近付く心、遠のく距離
気付いてしまった。
ヒース商会で偶然遭遇したキース様と二人で話したあの日。
「肝心の、大本命の私の打ち明け話が何一つ出来てない……!」
思い返せば大蚤の市でキース様の不信を買い、出張の留守番中に引きこもってからの、職場に突撃した挙句大掃除を敢行し、ようやく話をしたい旨を伝えた。
にもかかわらず、敢行されたのが愛の告白とはこれ如何に。
あれから数日たつが、未だに記憶が蘇っては頭に血が上り布団に頭を突っ込んではじたばたと藻掻いている。毎度恒例となった一人反省会、絶賛開催中である。
(恥! もっとこう、雰囲気とかシチュエーションとか、どうにかできたでしょ私!)
密室で二人きりはまあいい。しかしエプロン服にポニテ姿はいただけない。
予期していなかったとはいえ準備も覚悟もなく喧嘩腰からの告白である。それも噛みまくって、何を言ったかすら定かではない。
極めつけはキース様はとっくに私に好意を伝えていたらしいという事実だ。一体いつどこで⁉ 唐突に知らされパニックを起こした結果、私は貝になるという最悪の選択肢を選んだ。一生の恥である。
結局あの後キース様は仕事に戻らねばならないと店を後にし、私と言えば動くことも話すこともできない貝なのでギリアムに散々馬鹿にされた果て「使い物にならん店員は邪魔だ」と早々に家へと返品されたのだった。
(……キース様の昔話が聞けたのは良かったけども)
うんそうだ、前向きに行こう。やらかした事はもう覆らないのだ。開き直るしかないのだ。
冷静さを取り戻すため、布団に突っ込んでいた頭を引き抜くと姿勢を正して立ち上がり、二、三深呼吸。
「奥様、失礼いたします」
「ひゃいっ⁉」
唐突に鳴るノックと呼びかけの声に全身で反応を返す。全然冷静になれてないわ。
「大丈夫、でしょうか?」
心配そうな顔を扉から覗かせるのはハンナさんだ。
「いつもの奇行だから安心して頂戴」
「そうですか、安心しました!」
私の言葉に素直に従うハンナさんだがここはもう少し心配してもいいと思うの。
「先程スヴェンさんから伺いまして、本日旦那様は昼過ぎには戻られるそうです。お支度致しましょう!」
そう話すハンナさんは既に背後へと回り、私の室内着をテキパキと剥ぎ取り始める。容赦がない。
そんな中私は『旦那様』というワードを耳にしただけでみるみる顔が赤く染まり、「そ、そう」と頷くことしかできない。我ながら重症だ。
「今日は髪を上の方で纏めましょう! ふふ、旦那様のご要望なのですよ?」
「ひぇ……」
失った語彙と思考のままハンナさんにいいように遊ばれ、やがてキース様がお帰りの報せが届くと私はぽいとお迎えの場に放り出されていた。
「お、お帰りなさいませ!」
「ああ。出迎え感謝する」
いつものローブ姿で離れへと姿を現したキース様はいつもの端的な挨拶を返し――にこり、とさわやかな笑顔を見せる。
「っ…………」
「エリカ?」
とてつもない破壊力である。眩しくて目が眩み、頭までくらくらしてくる。思わず両手で顔を覆ってしまう私は決して悪くないはずだ。
「お、お茶の準備をしておりますので、キース様もいらして下さいまし!」
真っ赤になっているであろう顔を覆ったまま、それだけ言い残して私はぱたぱたとその場を走り去る。
「奥様、行ってしまわれましたね」
ぽつんと残された主へと声をかけるのは同じく出迎えに参じていた執事のスヴェンである。
「奥様があれほど初心な方だったとは、正直予想外です」
「そうだな」
短く答え、妻を追うように軽やかに歩き出すその肩は揺れており、くっくと漏れる声が聞こえる。
「……旦那様がそのようなお顔をなさるのも予想外ですが」
ここ数日繰り返されている一連の流れに、執事は灼けそうな胸を抑えてぽつりと漏らした。
◇ ◇ ◇
サロンに用意されたお茶の席でキース様と向かい合うように――部屋の中央に置かれたソファへと腰掛けるキース様の正面を向くように、壁際に置いた椅子へと腰を掛け、紅茶の注がれたカップをゆるりと傾ける。
「少し距離が遠くないか」
「そんなことありませんわ」
「そうか」
「……」
無表情のままに尋ねるキース様へしれっと言い切るが、いや流石にこれはない。
心証の悪化は必至だろうと慌てて何の言い訳にもならない弁明を捲し立てる。
「あのっ、決してキース様の近くが嫌なわけではなくてですね! ちょっと困るというか、緊張してしまうというか……嫌じゃないんですっ!」
「ああ、分かっている。だがあまり遠いのも寂しい。慣れたらで構わない、もう少し側に来て欲しい」
「……ぁい」
眉を下げつつも砂糖菓子のような表情を見せられれば吐いた言葉も溶けるというものだ。この人、こんな顔も出来るなんて聞いてない。砂糖を多めに入れたはずの紅茶はただひたすらにほろ苦い。
こんな精神状態では大事な話なんて出来やしないわ。一刻も早く慣れなければ、この両想いであるという状態に。……慣れる日が来るのだろうか?
「その髪も、とてもよく似合っている」
喘ぐ思考の中、届いた言葉にみるみる体温が上昇する。慣れる日は当分来ないかもしれない。
続く無言の時間、かちゃりと鳴る食器の音だけが時折に室内へと響く。
ゆっくりと流れる時間は不思議と居心地が悪くない。キース様はどうだろうかと少し離れたその人をちらりと覗き見れば、同様にリラックスしているように感じられる。
(こんな日が、ずっと続けばいいな)
心からそう思う。
「そうだな」
思わず返ってきた返事にびくりと顔を上げれば、こちらを向いた瞳が優しく揺れている。……心の声が漏れていたらしい。
動揺するもその言葉は心地のいいもので、緊張で強張った身体からストンと力が抜けていく。
「はい、ずっとキース様のお側に」
自然と口を突いて出る。
ふと顔を上げると視界は陰りいつの間にかその人が私の前へと歩を進め、そっと手を差し伸ばす。
「ならばもう少し近づいても……」
「今はダメです!」
反射的に飛びのき正面にキース様を見ながらじりじりと扉との距離を詰め、
「あのっ私、忘れてましたわ! 庭の水撒きをする時間ですのっ、夕食まで失礼いたします!」
慌てて逃げる様に部屋を出る。
油断したわと両頬をパンと張り、緩み切った覚悟に気合を入れる。
そう、今はまだ。私にはまだ為さねばならない大仕事が残っているのだから。
それでも。
「大好きですわ、キース様!」
くるりと振り向きそれだけ言うと、再び庭へと向けて走り出す。
振り向く刹那に見えたその顔の綻ぶ様に、跳ねる足取りは軽く、躓き、転び。
ハンナさんに滅茶苦茶叱られたのだった。




