執事殿は不機嫌につき
「奥様のお部屋はそちらではありませんよ。屋敷の中で迷子とは、この先思いやられますね」
『奥様』という呼び方にむず痒さを感じながら見れば、やれやれと言った様子であからさまな不満顔を見せる若い男性がそこに立つ。
年齢は私よりは上で公爵様よりは下くらいか。黒のお仕着せを隙なく着込み神経質そうに眼を細めている彼は、身形からしてどうやらここの使用人のようだ。栗色の長めの前髪を中央で分け、その奥の左目にあてがわれた片眼鏡がきらりと金色に光っている。
それにしても。
「奥様、聞こえてらっしゃいますか?」
「ええと、どちら様かしら?」
返事もせずにじっと見つめてくる私に苛立ちを隠すことなく眉間に皺を寄せる。むき出しの敵意は昨日の公爵様を思い起こさせる態度だが、しかし不思議と昨日程は腹が立たない。
とりあえず、と何者かも分からないこの男に尋ねれば、しぶしぶと自己紹介を始める。
「……申し遅れました。マクスウェル家にて執事を務めますスヴェンと申します。この離れを一任されております故、以後お見知りおきを」
「執事のスヴェンさんですか。よろしくお願いしますわ」
慇懃無礼さを感じさせる挨拶に対しにこやかにほほ笑みかけ丁寧に礼を返す。メイドさんとのファーストコンタクトを失敗した轍は二度と踏まないのだ。
しかし何故だか彼の表情はさらに険しく歪む。おかしい。何が気に入らないというのか。
「えっと、スヴェンさん?」
「使用人に対して何故頭を下げるのでしょう?」
「なぜって初対面の、年上っぽい方がお相手ならば当然でしょう?」
当然でないのが貴族というもので、身分が下の者に対してへりくだるのはご法度である。分かってはいるがつい反射的に出てしまったのだから仕方がない。仕方がないのでにこりと笑いお茶を濁す。
大体、そういうアナタは主の妻に対して敵意100パーセントの態度を向けているわけだけどそれはどうなのよ。というツッコミをしないでおけば、眉間に皺を寄せたまま口角をくいと引き上げハンと一笑に付す。なんとも人を小馬鹿にした態度だが、それ以上に不機嫌顔のバリエーションの豊富さに感心する。
「成程、そのような手管で様々な男性を翻弄してきたという事ですか。生憎私には通用いたしません」
単純に貴族である自覚が薄いだけなのだが、角度を変えるとそういう解釈になるのか。こうやって私の噂はヒレがつきまくって悪徳と称するまで上り詰めたのかと目の当たりにし、思わず感慨に浸ってしまう。
「奥様の噂はかねがね耳にしておりますため驚きはしませんが、貴族としてあるまじき振る舞いですのでお止め下さい。それともマクスウェル家の品格を落とすことが目的でしょうか」
左目の片眼鏡に手を当て、その奥から覗く鋭い眼光が私を突き刺す。
主よろしく好戦的な態度だが、今日の私は一味違う。なんと言ってもおいしいご飯を食べたばかりなのだ。ついでにカフェインも大量摂取してリラックス効果が全開な私には、その程度の睨みは痒くもない。
にっこりと浮かべた笑顔を崩さぬままに相変わらずじっと見つめる私に耐えかねてか、その内スヴェンさんが顔をふいと逸らす。
その瞬間、きらりと光るメガネチェーンの付け根から淡い水色の光が零れるのが目に留まる。
先程から視界の端にちらちら瞬くものが気になっていたが、ようやく正体を特定する。
「そちらの眼鏡チェーン、少し歪んでますわね。落としたりしました?」
「は⁉ なぜそれをっ……」
突然の私の指摘に分かり易く動揺する。不満を隠さなかったりと、随分素直な人物だ。そんなことを考えているのがばれたのか、慌てて表情を引き締めつつ左手で片眼鏡を押さえる。その付近にさらにふわりと漂う光。
「あら袖口のボタンも緩んでいますわ、どこかに引っ掛けました? 結構うっかりさんですのね!」
ついでにしっかりしてそうな見かけによらず、なかなかにやんちゃなようだ。喧嘩腰な態度にイライラしなかった理由はこのちょっと抜けた一面を感じていたせいかと納得する。
なんとも微笑ましいとくすくすと笑っているとスヴェンさんの顔色がみるみる赤く染まっていく。
「……っあなたは、私を馬鹿にして楽しんでいるのですか⁉」
「そんなつもりはありませんわ」
これはとんだ誤解である。なので慌てて弁明する。
「しっかりしてそうな執事さんのうっかりな素顔がなんだか可愛くて。弟を見てるようですわ」
そう微笑めば今生の弟の顔を懐かしく思い出す。妹よりさらに4つ年下の弟は次期伯爵の使命を担うしっかり者だ。奔放な長姉に向ける軽蔑の眼差しは常にツンツンしていたが病に臥せる次姉にはとても甘えん坊で、陰ながらそのギャップに萌えていたのは秘密だ。
「かわ……っ弟扱いとはまた随分な物言いですね。私は奧様より年上だと、ご自分でも仰ってましたが」
「中身の問題ですわ」
人生二周目な私は単純計算で41歳だ。とはいっても赤ん坊のころは意識はあってなかったようなものだし、子供の頃から精神が肉体年齢に引っ張られてるようで、実態はずいぶん子供っぽいという自覚はある。
それでも彼のツンツン強がりながら背伸びをする態度には弟のような可愛げを感じ、思わず頭をよしよしとしたくなる。
「なおさら不快です」
ぴしゃりと拒絶されてしまった。とても残念である。
何はともあれスヴェンさんはこの離れの責任者の様で、それならば願ったり叶ったりであると提案を持ち掛ける。
「スヴェンさん。私、庭を探検したいのですけど案内していただけません? お忙しいなら一人で見て回りますけど」
未だに納得のいかない様子で不機嫌さを全面に振りまいているスヴェンさんに構うことなくお願いしてみる。恐らく広大であろう公爵邸の庭だ。勝手の分かる人に案内を頼んだ方が効率的に回れるというものだ。
完全に会話のペースを乱されたスヴェンさんは胡乱気な目で私を見据え、ひとつ大きな溜息をつく。
「お一人で勝手に歩き回るような真似はお止め下さい。いいでしょう、奥様がおかしな真似をしないよう見張らせていただきます」
「よかった、じゃあよろしくお願いしますわ!」
私としてはおかしな真似をするつもりなんてないので何ら問題ない。
にこやかにお願いするとそろそろ彼の怒りも呆れに変わったようで項垂れる様に頷く。
「それと、頭を下げるのもお止め下さい。品位がありませんので」
「そうね、弟のようだと思えば……」
「お断りいたします」
そこは頑として譲らないらしい。
しかし彼の言い分も一理……どころか十理はあるので私も弁える努力はしよう。貴族とは面倒な物である。
外への扉を開くスヴェンさんに「ありがとう」と礼を言いつつ、美しく広がる前庭へと降り立った。
「……見事な景色ね!」
目の前に広がる庭園の美しさに思わずため息が漏れる。
隣に控える執事のスヴェンさんが、さも当然と言ったようにどや顔をしているのがとても微笑ましいが、また怒らせても面倒なので黙っておくことにする。
スヴェンさんの案内に従い庭園の中に足を踏み入れれば、自分の判断が正しかったことをしみじみと思い知る。
文様を描くように配置された生垣は迷路のような複雑な回廊を作り、目の前の案内がなければあっという間に方向を見失う自信がある。この中を迷うことなく突き進むスヴェンさんをちょっと見直したわ。
尊敬の眼差しでその背を追っていると、私がちゃんとついてきているかを確認するために振り向く彼の顔が不快を現す。またろくでもない妄想の眼を向けているのだろうと察した心の声が聞こえてきそうだ。正解である。
無言のままに笑顔だけ返せば、諦めたような溜息を返され再び前を進む。
生垣の合間合間に配置された咲き誇る花々を愛でながらしばらく進めば、やがて庭の中央に位置する噴水へと辿り着く。噴水からは四方に水路が伸び、涼し気な音を奏でながら鮮やかな空色を映している。
「南側の丘の上には東屋が、西へ進むと温室がございます。東側のバラ園を抜けると本邸へ出ますのでこちらには立ち入らないようお気を付け下さい」
噴水の飛沫に浮かれてはしゃぐ私をよそに仏頂面の執事が淡々と説明をしていく。もちろん釘を刺すことも忘れない。
「分かったわ!」と軽い返事を返す私に苦々しく顔を歪め、言葉を続ける。
「本来ならば貴女のような人間が立ち入ることは許されない庭でごさいます。そのことをお忘れなきよう」
「スヴェンさんて私の事大分嫌いですよね」
分かってはいることだが思わず口に出てしまう。嫌いならば嫌いで構わないのだが、いちいち突っかかってくるのは面倒なのでやめて欲しいところだ。
「……当然でしょう。散々浮名を流しておいて何食わぬ顔で公爵家に嫁入りなど、厚顔にも程があります。正直反吐が出ますね」
うむ、ここまではっきり言われるといっそ清々しさを感じる。しかし間違った情報は訂正しておく必要がある。
「中々に口が悪いですね。別に浮名は流してませんけれど。そもそも嫁入りは公爵様の希望で私としても不本意だし、文句言われる筋合いもありませんわ」
ざわりと空気がひりつき肌を刺す。
姿はあまり見えないが、周囲で作業をしているらしい使用人さんたちの耳にも私の言葉が届いたようで、静かに刺さる視線が私に集中しているのが分かる。
無用の一言が反感を買ったようだが、それでも私としては主張を曲げる気はない。
「不本意? 旦那様との婚姻がですか?」
「ええそうですわ。当然じゃありません? 好きでもないどころか会ったこともない相手とだなんて」
実際には貴族には普通にあることなのだが私にはちょっと我慢ならない。
だがスヴェンさんに引っかかったのはそこではない様子で、細い目をさらに細めながら訝しげに聞いてくる。
「会ったこともないとは、貴女が旦那様を夜会で誘惑したのでは……?」
とんでもないことを言い出した彼に思わず吹き出しそうになる。いや笑い事ではない。事実を責められるのは仕方ないがデマまで許容する気はないのだ。
「失礼ね、誰がそんなことを言ってますの? 事実無根ですわ。噂を集めるのはいいですけれど真偽はちゃんと確かめて下さいまし。ところで公爵様は優秀な方だと専らの評判ですが、実際には私如きに誑し込まれる程度の無能な方なんですの?」
私の言葉に周囲の空気がより一層張りつめる。
こちらを真っ直ぐ見つめるスヴェンさんの視線が鋭く尖り今にも怪我をしそうだとぶるりと震えるも、この口は止まらない。
「噂なんて結構あてにならないものですわよ。公爵様だって素は口も態度も粗暴じゃないの。その上私のような荷物にしかならない女を娶るだなんて不審しかないですし、他の貴族の方からの評判も地に落ちるのではなくて? まぁこうしてお世話になってることについては感謝はしてますけれど」
「それ以上旦那様を愚弄するのは許されませんよ」
絞り出すような低い声でスヴェンさんが告げる。
乏したつもりはないし感謝の意も述べたのだが、まあ大分心証を悪くした自覚はあるのでおとなしく口を噤む。
周囲はいたく静まり返り、噴水の水音だけが無為に反響している。
うむ、これで使用人さんたち全員を敵に回したわ。元から味方でもなかっただろうけど。
それにしても、彼らがこの婚姻の経緯を知らない様子なのには驚きだ。この押しつぶされんほどの怒りの圧を感じるに屋敷内での人望は相当厚いものだと思うのだが、公爵様は自身のことはあまり周知しないのだろうか。益々以って不可解な人物だ。
冷静さを失わないようしばし押し黙っていたスヴェンさんが、やがてゆっくりと口を開く。
「……奥様の言い分は分かりました。そして貴女という方が無礼で不作法で無遠慮な方だという事も、ようく理解致しました。今後は相応の対応をさせていただきます」
「あらそう、私の事を少しでも分かっていただけたみたいで何よりだわ」
睨み付ける瞳に満足げな笑みを返し、さあこの話はこれでおしまいとくるりと背を向けて再び庭を歩きだす。水路に沿って本邸とは逆方向へと進めばやがて整形された区画が終わり、木の生い茂る野趣に富んだエリアが広がる。前世風に言えばイングリッシュガーデンのような趣だ。うん、こういうのも素敵だ。
木陰を辿る様に石畳を跳ねながら進めば、少し遅れてスヴェンさんが後ろをついてくる。時折「なぜ……」「どういうことだ」などとぶつぶつ呟くのが聞こえるが、気にせずそっとしておこう。
ひとしきり歩き回れば腹もこなれて体も軽い。
庭園散歩に満足し、石畳を蹴る足を離れへと向けた。




