フレデリックの奮闘
やってきたのは貴族街に並ぶニール男爵家のタウンハウスである。
バートン伯爵公子である自分の後ろに控えるのはマクスウェル公爵家の使用人であるマルセルと、その配下と思われる数人。整った身形をしてはいるが使用人……には見えない。どちらかというなら荒事をこなすような物々しさを感じさせる男たちはマルセルにかしずき従っている。
先ほどのやり取りで十分味わったがこのマルセルという男は見かけに反して底知れない怖さを持ち合わせている。そんな事を考えているとにこりと微笑みかけられ、背中にぞわりと悪寒が走る。
ともあれ今は味方……のはずだ。臆することなくその前に立つ。
「それで、私は何をすればいい」
「そうでございますね、正面切って問い質す訳には参りませんから策を講じる必要がございますな。フレデリック様は単身で挑むおつもりのようでしたが、何かお考えが?」
「いや……」
正面切って話を伺おうと思っていた、とは言えない。言い淀んでいればほっほとマルセルが軽妙な笑い声を上げる。本当に性格の悪い男だ。
「幸いこちらには厩の樽という情報がございます。そこを目指すといたしましょう」
それは自分が受け取った手紙に書かれていたことだ。一体どういう意味なのか自分には分からないのだが、マルセルは感心するように続ける。
「フレデリック様が密告を受けニール男爵の元へ赴こうとされていたことまでは察知しておりましたが、鼠の餌の場所まで把握済みとは。いやはや商人と言うのは侮れないものでございます」
「商人?」
「いえ、独り言にございます」
こちらの疑問にはまるで答えず一人で納得するように頷いている。もはや問い質す気も失せおとなしく次の言葉を待つ。
「ではフレデリック様は、ニール男爵に急遽馬を借りたいとお申し出下さい」
「それは……些か不自然ではないか?」
マルセルの指示に眉を寄せながら疑問を呈す。
というか、些かどころではない。初めて相対する、伯爵とは言え年端もいかない若造が使いも出さず突然押し掛けて、更に馬を要求するなどと。
どう考えても頭がおかしい奴にしか見えない。
「口実など問題ではございません。要は厩へ赴き物証を押さえればよいのです。うまく厩へと参られましたら後は我々にお任せ下されば結構でございます。フレデリック様はニール男爵を説くことのみお考え下されば」
「いくらなんでも無茶だろう!」
ニール男爵は父であるバートン伯爵と同じくらいの年齢の、しかしその外見や性格は正反対であり、顔中に髭を貯えた巨躯を持つ荒々しい武人だ。魔物の多い領を取り仕切る彼は強さを一番に重んじる人物と記憶している。そのような男がなぜアキュベリー侯爵のような力とは無縁な貴族に従っているのかは分からないが……さておき、武力も魔術もさして持たない自分の言葉を聞き入れるとはとても思えない。
「フレデリック様なら出来ますとも」
「勝手を言うな! 大体、私の何を知っているというのだ」
「エリカ奥様が大切にされている弟君でございます」
思いもよらぬその発言に思わず息を詰まらせる。同時に湧き上がるのは怒り。この男はどれ程人の神経を逆なでれば気が済むのか。
「そんなことはない! 姉様は、セシル姉様にしか興味がない人だ! 僕の、私の事など……っ」
「いいえ、エリカ奥様は紛れもなくフレデリック様を愛しておられます。でなければ返事が来るあてのない手紙を毎週のようにしたためることもいたしません。フレデリック様とて分かっておいででしょう」
そう見透かすように向けられた瞳にどきりと心臓が跳ねる。そうだ、姉が嫁いでからと言うもの、セシル姉様宛ては勿論だが自分宛にもまめに手紙が届く。内容は近況の報告だったり身を案じる内容だったりと当たり障りのないものだったが、返事を一度も返してないそれは毎週必ず送りつけられていた。
――いや手紙だけじゃない、姉がまだバートン家にいた頃でも。顔を見たくなくて部屋に籠っていてもお構いなしに、馬鹿の一つ覚えのように毎日外から朝晩の挨拶を欠かすことはなかった。それがまたうっとおしくて嫌でたまらなかった。はずなのに。
「私が貴方様の元へ居るのも、然りでございます」
姉様が自分を案じてこの男を寄越した、それが真実なら僕は――。
「……仮にっ、そうだとして……。僕に出来ない事に変わりはない」
「いえいえ、フレデリック様は長年お近くでエリカ奥様をご覧になられていたではありませんか。エリカ奥様の強さを、その身で覚えてらっしゃるはずでございます」
「姉様の……強さ」
そうだ、あの人は昔から医者にも匙を投げられたセシル姉様を諦めることなく救う方法を探していた。どんなにセシル姉様が苦しんでいてもその笑みを絶やすことがなく、当時はそれが残酷に見えて疎ましく思っていたが――あれこそが強さなのだ。
「僕にも……姉様と同じように、強くなれるだろうか」
「貴方様が望めば」
マルセルの言葉が胸にじわりと染み入る。
そうだ。僕がここに来たのは罪人の口車に乗った己の責任を取るため、これ以上姉様の足を引っ張らないように。
決意を固め、顔を上げる。
「ニール男爵と面会をする。力を貸してくれ」
「御意に」
頼もしいその男を引き連れ、僕は男爵の屋敷の門をくぐった。
◇ ◇ ◇
通された玄関ホールでしばし待てば、目的の男が姿を現す。
「お初にお目にかかりますなバートン伯爵公子殿! いや伯爵とはいえ随分と無礼な真似をなさる!」
床が揺れそうなほどの足音を鳴らしながら豪快に言い退けるその男は噂以上の偉丈夫であり、目の前に立たれればもはや壁のようにしか見えない。
「……っ」
「おやどういたしましたかな?」
その威圧感に呑まれ言葉を紡げずにいれば、その男は増長しここぞとばかりに圧を強める。
(だめだ、こんな魔獣のような男相手に立ち回るなんて……)
今の自分はまるで天敵に睨まれた小動物のようだ。身を固くし小刻みに震わせていればその声は差し出された餌に食らいつくように獰猛な牙を見せる。
「ふっ、はっはっは! 流石はあの悪女の弟だ! 作法も弁えなければまともに口すらきけんとは! 伯爵家もこれでは先が見えんな!」
「………………姉様は、悪女なんかじゃない」
「? 何か言いましたかな?」
どくりと脈打つ鼓動が己の中の本音を押し出す。それは周囲には届かないほどの小さな声だったが、確かに僕の心に火を灯した。
「さて、用がないならお引き取り願おう! 小倅の相手をするほど暇ではないのでね!」
「っ用ならある! あの、あー……馬が、逃げまして!」
「はぁ? 馬?」
慌てて口にした言葉にニール男爵が間抜けな声を返す。当然だ、僕だって自分が何を言ってるのか分かってない。
(考えろ、姉様なら……こんな時エリカ姉様ならどうする!)
必死に頭を回せば浮かぶのはエリカ姉様の屈託のない笑顔と、裸足で庭を歩き回り泥だらけになっている姿だ。……あの姉は、一体何をやってるんだろう。常識と言う言葉を知らないのではと疑うその姉を思えば急に悩んでいる自分が馬鹿馬鹿しくなり、思わず吹き出してしまう。
「何だ? 急に笑い出して、おかしくなったか?」
そうだ、エリカ姉様はいつでもおかしい。そしてそれが魅力なんだ。
「ええそうです! 馬ですよ馬! いやぁ助かりましたよニール男爵!」
パンっと手を叩き、にこやかな笑顔を浮かべれば、対照的にニール男爵は困惑を露わにする。
「何だ急に気味が悪ぃ! 言ってる意味が分からん――」
「ですから! お貸しいただけるんでしょう? その懐の大きさに感謝いたしますよ! では早速見せていただきましょう! そこの君、厩はどちらに?」
およそ貴族とは思えない荒れた口調でぎゃあぎゃあと喚くのを無視し、近くに立つメイドに詰め寄る。
ダンと壁に肘をつき、至近距離に顔を突き合わせば、その若いメイドの視界からニール男爵は押し出されその瞳には僕の顔だけが映る。
「みっ右手奥を出た先に……っ」
「ありがとう」
二コリ微笑み礼を言い、示された廊下を進もうとすれば、勿論それをニール男爵が許すはずもない。
正直恐怖は消えていない。背後から迫る怒号に心臓が警告を発するように強く鳴り響き、進む足が地を踏む感覚も朧気だ。それでも、今の自分には姉様が僕の為に寄越してくれた、姉様を慕う頼もしい人たちがついている。
(姉様はこんな恐怖にずっと独りで立ち向かってたんだ。僕だって今くらいは姉様の役に――)
そう外への扉までの道を半ばまで進んだところ、背後から肩を掴まれ力任せに引き倒される。床に転がった身体を乱暴に掴み上げられ鈍い痛みが体のあちこちに走る。
「……ぐっ」
「行かせるかよ! 貴様、俺様の屋敷でっ勝手も大概にしやがれ!」
胸倉を掴まれさらに力が込められれば足が地から離れるのが分かる。
(苦しい、痛い、声が出ない。……怖いっ)
喉が圧迫され呼吸もままならず、視界が陰りを帯びてくる……すんでのところ。
ばしぃっ
鳴り響く打撃音と共に突如解放された喉が大きく息を吸う。明るさを取り戻した視界に映るのはお仕着せを纏った老人、マルセルの背だ。
「痛ぇっ! テメェ使用人の分際でっ」
「お言葉ですが、男爵の分際で伯爵様に手を上げるなど許されることではございません」
己よりも遥かに大きな体躯で吠える相手に一歩も怯むことなく、変わらぬ調子で淡々と告げる。そのマルセルの手に握られた細い杖がニール男爵の太い腕を難なくと制し、ちらりと振り向きこちらを見る。
こくりと頷く彼に応えるように、再び立ち上がると僕は外へと駆け出した。
勢いよく外へと転がり出ればそこは屋敷の裏手で、特有の臭いの方へと顔を向ければ厩が見える。目的地を見定め再び走り出せば、その行く手を阻もうと男爵家の使用人たちがわらわらと集まり出す。
後ろを振り向くがマルセルはニール男爵の足止めをしている様でその姿は見えない。――だったら、僕がやるしかない!
「どけ! 私はバートン伯爵公子フレデリックだ! 道を空けろ!」
名乗りを上げ一人一人を睨み付ければ一瞬たじろぐ様子を見せ、その隙を逃さずに包囲する男たちの間に己の細身をねじ込む。するりと包囲を抜け、手に触れたそれを勢いよく引けば。
「……馬、厩だ」
獣の臭い立ち込めるそこには飼い葉を食む馬が並ぶ。ようやくたどり着いた目的地に安堵をし――そんな場合ではないと慌てて首を振る。
(ええとこれから、どうすればいい? 確か……そうだ、樽!)
辺りを見回すと壁沿いに並ぶ樽が目に入る。マルセルの言う『鼠の餌』が何なのかは分からない。だが探れと手紙に記されていたのならそれに従うまでだ。
片っ端から調べてみるが、外蓋は当然の如く固くはめ込まれ開くことはない。本体を蹴ってみても重たい感触があるだけで中身を判別することはできない。
(一体これをどうしろと……っ)
諦めかけ最後に手をかけた樽の蓋が、かぱりと外れる。
「っ⁉」
その中から覗くのは眩い光。きらきらと煌めくそれは窓から差し込む日差しを受け、色とりどりの模様を壁や天井に描き上げる。
「これは――魔石? しかもこんな大量に⁉」
「てめぇ、見ちまいやがったな……! もう生かしちゃならねぇ!」
ゆらりと現れた影が魔石のきらめきを遮り、ついでに樽の前で身を竦ませる小柄な体をも呑み込んでゆく。ゆっくりと距離を詰めるその影は目の前まで来ると立ち止まり――ばたんっ、とそのまま床へと突っ伏してしまう。
影の立っていたそこに再び視線を向ければそこにはもう一つの人影。
「おお、これは正にアキュベリー領から不正に持ち出された魔石でございますな! フレデリック様お手柄でございます!」
似つかわしくない大声を上げるのはマルセルだった。およそ感情が込められていないその声は周囲にいたであろう使用人たちの耳にも届き、最早言い逃れることはできないとがくりと項垂れる。
開いた戸から見える外ではマルセルの配下の者たちがあっという間に使用人らを縛り上げており、事態の収束をようやく実感したのだった。
「よくぞ、頑張りましたな。フレデリック様」
「マルセルの、皆のおかげです。僕一人では何もできなかった」
気が抜けていつの間にか地べたにへたり込む僕に手を差し伸べるマルセルは、柔らかな笑みを浮かべ、
「左様でございますか」
と口癖のようなその言葉を口にしたのだった。
しばらくすれば通報を受けた役人たちがニール男爵邸へと押し寄せ、縛り上げられた容疑者たちを連行していく。曰く、アキュベリー侯爵から魔石を横流ししてもらう見返りに逃亡の手助けをしていたらしい。
(これでエリカ姉様を付け狙う輩は排除できたのか……いや違う、まだアキュベリー侯爵が残っている)
昨日会ったその男は馬車に乗っており、立ち去った後の行方は知らない。
姉の身を案じ曇る表情に気付いたマルセルがいつの間にか横へと立ち、静かに囁く。
「旦那様がついておられます。どうぞ安心なされて下さい」
「……ええ、マクスウェル公とエリカ姉様を信じます」
そう答える目の前を、最後に引かれる男が横切っていく。縄で縛られ大きな体を縮こまらせたニール男爵だ。力なく進む足はその動きを止め、こちらを向いた瞳には未だ滾る敵意が見て取れる。
「おいガキ、覚えてやがれ! テメェとそのクズ姉、必ず仕返ししてやるからな……!」
最後まで恫喝を止めることのない男に一瞬怯みそうになるも、一旦息を呑み深く吐き出す。
――大丈夫、もう怖くない。
「黙れこの……っ、すっとこどっこい!」
「はぁ⁉」
姉の言葉を借り指を突きつけてそう言い放てばその顔は目を丸くし、困惑の表情を浮かべたまま役人に引き摺られていく。
「エリカ奥様のそこは、真似されなくていい部分でございますな」
己の顔が羞恥に染まるのを感じながら、ほっほと軽やかに笑うマルセルの声が耳を抜けていった。




