん勝手にどっかに行ってるし、心配したんだからね!」
妹にこんな姉みたいなこと言わせちゃダメじゃん、と言いながら〈ハイペリオン〉を向ける奏美の目の前で、ネイルリーパーは地面を数回切り付ける。大量の土煙が舞い、それによって私と奏美の視界は完全に遮られた。そこで踏み込むか否かの躊躇をしてしまった奏美だが、行動に移す前になにか巨大な力で横に吹っ飛んでいった。土煙を引き裂くように荒々しい蹴りが奏美を見事にとらえたのだ。奏美を一蹴りで吹き飛ばしたそいつはまたギョロつく右眼で私のことを見つめ、何もせずその跳躍力で天井に飛び上がり、穴を開けてどこかへと消えてしまった。
≪Rebooting......≫
〈ホロバイザー〉に〈B.B.〉からの機能回復メッセージが表示される。背中の吸気口が徐々に外気を取り込み始め、それと同時に脳に酸素が運ばれてくるのが明らかにわかる。ガタガタと震えていた足にも血液が行き渡り、2,3秒たってようやく自力で立てるまでに落ち着いた。
「奏美……だいじょうぶ?」
奏美が吹き飛ばされた方向に声をかけると、少し晴れてきた土煙の向こうで奏美が小さく手を振っているのが見えた。
「今のが、昼のアイツ?」
蹴り飛ばされて背中から壁にたたきつけられた割に、ダメージはそれほど受けていなさそうだった。それでも痛むのか肩をさする奏美に、私は頷きで応える。
「やばいの、見ちゃったね」
その言葉の一見軽い調子には、胸の中に渦巻く不安感が如実に見て取れた。あれは確かにヤバい。あまり勉強が得意なほうではない私の頭では、ヤバいとしか言い表せない存在だ。戦闘能力が、とか。身体能力が、とか。そういう外に明らかに顕れてくる特徴でさえ圧倒的に、今までの異質体とは違う。
ましてや、相手を誘い出す罠まで仕掛けてきた。
超個体とか、そもそもこの移民島に存在する異質体のシステムに組み込まれていないんじゃないかと思わせる異常に高度な知能を有している。
それに、さっきのあの異質体……
『あ‐―——』
通信機から、途切れ途切れの音声が聞こえてくる。それを聞いた瞬間大急ぎで地下駐車場から出て、電波状況の良い場所を屋内で探す。
『明里、奏美! 何があった!?』
やっぱり睦月さんの声だ、やっとはっきり聞こえた。そもそも場所が遠いうえ、地下にいればそりゃ無線通信なんて聞こえにくくなるわけだ。
「10分ほど前、日中に襲撃してきたネイルリーパーと会敵。地下に誘い出されてしまい、そのせいで通信が途切れていたものと思われます。応答までに時間がかかってしまいました、申し訳ありません……」
『無事ならいいんだよ。僕も問題ないと思って10分以上仮眠で持ち場を離れていたし……戻ってきてみたら通信不安定って画面に表示されていたから驚いたよ。本当に、無事でよかった』
そのあと睦月さんは早苗と霊芽にもコールをつなぎ、行動再開だと伝達した。日中のネイルリーパーが再度襲撃してきた事実。可能性は低いが、早苗たちが襲撃される可能性があるという懸念。そして、私たちが小休止していた最大の理由たる雨がやんでいるという条件。可能な限り迅速にこの任務を終わらせようとする思いは、全員同じだった。
二日後、予定より多少早く全域探索を終えた私たちは、大港湾のビル屋上にあるヘリポートで、回収に来るポッドを待っていた。第六移民島の港湾ビルは中でも高い建物の一つで、唯一飛行能力を持つハルピュイアでさえその天辺に留まろうとする個体はいない。
「広いね、この移民島」
霊芽が漠然と呟いた。あんまりにもボンヤリとした言葉は、いつも冴えた皮肉を口にする霊芽がそんな調子なだけに、とんでもない疲労をひしひしと感じる。
結局その呟きには、誰も応えなかった。
眼下に広がる荒れ果てたこの場所を眺めていると、確かに、なにか漠然とした思考しかできなくなっていく気がする。観念的だとか、抽象的だとか、そういう名前が付けられるほどかっちりとした思考ではなくて、言葉が浮かぶままに任せた奔放なアナグラム。そうとしか言えない何か。
疲れているんだろうな、自分も。
それでも、せめて自分はしっかりしていないと。自分はこの四つ子の姉なんだから。
『もうすぐ上空だ。着いたらポッドを送るから、連絡を待っていてくれ』
睦月さんの声を聴くと、やっぱり心が安らぐ。それはほかの三人も同じようで、いつもは私よりしっかりとしている早苗も見るからに口元を緩めている。それから5分ほどして、また睦月さんから連絡が入った。今からポッドを下す。お疲れさま。その二言のおかげでどれだけ心が安らぐことか、私はまだ真剣に考えたことはない。
異質体からの妨害もなく、〈ストラトポート〉が降ろしてきたポッドは私たちを無事に回収してくれた。ポッド内で武装が外され、ポッド内部に入ったことで〈B.B.〉の稼働率も下がっていく。ポッドが〈ストラトポート〉に完全に回収されてハッチが開くと、睦月さんがちょうどコクピットの方から格納庫に来たところだった。
「おかえり、明里。お疲れ様」
言われるが早いか、私は睦月さんのもとへ大股で歩み寄って正面から抱き着いた。グリグリと彼の胸に顔をうずめると、体温と、ほのかに彼の匂いが感じられる。どことなく幸せな気がして、安心する。そして、戸惑いながらも私の頭に手を置き、そっと撫でてくれるのもうれしかった。
「あーっと、明里。そろそろ離れてくれないか?」
「えー、なんでですか? もうちょっとくっついていたいでぶふっ!?」
背中にドカドカッと衝撃が伝わってきた。その勢いのまま、私は睦月さんごと床に倒れ込む。
「お姉ちゃんだけずるい! 私も頭撫でられたい!」
「私も睦月さんに『よしよし』されたいです……!」
「わ、分かったから、一度どけて……私も苦しいけど睦月さんが潰れちゃうから……」
そういうと、奏美と早苗は弾かれたように私の上から飛び退いた。私も睦月さんの上から退けざるを得ない。
二人が満足そうに頭をなでられているのを見ると、睦月さんが私たちの年の離れた兄のようにように感じられる。私も最近そんな風に思うことが増えてきて、以前より甘えることが増えてしまったような気がしている。
優しい人だからなぁ。頭もよくて、全然見栄を張ったりしない。とてもいい人なのだ、睦月さんは。
彼ときゃあきゃあやっている二人からちょっと目を逸らすと、脚を組んで憮然として座っている霊芽がいた。
「霊芽は良いの、睦月さんに甘えなくて」
「いいよ、私は。そんな子供じゃないし」
「そんな強がらなくてもいいんだよ~、霊芽」
睦月さんから離れた奏美が、今度は霊芽にくっついた。
「別に強がってないよ。睦月さんだって全然眠ってないだろうし、逆に迷惑かなって」
それでもさぁ、と奏美は霊芽の耳元で何か囁く。すると、霊芽の頬がボッッと赤く染まった。
「ほらほら、いけばいいじゃん。睦月さんだって迷惑しないって、ね?」
奏美に背中を押され、結局睦月さんのところまで行ってしまう霊芽。明らかにもじもじしているのがわかるのが、いつもの皮肉屋な姿との落差を感じられて可愛い。
「あ、いった」
奏美が呟いたのを聞いてみると、霊芽が睦月さんに抱き着いたところだった。顔は見えないが、きっとゆっげが立つくらいには赤くなってるに違いない。
「わんこだよね、霊芽」
「いや、にゃんこじゃない?」
そんな好き勝手に言ってると、あとで知らないよ、とでも言おうと思ったけれど、ひそひそ話が聞こえているのか、小さく震えている霊芽と戸惑い気味の睦月さんの取り合わせがおかしくて、そのままにしておきたかった。
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行ったか。
そうみたいですね。とりあえず〈フライ〉飛ばします。
気づかれるなよ。
勿論です。正直、気づかれるはずないんですけど。
自身があるのは良いことだ。頼りにしてるよ、スウィフト。
当然ですっ。リーダーの力になれるなら、できることなんだってやりますので!
元気なのは良いんだが、空回りしないようにな。さて、戻るか。頼めるか?
了解です。泳ぐとどうしたって遠いですからね。