それは、私の宝物
「お姉さまの黒髪は艶やかでとても綺麗ね」
幼い瞳が私を映し、きらきらと輝く笑顔を浮かべる。
「焦色の瞳も素敵。私もお姉さまみたいな色がよかったわ。私は髪も目も色素が薄すぎるもの」
プラチナブロンドのゆるく波打つ髪をふわりと浮かせて、頬を膨らませる顔はとても可愛らしい。
私はこの色が嫌いだ。すでに失くしてしまった前世の私を否応にも思い出させる色だからだ。
この家も嫌いだ。母は記憶にないほど幼いうちに亡くなり、父は魔術の才が無かった私のことにはあまり興味がないらしく、新しく来た母やその間に生まれた子供たちに執心している。
この家に、この世界に私の居場所なんてない。だからと言って帰る場所もない。
私はひどく宙ぶらりんで、貴族教育のために赴いた家庭教師も怒鳴りつけて追い返したりと、日々荒れていた。こんな世界の常識なんて知りたくもない。そう部屋に引きこもって過ごしていると、決まって妹がやってくるのだ。
「お姉さま、この間のお話の続きを聞かせて!」
眩しいくらいに純粋で可愛らしい妹は私に良く懐いていた。そんな妹を邪険にすることもできず、部屋の隅で二人で座り込みながらおとぎ話を聞かせていた。妹にとってはおとぎ話なのかもしれないが私にとっては真実であった、つまり前世の世界の話だ。それを楽しそうに、時に不思議そうに聞く妹は「いつか私もその光景を見てみたいわ!」と漏らすのが口癖になっていた。
余りに羨みながら言うものだからある日、「これはおとぎ話なのよ?」と言ってみたが、「でもお姉さまは見たことあるんでしょう?」と真面目に見つめてくる。返す言葉もなく曖昧に笑う事しかできなかった。
「ふふ、いいの。これは私とお姉さまの秘密だもの! またお話聞かせてね!」
私のことが大好きで、私の姿も言葉も真っ直ぐに受け止めてくれる妹は私の宝物で、そんな彼女が床に臥せったのが私が10歳で彼女が8歳の時で。
『高魔力症』という診断を受けたのはそれから一年くらい経ってから。
医者の話によると、強すぎる魔力に体が耐えきれなくなっているらしい。一般的には体の成長と共に落ち着く症状らしいが、妹は体が弱いのかはたまた持って生まれた魔力が強すぎるのか衰弱する一方だった。
それからというもの、私はこの世界について必死に学んだ。妹を治すために必要な知識を、特に前世にはなかった魔法という概念を。
この国では貴族は魔法を扱う術――いわゆる魔術を扱えることが当たり前と知ったときは驚いた。魔術と言えば魔物と対峙する際に使用するものだと思い込んでいたが、考えてみれば政治というのは腹の探り合いの情報戦なわけで、襲撃や暗殺も珍しくないこの世界においては身を守る術としては必須なのである。
生憎私はその才に恵まれなかったが、道理で父が私に冷たいわけだとこの時に納得した。
どこの世界でも人間の敵は人間なのかと少々げんなりしたものの、私の敵は妹を蝕む病である。ならばと情報を収集するために、貴族が集まる社交にも力を注いだ。
他にも冒険者と呼ばれる市井の人達の中にも魔術に長けた人がいると聞けば、屋敷を抜け出し街へと探しに行った。幸いにも私は庶民出身だ、貴族令嬢とばれることなく街を徘徊するのは容易い。たまに破落戸に絡まれそうになりピンチになることもあったが小回りの利く身体で何とか逃げおおせている。
そんな努力の甲斐もあり、高魔力症の治療について多くの情報を集めることができた。
それでも、妹の体調は一時的に良くなることはあっても完治には至らない。
「お姉さま、また無茶をしたんでしょう?」
どろどろに汚した平民服を隠しながら屋敷の部屋へ戻ると、妹が呆れた顔で様子を見に来る。眉を寄せつつもふわりと笑うその顔は相変わらずきらきらと眩しく、しかし確実にやつれていっている。……もうあまり時間が残っていないのかもしれない――だめだ、弱気になるな。そう気持ちを奮い立たせて笑顔を返せば、妹の顔は決まって曇るのだった。
(異世界転生なんかしたって特別な能力も何もない。前世の知識だってどれもこれも学生レベルで、何の役にも立ちゃしない)
これほどまでに自分の境遇を恨めしく思ったことはない。
そんなある日、ふと気付いた。妹が纏うきらきらとした光、これこそが魔力であるという事に。そして魔術の才のない私にも『魔力感知』ができるという事実に。長年私の妹ラブによる錯覚かと思っていたが、どうやら錯覚ではなかったらしい。
魔力感知とは魔術を使うための基礎中の基礎の技術であり、魔力持ちなら誰でも使えるものだ。もちろん技量のある者ほどより広範囲を正確に読み取ることができ、使い方次第では有用な技なのだが、ミジンコレベルにしか魔力を持たない私に感知できるのはミジンコレベルの魔力だけだ。それでも何も見えないより何百倍もましだ。
(このきらきらと零れる光を止めるか消すかできればいいのね)
明確に目標が見えたことで暗く沈んでいた私の意気にも再び火が灯る。
妹は私の家族であり恩人であり宝物なのだ。憂いのない笑顔を再び彼女に取り戻すために私は力を尽くすのだった。
朝食を終え、弛緩した脳に二杯目のコーヒーを流し込むと、遠い記憶を揺蕩っていた意識が現実に引き戻される。
すかさず空になったカップに三杯目のコーヒーが注がれ、さっと引く使用人の動きは実に洗練され目を惹く。伯爵家にも使用人は少ないながらもいたが、良くも悪くも人好きのするメイドさんは近所の面倒見のいいおばちゃんのような大らかな人で、近年は専ら妹にかかりきりだった。
そんなこともあり使用人を連れずに単身での嫁入りを敢行したのだが、それを懐かしく思うあたりたった一日でホームシックになったのか、それともそれほどまでにここは遠い場所なのだろうか。
まあいい、私のやることにおいて距離は然程問題ではない。
広い食堂の中央で一人ぼんやりと窓から見える庭を愛でつつ、今後の方針を一人算段する。
(まずは手紙、結婚したことをあちこち報告しないとね。それとここは魔術の名門マクスウェル家なわけだし、希少な魔術書とかないかしら。書庫とか見せてもらえるといいのだけれど)
本邸へ入るのが許されないならば本の方をこちらへ運んで欲しいものだが、そもそもあの頑なな公爵様から閲覧の許可が下りるかは微妙なところだ。
(まあそれは追々ね。まずは荷解きしましょ)
湯気を立てるコーヒーが飲みごろの温度に下がるまでその香りを十分に楽しむと、ぐいと飲み干し立ち上がる。
その足が向かう先は廊下に続く元来た扉……ではなく窓の脇に備え付けられている庭へと向いた扉だ。
咲き誇る花が風に揺れる様が美しく、もっと近くで見たくなりふらふらとそちらへ誘われる。
(庭は本邸ではないもの、問題ないわよね? 荷解きの前に腹ごなしが必要なのよ!)
「どちらへ行かれるおつもりですか?」
誰ともなく言い訳を頭の中に並べながら扉に手をかけたところで耳慣れない声が背中にかかる。
驚き、振り向く最中にもその固い声は止まることなく、私へと敵意とけん制を浴びせかけてきた。




