もう一つの修羅場
王都――バートン伯爵家タウンハウス。
そこでは一人の少年が朝から落ち着きなく屋敷内に足音を響かせている。フレデリック・バートン。伯爵家の嫡男である。
プラチナブロンドが輝く、次姉に似た繊細な容姿を持つ少年。まだ若干の幼さを残す年頃ながらも社交の場において数多の令嬢より送られる秋波に揉まれているが、生来の生真面目な性格が長姉の起こす数々の失態に目を瞑る事も出来ず、常に孤高を保っていた。
一言でいえば頭が固いあるいは潔癖、そんな彼は今ある難題に悩まされていた。
昨日彼の元を訪れた男はアキュベリー侯爵その人だった。面識はなかったが以前に王城で開かれた舞踏会の場で問題児である姉と揉めているのを見たことがあるので間違いない。
確か疑惑をかけられ謹慎を申し付かっていると噂をきいたが、そんな侯爵が自分のような若輩に何用か? 思い当たる節もなく、相手の要望通り父である伯爵には伏せたまま馬車の中での面会を申し受けたが、それが間違いだった。
(どうしてあの姉はいつもいつも面倒ばかり起こすんだ……!)
幼い頃から父母の言う事を何一つ守らない、社交に出れば奔放な噂のせいで家族までも白い目で見られる。そんな厄介者の姉は嫁いですでに家を出たというのに、未だに問題だけはこちらまで押しかけてくるのだからたまったものではない。
いい加減にしてくれ! そう叫びたい言葉を何とか呑み込みながら頭を掻きむしっていると、不意に使用人から呼び止められた。
◇ ◇ ◇
どうやら客人が訪ねて来たらしい。
伯爵である父ではなく自分に? しかも事前にそんな報せは受けていない。
先日のアキュベリー侯爵の件もあり警戒心が強まるが、だからこそ無視をすることもできない。
逃げ出したくなる気持ちを抑えつつ客人を待たせているホールへと向かった。
「お初にお目にかかります、フレデリック様。マクスウェル公爵家にて家令として仕えますマルセルと申します。不躾な訪問となりますことお詫び申し上げます」
尋ねて来たのは意外な人物だった。マクスウェル公爵家と言えば姉の嫁ぎ先だ。その家の上級使用人がなぜ? ……いや、先日自分は姉宛てに手紙を出している。その件についてなのだろう。
「何用でしょうか。姉の王女殿下への不始末につきましてはバートン家の問題ですので口出しは無用です」
先手を取るように牽制を放てば、マルセルと言う老年の男は白髪を揺らしながら物腰柔らかく答える。
「左様でございますか。いえ、奥様はフレデリック様の書状に従い既に王女殿下をお迎えに向かわれましたが、その件につきましては奥様にお任せ致しました故、口も手も出す気はございません」
「なっ⁉」
さらりと答えるマルセルの言葉に耳を疑う。
(既に向かった? まさか、明らかに不審なあの手紙を信じたのか⁉ どこまで……あの姉は思い通りになってくれないんだ!)
歯がゆさに思わず顔が歪む。
しかも公爵家は関知する気がないという。それは姉の人望のなさであり仕方のない事かもしれないが、こうもあっさり見捨てるというのは余りにも慈悲がない。
舞踏会で見かけた姉とマクスウェル公の姿はそれなりに仲睦まじかったように思う。それもただ体面を保つためのものだったのだろうか……考えても仕方のない事だ。
アキュベリー侯爵に強要され書いた手紙はおそらく姉を企みに嵌めるための物なのだろう。姉がアキュベリー侯爵の恨みを買っていると言われても驚くことはない。
『貴殿とてあの問題ばかり起こす姉が目障りで仕方がないのだろう?』
自分の心を見透かすように囁くアキュベリー侯爵のその声が今でも耳に絡みついている。
そうだ、だからこそ自分はあの手紙をしたためたのだ。あの手紙に込めた忠告にも気付けない程度ならそれまでだ、愚かな姉がどうなろうと自分の知ったことではない。
……なのにこの胸の、納得のいかない気持ちは何だというのか。
「ならば、なおさら何用でしょうか。私は今忙しい、用がないならお引き取り願います」
思っていたよりも冷ややかな声が出たことに自分で驚く。
この公爵家の使いに苛立ちをぶつけても意味がない事なんて理解してる。それでもふつふつと湧き上がる感情を抑え込むことが出来ない。
「それはそれは、お時間をお取りしてしまい申し訳ございません。して、お忙しいとおっしゃるのは――ニール男爵の件、でございましょうか?」
「っなぜそれを⁉」
反射的に出てしまった声を抑えようと口に手を当ててももう遅い。あっさりと肯定してしまい目を泳がせていれば、マルセルは特に気にする様子も見せずに話を続ける。
「私共はとある罪人の逃亡に手を貸した者を追っており、それがニール男爵であると突き止めたのでございます。しかし確たる証拠が見つからず困り果て、フレデリック様に是非助力を願いたく参上した次第でございます」
慇懃な仕草で丁寧に説明するが内容は随分と物騒なものだ。とある罪人とは……つまりアキュベリー侯爵の事だろう。姉に回す気はないがそちらを逃すつもりはないと、柔らかい表情の内に非情さが垣間見える。恐ろしいと感じると同時に、湧き上がるのは別の感情。
「そうですか。しかし何故私が?」
当然の疑問だ。何せ自分はニール男爵とは一切の面識がない、知っているのは名前くらいなものだ。
そもそも、なぜ自分がそんな公爵家の都合に付き合わなければいけないのか。姉を見放しておいて図々しいにも程があるだろう。
「理由は幾つかございます。まず男爵にお会いするためには相応の身分の者でなければなりません。しかし我が主は只今取り込み中の為に手が離せないのでございます」
忙しいマクスウェル公の代わりに伯爵である自分を立てようというのか。どこまでも厚かましい申し出だ。
「そしてフレデリック様にとっても都合が良い事かと。何やらお一人で向かわれるご様子でしたので、是非我々を使っていただきたく思いお声がけさせていただきました」
「な……んで、そんな事まで! まさか、この手紙は貴方たちが……!」
何もかもお見通しだと言わんばかりの淡々とした調子に心底腹が立つ。そう、さっきから苛むこの感情は怒りだ。
その怒りに任せ、懐にしまっていたその手紙をくしゃりと握りつぶす。
「散々持って回った言い方をして、結局どいつもこいつも私を利用したいだけなのだろう! このような、手の込んだ手紙まで寄越して……!」
床に叩きつけたそれは今朝方届いたものだった。宛名はなく中にはただ一文、『アキュベリー侯爵の鼠はニール男爵、厩の樽を探れ』と。
人を焚き付け利用しようなどと、どこまで自分を、伯爵家を馬鹿にすれば気が済むのだ! 怒りのままに今すぐこの男を叩きだしてやりたいがそれすらもできない、自分の無力さにほとほと嫌気がさす。
そうこぶしを握り震わせる前で、マルセルは叩きつけられたくしゃくしゃの手紙を手に取り中身を確認している。
「これは……なるほど、貴重な情報を感謝いたします」
「どういう意味だ!」
今更しらばっくれるとでもいうのか。どんなにこちらが声を荒げようと一切の反応を示さないこの男の胸倉を掴み上げる。しかしそれでも男の調子が変わることはない。丁寧な仕立てのお仕着せを乱暴に掴まれたまま返事を返す。
「まず申し上げますと、こちらの手紙をフレデリック様へ宛てたのは私共ではございません」
「だったら他に誰がこんなものを寄越すと言うんだ!」
「恐らくは、エリカ奥様を慕う者によるものかと」
「……は?」
意味が分からない。そう表情で告げればさらに言葉を付け足してくる。
「エリカ奥様はお優しく誠実でらっしゃいますので慕う者も多いのでございます」
姉が優しい? 誠実? 一体何を言っているんだこの男は。
だったらなぜ姉はアキュベリー侯爵に狙われ、なぜ見捨てられているのか。
「もう一つ勘違いなさっている様でございますが、私共はエリカ奥様をむざむざ悪しき者に渡すような真似はいたしません」
「だったらなぜ行かせた! 罠だという事は見え透いているだろう!」
「王女殿下の件はエリカ奥様に一任しております故。その御身は我が主が全力でお守りするでしょう。ですので我々は憂いなく鼠狩りに注力できるのでございます」
マクスウェル公自らが姉を守っている、だから口も手も出す気はないと。何だそれは。だったら先にそう言えば、自分だって――。
「フレデリック様のエリカ奥様を慕うお気持ちは十分に理解しているつもりでございます。だからこそ、あの罠だと知らせる手紙を書かれたのでしょうから」
「ちっ違う! 私は姉の事を軽蔑して、アキュベリー侯爵の言葉に同調して――」
「左様でございますか。ではあの稚拙な文章がフレデリック様の素であらせられると。いやはや」
「喧嘩を売っているのか」
「滅相もございません」
すべてを見透かされ、いいように転がされた挙句に揶揄われる始末。憤慨と羞恥とに顔が染まり、どっと力が抜ける。
握っていた襟首から手を放し床にへたり込んでいると、皺の寄った衣服をあっさり整えたマルセルが膝をつき、変わらぬ調子で繰り返す。
「フレデリック様。エリカ奥様を狙う不届きものを掃討するため、お力をお貸しいただけますでしょうか」
「……私が力を貸すのはあくまで罪人の口車に乗った己の責任を取るためだ」
「左様で」
白髪を揺らしにこりと微笑み、その男は初めて表情を変えて見せた。




