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思い出すは始まりの時

 暗く寝静まる街を、足音を殺しながら注意深く進む影が一つ。

 貴族のタウンハウスが並ぶこの一角は破落戸と鉢合わせる事もなく、たまに門の前に立つ守衛を躱しながら慣れた足取りで下町へと続く道を進んで行く。

 ――バートン伯爵家令嬢であった頃の私の日課である。



 確か2年ほど前だったと思う。

 16歳の私はいつものように町娘用の服に着替え、暗闇に乗じて街へと情報収集に繰り出す。

 人の少ないルートはリサーチ済みだ。明かりの届かない塀の隙間を迷いなく駆け抜けるその足を、その日は予期せぬ障害物が絡めとり盛大に突っこけた。


「痛っつ……誰よ、こんなところに邪魔な荷物置いたのは……」


 しこたま打った額を摩りながら、注意深く魔力灯を取り出しその荷物を確認すれば――それは人だった。


「誰?」


 思わず話しかけてしまったが返事はない。地べたにうつ伏せに横たわるその背は小さく上下し、どうやら死体ではない様子だが息も絶え絶えと言ったところか。


(貴族街に行き倒れとか珍しいわね)


 襲い掛かってくる危険はなさそうなので距離を取りつつものんびりと観察してみる。


(血は出てない、身長からして成人男性かな?)


 薄汚れた、元は白だったと窺える灰色のローブを纏っていてその姿ははっきりとは分からない。

 手に持った魔力灯を腰に括り付ける。


(……気になるのは、周囲に見える体に纏わりつくような魔力)


 それは体調不良の者によく見られる症状であり、行き倒れているのだから何らおかしくはないのだが。観察を続けているとその魔力は体に触れた途端にふっと消え、再び起こる魔力の滞留も同じ反応を繰り返している。初めて目にする現象だ。

 背負った鞄を降ろし、ガサゴソと奥底から紐を取り出す。


(恐らくは魔力持ち、つまり貴族ね)


 さて困った。この人が貴族だとして、このまま放置していいものか。幸い顔は見られていないだろうし後にこの人が発見されても嫌疑をかけられることはないだろう。

 鞄を体の正面に背負い直すと、その人に近付き覗き込んでみる。


(私には優先して為すべきことがあるし、こんなところで道草を食う暇なんてないの)


 ぐったりと動かないその重い身体に紐をかけ、ぐいと背に乗せる。


「重……っ」


 商人街の灯りがいつも以上に遠く感じ、軽く後悔する。


(何とか、ギリアムのお店まで……)


 長い足を地に擦りながら、背負った荷物を落とさぬよう一歩一歩踏み出し街へと降りて行った。


「で、こんなモン持ち込まれても買い取れねえよ」

「売りに、来たわけじゃ……ないわよ!」


 汗だくになり全身で呼吸をしながら、呆れた調子のギリアムに怒鳴る。ただの八つ当たりである。


「冗談だ、俺は人間は扱ってねぇよ。にしても、よくもまあ面倒を持ち込んでくれるな」

「それはまあ、悪いと思うけど……仕方ないじゃない、見殺しとかできないじゃない!」

「お優しいこって」


 吐き捨てる様に言いながらも、私に水を差しだしてくれる。なんだかんだ言ってこの男もお人好しなのだ。

 にっこりと微笑めば、対照的に顔を歪められる。


「何か気味悪ぃ事考えてんな? まあそれは後でいい。とりあえずコレをどうするか――」


 人の立ち入らない倉庫にそっと寝かせれば、……男性、だということは分かるがどうにもその相貌がはっきりしない。何これ、急に視力が落ちたの? そう思って目を細めても何一つ見え方は変わらず、変わりにギリアムを覗けばその表情は目を見開いたまま固まっている。


「お前、これが何者だか知ってんのか?」

「そんなの知るわけないじゃない」


 見開いた目を細め、一等低い声で問うギリアムにびくりとするも正直に答える。


「そうか……ならいい。とりあえず死んじゃいねぇ。夜明け頃に人目を忍んで貴族街の入り口に転がす。そうすりゃ誰か拾ってくだろ」

「それでいいの?」

「俺は余計なマネして首切られるのは御免だぜ」


 平民が貴族に無礼を働けば手討にされても文句は言えない。ここはそういう世界だ。そんな地雷をギリアムの元へ持ち込んだのは私であり、当然文句は言えない。


「そうね、それがいいのかも。ありがとうギリアム」

「ったく。とりあえず今夜はそいつを見張ってな。何かありゃ大声出せよ」


 そう言ってガリガリと頭を掻きながらギリアムは店へと戻っていく。後に残された私は行き倒れさんの正面に椅子を置くと腰を下ろし、疲労のたまった足腰をぐいぐいとマッサージすることにした。



 彼が目を覚ましたのはそれから数時間後、夜明けまでにはまだ時間に余裕のある頃合いだ。


「ここは……、君は?」


 のそりと体を起こすと虚ろな瞳をこちらに向ける。向けられているはずなのにやはりその顔はよく分からない。

 冷静さが見えるその言葉にとりあえず安堵し、穏便な言葉で話しかけてみる。


「えーと、おはようございます。ご気分はいかがでしょうか?」

「君が私を助けたのか?」


 凛とする声はぴりりと緊張感を纏いあからさまな拒絶の意を示す。特別語勢が強いわけではないその言葉に思わず体が竦む。


「放っておいてくれ、私はもう疲れた」


 それだけ言うと私から興味が失せたようで、先程と同じように藁の積まれた簡易寝床へと突っ伏す。いや元々興味などなかったのかもしれない。無防備にこちらに向けられた背中が如実にそれを現す。

 そんなことを考えていれば、次第にむかむかと苛立ちがこみ上げてくる。


(確かに助けてくれと言われたわけじゃないけど、感謝してくれとは言わないけれど、その態度はなくない⁉)


 必死の思いで担ぎ、貴重な時間を無駄にして、危険も承知で運んできたのだ。

 そちらが身勝手な理由で気分を損ねるのならこっちだって身勝手に怒っても構わないだろう。……そんな道理は存在しないが、知ったこっちゃないわ。


「貴方が何者かなんて知らないしあなたの事情にも興味ないですけど、そういう態度をとるのならこちらも勝手をさせていただきます!」


 そう言って立ち上がると、その男の襟首をむんずと鷲掴み、コロンとひっくり返す。身体は私よりも大分大きいが無防備だったせいか、案外簡単にひっくり返るものだ。


「っ何を――」

「貴方、魔力の流れがおかしいわ」


 床へ仰向けに転がる男をまたぐように立ち、ずっと気になっていたことを確認する。

 その体をまじまじと観察すればやはり不思議な消失現象を繰り返している。それでも滞る魔力だが、ふと一部に偏っていることに気付く。一部とは、彼の左足だ。


「ちょっと失礼しますわ」

「おいやめろ、頭がおかしいのか⁉」


 失礼な物言いを完全無視しその男の靴をぽぽいと脱がすと左足のズボンの裾を捲り上げる。

 デビュタントも済ませた令嬢が横たわる成人男性の素足を弄るなど彼の言う通り十分頭がおかしい行為だが、今の私は町娘のヘザーちゃんでありそんなことはお構いなしだ。

 だが、露わになったその足を見て絶句する。

 男の顔も恐らくひどく歪んでいるのだろう。唇を噛む様子が窺える。


「うわぁ……滅茶苦茶痛そうですね」


 そこには大きく縦に走る黒い傷跡。火傷でもないし刃物傷とも違う……恐らく魔術かな? 傷自体はすっかり塞がっているように見えるがまとわりつく魔力から察するに痛みはあるのだろう。

 そっと、なるべく刺激しないように手を当ててみる。


「!」


 その人はびくりと体を揺らすも、抵抗することもなくされるがままだ。


「少し熱いですね、炎症起こしてるのかしら。濡れタオルで冷やしましょう」


 自分で床に転がしたその人を再び寝床へ戻すと倉庫を後にし、すぐさま水桶とタオルを持って戻る。


「少しはましになるといいんですけど」

「……君は恐ろしくないのか、この黒い足が」


 タオルを絞りあてがっていれば、されるがままだったその人がふいに問いかける。先程のような敵意はなく、落ち着いた様子だ。


「感染る病気には見えませんし、私こう見えても体力には自信があるのでこんなひょろ足に蹴られても痛くもかゆくもないですわ」

「病気ではないし、蹴ったりもしない。先刻はすまなかった」


 すっかり毒気の抜けたらしい彼は薄汚れた衣服を纏いながらも貴族らしい佇まいを感じさせ、本来のこの人の姿を垣間見せる。


「構いません。そんな時もありますわ」

「君は変わっているな」

「よく言われます」


 にこりと微笑んで見せれば、その人も心なしか笑顔を見せたように思えた。


「これって魔術創ですよね。魔力の流れがおかしいのってこの傷のせいなのかしら」

「いや、傷とは別問題だ。私は……魔力減衰症を患っている。勿論感染する様な病気ではない」


 魔力減衰症、その言葉にどきりと心臓が跳ねる。確か私の妹が患う高魔力症とは逆の、魔力が消失していく難病だったはずだ。治癒の手段は確立されておらず、しかし魔力を外部から供給し続ければ問題なく過ごすことが出来る。と言うのが医学書の説明だったと記憶するが、現実問題として魔力回復薬を常飲するとなるとそのコストは計り知れないものになる。……そりゃあ自棄にもなるはずだわ。

 押し黙ったままの私に何を思ったのか、努めて明るい口調で話し始める。


「私はこんな体だからね、いつ朽ちても惜しくはないんだ。ただ友人が、彼が悔いを残したままになるのが心残りだ」

「だったら、無理にでも生きて下さい」


 温くなったタオルを水で濯ぎ直し、再び足に当てながら言う。


「貴方が大切だという友人が存在するのなら、無様でも何でも生きて下さい。きっとその方もそう願うと思います」

「君は案外残酷だね」

「そう、思います」

 

 私はセシルには生きて欲しい。その願いにより長年ベッドに縛り付けることとなっても。……これは私のエゴなのだろうか、彼女は私を恨むのだろうか。


「……君にも大切な人がいるんだね」


 いつの間に立場が逆転したのか、苦悩する私を慰める様にその人が言う。


「うん、そうだね。もう少し足掻いてみようと思うよ」


 空元気ではないその言葉にぐっと涙を呑み込み、闇夜は深さを増していった。



 遠くの空がうっすら色づき始める頃、私はギリアムの指示により行き倒れさんを連れて馬車へと身を潜める。

 ガタゴトと揺られながら前方へと目を向ければ、ぐるぐるとストールを頭に巻き付けた歪なシルエットが同じように揺れている。


「俺は顔を晒すつもりもねぇし声を聞かせたくもねぇ。送る事だけはしてやるから後はお前がうまく捨ててこい」

「ギリアム、ありがと! いつかちゃんとお返しをするわ!」


 ぶっきらぼうに言い捨てるギリアムに礼を言えば彼は不機嫌さを隠さず御者台へと乗り込むのだった。

 そんなやり取りを思い出していると、隣の人物が唐突な質問を投げかけてくる。


「君さ、貴族だよね。魔力感知もできるみたいだし、そんな身形だけど立ち居振る舞いにはそこはかとなく品がある」

「は⁉ いや、何のことでしょう⁉」


 あからさまな挙動不審さを見せつつ必死に否定するも、その人は聞く耳を持たないようだ。


「先程言っていた大切な人とは、婚約者の事かな」

「そんなものはいません」


 今度こそはっきりきっぱりと否定する。


「そう、それは良かった」


 一体何が良いのやら。胡乱な視線を向ければその人はもう用はないといったふうにそっぽを向いてしまう。

 そのうち馬車が動きを止め、御者台からコンコンと合図が送られる。


「私たちが送れるのはここまでです。日が昇れば巡回の兵が参りますのでそちらに援助を求めて下さい。それで大丈夫でしょうか」

「ああ、面倒をかけて申し訳ない。感謝するよ」


 確かな足取りで立つ彼は思った以上に背が高く、その姿は威厳を感じさせる。

 相変わらず顔はよく分からないが、まあ別にいいか。


「あ、それとこれ、お土産です!」

「土産?」


 手に持った荷物を慌てて差し出すと、首を傾けながらその人が受け取る。


「これはキリクと言う花で魔草の一種です。ほんの僅かですが魔力を放出する特性を持ちます。園芸店でも売られてる身近な植物でちょっと匂いに癖はありますけど、少しでもお役に立てば……いいなって」

「ありがとう。頂くよ」


 多分、にこりと微笑んで。その人の姿は貴族街へと溶けていった。

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