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エリカ・マクスウェル公爵夫人です

 その日の公爵邸は朝から慌ただしく人が行き交っていた。

 ある者は中庭へ、またある者は厨房へと走り、己の職務を全うしようと皆が忙しく動き回っている。

 そんな中、メイドの一人が屋敷内の一室から顔を出し、廊下で待つ執事へと目くばせを送る。合図を受け取った執事はすぐさま行動を開始し、ひとまず外で待つ者たちの様子を窺いに行く。


「馬車の支度は済んでますか?」

「ああスヴェンさん、いつでも出せるぜ!」

「では旦那様をお呼び致しましょう」


 彼等の準備が整っていることを確認すれば、次に向かうのは館の主の部屋である。

 ノックをすればすぐさま応答があり、扉を開ければすでに身支度を済ませた主が映る。一見落ち着いているようにも思えるが、立ち尽くしている姿を見ると気が急いて居ても立っても居られないといった様子なのだろう。


(普段冷静な旦那様がここまで落ち着きを失くすとは)


 それはこの屋敷に仕えるようになってから初めて目にする、想像もしたことのなかった主の姿であり――非常に喜ばしいその様に思わず目を細める。


「失礼いたします。旦那様、準備の方が整いましたので玄関ホールまでお越し下さい」

「ああ」


 そう促せば、いつも通りの簡潔な言葉が返される。

 魔術師用のローブとは違う銀糸の刺繍が施された華麗なコートに身を包み、玄関ホールへとやや速足で向かうのだった。


 ◇ ◇ ◇


「ハンナさん、ちょっときついわ」

「大丈夫です奥様! まだいけます!」


 いや無理、もう一息、と押し問答しながらハンナさんが私の胴に巻かれたコルセットをぐいと締め上げる。


「ようやく迎えた今日という日、最高の奥様に仕上げて見せます!」


 気合十分のハンナさんの声に、私を取り囲む他のメイドさんたちも力強く頷いている。とても心強いのだけど、私の体が耐えられるかが心配だ。

 一方のメイドさんに髪を結われ、もう一方のメイドさんからは同時進行で化粧を施され、匠の業で着々と準備が整えられていく。


「それでは奥様、ドレスの方を合わせていきますね」


 言われるがままに案山子のように立ち尽くしていると袖が通されていく。肌に触れる繊細なレースがさらりと揺れ、くすぐったくも心地いい。

 その上質な生地を堪能するようにぱたぱたと腕を遊ばせているとすかさずハンナさんが覗き込み、怒られると思ったがどうやら彼女の注意は別の所に向いているようだ。


「腕の傷、綺麗に治られて良かったです!」

「本当に、気付いたら跡形もなくて吃驚したわ」


 透けるレースの内に見える腕には以前は大きな傷跡が残っていた。しかしそれも聖女様の奇跡とやらで今では影も形もない。おかげでこうして大胆なデザインのドレスを楽しむことが出来、セシルには感謝しかない。


「奥様の素敵なお姿を見ればセシル様もお喜びになりますよ!」


 私の心を読んだかのように言うハンナさんに「そうね」と返すも、まずは対峙すべき人がいる。


「旦那様も奥様のこのお姿を見たら卒倒されてしまうかもしれませんね」

「いえいえ、きっと熱い抱擁をなさるのよ」

「それだとせっかくのドレスが崩れてしまうかもしれないわ。せめてお戻りになるまで耐えていただきたいのだけれど……」


 私が頭に浮かべるその人の事を皆が好き放題に言い立てている。割と酷い言われようだが否定できないのが悲しいところである。


「さあ奥様、支度が整いましたよ! どうぞご確認下さい!」


 ハンナさんの声に意識を現実へと引き戻し、据え置かれた姿見を覗けばそこには。自分であって自分でない様な姿が映し出されている。


「………………」

「おっ奥様! まだです!」

「涙を流すのは戻られてからですよ!」

「……分かってるわ!」


 熱くなる目頭に力を込めそれを零さないよう必死に堪えながら、メイドさんたちに付き従われ部屋を出た。


 ◇ ◇ ◇


 部屋を出ると見慣れぬ長い長い廊下が真っ直ぐに伸び、絨毯の敷かれたその道を一歩一歩踏みしめながら進む。


「離れでも十分広いと思っていたのに、本邸の広さは比じゃないわね」


 高い天井をぐるりと見渡しながら誰ともなく呟くと、後ろに控えるハンナさんから声が届く。


「本日よりこちらで過ごされるのですからすぐに慣れますよ」

「うーん、そうかしら」


 何せ玄関に行くだけでこれだけ歩くのだ。豪勢な造りであることは否定しないが住むには離れの方がよっぽど楽――。

 ぎろりと刺さる視線を背中に感じ、それ以上考えるのを止めにした。


「……そうね、そのうち慣れるわ」


 私の言葉に満足した様で、背にのしかかるプレッシャーがふと軽くなった。

 そんなやり取りをしていれば長いと思っていた廊下もあっという間に終わる。下へと降りる階段を前に立ち止まり、ちらりと後ろのメイドさんたちの顔を窺う。みな一様に笑顔を浮かべ、その温かさが胸の奥にまで染み入るようだ。


「旦那様は玄関ホールにてお待ちです」

「ええ、行くわ」


 ひとつ深呼吸。再び前を向くとゆっくりと階段を降り、踊り場でその身を反転させれば未だ距離のあるそこに銀色の姿がはっきりと見て取れる。

 逸る気持ちを抑え、進み――その人の数歩手前で立ち止まる。


「お待たせいたしました、キースさ……」

「……綺麗だ。とてもよく似合っている」


 まだ礼の途中だというのに待ちきれないと言った様子で距離を詰め、あっという間に私の手を取っている。

 いつもと違う煌びやかな装いで跳ねがちな髪もぴっちりと整えられ、どこから見ても麗しの貴公子であるというのにその振る舞いはいつも通り変わることはない。

 いつものように私を甘やかす言葉に、緊張し強張った身体から急激に力が抜けていく。そうすれば後に残るのはいつも通りの笑みだけだ。


「ありがとうございます。キース様も素敵ですわ」

「エリカの好みに合ったのなら喜ばしい事だ」


 私の言葉にキース様も嬉しそうに眉を下げ、そっと腰に手を回す。――待って、このまま抱き寄せられたらメイドさんたちが危惧するように着崩れてしまう……!

 そう思い至ったのはキース様も同じの様で、その腕の力はすんでのところで踏み止まる。回避、出来たらしい。


「……まずはするべきことがあるな」

「そうですわね」


 眉間に寄った皺をぐいと抑え、改めて私と距離を取るとその手を前に差し出す。


「では行こうか」

「はい」


 キース様に手を引かれ、外で待つ馬車へと身を預けた。


 ◇ ◇ ◇


 リヴェルム王国、王都の外れにある教会。

 人気は少なく、たまに職員と思しき人間がぱたぱたと駆けていくのが目に入る。

 石造りの飾り気の少ない通路には眩い日差しが照り付け、季節の移ろいを感じさせる。

 白地に銀の刺繍が施された煌びやかなコートを翻し歩くその人の横では、同じく白の生地で仕立てられたドレスが日差しの中を軽やかに舞う。胸元に縫い留められた細やかな宝石がキラキラと光を振りまき、裾に縫い留められた揃いの銀の刺繍を浮かび上がらせている。


「キース様、今日は私の我が侭を聞いていただいてありがとうございます。婚礼のドレス、やっぱり着てみたくて……」

「俺の方こそ。不甲斐ない儀で済ませてしまった失態を取り返す機会をくれた事、改めて感謝する」


 視線を絡め二人身を寄せ合いゆっくりと歩を進めれば、奥の受付で待ち受ける男性が立ち上がり礼をする。どうやら以前もお世話になった司教様のようである。

 目の前まで辿り着くと私の隣に立つキース様が書類を取り出し、受け取った司教様が内容を確認していく。


「……確かに。婚姻の儀修復証書を受領致します。それではこちらを」


 書類をしまい、代わりにトレイを差し出す。トレイに被せられた布がめくられると銀色に輝く指輪が二つ現れる。


「エリカ、手を」


 キース様に促され左手を差し出すと、薬指をするりと冷たい感触が通り抜ける。残されていた跡にぴたりと収まる銀の光を纏った指輪。以前のものと同じデザインのそれはやはりキース様を思い起こさせ、しげしげと見つめれば確かな安心感を覚える。


「それではキース様、お手を」

「ああ」


 トレイに残されたもう一つの指輪を手に取り、差し出されたキース様の左手の薬指へ通していく。同じく残された跡に重なれば、それは居場所を見つけたようにぴたりと収まるのだった。

 二人の手に指輪が納まったことを確認し、司教様がにっこりと微笑みながら口を開く。


「キースベルト・マクスウェル公爵並びにエリカ・マクスウェル公爵夫人、お二人の婚姻を心より祝福いたします」


 高らかな宣言が耳に残る中、互いの想いを誓い合うよう唇を重ね――その人の大きな身体が私の体を力強く抱きしめた。

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