凱旋のその後 2
「次はセシルの事か」
新しく注がれた茶を舌で転がしながらキース様が私の顔を見る。
そうだ、それこそ一番気になっていた事だ。『聖女』とやらも勿論だが彼女の今の状態、それが知りたい。
「慌てるな。セシルは体調も問題なく変わらず職務もこなしている」
前のめりになる私を抑える様に言うが、それって……どうなの?
「私、今日まで寝込んでようやく動けるようになったところですのに、もう働いて大丈夫ですの?」
「魔力量の差だな。カレンディア殿下もそうだが一日休息をとって十分に回復している」
何それずるい。魔力持ちは体力の回復も早いとか、まるで私だけが虚弱体質みたいではないか。微妙な不満を露わにしていれば「こればかりは仕方がない」とキース様も眉を下げる。
「……皆が元気ならいいです」
「そうだな」
ひとまず納得したところで本題に入る。
結果から言ってしまえば、やはりセシルは聖女らしい。
「エリカを救うという強い思いで魔力が増幅し、俺がかけた封印の術も解けたようだ。あの日放ったセシルの術は広範囲にわたり影響を及ぼし、その力の大きさを確認した国が聖女の称号を与える事を決定した」
使用人さんたちも言っていたが、遺跡から王都にまで届いたその治癒の光は、浴びた人の軽い体調不良なんかをあっさり治してしまったらしい。うわ聖女つよい。
「それで、魔力が解放されてセシルは――」
「今の所、問題はない」
今の所、と言う注釈にごくりと唾をのむ。
「今後重要となるのは増大した魔力をいかに制御するかだが、その点は彼女はまだまだ未熟だ。今後も注視が必要だろう」
魔力と言うのは極限まで使い切ることによって最大値が増えるらしい。今回私を治すために持ちうる全魔力を解き放ったらしく、その力は今後さらに強くなるだろうとのこと。本当に私は碌なことしかしないと大きく息を吐く。
「だが、高魔力症は完治したと言えるだろう。セシルもエリカも、よく頑張った」
その言葉に、下がり気味だった眉が更に下がる。
「……はい」
ようやく訪れた安寧に泣けばいいのか笑えばいいのか分からない。
ただ小さく、顔を綻ばせて見せた。
「――それで、今後セシルは魔術省ではなくリィン付きの魔術師となる」
「リィン様?」
私が落ち着きを取り戻したところで再開された説明。続けるキース様に疑問の声を向けると、何やら苦々しい顔を見せる。
言い淀むその口を無理やりこじ開けるように聞けば、何やら魔術の指導に於いて、キース様よりリィン様の方がセシルと相性がいいらしい。要するに弟子を奪われた形になるわけでそれが面白くないのだろう。拗ねるキース様がちょっとかわいい。
と、ここで気付く。
「リィン様はセシルの治癒の光を浴びたんですよね? じゃあリィン様のお体は?」
私の言葉にそれまでむくれていた顔が複雑な様相を見せる。
「まだはっきりとは言えないが……良くなった。足も、魔力減衰症も」
「え、それじゃあ」
「しばらくは様子を見る必要がある。それでも魔力を解放したセシルが側にいるならば心配することはないだろう」
様々な感情が入り乱れたその顔はやがて嬉しさだけを残し、晴れやかな笑顔に変わる。
「セシルとエリカには感謝しかない」
「私は何もしてませんわ」
「それでも」と言われるとその言葉を遮ることはできない。ただこの人の肩の荷も下りたのだと思うと、たまらなく嬉しかった。
今後はリィン様の体調を管理しながらセシルはその下で魔術を学ぶ。平行して国からの依頼を受け聖女として癒しを施す職務を果たしていくという。
いつの間にか手の届かない様な存在になってしまったとちょっと寂しい気持ちになるも、彼女の門出を素直に祝福したいと思う。
「どんな立場になろうとお前たちは姉妹だ、それが変わることはない。今後は立場が変わったことで新たな困難に遭遇することもあるだろう。その時はもちろん俺も力を貸すが、エリカが支えてやるといい」
キース様がそう締めくくり、私は静かに頷いた。
「さて他に聞くことはあるか?」
ひと呼吸おいたところでキース様が顔を上げる。その手にはハンナさんが並べた焼き菓子が摘まみ上げられ、口の中に軽やかに放り込んでいく。その潔い食べっぷりに見とれながら頭を捻らせていると、ふと思い当たる件がひとつ。
「あの! キース様、杖持ってましたよね。アレってその、ギリアムから渡されたり、とか……?」
遺跡で見た彼の姿を思い出し声を上げる。黒い芯に銀の装飾が絡みつく片手サイズの魔術杖。あれは確かに私がギリアムに注文していた物だ。が、それはキース様には内緒にしていた事なので、問いただす声も語尾が小さくなっていく。
しかしそんな私の気まずさも気に留めることなくあっさりと言う。
「ああ、ギリアムから受け取った。エリカが用意してくれたものだと。感謝する」
「何で! ギリアムの馬鹿! 私が渡したかったのにっ!」
感謝の言葉もお構いなしに天を仰げば、その様子にキース様も失笑気味だ。
「俺もあの男にはエリカから受け取りたかったと苦情を言ってやったがな、結果的にはあの時に受け取ることが出来て良かった」
「キース様のお役に立てたのなら良かったです……解せぬ」
どうやらヒース商会で鉢合わせた時にギリアムが渡したらしい。だったら私にも一言伝えておいてくれればいいのに。
未だ納得のいかない私にくくくと笑いを漏らしながら、情報を追加していく。
「あれであの男も気を使っている。どうやらフレデリックの件にも一枚嚙んでいるようだしな。エリカの為にした事だと、今回の件は大目に見てやれ」
フレデリックの件とはニール男爵の罪を暴き捕らえた事か。それに……ギリアムが関わっていると? ますます腑に落ちないが、ギリアムはなぜだか私に甘いのであながちガセだとも思えない。
「……まぁギリアムには世話になってますし、キース様がいいのならいいですけど」
ようやく私が溜飲を下げると、今度はキース様が若干の不満の色を見せる。なぜ。
「エリカはあの男に甘いな」
「そんなことないですよ」
反射的にそう答えるが、そんなことはあるのかもしれない。そんな気持ちが表に現れていたのか、キース様は益々その色を濃くし、菓子を口に詰め込んでいく。その様子は見ているだけで口の中が甘くなりそうだ。
キース様は以前からちょいちょいギリアムに対して敵意を向けるが、これはもしかして嫉妬だったりするのだろうか。もしそうなら――盛大な誤解であり、ここできっちり解いておかねばならない。
「あのですね、これはギリアムには内緒にしておいて欲しいんですけど」
そう前置きをして続ける。
「私、ギリアムの事を父親のような人だなって思ってますの」
「?」
おずおずと言う私に対し口をもごもごと動かしながら視線だけで問う彼に、その真意を説く。
――もちろん私にはバートン伯爵と言う父がいる。しかし魔力なしの無能ということで早々にその人の興味を失した。前世を思い返してみても父は早くに亡くしており、やはりふれあいの記憶はほとんどない。
ギリアムは胡散臭いし乱暴な所もあるけれど、私の事は随分と気にかけてくれている。馬鹿なことをすれば叱ってくれるし、泣きたいときには黙って見守っていてくれる。だからつい、それが図々しい事だと分かっていても必要以上に甘えてしまうのだ――と。
「内緒ですよ?」
ちょっと照れくさくなって、人差し指を口に当てながら同意を求めれば、菓子を呑み込んだその口がこくりと頷く。
「ああ、分かった。あの男には絶っ対に伝えないと誓おう」
「え、そこまで……?」
何をどう理解したのかは分からないが、キース様とギリアムの距離が縮まるのにはまだまだ時間がかかりそうだ。
◇ ◇ ◇
夜も更けおなかも満たされ、気持ち晴れやかなままに睡魔が誘いをかける頃。
キース様が「最後に」とその話題を切り出す。
「婚姻の装具についてなんだが」
「あ」
決して忘れていたわけではない。ちょっと意識の外に追いやられていただけである。いやほんとに。
慌てて口を閉じつつ己の左手に視線を落とす。嫁いできてからずっと嵌めていたそこには今はちょっとへこんだ跡だけが残り、物悲しさを感じさせる。
狼狽える私を見つつキース様が楽しげに話を進める。
「新たに作り直すにあたってエリカの要望を聞きたい。以前の物は俺が勝手に決めてしまったからな。装具なら素材も形状も問わない。何か希望は――」
「指輪がいいです」
ちょっと食い気味に答えればきょとんとした様子でこちらを見るが、私の真剣な眼差しを見て居住まいを正す。
「キース様は、何で最初の装具を指輪にしたんですか?」
理由を話す前に気になっていたことを聞いてみる。
「深い意味はない。小さく邪魔にならない、その程度の理由だ」
あ、本当に意味はなかったんだ。そりゃあそうか。
あの頃の私たちは婚姻なんて本心では望んでいなかったし、単純に利便性から選択された結果だったのだ。
この国の婚姻の装具は一番人気は耳飾り、なんと言っても目につきやすい。二番目はネックレス、意匠が凝り易い。それ以下は指輪やブローチ、腕輪など様々なものが選ばれる。変わり種としては長髪同士の夫婦だと髪留めだったり、護身用の武器などもある。
そう考えれば確かに指輪は目立たず邪魔にもならずでキース様には都合が良かったのかもしれない。
私にとっては……どうだったんだろう。
「私が前世で暮らしていた国では、結婚の時に指輪を贈り合い左手の薬指に嵌める風習があるんです」
「そうなのか」
まさか特別な意味があるとは思っていなかったのだろう。少し面食らった様子で薬指の跡をなぞる私の指を追っている。
「だからちょっと、最初の時はびっくりしました」
あの頃は左手に目が行くだけで鬱になった。それでも婚姻が事実であると認識させる効果は抜群で、この家で暮らしていく覚悟が定まったのだからそれはそれで良かったのかもしれない。
いつの間には向かいのソファに座っていたキース様が隣へと腰を下ろし、私の左手を掬い上げる。その彼の左の薬指にも同じような跡が見え、ぽっかりと空いた隙間が在るべきものが戻るのを待ちわびているようにも見える。……それは言い過ぎか。
「キース様とお揃いの、銀色の指輪がいいです!」
「ああ、そうしよう」
私の要望に了承を返し、その手に口付けを落とし……って、ちょっと!
そのあまりにも自然な流れにびっくりして手を引こうとするも、その手はしっかりと握られている。
「嫌だったか?」
「いやそのっ、ぜんぜん嫌じゃないですけど!」
「ならいい」
いやいいの⁉ ていうかキース様、ぐいぐい来るというか最近随分と積極的じゃありません⁉
真っ赤に染まる顔で抗議をすればしれっと返される。
「こうでもしないとエリカに気持ちが伝わらないと思い知ったからな」
「それはまあ、反省してますけどっ、て……わわ!」
体が急に浮いたかと思ったらすとんと収まり、尻の下に不思議な感触がある。……膝の上に乗せられている……だと⁉
キース様が何かするたびにじたばたと藻掻く私を捕まえながら引き寄せる彼は実に楽しそうに笑う。私はこんなにも必死だというのに!
それでもやはり、嫌ではない。
熱に浮かされぽやぽやする思考の中、唇や全身を包む感覚に意識を預け「ああここが私の居場所なんだ」とそれだけは理解した。
心地のいい温度と一定に刻まれるリズムに包まれ、夢見心地の中をうつらうつらしている。
……夢、そうだ。もう一つの心残りを思い出し、埋めた胸板からもぞりと顔を上げる。
「もうひとつ……我が侭を言ってもいいでしょうか?」
「もちろん構わない」
そう優しく答えるキース様の耳に、こそりとお願いを呟いた。




