女二人の地下大冒険 2
行きと同じように、しかし今度は頭へと荷物を括り付けた状態で元の岸まで泳ぎ切れば、カレンディア殿下が興奮した様子で私を引き上げてくれる。
「貴女、凄いですわ! これはどのような魔術ですの⁉」
うん、魔術とな? 確かにこの世界で水泳と言うものを目にする機会はほとんどない。暑い地域ならそういった娯楽もあるのだろうがこの国はいたって過ごしやすい温暖な気候だ。奇怪な姿にそう感想を抱くのも不思議はないのかもしれない。
「これは魔術ではなく、えーと。体術ですかね」
「体術! そうでしたか。貴方は本当に、何でもできる方なのですね」
溜息交じりの言葉からは先程までの興奮の色は消え、がっくりと肩を落とすように見える。気分の上げ下げが随分と激しいが一体何なのか。考えても仕方のない事なので、変わりに頭から降ろした荷物をカレンディア殿下へと差し出す。
「どうぞ。中もご確認ください」
「……ありがとう!」
私から鞄を受け取るとその顔に微笑みが戻る。なんだかんだ素直でいいこである。決してその可愛いさに屈したわけではないのである。
カレンディア殿下が荷物を確認する間、私は私で自分の荷物を整理する。なんてったって現在の私はずぶ濡れの下着姿である。公爵夫人としてあるまじき姿である。とりあえず体にへばりつく水の滴るシュミーズを脱ぐと力一杯に絞る。それを今度はタオル代わりに体の水滴を拭い、再び絞って。
それを繰り返しているとふとこちらに向けられる視線に気付く。その主は勿論カレンディア殿下だけれども、え、そんなに見られると滅茶苦茶恥ずかしいんですけど。
「その腕の傷は、どうなさったの?」
彼女が見ていたのは私の貧相な体ではなく腕の傷だったらしい。そう言えば初めてお目にかかった舞踏会でも見苦しく晒したんだったわね。
「これは今みたいな無茶を敢行した際に付けてしまったものですわ。貴族にあるまじきもので恥ずかしい限りですわ」
「そう思っているようには見えませんが」
軽い調子の私に返されたのは予想外にも厳しい眼差しだ。それまでとは打って変わり随分と辛辣な言葉に聞こえる。
「貴女は、常に堂々とされとても逞しく見えますわ。その傷跡すらも誇らしく見えるほどに」
これは貶されているのか褒められているのか。正直カレンディア殿下の意図が分からないのでここは黙って耳を傾けることにする。
「私はいつも完璧な淑女でありたいと思っておりました。悪を挫き正義を貫く、そんな民の見本となるような姫であれと。しかし実際の私は一人では何もできない無力な子供でしたのね。……貴女の事をキースベルト様が選びお兄様が認めたことにも得心しましたわ」
先程の肩を落とした感情の答えがこれなのだろう。尊き方には私の奇行が随分と眩しく映っていたようで、相変わらず極端だなあと正直呆れもあるけれど、彼女の本音を垣間見て急に親近感がわいてくる。
「カレンディア殿下は真面目が過ぎるのですわ」
「真面目なのはいけない事なのでしょうか」
失笑気味に出た言葉に対しても真摯に耳を傾け、その意味に必死に思考を巡らせている。やはりどこまで言っても真面目な方だ。
「いいえ、悪い事ではございませんわ。しかしたまには気を緩めないと疲れてしまいますわ」
瞬きも忘れそうな程に真っ直ぐ見つめるその瞳にそう訴え、そっとその白い頬を撫でる。冷え切っているであろう私の手にびくりと瞳を揺らすも、すぐにそれを受け入れるようゆっくりと瞬きをする。
「カレンディア殿下の完璧を目指す、民の見本でありたいと思われる気持ちは素晴らしいものです。それでも完璧な人間など世の中には存在致しません。それは私は勿論、キース様であってもです」
「キースベルト様は私の理想とする完璧な貴族ですわ」
おっとここで食い下がるのか。突然その色を変えた瞳がとても分かり易く面白いが、同時にむくむくと対抗心が湧き上がってくる。
「いいえ。キース様とて多くの事に悩み心を痛め、時には立ち止まりたくなることだってございます」
あの人は悩み過ぎてその感情を仮面で覆い隠し、随分と心が擦り切れていた。それは生まれ持った魔力のせいであり本人の責任ではないのだが、悩むことすら許されないというのは余りに酷ではないか。
「そしてそれは悪い事ではないのです。それもまたキース様の魅力の一部なのですから」
表からは見えない彼の裏側、例えば甘いお菓子を無心のまま頬張ったり、眉間に深ーい谷を作って長ーい溜息を吐いたりするのもまた彼の魅力なのだ。困る姿はあまり見たいものではないが自然に笑う姿はいつまでも見ていたいと心からそう思う。
いつの間にか言葉に力が籠り頬に熱が集まるのに気付く。おっといけない脱線したわ。このペンダントは外からの温度変化は無効にしてくれるが内部からの変化には対応していないらしい。意識したら余計に体が熱く感じる。
「とにかく! カレンディア殿下が思い悩むこともまた自然な事であり、決して間違ってはいないのです。ですから貴女は今のまま思い悩みながら、偶には休みつつ、理想を追い求めればいいのだと思います」
強引に話を締めくくったが言いたいことは伝わっただろうか。
閉じていた目を開き様子を窺うと、ころころと、それはそれは楽しそうに笑っている。
「貴女の惚気のせいで折角の高説が耳に入りませんでしたわ」
「何ですとぉ!」
思わず砕けた言葉が飛び出し、慌てて両手で己の口を塞ぐ。完全に手遅れだけど。
「それが貴女の本性なのですね、確かに到底完璧な貴族には見えませんわ!」
完全に煽りの体勢に入り言いたい放題言ってくれるが、心底楽しそうに笑う彼女に不思議と怒りは湧いてこない。
「……そこが、貴女の魅力ですのね。理解できた気がします」
「カレンディア殿下……」
「よろしければ、カレンと呼んで下さる?」
「では失礼して、カレン様」
突然砕けたカレン様は結構な毒舌家で、周囲を構うことなく振り回す中々のはねっ返りなようだ。この小悪魔のような可愛さにはリィン様が溺愛するのも頷ける。そんな彼女に一言物申したく、神妙に口を開く。
「……キース様は私の、……お、夫ですから! いくらカレン様でも譲りませんから!」
恐らく茹で上がっているだろうその顔で告げれば、カレン様の笑い声が一層洞窟内に響き渡った。
カレン様との距離が縮まったのは大変結構な事なのだが、この時の私がパンイチであったことに気付くのはもう少し経ってからである。
羞恥の中で湿ったままのシュミーズの上にドレスをあてがうこの気まずい時間を、出来る事なら記憶から消し去りたいとそう願うばかりだった。
「……お待たせいたしました。見苦しい姿をお見せしましたわ」
「あら構わないわ。予め断られてるもの」
確かに言ったが、ここまで見苦しい姿を見せる予定はなかった。すっかり打ち解けたカレン様は気にしない様子でくすくすと笑っている。敬語も取れ素を見せる彼女は良く笑う方だ。
「お荷物の方はいかがです?」
「鞄の紐が切れてしまっているけど中身は問題ないわ。……私よく考えもせず無茶をさせてしまったのね」
紐の端、まだ湿って色が変わっているそれに視線を落とし、肩も落とす。
そう言えばさっき水泳について「今みたいな無茶」と口走ってしまったことを思い出す。ついね、本音が漏れてしまったのだけどよくよく考えれば大人げのない逆切れだ。
「やると言ったのは私ですからカレン様が気に病む必要はございませんわ。それにそのおかげで、……少し気になるものを見つけましたもの」
「気になる物?」
不思議そうに私を見つめるカレン様へ差し出す、少しどころではなく気になるそれ。浮島で拾った手帳に改めて触れば自然と手が震え出す。それは、異世界人が残したであろう記録。
「本のようね、表紙に何か書かれているけど……読めないわ」
小さな魔力灯で表紙を照らしてみるも、やはりこの世界の人にアルファベットは読めないらしい。日記と題されたその中に一体何が書かれているのだろうか。
「中を見ても構いませんか?」
念のため、カレン様に確認を取る。この遺跡は王家の縁の物らしいのでこの日記の所有権は当然彼女にある。
「見て分かるの?」
「分かるかどうか、見ないと分かりませんわ」
私の答えに「それもそうね」と笑いながら納得する。そんな彼女から了承を取り付けると私は固く結ばれた紐を解き、革で覆われた厚みのある表紙を恐る恐る捲った。
「これは……!」
最初に目に入ったそれは見覚えがあるもので。昨夜キース様に「直せるか」と渡され折った折り紙だった。
表紙を捲ると裏に挟み込まれていたそれ、例の平行四辺形に折られたそのパーツがばらばらと落ち、拾い上げ数えれば10枚あるようだ。キース様からそのまま預けられていた私の手持ちを荷物の中から引っ張り出し、そこへ加えれば11枚となる。
「これは……何?」
「私が持っていた1枚はキース様が遺跡で発見し持ち帰ったものですわ。魔術が込められているらしく12枚揃えて組み合わせると完成するようですが、どんな術なのかまでは私には分かりません」
「12……1枚足りませんわね」
11枚のパーツを手に取りしげしげと眺めるカレン様だが、それをよそに私の視線は手帳へ釘付けになっていた。折り紙が挟み込まれていた裏、捲られた最初の頁。そこには表紙と同じように読める字で簡潔に、アルファベットとカタカナでこう記されている――『HAPPY BIRTHDAY カーシクル』と。
「ハッピーバースデー、カーシクル」
「カーシクル、そう書かれているのね⁉」
無意識に口に出ていた言葉を耳にしたカレン様が声を上げる。
「カレン様、知ってますの?」
「カーシクルと言えば昔に若くして亡くなった王の名のはずだわ。やはりこの本は遺跡、王家に関係のある物なのね……!」
興奮気味に語るカレン様が私の視界を遮るように身を乗り出して手帳を覗き込んでくる。そう言えば元々遺跡の謎を解き明かしたくて視察にいらしたのよね。彼女の頑張りは無理な背伸びだったのかもしれないが遺跡に対する関心は本物だったようだ。
「でも、手前の言葉の意味が分からないわ」
「誕生日をお祝いする文言……だと思われます。つまりこの紙片あるいはそこにかけられている魔術が誕生日の贈り物、なのではないでしょうか」
カーシクル陛下への誕生日プレゼント。先程カレン様は若くしてとおっしゃっていたし子供なのだろう。くす玉折り紙がプレゼントと言うのは十分に考えられるものだ。
残念ながら1枚欠けてはいるが、私が持っていた1枚だって別の場所で見つかったものだ。時間をかけて調査すればその内見つかるのかもしれない。
「すごい、すごいわエリカ! では中のページも読み解いて――」
いつの間にか私の手から引き抜かれた手帳を捲ろうとして、カレン様が動きを止める。
「どうしました?」
「開かないみたい。魔術で鍵がかかっているのかしら」
「ちなみにカレン様、解錠の術は?」
「……使えないわ」
なんてこったい、ここまで来ておあずけとは。
期待と興奮に満ちたカレン様と不安渦巻く私とが、身を寄せながらがっくりと肩を落とした。




