任務 .1
新連載です。
今回も定期更新はきっとできないし、大学で忙しいし、前作もほっぽりだしてるし…で不完全燃焼気味です……
ですが、ですが!
今回はふらふら不定期でも良いから頑張ってみます。
堪え性のない僕をどうか見捨てず、次回を楽しみにして頂けると幸いです。
用語解説やキャラクター紹介も投稿するので、よかったら見てください!
System is been checking . . . Complete All system is green
System has being booted up. . .
頭の中に声が響く。なにかのシステムチェックのような、感情に根差した抑揚のない、カフェのサーブ・ロボットだとしたら修理工場行きが確定しそうな声色。
いや、私はカフェになんていないじゃないか。残念。
意識がすでに覚醒しているというのに、目を開けても視界は真っ暗闇。パニックになる前に一度記憶をたどって、すぐに思い当たる節をみつけた。そうだ、レスト・セルに入る前にアイマスクをつけたんだった。その一つの事実を思い出したことが引き金となって寝起きの頭が急速に冴えはじめ、自身の状況を反芻し始める。
それも終わったころ、頭の中に機械音声が響いた。
≪System has already booted up. Hello, Deus ex Machina.≫
「おはよう〈B.B.〉。もうすぐ出撃だよ」
脳内に直接響いてくる機械音声に挨拶を返す。今日も体調は絶好調。睦月さんの体調管理のおかげだ。
『これで四人とも出撃準備完了だな。おはよう、みんな』
今度は耳から。毎日聞いているなじんだ声。私たちが、命を預ける人の声。
「おはようございます、睦月さん。そろそろ目標地点ですか」
『あぁ。いつも通り、明里たちの〈ホロバイザー〉と〈フライ〉のカメラは俺の〈アナライザー〉とリンクさせてある。あと一分で降下地点だから、心も準備しとけよ』
了解、と短く応えて睦月さんとの通信を一度切る。入れ替わるようにかかったコールに応答した。
『おっはよー、お姉ちゃん』
「ん、おはよう奏美。早苗も霊芽も、おはよ」
いの一番に声を出した奏美の他二人も、私が声をかけると返事を返してくれた。
私たちは、攻撃能力の高い私、早苗と、サポート能力に特化した奏美、霊芽で組まれたチームだ。"四つ子"なんて呼ばれることもある私たちは、危険度が高く、その割に大規模部隊を投入しにくい作戦で何度も成功をおさめ、今では「特殊潜入任務といえばあの四人」なんて言われているらしい。
≪We have to leave in 10seconds. Ready to leave.≫
頭の中で聞こえる〈B.B.〉のアナウンスに素早く反応し、射出ポッドに入る。手早くシステムチェックを終わらせ、いつも通りの武装、大小二振りのメカニカルな外見をした刀をバックパックと腰に装備した。
『射出3秒前。健闘を祈っている』
「「「「了解、マイ・ディア・ペアレント」」」」
足元のハッチがガパリと開き、私の体は機外へ吐き出された。スカイダイバーよろしく急速に落下する私とともに、数多の水滴が落ちていく。そうか、雨が降っているのか。匂いに敏感なアイツ等にとってみれば、鼻がなかなか効かない嫌な日だろう。
先ほど私は自分のことをスカイダイバーに例えたが、異なる点といえば、パラシュートなどというご大層な代物はしょっていないという点だ。しかし、私たちの体はすでに常人のそれとは比べ物にならないほど頑丈になっている。極端な例を出すとすると、全身の骨が一瞬で粉砕骨折するような衝撃を与えられても打撲程度で済む、のような。
そのうえ、落下時の衝撃をいなし、豪速で移動するエネルギーに変える身体的な技術もあるし、〈アームウェア〉だって、〈B.B.〉だってある。基本、身一つでスカイダイブしても死ぬことはない。
姿勢を制御して垂直落下から角度が急な滑空に切り替えていく中で、着地してからの行動をシミュレーとする。奏美たちもうまくやれているようで、緊急コールはまったく鳴らない。
あの三人のことは何も心配ない。あとは、自分のことに集中しなきゃ。
姿勢制御が成功し、私の体が明らかに垂直より緩やかな角度で落下し始めた。これならあと10秒もすれば地面だろう。
「〈B.B.〉、2秒ごとにハートチェンジ。第一心臓から」
≪Yes, Machina. Into first beat.≫
〈B.B.〉の声と同時に、心臓とはまた違う拍動が力強く始まった。全身の血流がはっきりと感じ取れる。背中と各関節に増設された新しい心臓が、脈動を始めた。
≪Change into second beat.≫
より強い拍動が脳にまで押し寄せ、大量の血液を送り込んでくる。脳内血管の血流増加を感知したヘッドギアが冷却システムを作動させ、頭が茹で上がらないように調節し始めた。際限なく思考が冴え渡っていく。
≪Change into third beat.≫
サウナの中にでもいるような気分になってきた。しかし、体はどこもかしこもいつも通り。否、いつも以上に動く。全身の筋肉がひた隠しにしていた熱量が、次第に解放され始めた。
≪Change into fourth beat.≫
地面まであと少し。そう認識できるほどまでの高度に来ると、不意に世界の進み方が緩やかになった。脳もクロックアップしたらしい。
着地まで残り三秒になると、私は足と頭の位置を入れ替えた。そして、つま先が地面につくその瞬間、
≪Shift into fifth beat.≫
全身の血液が沸騰するような熱を感じると同時に全身を猫のように丸め、体そのものをバネにして前方へ跳んだ。
『ソーラースポット、No,1からNo.3まで無事着地!』
「ソーラースポットNo.1、了解! 合流地点はプラン通りに、なにかあれば逐一報告!」
『デウス・エクス・マキナ、了解!』
指示を飛ばしながら地面をもう一度蹴る。まばらにはえる低木が、高速道路の標識さながら過ぎ去ってゆく。足元は十円はげが目立つ草地だ。雨は降り始めなのか、ぬかるみで足を滑らせるようなこともない。ただ、私たちの本当の任務の舞台とは特段関係ない話だ。
「〈B.B.〉、二分で第三心臓まで落として」
≪Yes, Machina. Shift into fourth beat when it passes one minute.≫
これで良し。第五心臓を長時間連続使用すると、簡単に全身の筋繊維をズタズタにしてしまう。そもそも〈ビーティング・ビート〉は、心臓一個ではできない動きを実現するために作り出されたバイオアーツ。中でも第五心臓は、それだけ体に強烈な負荷をかけるモードなのだ。
「私はそろそろ合流地点につきそうだよ。そっちはどう?」
『こちらソーラースポットNo.2。タイタンとハルピュイア三体に絡まれちゃった、3分程度遅れるかも』
「No.2、了解。あとは?」
『No.1とNo.3はすでに合流済み。ポイントに到着したら先に〈フライ〉を飛ばしても?』
「No.3、了解。作戦が早く終わるね。許可!」
通信を切り、目標地点へと急ぐ。
ふと、後方からギャアギャア喚く声が聞こえてきた。第五心臓から第三心臓に落としたことで多少減速しているとはいえ、公道を走る一般車両よりは軽くスピードが出ているはずだ。追い縋ってきているヤツは、相当早い。
〈ホロバイザー〉の視覚拡張機能を起動して後ろを確認すると、四体のハルピュイアに付きまとわれていた。目標地点まで残り僅かの地点まで来ている今、振り切ってしまうよりも倒した方が早い。
「うっし、やるか」
地面を削るようにしてブレーキをかけ、片足を軸にしてハルピュイアの方へと体を向ける。
背中の〈リップリーパー〉の柄に手をかけ、肺の中の空気を吐き切る。バックパックが吸入を始めた。それに呼応して全身の筋肉が再び熱を帯びてくる。
ハルピュイアの接近まであと3、2、1、、、
無意識よりも深い領域で体が反応し、自分勝手に〈リップリーパー〉の長い刃を四度舞わせた。肉を紙より軽く裂き、骨を肉より軽く断つ感覚を両手に感じる頃には、ハルピュイアたちはすでに思い思いに二等分されていた。
異質体が完全に沈黙したのを確認してから〈リップリーパー〉についた血液を振り払い、再度駆け出す。
合流地点につくと、奏美と霊芽がちょうど〈フライ〉を飛ばすところだった。
「遅かったねお姉ちゃん。何かあった?」
先に私の到着に気付いたのは霊芽だった。
「ごめん、遅れちゃった。ハルピュイアたちにエンカウントしちゃって」
「私らは何とも出会わなかったよ。そもそも外縁にいる異質体が少ないのかも」
奏美の指摘はもっともに思えた。私たちがいるこの第六移民島は生態実験用のフィールドが面積の5割強を占めている。残り4割と少しの居住区に住む人間たちも、フィールドに住む動物たちも、フィールドと居住区を隔てる隔離壁から3キロ圏内にはそもそも住んでいない。
私たちが降下した地点は動物たちが住まない荒原じみたエリアだし、今まで人間以外の動物の異質化は確認されていないので、フィールドにいる異質体のそもそもの個体数が少ないのでは、ということだ。
「No.2ただいま到着!」
通信機越しに聞こえてきた声が私の思考を一度休ませる。遅れてくると言っていた早苗の声だった。次第に足音が近づいてきたと思えば、あっという間に早苗が私たちのもとに現れた。
「遅れちゃった!タイタンはすぐに倒したからいいんだけど、ハルピュイアがひらひら飛んで逃げるものだから。しかもハルピュイアたち、じりじりと居住区の方に逃げてくんだ。どうにか振り切るタイミングを狙っているような感じがしたよ」
『なるほど、そうきたのか』
不意に≪ホロバイザー≫から声が聞こえてくる。
「そうきたか、とはどういった意味ですか、睦月さん?」
『今回、珍しく四人バラバラで出てもらっただろ?降下地点は異質体がほとんど確認されてないエリアだったというのもあるが、万が一出くわしたときに異質体がどんな動きをするかが知りたかったんだ』
「異質体の動きですか?」
『ああ。で、明里と早苗にエンカウントした異質体の行動を見て、もうわかった。予想通りだ、ここの異質体は超個体となっている可能性が高い』
「超個体...?」
超個体をわかりやすく説明するとすれば、アリやハチを例に出せばいいだろう。一つの「コロニー」という集団内での役割分担が非常に円滑に行われている。だからこその高効率。その高い効率性が、集団そのものに「知性」を宿らせる。
つまり睦月さんは、いままではちょっとした刺激で右へよろめき左へ転ぶ単なる塊だった異質体の「集団」が、多少なりとも統制をとって多かれ少なかれ秩序の中で行動する「群れ」になりつつあると言っているのだ。
「うえぇ...そんなめんどくさいことになってるの?」
『まだ確定じゃない。たまたま四体セットで行動していただけなのかもしれない。だが、今までにもホビットみたいに集団で行動する奴がいただろ?しかも早苗がエンカウントしたハルピュイアは居住区の方に飛び去ろうとしていた。
前提が正しければだが、そのハルピュイアたちは居住区の中の異質体たちに侵入者の存在を知らせに行こうとしたんじゃないか?』
「そしてその前提が正しければ、この第六移民島の居住区はすでに人間用ではなくて異質体用になっている。そういうことですよね?」
霊芽の言葉が、皮肉ではなくて事実なのではないかと思われた。
いままでの異質体の群れが暴徒だとすれば、今回出会うかもしれない群れはゲリラ兵だ。何の策もなく突っ込んでくるだけだったはずの者どもが、突然不意打ちを仕掛けてくる。それは恐怖以外何者でもない。
「そろそろ〈フライ〉が戻ってきます」
私含め四人の思考をリセットするように霊芽が言ったころには、四機の〈フライ〉が私たちの頭上に来ていた。霊芽の腰にマウントされた2基の〈ポッド〉がガパリと開き、すべてのフライがスムーズに格納されていく。同時に〈フライ〉が集めた各種データが霊芽の〈ホロバイザー〉に同期され、視線・動作制御式のARディスプレイに次々と映し出されてゆく。睦月さんの〈アナライザー〉にも順調に随時転送されているようで、時折なにか考え込むような小さい唸りが聞こえた。
「なるほどね、中には多くいるわけじゃないみたい。かと言って特別少ないとも言えないくらいはいるし、居住区画内全体に満遍なく配置されてるようにも見える」
『そうみたいだな。No.3、全員にデータを回してくれ。No.1は〈プロヴィデンス〉で位置照合頼む』
「アイ・サー」
No.1、奏美が起動した〈プロヴィデンス〉は、外部情報機器からの入力によって、崩壊してしまった建物や地形を一致率99.99%の精度で復元できる。まさに「神の目」だ。
「立体モデルの構築完了っ! いま表示するね」
〈ホロバイザー〉に奏美の〈プロヴィデンス〉が生成した第六移民島居住区の立体モデルが映る。さすが、生物実験のために裏で大国が動いて建造された移民島。科学者たちが住むところはハイテクが詰まっていないといけないらしい。居住区とフィールドを隔てる外壁の向こう側に広がっているのは、最新技術のお花畑だ。
見るだけでわかるのは、居住区内部に血管のように有機的に張り巡らされた跨座式リニアモノレールの架空軌道。そして、人口の割に高く建てられたビル、ビル、ビル!
数千人しか住んでいないはずなのに、東京やニューヨークに建っていても遜色なさそうな超高層ビルが五棟もある。そのうえ、突出した五棟に圧倒されているだけであって、ほかのビルも二十階以上はある。
『下が狭けりゃ上に行けってことだよ。都会ならどこだってそうだ。土地が狭いし、地価が高いからどんどん上に行く』
「ここの科学者なら大量の設備も必要だっただろうし。それにホラ、どこのお国の支援か知らないけど、ビルの上にクレーンが残ってる。まだ積み木遊びがしたかったみたいだよ」
いいながら、霊芽がモデル上の何点かをマークしていく。その部分が自動で拡大され、残されたクレーンが見えるようになった。
『そろそろ本題にいこう。今回の俺たちの任務は、七週間後に決行される第六移民島奪回作戦の事前工作及び探索だ。むやみに戦闘行為は行わず、可能な限りの隠密行動を心がけること。奪回部隊の作戦遂行に支障をきたすような危険の排除と、詳細マップの制作がメインだ。いいな?』
「「「「了解、マイ・ディア・ペアレント」」」」
『では、作戦開始』
睦月さんの宣言と同時に、全員が〈B.B.〉を一気に第五心臓までシフトアップする。人間の身体機能を大きく超えた脚力で地面をけり、外壁を駆け上がる。この程度、動きだけならばダブルネームでも楽々マネして見せるが、〈B.B.〉を埋め込んだ私たちでしかこのスピードは出せない。制限時間内に外壁頂上へとたどり着き、ゆっくりと第二心臓まで落とせば、体への負担が小さくなる。
外壁の内側はそれなりにキレイではあったが、そこには「生」の気配があまりにも感じ取れなかった。リニモのレールにはハルピュイアたちが留まり、そのはるか下、地面にはマンライクとタイタンが闊歩する。
こりゃ……すごいね。
誰かが小さくつぶやいた。
たしかに……ここまでとは思ってなかった。
あとから、自分の声だと気づいた。
それでも行くしかない。
助けてくれたあの人が勇敢であったように。
私も勇敢であれ。
助けてくれたあの人が退かなかったように。
私も不退転たれ。
「コールタール、作戦開始っ!」
「「「了解ッ、マイ・ディア・シスター!」」」
私たちは異質化域へと身を投じた。
居住区と生体実験エリアを分ける隔壁の内側には自走式壁面検査清掃機がいくつも張り付いていて、その殆どが動きを止めてウォールスティッカーと化していた。まだ動いている一部のウォールランナーに心のなかで敬礼しながら、ついに異質化域に足を踏み入れた。
即座に私と奏美、早苗と霊芽でツーマンセルを組むと同時に、〈ホロバイザー〉に付属している通信機能をウィスパリングモードに切り替えた。このモードは隠密作戦の時に必須の機能で、物音ひとつ立てることさえはばかられる中、非常に小さな声を増幅させて通信相手に届けることができる。ちなみに〈ホロバイザー〉の通信はすべて骨伝導なので、通信音声が外に漏れるということはほぼあり得ない。
私と奏美は居住区の東側、早苗と霊芽は西側を回ることになっており、今いるのは居住区を南北に貫く主要な大通りの南端になる。作戦実行前に決めたことなので仕方ないが、私が回る東側のほうに異質体が集まっているらしい。霊芽の〈フライ〉を使った調査がしやすくなるなら、それでも構わないのだけれど。
私と奏美は可能な限り異質体に見つからないよう、ビルの物陰に頻繁に隠れて短距離ダッシュでの移動を繰り返す。ビルの間の細い路地には必ずと言っていいほどマンライクがいて、警備員を気取っている。時にはタイタンが随伴して、協力してあたりを見回していた。
『まるでダンジョンだね。シンボルエンカウントだし、見えてるヤツ以外は来ないからまだ良いけど』
『それで済めば良いけど。彼奴等って獲物見つけたら吼えるじゃん、絶対』
『そうそう。あの甲高いのか野太いのかよくわからないビブラート効いた声、嫌いなんだよねぇ…発泡スチロールを擦り合わせた音のほうがまだマシだよ』
『もしかするとそれがサイレン代わりになってるのかもな。一体が吠えたらまず近くの異質体が寄ってきて、そいつ等も吠えて、また新しいのが寄ってきて……』
「うへー、パニックホラーだよそんなの。フィクションの中だけでいいよー……」
軽口を叩き合いながら侵入するビルを見繕い、警戒しながら入り込む。幸い今まで一体も異質体を殺すことなく来ているし、ビルの中にも異質体はいなかった。私と奏美が入ったビルは24階程度の高さで、18階にはリニモ(リニアモーターで動く乗り物は大抵こう略される)の駅があった。リニモのレールは急激に上昇することはないため、レールにとまって地上を警戒しているハルピュイアたちの視界より高い場所にいる私たちはその視界には入らない。安心して、外の様子を見ていられるというわけだ。
最上階の24階は会議室だったようで、大きな楕円形の会議テーブルと、数十人分の椅子がそのまま残っている。あまりにも誰もいない場所であるという先入観がそうさせるのか、そのあまりにも当たり前な風景は私の心を少なからずざわめかせる。それは奏美も同じなようで、グローブを握りこむギリ…という音が聞こえた。
「今は調査のことを優先しよう、私たちに今できるのはそれだけだから」
そんなことを言って奏美の肩をたたくが、私も同じことを考えているのだ。表に出ているかどうかなんて些細な違いでしかない。雨に濡れる窓越しに地上を眺めると、〈ホロバイザー〉の視覚補正と視覚情報解析機能、映像付随記録のメモライズが始まった。路面状況は悪くなく、大規模侵攻への大きな障害となるような路面のトラブルはなさそうだ。舗装も新しいようで、雨が道路のわずかな傾斜に従って側溝へと流れていくのが見える。大通りはこうして確認していけばいいが、ビルの間を無数に走る細い路地は地上までいかないとよく見えないだろう。こういう時は、霊芽の〈フライ〉がとても羨ましい。
「ここらのはほとんど取り込んだね。次のビルまで行こう」
奏美から声をかけられ、窓から離れる。少し考えに沈んでいたのも見透かされているのだろうか。
「そうね、早く済ませよっか。暗くなると視覚補正があっても細かいとこまで見えなくなっちゃうし」
私たちはビルを下り、19階で隣のビルに移ることにした。そのビルは高さにして70階以上だが、今いるビルのすぐ隣であるということもあって、リニモのレールも高い場所にはない。より広範囲の調査に適しているのだ。
できるだけ静かに、しかし可能な限り早く階段を降り、19階の窓から、これから飛び移る予定のビルを見定める。見えているのはビルの裏手らしく、開けられそうな窓がいくつかあった。
「地上に異質体は……確認できず、っと。雨で滑りやすくなってるけど、下手に降りて見つかるほうが嫌だし、このまま行っちゃうか」
「あいよー。2,3メートルくらい?なら第一心臓で行けるね」
「よし。私から先に行って壁が安全かどうか確かめる。滑ったら……まぁ、リーパーでも突き立てるだろうから、すぐわかるよね」
「うわぁ……そんなことにならないように気を付けてね?」
はいはい、と軽く返しながら私は念のため〈リップリーパー〉をすぐ抜けるようにしておく。飛びだすための窓を開け、全身を乗り出して窓枠に手をかける。地上19階といえばかなりの高所だが、私たちからすればその程度の高さ。航空機から飛び降りて現着するような人間にしてみれば、少し高い脚立から飛び降りるのと変わりはない。
呼吸を整え、〈B.B.〉を第一心臓で起動する。呼吸のタイミングを見極め、壁を蹴った。血流増加と関節機能の向上によって軽々と3メートル近い距離を飛んだ私は、〈ホロバイザー〉を通じた音声操作でグローブとブーツに指示を送る。
「スティック機能オン」
グローブとブーツがわずかな機械音でもって同時にこたえ、私の手とつま先は雨に濡れてより滑りやすくなっている鏡面加工のビルの壁面に吸い付くように張り付いた。ヤモリの足の裏の構造をもとにして統制機関の開発局が開発したバイオミメティクスの産物だ。細かい原理の説明は省くけど、グローブ、またはブーツのつま先や靴底と接地面との間に発生する分子間力の一つ、ファンデルワールス力という非常に微弱な力を操作して物体間に吸着力を発生させることで、壁や天井に張り付くことができる。
「さて、さすがに鍵くらいしまっていると思うけど……」
そう言いながら一番近い窓のそばまで移動し、窓枠に手をかけようとすると、私のすぐ下に奏美が飛んできた。
『念のため開けてみよ?近くに異質体がいないとはいえ、あんまり音を立てるのは避けたいじゃん』
「うーん、そうね。念のため試してみる」
ほとんど期待せずに窓に手を触れ、少し力を入れると。
ガラリ、と。
「……鍵、開いてたね」
『うん……意外だったね』
偶然開いていた窓から侵入し、再び警戒。数体のマンライクとホビッツを無力化しつつビル内を調べると、なんとこのビルは内部の階段が崩れていた。しかし幸運なことにエレベーターが生きており、わざわざ外階段をうるさく登ってハルピュイアやマンライクに気づかれる心配はなさそうだった。
『でもこれはラッキー! 楽しちゃおうぜお姉ちゃん』
「口調ブレてるよ。でもまぁ、楽できるところはしちゃおっか」
エレベーターは地上階まで降りていたようで、扉が開くまで少し時間がかかった。エレベーター内に異質体が潜んでいることを想定してそれぞれバトルアーツを構えはしたが、ゾンビ映画のようなことは起きなかった。
エレベーター内にいる間はほんの少し気持ちを緩めることができる貴重な時間だ。私たちがいかに強力だといったって一歩間違えれば死ぬことに変わりはないし、何と言ったって年頃の女の子なんだ。任務の中でもちょっとしたガス抜きを設けないとすぐに心が参ってしまう。
『なんか最近、エレベーターがセーブポイントみたいに思えてきたよ。任務中じゃなくても気づいたらエレベーター探してる自分に気付いてびっくりしたもん』
「それはなんかもうノイローゼじゃないかなぁ?この任務終わったらちょっと診てもらおうよ」
『そ、そんな必要ないよ!私は心身ともに健康間違いなしなんだから!』
「うん、知ってる知ってる」
話題は年頃らしくないかもしれないけど。
『ねえ、お姉ちゃん』
ふと改まった様子で奏美は「今みたいな話を、フツーの高校の休み時間に話せるようになる日って来るのかな」と聞いてきた。その、疑問とかそういう言葉で表しにくい絶妙にやわやわした呟きを聞いた途端、私は奏美を抱きしめたくなったが、拳を握りこんで衝動を抑えた。
「だいじょうぶ。私たちは今でさえ普通の範疇をはるかに超えた関係なのかもしれない。だって私からしてみれば奏美たちは、妹で、私自身で、そして娘なんだから」
エレベーターの箱の中。私は奏美の方に振り向き、隅でいじけるように背中をもたれかけていた彼女に顔を向け、真正面から向き合う。
「私たちの関係を一言で正確に表す言葉なんてきっと無いし、これから先も長い間見つからないと思う。でも私は今までと同じように、これからもずっと、『私たちは四つ子の姉妹です』って当たり前のように答えるよ」
奏美はどう?と聞くと、幾分か元気を取り戻してくれた様子で、もちろん、大好きな姉と妹だって答えるよ、と言い返してきた。
「そんな風にこたえられるような日常を取り戻すためにも、今ここで頑張ろっか」
奏美の返事の代わりに聞こえてきたのは、エレベーターの上に何者かが激しく着地した音だった。ドカッと重たい衝突音とともに私と奏美を乗せた箱が揺れ、二人して軽くたたらを踏む。
『何が起きた!?』
「エレベーター上部に何かが落ちてきました!移動自体に影響はなしっ、警戒します!」
異常検知のアラームがうるさく吠える中、睦月さんからの緊急コールに簡潔に答えつつ腰のホルスターから〈弐式自動小銃〉を抜き、奏美はバックパックのハードポイントからショートバレルのサブマシンガンを一丁手にして天井に向ける。
現在25階。エレベーターの上昇速度は変わらないが、最上階の74階につくまでにはまだまだ時間がかかるはず。このままうろうろし続けて最上階につくと同時につぶれてくれるのが理想だけど、そんな上手くいくはずがないというのは百どころか億も兆も承知だ。
うろうろ動き回る足音がやみ、今度は箱の厚さを確かめるような軽いトンッ、トンッという音が聞こえる。何か仕掛けてくる?そもそも普通の異質体がそんなことをする知能を持っているか?悩む間もなく事態は進展した。金属質な破砕音が箱の中に鳴り響くと同時に、エレベーターの天井を突き破って「手」が現れた。見た瞬間に「手だ」と認識できたわけじゃない。何かが天井を突き破ってきた。最初はそれが幅広の刃物に見えた。しかしその形をよく見てやっと「これは刃物じゃなくて手だ」と認識できた。貫手のように指をピシッと揃えていたが、それでも幅が15センチはありそうに見える。それになんだよ、あの異常に長い指。指自体が刃になってるなんて、旧世代の人型戦闘アンドロイドじゃあるまいし。
「攻撃確認っ、応戦します!」
言い終わる前に私と奏美はその手の位置から本体の位置を予測して銃撃を加える。軍用銃の連射に耐えられるはずもなく見るも無残なハチの巣にされていく天井越しにだが、しかし一発か命中したとは言えない気がしていた。銃弾の雨にさらされる直前に手は引き抜かれ、エレベーターの天井がハチの巣になり始めるころには、何者かはそこから跳躍していた。
銃弾が無数にあけた穴から少しでもその襲撃者の姿を捉えようとした私は、ちらっと見えたその外見に言葉にならない衝撃を受けていた。形態としてはネイルリーパーに近い。手以外は人型をほぼ完全にとどめ、サイズも極端な小型化や大型が見られない、少し背が高い成人男性程度の身長。
しかし、私が衝撃を受けたのはそこじゃない。その異質体は二世代ほど前の〈アーマーウェア〉を着用していた。青地に白いラインが各所に走るデザインは量産仕様のものではないことを示し、私の記憶を深く掘り起こす。
「なんで、なんであの人の・・・」
私を助けてくれたあの人と同じ〈アーマーウェア〉を着ているの?
何度も書き直してやっと完成・・・!これが一話です。